天 武装

数学者が数学を解くように...文学者が文学を読むように...
思想家が思想するためのより難しい命題を提議する場

決断×智×情報

2012-02-26 | 命題
全ての事は完全であるならば、三つに分けられる。

我々は与えられた仕事をこなしていくうちに 困ることがある。
そのときの行動を決断と言える。
なぜ、決断?
なぜなら、それが運命の分かれ道であるからだ。
運命の分かれ道?
人は、淡々と行いを実行している間は 与えられてる宿命をこなしてるに過ぎない。
その行動が止まったときこそが、決断を強いられるときなのだ。
>ある人は決断の時に考える
より、慎重に 物事の本質を見極め 次なる一手を決めるのだ。
>ある人は決断の時に行動する
悩みを吹き飛ばし、困難の壁をものともせずに壊すのだ。
>ある人は決断の時に答えを探す
慢心も猛進もしない、確実に遂行する手段を得ようとする。

智とは情報でもあり、知識でもある。
より詳しい説明をこのブログでも試みた。
智は消え去ることがない、ただ増え続けるのだ。
一度、生まれた智は再び 生まれる因果を生む。
智は私達の世界とは違う原理を持つ、それは物理とは違うし、数学とも芸術とも違う。
智を創るなら、智を愛せた方がいい。それが、哲学だ。
>分解智
得られた智から必要な物だけを取り出せば、それは新しい智
>合成智
組み合わせて 創りかえる事で生まれる、それは新しい智
>道理智
見通して 再現し 順序を表せれば、それは新しい智

情報、智の別名でもある。
私達は知らず、知らずの内に何らかの形で情報の働きを体現している。
その体現は望めば変えれるし、望まなくても宿命が相応しい形を与える。
なぜか?
私達は必然の中にいたとしても、観測者にとっては偶然でしかない。
決断を変えれば、その結果 運命は変わり、観測者の偶然は必然になる。
この変化こそが、体現と言えるからである。
望めば必然、宿命を受ければ偶然なのだ。
>情報は広がる
体現する人は、望んでも望まなくても 行うだろう。
>情報は集まる
体現する人は、貰おうが与えられようが 知るのだろう。
>情報は深まる
体現する人は、考えようが考えざる終えないだろうが 真理へ近づくのだろう。



これらの存在は、どのように関連しているのだろうか?
それを知る事で、私達はどう変わるのだろうか?
所詮、落書きにすぎないのだろうか?

国の条件

2012-02-01 | 命題
結論から言えば国を国とさせるためには金が必要だと思う。
この金とは紙幣だけではなく 一定以上の価値があるもの全般を指すので正確には金ではない。
ま、大概は金なので金を中心にこれから話をしていくつもりである。
この金を保有するのが国なのだと思う。

金などは国の資産である。この国と言う概念から金を抜けば民族、あるいわ文化が残る。
文化や民族とは国の概念を持たない。
民族や文化が流動的だから国の概念を持たないのでは無い。
金と言う、砦が無くなり攻撃性がなくなるから国という概念を持てないのだ。

国より小さいコミュニティの社会や地域や家族や仲間と呼べるものは逆に金が共有されている時である。
一定以上の価値を共有する時、その共有する物の価値が大きい程 攻撃性が高くなるのだ。
この攻撃性とは、他の存在への支配を意味している。
また暴力などの場合もあるが、他の存在への抑圧も攻撃性である。

私たちが とても良いと感じる仲間同士とは、互いに一定以上の価値を共有出来る時であり
その価値の大きい程、絆は大きいと言えると思う。
なぜなら、価値は攻撃性を内在しているからである。
この攻撃性から互いに守られた時にコミュニティとしての絆を理解しあえるのである。

また攻撃性は動物が子育てしている間に持つ意識と同一であり、自己保存の結果とも言える。
この自己保存としての攻撃性は価値によって代用されるので、コミュニティや国を国とする条件になるである。
私達はコミュニティで共有した価値を用いて、その攻撃性から生まれる国の意識を持つのだと私は考える。


<命題>
攻撃性を持たずに、若しくわ一定以上の価値を持たずにコミュニティを作るにはどうすればよいか?
※この一定以上の価値には観念も含まれるので、宗教や経済を持たずに社会を作る方法は?という質問に相当する。

TPPとカダフィに対するメディア報道の結果

2011-10-27 | The regedawne
日本はアメリカの奴隷にされました。

残念ながら、人は腐るように作られている。
君の親友が学校でタバコを吸っていたら叱れるか?
君の親が麻薬を取引していたら親を交番につれていけるか?
君の愛人が売名の為に他の人と寝ていたら許せるか?

私達は知るべきなのだ!
しかし、それは知る事が出来ないのだ!
愚か者は存在しない。たった一人もこの世界には存在しない。
だが、誰にもそれを止める力がない。
・・・そう思っていた。
いつの頃からか、私はそう考えるようになった。

だから私は全てを拒絶して、考えた。
親を、自分を、愛する気持ちを、倫理を、道徳を、そして・・・論理を。

いつの頃になるのだろう・・・
私はもう泣かない。
だが、それでも泣き続けるのだろう。
なぜなら、私には理解出来てしまったから。
誰かを騙し、操り、狂わすことが出来ることに
そして、それを行おうとしてしまう自分がいることに
だから自殺を望んだ。私は私が論理によって!神によって!自身によって!誰かを陥れてしまうことに恐怖を抱いたのだ。

いつの頃からだろう・・・
この境地に既に達した先人を知り その考えを学んだ。
宗教を、哲学を、美学を。
そして、私はここに今いると理解できた。
いや、理解する他ないと思った。
私が天乱武装であり。
ありとあらゆる物を乱すだけの力を内包していることを。
その気になれば、天地を乱そうとする意思があること。

