せかいはまわる!

スタッフ&キャスト&お世話になった人が語る、風間監督作品「せかいのおわり」はこうやって出来た。

はじまりその2

2005-07-28 01:50:48 | 及川章太郎(脚本)
 せかいの皆さんこんにちは。うなぎ食った?そして杉浦日向子よ安らかに眠れ。
 というわけで、01年の秋も深まった頃から、タイトル未定の脚本の執筆作業が始まりました。詳しい説明ははしょるけど、他の仕事の合間に少しずつ執筆し、監督と伊藤プロデューサーと打ち合わせ(と称して美味いもの食ってただけ?)を繰り返しつつ、年が明けて02年の春頃までに何度か改稿を続けました。この時点で、はる子(中村麻美)と慎之介(KEE)を中心とした、映画のポイントとなる部分はほぼ出来上がっていた気がします。店長(長塚圭史)と中本(田辺誠一)は、完成品とはまだ全然別人でした。

 『せかいのおわり』がところどころコメディ・タッチなのは、特に「そうしよう」という意図があったわけでもなく、始めから自然にそうなっていました。個人的な話になってしまうけど、それが僕の基本的なものの書き方のようです。そしてそのこととは別に、風間志織という人の「人間」や「世の中」のとらえ方にもそぐうものであったと思います。
 それから、今回脚本レベルでちょっと挑戦してみたことの一つは、登場人物に、どうでもいいようなよくないような、話の本筋に関係ないようなあるようなことを、やたらタラタラ喋らせる。そしてそれがこっち側の自己満足に陥らず、お客さんにとって「面白い」ものに出来るかどうか、ということでした。それがうまくいってるかどうかは、皆さん是非劇場でお確かめ下さい。

 タイトル未定の間、僕は監督や伊藤Pに送る原稿のタイトルを“世界の終わり企画”としていました。先に書いた通り、「世界の終わり」が作品のキーワードだからです。そしてある打ち合わせのおり、風間監督が「タイトル、これでいいんじゃないの?けど、平仮名で」と呟き、こういうタイトルになりました。このような他愛ないちっぽけなお話に、このようなスケールでかくて(平仮名なので)頭悪そうなタイトルは、実に相応しい、と思ってます。

 何回かの打ち合わせの中で、『20世紀少年』(ちょうど、“2000年・血の大みそか”の頃でメチャメチャ盛り上がってた。…昔の話でしょ。)等と共に話題にしたことで覚えているのは、川上弘美の書いた『世界の終わりのサザエさん』というエッセイです。このエッセイにある、「世界の終わりにポツンと取り残されちゃって、寂しくて怖いけど、でもちょっとだけ悪くないような…」という気分は参考にさせて貰いました。で、ついでに書くけど世界の映画業界関係者達よ。川上弘美作品を映画化する場合、風間監督・及川脚本がかなりいい感じだと思うぞ。連絡を待っているぞ。ギャラもお手頃だと思うぞ。という売り込みで話を終えるのはどうかと思うけど、次回に続くぞ。

制作部は避雷針 カミナリ親父編

2005-07-25 19:48:10 | 制作部
近頃はカミナリ親父を見かける事が無くなった、なんて噂が巷でヒッソリ囁かれているそうです。
本屋さんには「カミナリ親父のすすめ」なんてものが売られていたりする世の中です。
そんな自分の記憶の中にも、三丁目のカミナリ親父にまた怒られた、、なんて記憶はありませんでした。
知っているカミナリ親父と言えば、のび太かカツオの投げたボールが必ず入ってしまう家に住んでいる親父くらいです。そう、あのガラスの割れる音と共に頭にコブをこしらえて出てくる親父です。
さて、ホンモノのカミナリ親父達はいったい何処へ行ってしまったのか?
今回は、制作部にたっぷりとカミナリを落としていった心優しき親父達のお話です。

