2000-01シーズン、ホームコート-アドバンテージはサンアントニオ-スパーズに譲ったものの、プレイオフに入るとレイカーズはウェストの対戦相手をことごとく無敗で退け、最終的にこの年のプレイオフを15勝1敗という強さで乗り切りNBA2連覇を果たした。オニールは2年連続でファイナルMVPに選ばれた。
翌2001-02は、足の怪我の影響で15試合を欠場するが、プレイオフでは調子を上げまたもファイナルへ進出。フィル-ジャクソンに3度目のNBA3連覇(スリーピート)、初の4勝0敗でのファイナル勝利をもたらし、オニール自身も3年連続ファイナルMVPに選ばれた。3連覇達成は史上3チーム目(他はボストン-セルティックスとシカゴ-ブルズのみ)という偉業である。
2002-03、03-04シーズンはプレイオフに進出するも、それぞれカンファレンス準決勝、ファイナルで敗退してしまう。チームでは以前から噂が絶えなかったオニールとコービー-ブライアントの確執が一層騒がれるようになり、結局オニールはレイカーズを去った。オニールのトレードは、オフにFAとなるコービーが球団に「若い自分を採るか、オニールを採るか(これ以上オニールとプレーする気はない、彼が残るなら自分が出て行く)」と迫ったことによる、と言われている。