ナチカサヌ恋歌

歌うこと、踊ること、お酒を交えて語り合うこと、心動かされるヒト・モノ・コトとの出会いを楽しみに、毎日を過ごしています。

胎盤遺残

2021年04月22日 | Weblog
前回のブログから随分と時間が経ってしまった。
前回は、出産して、まだ入院中だったかと思う。
本当は、退院までを記録しておきたいと思っていたのだが、
退院前の検診で、直径5cmほどの胎盤が子宮に残っていることが分かった。
それで、気が動転してしまい検索しまくった。
検索しても、決して良い情報はなく、落ち込み、順調に出始めていた母乳も出なくなった。

お医者さん曰く、自然に排出されることもあるけども、大量の出血の可能性があり、輸血しなければならないかもしれないし、カテーテルで止血して胎盤を取り出す手術か、子宮摘出の可能性もあると説明を受けた。
私は、すぐにでも掻き出してほしかったのだが、血流が激しく危険であること、そして、何の症状も見られないことから、すぐに手術という選択肢は取れないと。そこで、子宮収縮のお薬を飲み経過観察することになった。また、母乳をあげることで子宮収縮も促されるから、母乳を頑張ってあげてください、と。

娘はすこぶる元気で、予定通り退院した。

母が、一ヶ月の予定でヘルプに来てくれていた。
乳飲み子を抱えて、急な入院になった時はどうするか、早速、家族会議を開いた。地元に戻って過ごすか、母が滞在期間を延ばすか、ヘルパーさんを雇う等、いろんな可能性を模索した。そして、数ヶ月経っても状態が変わらず手術が必要になった場合は、地元に戻って、地元の病院に転院する選択肢を第一候補にした。

結論から言うと、
出産から2ヶ月目の検診で、血流はほぼなくなり、胎盤も2cm程度に小さくなっていた。
そして、急な大量出血の可能性は否定された。さらに、5ヶ月目の検診で、胎盤はほぼなくなっていたため、これにて、観察終了となった。

お医者さんに「塊とか出てきましたか?」と訊かれたが、
あまり顕著なものはなかった気がする。
確かに、レバー状のものと、乳白色の小さな塊?が出てきたことはあったが、
果て、それが胎盤だったのかはわからない。

出産はまさに命懸け。
娘も5ヶ月になり、すこぶる順調にぶくぶくとまんまるだ。
この間、私は、乳腺炎で急に高熱は出るわ、白斑ができて乳から血が出るわ、ギックリ腰にはなるわ、腱鞘炎にはなるわ、髪が大量に抜けるわ…満身創痍である。
ただ、それでも、我が子に出会えたことに日々感謝する毎日だ。ありがとう。

胎盤遺残と診断され、検索しても良い情報が全く得られず不安になった経験から、
あくまで私の例に過ぎないが、自然に排出されたことを記載しておこうと思った。
万が一、不安に思った方が、このページにたどり着いて、
少しでも不安が取り除けるのなら、嬉しい。





Day 6.ワンオペ

2020年11月16日 | モノローグ monologue
今日は、初めて娘と2人きりで夜を過ごす。
21時に、助産師さんに連れられてお部屋にやってきた。

今日は、朝から数回授乳をしていて、体重計で、母乳を飲む前と後でどれくらい体重が変わるかを測ってみた。1回目は20g、2回目は10gの差があった。つまり、娘は、10gから20g母乳で摂取しているということだ。なかなか上出来じゃん!

そして、22時に授乳予定時間がやってきて、娘も起床。
そして、1人で母乳チャレンジしてみた。
しかーーーーーーーし。全然飲まない。
左胸の母乳を飲んで3分ほどで、目を閉じて全く動かなくなった。
慌ててナースコール。

やって来た看護師さんは、すぐさま娘の足の裏をくすぐり始めた。
すると、お目々パッチリに。
看護師曰く「赤ちゃんは、たまに狸寝入りしますから、こういう時は、無理矢理起こしてください。私たちもたまに騙されるんですよ。寝たと思ったら、5分後に泣き出したりしますから」と。

うっそーーーん。数日前まで、繋がってた母を欺くなんて。
ちょっとショックだった。

けど、待てよ、と。
私も母に冷たくしてきたなぁと…。
今更ながらに、親不孝を心の中で詫びた。


Day 5.メランコリー

2020年11月15日 | モノローグ monologue


↑38週のお腹↑

今日、娘を眺めていると、ふと妊娠中のことが蘇ってきて、なんだか切なくなった。
守ることで必死だったなぁと。コロナ禍だし、超高齢出産だし、とにかく、この奇跡を慎重に守ることだけに専念した。食べ物も行動も。

実際、仕事はリモートワークになり、妊娠を誰にも気づかれずに後期まで仕事ができたし(流石に安定期に入ってからは上司には伝えて仕事の引継ぎ計画を練り始めたが)、コロナ予防を理由に、妊娠初期段階(3月上旬)から友人たちからの飲み会などのイベントをお断りできた。超仲良しの友人にすら、伝えたのは、妊娠35週に入ってからで、産休に入ってからだ。