それは撮影開始前、道路使用許可証を申請するために牛○警察署へ出頭したときでした。
道路使用許可証と言うのは、ロケをする時に取得しておかなければならない書類のこと。その中には、許可するのは別紙の通りであり記載の通りなのである云々、と小難しいお達しがずらりと書かれています。そしてその申請のためには、やはり小難しい申請書に規定通りの書き込みをし、資料をそろえて、キビキビとした態度で地元警察署の申請カウンターに献上する必要があります。
ところがこちらは制作部一年生。右も左もお箸を持つ手を確認してからの駆け出しでありました。
人生とは苦難の連続です。そんなクリクリ一年坊主が警察署で対面したのは、かの有名なカミナリ親父の生き残りでありました。
クリクリ坊主の差し出した申請書を一瞥するなり一言。
「足りないっ、やり直しっ」
冷たく追い払われてしまいました。嵐の前は静かなモノと世の中では決まっているのです。
そして同日30分後、二度目の申請に挑みました。しかし根本的に揃えるべく資料の枚数が間違っている事に一年坊主はこの時まだ気がついていません。申請カウンターの向こう側、そこでは着実に親父の頭へと数百ボルトの電流が送り込まれていました。そして次の瞬間、
「た゛か゛ら゛足りないってぁlwpふぉgbじゃlkw;tlkfjっ!!!」

はい、頂戴しました。一発目。

場所は変わってハイカラな街、青山。
ここにも生き残り、いえ年齢的にはカミナリ第二世代に分類されるであろう親父に遭遇しました。
その日制作部は、某事務所へ台本を届けに行くという任務により出動していました。この時、撮影は既に開始されており、ロケセットからの出動でした。任務遂行の為に荷物をまとめているとき、一言伊藤Pから注文が出されます。
「ちゃんと封筒に入れて持って行け」
このたった15文字の注文の為に、制作部はカミナリ親父第二世代からの放電を受けることになりました。
降り立った駅は青山一丁目。まずは封筒確保の為にオフィス街を右へ左へと偵察します。しかしどうした事か右へ行けども、左へ行けども、縦にも横にも文房具店は見つかりません。いったここで働いている人たちは何処で封筒を買っているのでしょうか?皆目検討がつきません。
少々探すことに飽きてきた制作部、公園で一服。サボるためでは無く今後の行動を見極める為です。(念のため)タバコも2,3本吸い終わり、公園にも飽きてきた時です、ついに発見しました。ハンコ屋さん。
ハンコがあるなら封筒もあるはず。その時はそう思いました。理由はきっと、「ハンコ=文房具=封筒」の方程式が成り立った為だと思われますが、真偽のほどはわかりません。そんな精神状態だったのでしょう。
そして、ハンコ屋さんへと見えぬ力に吸い寄せられる様に入って行きました。
入店第一歩目から、そこにはパリパリと電気が漂っていました。しかし警察署で既に一発目を頂戴しているこの体。ちょっとやそっとの放電には負けません。入店するなりガツッと言ってやりました。
「あの、申し訳ないんですが。こちらに封筒とかって置いてありますでしょうか?」
レジの姉さん「?」
「無いですか、紙のこんな感じの袋?」←手で大きさを教えてます
そんなやり取りをしていた時、奥から出てきました、第二世代が。
第二世代「何」
「あのー何でも良いんです、この位のが入る袋ありませんか?」←再び手で教えてます
すると第二世代、姉さんになにやら指示を。姉さんは頷き、奥から封筒を持ってきてくれました。
第二世代「それ持ってって良いよ」
「あ、どうもー」
すっかり安心した制作部。無料で封筒獲得の喜びに浮かれながら、任務を素早く遂行しなくてはと出口へ向かいます。自動ドアへと一歩踏み出したその時でした。店内に立ち込めていた電流は一気に第二世代の中へと流れ込み、そして迷うこと無く制作部の脳天へ放出されたのでした。
「それが人からモノを貰う時の態度かっっっっっっっっっ!」

