明日また陽が昇るなら −カウンセラーもり あずさ(もるも)のブログ−

自分との繋がり、人との繋がり -B'z "MY LONELY TOWN"より-

B'zのファンクラブから暑中お見舞いのハガキが届きました。

 

毎年届くのですが、今年は珍しくB’zの二人が写真では無くアニメで描かれていました。

 

こんなところにもコロナ禍が?と思ってしまいました。

 

さて、本日は久しぶりにB'zの歌詞分析を書きます。

 

9年前に発売されたシングル"MY LONELY TOWN"です。

 

内容は、実は短い歌詞にいろんな要素が含まれていて一言で言うのが難しいのですが

 

歌詞のコンセプトは”HOME”と似ていて

 

「誰もが寂しくて、心の拠り所を探している」

 

そんなことを歌った内容です。

 

明かりの下に集まったなら 笑い語りあう仲間

でもきっと 誰も互いのことを 分かり合うのは不可能

 

・・・冒頭から、しれっと重たい内容を書いています。

 

楽しそうに笑い語り合っている仲間、でも誰も互いを分かり合うことはできない。

 

冒頭から相互理解を全否定してかかります。

 

そして、次の歌詞では畳み掛けるようにこう続きます↓

 

人はバラバラな生き物

それを忘れちゃいけない

 

・・・はい、おっしゃる通りですね。

 

冒頭から絶望感が漂う歌詞が連発されていまが、この後は一体どうなるんだろう・・・。

 

そう思っていると、続くサビで急に歌詞のテンションが変わります。

 

ひとりずつみんな 歩いてるこの街で

いつの日か あなたと

会えるなら それは 素晴らしい事件

 

・・・ここの落差で、冒頭に暗い歌詞を積み上げてきた理由がわかります。

 

人はバラバラ、お互いを分かりあうのは不可能。

でも、そんな現実の中であなたに出会えるとしたらそれは素晴らしいこと。

 

この歌詞で「あなた」と表現される人が、おそらく現実にはなかなか出会うことが難しい

 

「お互いを分かり合える人」として描かれていることが分かります。

 

でも「会えるなら」と書かれているので、現実にはまだ出会っていません。

 

あくまで主人公の「出会いたい」という願望として描かれています。

 

さて、この後2番の歌詞はどう展開されるのか・・・?

 

期待しながら続きを読むと、今度は「分かり合えない相手」との葛藤が描かれます。

 

微妙な情に気づかない人を 

雑なやつだと 思っちゃう

でもきっと相手もおんなじ気持ち

隠しながら 笑ってるよ

 

・・・これも、しれっとかなり厳しいことを書いています。

 

この歌詞の主人公は、自分の微妙な感情に気づかない相手に苛立ちを募らせていますが

 

相手も、相手自身の微妙な感情に主人公が気づいてくれないことに苛立っているのを

 

必死で隠して笑っているようです。

 

ここで、人間関係の「相互理解」に関する真実が描かれます。

 

よく言われる「自分のことを分かって欲しければ、まず先に相手を理解しよう」です。

 

お互いが「相手に自分のことを分かって欲しい」と思っているままだと

 

永遠に平行線のまま、交点が見出せません。

 

しかし、お互いが相手を理解しようと、心のベクトルを相手に向け始めると

 

あら不思議。

 

お互いがお互いを理解できるという奇跡が訪れます。

 

しかし、この主人公はお相手と平行線の状態から脱することができず

 

結果として「自分が理解されない寂しさ」に苦しむことになります。

 

その寂しさが表現されているのが2番のサビです。

 

一人ではもう耐えられない

そう思うことは誰にもある

叶わぬ恋とはまた違う

鈍い想いあふれる My Lonely Town

さまよう心に触れて

 

この主人公は「自分が理解されない」「自分が心を許せる人がいない」

 

その寂しさに押しつぶされそうになっています。

 

そんな「叶わぬ恋とはまた違う鈍い想い」を感じた人たちが

主人公の他にも町中に溢れている。

 

そんな状態を指して、この街を「My Lonely Town」と呼んでいます。

 

そして、そんな寂しさを誰かに分かって欲しいから

 

「さまよう心に触れて」と叫んでいるのです。

 

そんな寂しい中、主人公は懸命に誰かとの絆を求めて叫びます。

 

誰かとわずかに共鳴できることを

なんとか見つけだして

かろうじて繋がる

 

・・・なんとかして人との共通点を見つけようともがいています。

 

しかし、主人公が本当に繋がりたいのは他でも無い「自分自身」のようです。

 

探してる そっと 何もかも 見せ合える

もうひとりの自分を

 

「もうひとりの自分」とは「自分のことを理解してくれる他人」のこととも読めますが

 

これまでの歌詞で散々「他人と分かりあうのは不可能」と書いているので

 

他人に理解してもらうのではなく、自分で自分を理解することが大事

 

そんなことに歌詞の終盤で気づき始めている様子が伺えます。

 

いつまでもここにいられないのなら

旅にでも出ればいいじゃん

でもいつかまた戻ってきてしまうよ

きらいになれないMy Lonely Town

 

こんな「自分のことを分かってくれる人がいない、寂しい町」にはもういられない。

 

それなら、誰か分かってもらえる人がいる場所へと旅に出ればいい。

 

そう思っていながらも、結局自分はこの街に戻ってくることを知っている。

 

だって、自分はこの街をきらいになれないのだから。

 

そう自問自答してこの歌は終わります。

 

・・・ここまで読んで初めて

 

この歌の歌詞が、主人公の壮大なるだだっ子プレイだったことが分かります。

 

誰も自分を分かってくれない 寂しい

自分だけじゃなくてみんなバラバラ 分かり合えない

 

「だったら分かってくれる人を探しに行ってみたら?」

・・・いやいやいいよ。

 

だって今の状況もきらいじゃ無いから。

 

・・・。

 

ただの駄々っ子です。

 

軍艦島で壮大なPVを撮るようなテーマでは

決してありません笑

(軍艦島で撮影された寂寥感溢るるカッコイイ本曲のPVはこちらです)

 

・・・まぁ、そう書いてしまうと身もふたも無いですが

 

コトの本質は主人公もなんとなく気づいている通り

 

周囲に理解されることを期待する前に

 

まず自分が自分を理解してあげる。

 

そして、他人と接するときには、まず自分が相手を理解しようとする。

 

そうすると「いつの日かあなたに出会う素晴らしい事件」や

 

「誰かと僅かに共鳴できるかろうじての繋がり」が見つかるようになる。

 

そうどこかで信じているから、My Lonely Townをきらいになれない。

 

それがこの曲の本当のメッセージです。

 

ちなみに「良好な人間関係を築きたければ、まず相手を理解する」という考え方は

 

お師匠の根本裕幸さんが「幸せなパートナーシップの条件」として挙げています。

 

お師匠のおっしゃる考え方は、今回のようにB'zの曲にもよく出てきてまして

 

やっぱり好きな人、尊敬する人の考えって似ているんだなと

 

今回の分析を通じて再確認しました。

 

お師匠の言葉も稲葉さんの歌詞も、いろんな人の心の寂しさを

 

自分との繋がり、人との繋がりを通じて癒そうとしてくれています。

 

そんな優しさがたくさんの人に伝わりますように。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

明日も素敵な1日を。

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