順天観光情報箱  韓国南西部に位置する食の都 全羅南道。中でも自然環境都市 順天市の情報は、ここにあります。

順天市は、色々な観光名所があります。シティーツアーでも市内バスでも楽しめます。どこに案内しましょうか。

光州事件とは(1980/5/18)110326

2011-03-12 13:23:19 | 旅行
光州広域市が発行する「5・18 民衆抗争」という冊子を元に、皆さんに“光州事件”をお示しします。


1,歴史的意義ー民主主義の松明(たいまつ)である!
 
民主抗争は、不法に執権を画策した新軍部勢力を否定し、民主化を要求して立ち上がった市民の蜂起である。

抗争期間中には治安不在の状況に陥ったにもかかわらず、金融機関や貴金属店などのようなところでも、ただ一件の盗難事件も発生しなかった高い市民精神が発揮されました。

このような事実は、世界歴史上例を見ない超理性的で超道徳的な闘争であったことを証明するものです。


2,発端と展開  光州よ 民族の十字架よ! わが永遠の 青春の街よ!

一部の政治軍人らは、不法に政治権力を把握するため、80年5月17日全国に非常厳戒体制を拡大した。

5.17の厳戒の拡大は、10.26朴正熙大統領暗殺事件以後、一歩一歩確実に進行していた多数の国民の民主化に対する熱望を真っ向から否定する物であった。

新軍部はすでに各地に厳戒軍を配置するなどその陰謀を露わにし、やがて光州で“華麗な休日”と名付けられた作戦を実行に移した。

80年の春民主化の熱気に包まれた光州では、5月18日大学生たちを先頭に非常厳戒の拡大を反対する示威が展開された。抗争の口火は午前10時全南大学正門でつけられた。


厳戒軍の強硬鎮圧に追われた学生たちは錦南路などの市内中心部へ移動し、示威を展開した。

当初示威に参加していなかった市民をも無差別に棍棒で殴りつけ、連行する厳戒軍の残忍さを前に、市民は怒り、一つになって示威に加わり始めた。
    

光州市内の高校生たちも立ち上がり、特に、タクシー運転手達が中心になった200余台の車両示威隊が全南道庁に向かって押し寄せていった。

一貫して、歪曲報道をしていた光州MBC放送局が火炎に包まれた。


21日、厳戒軍は道庁前広で厳戒当局の謝罪を要求する市民に向かって無差別銃撃を加え、道庁前の錦南路の一帯は血の海と化した。

市民たちも武装し、厳戒軍に向かって戦い始めた。抗争期間中、光州は外部地域と断絶された孤立無援の都市となった。

市民たちは光州の惨状を知らせるために、隣接した全南の各地域に抗争を拡大させた。

一方、社会各界の代表者から「5・18収拾対策委員会」を構成、厳戒当局と交渉を始めるなど事態収拾に渾身の努力を尽くした。

しかし、27日夜明け戦車で武装した厳戒軍は抗争指導部が最後の抗戦地としていた道庁を武力で鎮圧した。

5・18民衆抗争は数多くの死傷者を出し、10日間にわたったその歴史の幕を下ろした。

まさに、民主主義が圧殺される瞬間であった。

    



最新の画像もっと見る

コメントを投稿