はい、再び頂きました。二発目+お説教

そして日は変わって、場所は下町浅草○×堂。
ついに発見しました。元祖カミナリ親父。
しかし一発目や二発目のような「蓄積型ここで一発カミナリ親父」ではありません。さすがは元祖、「常時無作為怒髪天型カミナリ親父」でした。のび太なんて足元にも及ばず、カツオですらお舟さんに泣きつくであろう人物。「若造よまずは一発カミナリだ」そんな句が頭をよぎります。話しかけると、一言目からもう怒ってるんです。そして二言目でも怒ってるんです。そして最も不可解なのは、自分以外のスタッフが何かをお願いしに行ったときは、笑顔の対応なんです。
放電されるのは自分だけ。感電するのも自分だけ。どうして?
ここはもう一発目や二発目の様な細かい説明をすると悲しくなるのでやめておきます。ロケをする為に場所を貸してくださいとお願いしに伺ったその日から、撮影終了のその日まで、制作部は毎回避雷針となり、放電を受け続けたのでした。

はいっ、頂きましたよっ。百発も二百発もっ。

さてさて、実は今回の記事、制作部の出会った心優しき人々をお題に書き進めていたのですが。。。
随分と遠く離れた場所へと話がずれてしまいました。過剰に理不尽な放電を受け続けた様な印象を受けるかも知れません。制作部さんに放電なんてかわいそうっ!ひどいよカミナリ親父っ!なんて言ってくれる女性の方も必ずいらっしゃることでしょうが、そんな事はないんです。
よくよく考えて見れば、事の発端は全て自分に。。えぇ、ちゃんと気づいています。世間知らずの一年坊に人情の一発だったって事ですよね?そうに違いないですよね?
それにしても、カミナリ親父はいなくなった、なんて言ったのは何処の誰ですか?いるじゃないですかそこらじゅうに。思いっきり健在じゃないですか。何処見てるんですか?いないと思って安心しちゃったじゃないですかっ!!
蓄積型から、常時放電型までちゃんと今でも揃ってます。カミナリ親父は末永く安泰です。

ありがとうカミナリ親父!
でも、もう勘弁してください。
(o-no)

「はじまり」その1

2005-07-24 23:29:05 | 及川章太郎(脚本)
 せかいの皆さんこんにちは。ロンドンやエジプトがあんなことになったり、でもそんなことイラクやエルサレムじゃ毎日起こってたり、一方アスベストもこんなことなったりしてる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。『せかいのおわり』の脚本を書いてしまった及川というものです。僕もこれから時々ここに何か書こうと思います。よろしくどうぞ。
 
 脚本書きというのは、映画作りの一番はじめにしなきゃならないものです。というわけで僕は「せかいのおわり」の作りはじめのあたりのことをちょっと思い出して書こうと思います。思い出すというのは、それが結構むかしの話だからです。そうさなあ、あれはたしか四年前、2001年の秋のことじゃった。

 9月11日にああいうことがあり、おー、世界もだいぶ終わっとるわいという気配も濃厚なその秋(ところであれは「世界の終わり」の始まり、じゃなく、既に世界は随分終わりかけてる、ということをバカの人にも分かりやすく示しただけの出来事でしたね。)、それはそれとして、僕はごくいつも通りの日々を送っていました。
 そんなある日、突然家の電話が鳴り、ニュルニュルと不気味に一枚のFAXが送りつけられてきたのです。「中村麻美とKEE君でまた映画作んない?」そのFAXには、たしかそんな気軽な短い文章だけが殴り書きされていました。差出人は風間志織でした。それがあまりにも気軽だったので、僕もつい二つ返事で「じゃあ作りましょう」とすぐに風間監督に返答してしまいました。何というか映画作りなんてものは、そのようにてきとーな感じで始まったりするもののようです。
 