ただ、もう少し妊娠期間を楽しむようなことをしても良かったかなぁと思ったりもする。
妊婦写真を撮ってみたり(いやいやover40の姿見たいか?でも娘には見せたいと思い、唯一撮った写真↑)、せっかくの産休中に映画見に行ったりフレンチ食べに行ったり(これはできたんじゃね?)、普段会えない人に会ってみたり(まぁでも、状況的に人に会うことはやっぱりできなかったけれど)…。

入院前、家を出るとき、普段は超クールな夫が私の手を取って言った。
「今日で2人きりの生活は終わりだね。これまでの10年間ありがとう。今度帰ってくる時は3人だ。これからもよろしくお願いします」と。
照れ屋な私は、「よろしく!」とだけ言ったが、正直、涙がちょちょぎれた。

彼は、今のところ、荷物の運び屋だ。
毎日、私はせっせと動画や写真を送ってはいるが、出産してから、娘と私には一目も会えていない。切ないぜ、コロナ。

娘ちゃんは、よく飲み、よく手足を動かす。くーーー胎動が恋しいぜ。
本当だったら、今日が予定日。まぁでも、臍帯の短さを考えると栄養不足になったかもしれないし、早めで良かったかもなと、自分を慰める。

そして、やっぱり照れやな私は、妊娠中に我慢していた食べ物を書くことで、このメランコリーな気分を紛らわせてみようと思う。
 1位: 寿司(刺身含む)
 2位: ウォッシュタイプのチーズ
 3位: 生ハム
 4位: ローストビーフ
 5位: うなぎ


Day4.初授乳

2020年11月14日 | モノローグ monologue

2日ぶりに娘とご対面。

早速親バカぶりを発揮するが、目が大きくてかわゆい。
エコー診断時は、散々、大きめなベビーだねと言われていたのに、
生まれてみたら、体重は約2800g。身長は49.5cm。
足なんて細くて小さい。
 
もっと大きくなれ!と願いながら、初めておっぱいの授乳にトライ。
私のおっぱいは、どうも柔らかいらしくて、初産の割に、お乳がよく出るらしい。しかし、牛みたいに、ピューっと出るわけではない。難しい。
 
今日は、12時間を共に過ごしてみた。
娘は、現時点では、なかなか素直で、3時間おきに起きる。
無理に起こさなくても、ミルクを欲して起きる。
飲んだ後は、寝る。
 
とはいえ、まだ12時間しか一緒にいないからなぁ。
助産師さん曰く、夜になると、赤ちゃんというのは元気になるらしい。
 
今日は、帝王切開から3日目。
実は、寝返りが打てず、夜中の2時に目が覚めてずっと起きてたから体は疲れている。
だから、娘は新生児室に預けて、今宵は、睡眠導入剤の力も借りて寝てみようと思う。
 
 
 
 

Day 3.帝王切開

2020年11月13日 | モノローグ monologue

無痛分娩とはいえ、経膣分娩。

陣痛を完全に消してしまうと、ベビーが、下に降りてくる力がなくなるらしい。

なるほど。だから、ある程度、子宮口が開いてからじゃないと麻酔が打てないのね。

私の場合、子宮口は始めから4cmくらいは開いていたのだけど、ベビーがなかなか下に降りてこず。5時間くらい頑張って子宮口は7cm開き、ベビーも頑張っていたけど、だんだん心音に元気がなくなってしまい、このままだと産まれてきともしんどいだろうから、元気なうちに産まれてもらおうと、急遽、帝王切開になりました。(あとから分かったのは、へその緒が短かったからうまく降りられなかったのではないかということ。臍帯血を保管する手配もしてましたが、長さが足りずに保管できませんでした)

帝王切開が決まってからは、あっという間。30分以内に手術開始と。

急遽、夫を呼び出し(家が近くて良かった)、手術前に会えて、あれよあれよと、ベビー誕生。早速、元気にたくさん泣いてくれました。良かった…。

コロナ渦だから、ベビーと夫が会えるのは15分くらいと事前に言われていたが、なんやかんや、一時間くらいは一緒にいられたんじゃないかな。

帝王切開…辛いのは、そこからでした。私の場合、麻酔がききすぎたかのか、耳鳴りと目眩が激しく吐いてしまった。痛み止めとか、栄養補給の点滴が打たれ、さらに、脈拍測る管が付けられ、足には血栓予防のポンプ付けられて、体中が紐だらけ。その上、お腹の傷口が痛くて寝返りもできない。1時間置きに傷口チェックされて、お腹押されて痛い。眠れませんでしたわ。

ようやく朝が来て、目眩がおさまり、歩く練習をして、ポンプが取れて、ありとあらゆる管が取れて、解放感!明日からは、本格的に育児開始。我がベビーは、今日はミルクを10cc飲み、ウンチもたくさんしたそうな。良かった。