神戸から徒然なるままに

海と山の自然豊かでハイカラな街・神戸より

「福原京」(幻の神戸の都)跡を訪ねて!

2010-07-28 13:58:30 | インポート
 今、平城遷都1300年で奈良の街は注目を集めていますが、平城京の後の都は少し放浪しながら、平安京に遷都して約1200年になります。平安遷都がなされてから都はずーと平安京(京都)にあったと思われているでしょうが、実は平安時代末期の一時期(1180年6月から5ヶ月間)、神戸に都が遷都されていたのです。それが「福原京」で、今回はその「福原京」の中心地付近を(仮称)神戸散策会のメンバー有志5名で散策しました。
 「福原京」は大体東は宇治川、西は妙法寺という広大な地域に構想されいたが、その中心地は兵庫区の平野付近である。
 まずは「雪見御所」跡地を訪れた。この付近は「雪見御所」また「雪御所」と言われ、「御所」という地名からして都「福原京」へのロマンを掻き立てられるものではないだろうか。
 この「雪見御所」は平清盛の別荘地として政治的実権を掌握しながら隠居生活を送ったところで、清盛はここで我国で最初の人口島経が島を築き、日宋貿易に力を注いだのである。現在は湊山小学校で、校舎の片隅に「雪見御所」の石碑(発掘遺跡)が残るだけである。この北側には当時清盛も入湯して汗を流したであろう湊山(天王)温泉が今も営業を続けている。
 この「雪見御所」跡から南西に約400m程離れた高台付近に、「荒田八幡神社」と「薬王山宝地院」があり、「福原京」の中心地であったと言われている土地を散策した。
 「荒田八幡神社」付近は清盛の弟・池大納言平頼盛の山荘があったとされるところで、福原遷都の時には安徳天皇の安在所に、その2~3日後には清盛邸が皇居に、ここ頼盛邸は高倉上皇御所となっている。このすぐ西に宝地院があるが、ここも頼盛の別荘地跡であり、当寺院には二位尼時子に抱かれて入水した安徳天皇の菩提を弔う為に、帝の位牌が安置されているようである。
 またこの付近には祇園神社、上祇園町、下祇園町、上三条町、下三条町と京都にある地名や雪御所町という地名などからも在りし日の「福原京」が偲ばれるのである。
 「福原京」は平家が源氏に追われて西海へ逃走する際に全てを焼き払ったと言われているが、果たしてそれだけであったのだろうか。とにかく、今は「福原京」の面影はどこにも残っていない。
 今回の散策を通じて、神戸に「福原京」という都が一時的にせよあったことは事実である。
 しかし、時の権力者の圧力からか「福原京」は歴史から完全に抹殺され、地元自治体である神戸市も文化財としての価値を適当に評価せず、今日までに至っていることに何か歴史の虚しさを感じたのである。
 最後は、参加者の中で料理が得意なO氏の私亭で、都往時を偲びながら、この時期が旬である鱧の会席料理で酒を酌み交わしながら楽しい宴を催して、今回の散策会の打ち上げとした。

 写真は上段左:「雪見御所」の石碑、      上段右:、「荒田八幡神社」
      下段左:「福原京遷都800年記念碑」、下段右:「薬王山宝地院」

           
                 

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (キ~)
2010-07-31 20:12:00
あ~なんと!

神戸市民の「福原京」にたいする思い入れはこの程度でっか!

「神戸国際観光コンベンション協会」、足元みなはれや!名前負けしまっせ!

もうちょっとPRに精を出していると思ってましたが、大したことあらしまへんな!

「北野の異人館」「海岸通りの居留地」「ジャズの街神戸」・・・いずれも素敵な観光PRで結構!

 でも、街の原点を見据えない市民はジプシーみたいなもんでっせ、京の「河原わらべ」にバカにされまっせ!

 鈴鹿峠以北のモンはこの程度でよろしゅうおます。

 歴史上、西日本はそうはイカン!

 戦後の大家といわれる作家や、国営放送の大河ドラマなんぞに歴史をゆがめられるのは耐え難いでんな!
 歴史上、誰が見てもテロリストとしか思えない「新撰組」を美化する「東戎」どもには困ったもんです。

コメントを投稿