 で、僕は最初の打ち合わせをすべく、『せかいのおわり』のメイン・ロケ地でもある関東風間組の縄張り・神楽坂の居酒屋へと向かいました。
 前作『火星のカノン』で中村麻美とKEE君が演じたキャラの関係性を中心に、映画を作りたい。そしておそらく映画の最後に、中村はKEE君にこういうことを言うだろう。「こういうこと」にあたる台詞は、完成した映画でほぼそのまま語られているものです。その台詞の核となる言葉が、「世界の終わり」でした。
 監督からの提案はそれだけで、物語や設定については「好きなよーに書いてよ」ということでした。普段仕事で「好きなよーに」書くと「ふざけるな」とか「真面目にやれ」と色んな監督に怒られがちな僕ですが、風間監督は逆に面白がってくれる場合が多いので、いつもよりもかまえずに、素直に直感に従って書いてみよう、と思いました。それは言い換えると、あんまし後先考えずに思いつきで書いちゃえ、ってことでもあるんだけど。というところで突然、次回に続く。

共演者

2005-07-20 02:01:33 | 中村麻美(はる子)
について書き込もうと思っていたのですが、
彼らの魅力をあたしの言葉では語りきれないので
これはもう、作品を観てくださいとしか言いようがありません。

渋川さんはメッチャおっとこ前だし、
長塚くんは頼れる兄さんてき存在だし、
安藤さんはうらやましいくらい色っぽいし、
小林くんは笑顔がステキだし、
土屋さんはとてもかっこいい女性だし、
クノさんはかなりいとおしい人だし、
長宗我部さんは本当にお姉さんにしたいと思ったし、
高木さんの歌声は心地よいし、
つみきさんの瞳は本気でキレイだし、
小日向さんはいい人すぎてビックリするし、
田辺さんはかなり個性的でステキだし、
芦名さんはちょースタイルいいし、

うん。やっぱり語れないくらいみなさん素敵でした
ご縁があればまた共演したい方々です
どこかの現場で再びお会いすることがあれば、
その時はどうぞ宜しくお願いいたします








ふぇみにゅずむゅ・・・?

2005-07-15 15:24:07 | 風間志織(カントク)
この前、女性のための女性による映画雑誌の取材を受けた。
インタビュアーは、もちろん女性で、彼女はとても真摯な態度で、『せかいのおわり』を熱く語ってくれた。
いや、そのこと自体はとても嬉しかったんだけど、気になったのは、彼女の名刺だ。肩書きに、「シネマとフェミニズム研究会」とある。
またしても、フェミニズムである。
こういう肩書きをわざわざ書くということは、過去になにか女性であるがために傷ついたことがあり、それに対して闘うことを宣言している。きっとがんばって、日々闘っているひとなのだ。

そして、その数日後、とある映画祭から、パンフ用の原稿書きの依頼が来た。9月に愛知県で開催される国際女性映画祭だ。
ま、またしてもフェミニズムゥ~なのだ。
今年で10回目をむかえるこの映画祭、以下、原稿依頼の挨拶文から勝手に抜き書きしてみると・・・

「・・・(10年前の)スタートした当時とは社会情勢も女性監督をめぐる映画環境も格段の変化をみせましたが、まだまだ女性監督がのびのびと自由に映画制作できる時代になったとはいえません。・・・(略)」

読んでて、なんだかくだらないよな。ま、お役所仕事だから仕方がないのか、外面だけ。無理やり女性をムズカシイ立場に置きたがっている。
のびのびと自由に映画制作をできる時代だぁ? 今更、時代は関係ないだろ。それは、おんなもおとこもおとなもこどもも、映画制作を志すひとびとが自分自身で模索し、掴み取ることなんだよ。(この日本では)

などとムカツキながら、ふと立ちどまる。
フェミニズムでもなんでも、映画を気にいってくれて、上映されることはありがたいことではある。
でも、なにかしっくりこないのは、冠にイズムがあるからなのだ。
映画は、イズムをすりぬけていく。あらゆる主義から離れて、自由を目指すものでなければつまらない。
そうか、わかった!!
フェミニズムなんて、しかつめらしいコトバは、もうやめよう。
これからは、「ふぇみにゅずむゅ」
これでいきましょう、みなさんっ。

初上映は七夕

2005-07-09 04:19:34 | 伊藤P
東京で天の川が見られるはずもないのだが、毎年7月7日の天気は気になる。天気が良くなきゃ、一年にたった一度のデートも中止になるんじゃ可哀想だ。いつも撮影現場で天気を気にして空を見上げてばかりいる俺たちにはなんか親近感を感じてしまう。
去年の七夕の天気は覚えていないが、しこたま酒を飲んだのは覚えている。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)で「せかいのおわり」が初めて上映された日だ。プリントはこの三日前に出来たばかりで、実はスタッフだって監督とカメラマンと私ぐらいしか見ていない。役者さん達と他のスタッフはこの日初めて完成品を見たのだ。初上映と零号試写が一緒になった。こんな事は滅多にない。普通は先ずスタッフがチェックして、次に俳優さん達が見て、それから公開を決める為に色んな人が見る。その後映画祭などで上映されれば、一般の方が見るのはそれが一番早くなる。徐々に反応や感想を知るのだが、今回はどんな反応が返ってくるのか全く判らなかった。
立ち見が出るほどお客さんが入った。日比谷シャンテの一階の外までお客さんが並んでるのを見て、少し緊張はほぐれた。監督の挨拶があって上映が始まる。会場の雰囲気を知りたいので、一番後ろに立つ。小さな反応でも聞き逃さないように集中する。開巻してすぐにクスクスッと来た。思った以上に反応がいい。よく笑う。映画を楽しんでいる、と感じた。
エンドロールで拍手をもらって、もお、ホッとした。それでその後、朝まで飲んだんだ。ぴあさんの奢りで。飲み過ぎで赤字になってなけりゃいいけど。
織姫と彦星じゃないけど、撮影が終わって8ヶ月ぶりにはる子と慎之介が再会した夜だった。(P伊藤)

制作部のムネハイッパイ チョコとビールとお弁当編

2005-07-05 09:14:52 | 制作部
さてさて、この記事昨晩遅く既に投稿をすませております。ところが、サーバの調子か自分の調子か幾度「投稿」ボタンをクリックしても投稿されない。されたと思えば、消えている。消えたと思えば現れる。そんなこんなを十数回。昨晩中途な記事を読んだ方も、まったく気づかなかった方も、仕事/勉強に飽きた時とか疲れたとき、時間潰しにどうですか?それでは改めてまいります。



死闘編で書いたとおり(読んでない人は6/16の記事見て下さい)制作部は玉砕の日々を送っておりました。さて今日はその「姉妹編」です。

お弁当も毎日毎日となると、どんな人でも飽きてきます。
そこで機転をきかせ、今日はビフテキ明日は手巻き寿司と嗜好を変えて行きたいところですが、いかんせん一食500円(再び6/16の記事参照のこと)、ビフテキだと1/4人前、寿司だとかっぱ巻き4皿(両者共に消費税を考慮)で終了してしまいます。どんなに少ない脳みそを絞ってみても、和食中華洋食和食中華(以下省略)の無限サイクルへと陥ります。
そんな気配を役者/スタッフの皆さんは迅速かつ俊敏に感じ取ります。なぜならばお弁当は「タコウィンナーや玉子焼きがニコニコと微笑みかけてくれる」のが大前提だからです(再度以前の記事参照のこと)。仕出し屋さんから届いたお弁当を現場に運び入れると、我も先にとスタッフが集まってきます。
「今日のおかずは?」
「何?何?」
「ハラヘッタ」
「何か食わせろ」
「ブッコロス」
等々、期待を一心に背負いながら愛しのお弁当達が詰め込まれたダンボールの蓋をゆっくりと開きます。
そしてこの時、瞬時にして自分のお弁当チョイスへの合否が下されるのです。
「おっ、うまそ」と出ればホッと胸をなでおろします。
「あっ、それスキ」と出れば心が温まります。
でも、、、撮影が一日一日と順調に進み、中盤ともなると。。。
それは、浅草ロケでのお弁当でありました。その日のメニューは「親子丼」、みんな大好き「親子丼」です。
最初の評判は思いのほか良かったんです。それなのに僕の元へ帰ってくるお弁当達には食べ残しが多い。なぜ?そんな事にはまだ気づかず自分のお弁当をかき込んでいた時です、隅田川の風に乗ってユラリと聞こえてきました。
「冷えた親子丼って初めて食べた」
あ゛っ!!!!!。え゛っ?????
そんな失敗は早速唐突記憶の彼方へ押し退けていざリベンジ、次は笹塚ロケでのお弁当(ラーメン屋さんです)。季節は秋。秋刀魚弁当で勝負をかけます。豪華に秋刀魚一匹丸ごと一人分。どうだっ!文句あるかっ!これが500円の力だっ!こいっ!
が、しかしその日、撮影は伸び、、そして伸び、、、さらに伸び。。。。スタッフの間に必ず出たであろう満面の笑みを見ることなく、愛しのお弁当達はひっそりとお持ち帰りになったのでした。
そんな一撃必殺のおかずに脳みそをこねくり回している中、制作部の体に異変が。。それは静かにそして着実に忍び寄っていたのです。
僕、普段は間食を一切しないんです。甘いものなんて見るだけでお腹イッパイなんです。ましてチョコレートなんてもってのほか、ニオイだけで血糖値が上がりそうです。それなのに、、、撮影中現場のお茶コーナーに自分で用意したお菓子が気になって気になってしょうがない。視線を外そうとしても、意識はチョコレート。枝豆よりも、カラスミよりも、平目刺しよりもチョコが気になる。今までの人生において有り得ない出来事です。昔からイチゴのショートケーキを食べるより、父親の膝の上に座りながら酒のツマミを盗み食いするのが生きがいだったはずなのに、、、それなのにチョコレート?邪道です。
それでも体はチョコレートを追い求めます。そんな意識の壁と幼き日の甘辛い思い出を打ち破るのは簡単なことでした。その日いつも通り交通整理のためにお茶コーナーの前を通り過ぎる瞬間、無意識に僕の手は伸びていました。片手でワッシとチョコの山を掴み取り、おもむろに立ち去ったのでした。
そしてその日から、右手で赤燈をふりふり左手にチョコレートの日々が始まったのです。
話は少し戻ってお弁当。
日々マンネリと化したおかず。食べ残しは段々と増えていきました。毎日食事の後、残された可哀想なお弁当達、そして箸さえつけてもらえず悲しみに打ちひしがれるお弁当達と向かい合いながら、ちょっと切なくなりました。そんな時一筋の光と共に名案を思いつきます。
「そっか、、、食べてもらえないんなら、自分で食べたらいいんだ。。。」
大間違い。大思い違い。大勘違い。さっさとメニューを変えましょう。
でも、そんな事には気づくどころか、思いつきもせず、その日から毎日残されたお弁当、3~4食分を一人でキレイに平らげました。毎日毎日大盛りチョコ+お弁当3~4人前。尋常では無いです。ほんの少しだけ人の道を外れてしまいました。
そしてそれに追い討ちをかけるように、ロケセットに泊り込みになった日、スタッフの帰った後にセットの冷蔵庫をここぞとばかりに大開きにし、差し入れのエビスビールをガブ飲みしました。一人で隣の飲み屋に行ったこともありました。。。
いまなら言えます。本当にごめんなさい、もう絶対にしません。

撮影開始時は体重55kgでした。それがほんの2ヶ月で65kgのふっくらに。
映画の撮影ってホントに怖いモノですね?

追伸
撮影終了から2年が経ち今は無事60kgに戻りました。あれ?もとに戻ってない。。。。。

(o-no)

宣伝です。

2005-07-02 00:47:05 | 渡世人(かんりにん)
『せかいのおわり』HPの宣伝部ブログ「せかいのおわりのはじまり」が、サーバーメンテナンスのため、4日朝まで、見られません。
なので、宣伝部アップホヤホヤの記事を要約して、ここに転載します。

7月1日発売の雑誌『EYESCREAM』に、中村麻美のインタビューが出ています。グラビア写真の彼女の笑顔は、とてもすてきです。是非、是非、ご覧ください。

また、現在発売中の「CDジャーナル」「流行通信」にも、『せかいのおわり』の記事が載っています。こちらも、ご一読くださいませ。