これは比喩や妄想ではない。
事実に君の見上げる空と君の立っている地面を逆転させることが出来るのだ。
少なくとも、現代の文明はそれを可能にした。

一番最初に愚か者はいないと書いた。
だが、私は自身にたいして愚か者というレッテルを張り続けてる。
私はピエロなのだ。
何万人、何億人が私をあざけ笑ったしても それに動じない精神を持つ為に。
そして、私が私の理想をかなえるために この身にある全てを代償にしてでも叶えたいと思う使命のために。
それはきっと、逆説的に私のまわりの人を傷つけるだろう。
本当に守りたかった隣人を私は切り捨てることになるのだから。

これは私が隠し続けた真実の一つである。
私は私の理想の為に・・・もはや、他者に悟りを求めたりはしないという覚悟を示すために。
真の始まりをもたらすその日の為に私は誓いとしてこの文をかくのだろう。
The regedawneへの軌跡のために。

地獄化と天国化。どちらが好きですか?

2011-10-09 | 命題
さて、天国と地獄を知っているでしょうか?
いや、知らないはずが無いですねw

この世界に人類と言う種が生まれてから、天国と地獄という二つの問題が生まれました。
一つは希望を最大に誇張した天国
一つは絶望を最大に誇張した地獄
さて、この希望と絶望に当てはまる物が沢山あります。

今回は、一つに人類自身の天国と地獄について考えたいと思います。
今、この地球という星では 国と言う概念があります。
この国には住民が住んでおり、それぞれの国がそれぞれの住民を住ませている。
ここに天国と地獄に共通する本質があります。
それは、幸福の獲得問題です。

話を一段階落としましょう。
天国と地獄を考えたのは希望と絶望の差別化にありました。
この差別を何でしたのか?
それこそ、幸福なのです。
では、幸福とは?

少し、幸福の性質と本質と、真理を考えてみましょう。
幸福とは何か?毎度お世話になってるwiki先生の一文をみると
幸福(こうふく、英:Happiness)とは、心が満ち足りていること。幸せとも。
前文が長くなったので、簡略をして言うと
・満足する事
・足りる事
つまり、幸福の性質とは心が求めるものに足りている事。
もしくは、この心をわかりやすく言えば物が足りている事なのです。

落とした段階を戻して考えると
天国とは美女(男)!美味しい食べ物!素晴らしい(生活)空間!
もちろん、幸福論をかたりだしたらキリがないのでしょう。
ま、そんなのは学者や真面目な学生にやらせるとして 地獄とはまさに逆
恐ろしい存在!空腹や痛み!極度の拒絶感を催す空間!
と、まぁ 簡単に天国と地獄を考えましたが
これを、広く言えば天国化とは物資の充実というわけです。

物資と書きました。つまりは心にしても 形にしたら物資という言葉なのです。
天国化とは物資の増加を示し、地獄化とは物資の減少を示すのです。


今回の本題です。
人類自身の天国化と地獄化

それは、地球でみれば 単純に物資が増えれば幸福・・・天国化です。
逆に、単純に物資が減少すれば幸福は減り・・・地獄化です。
まぁ、こういうある種の経済はその専門にまかせるとして
私がこの文の初めにも書いたように国について考えていきます。

国にとっても天国化と地獄化は物資に関わってきます。
しかし、単純ではありません。
まず、地獄化を考えて見ましょう。
当然、物資が減るので不幸になるでしょう。

なら、天国化は?
国が天国化するとき、そこには他国の存在がある。
もし、天国化を為しえたとき 他国はどうなるのでしょうか?
または、地獄化は何故 起こるのでしょうか?
私はこれを戦争だと言います。
わかりやすい話ですが天国化と地獄化とは幸福にたいする戦争なんですよ。
いや、全てがそうとは言いきれない事もあります。
ですが、戦争=幸福の獲得=天国化と地獄化なんですよ。

私はこのタイトルに
「地獄化と天国化。どちらが好きですか?」
と書きましたが、どちらにしても戦争をしてるこに変わりはありません。
でも!天国化したらいいじゃん!と思った貴方。
甘い、スイーツ(笑)と言われるくらい甘い!
私達が、天国化を目指すとき 他国はしませんか?
つまり、事実において私達は負けそうなのですよ・・・戦争に。

わかりやすい例ではありませんが、TPPというのがあります。
これによって、どうなるのか?天国化と地獄化がアメリカと日本で起こります。
現在野田首相はTPP交渉参加に向かっているのです。
え?なぜ、彼はそんなことをするかって?

話をもう一段階あげます。
いや、むしろここに私が今回話したかったキモがあります。
所詮、人は防衛本能からくる邪な考えで満ちています。
ですが、それを他者の幸福すら奪う行為になったときに紛争が生まれるのです。
>企業とは紛争をするための物ではないか!
たしかに、そうです。
ですが、この企業による紛争とは企業と言う形を持ったが故に天国化を企業にもたらすのではないのですよ。

企業の本来あるべき形は企業のための物資増加であってはいけないのです。
企業が自身を物資増加=天国化したことにより 紛争がおこりました。
これは歴史的な事実です。
まさに人の欲は所属で膨大し、国で肥大化したのです。

話がずれましたが、実は国の中では所属で天国化と地獄化が進むのです。
すなわち経済格差ということです。
この経済格差で喜ぶ人は当然、幸福であるが喜ばない人は不幸な人なのである。
そして、それはTPPが更に推し進める事になるのです。


今回の命題の前に私は最後に私の立場を書きたいです。
はっきり言えばTPP大賛成です。
というか、日本が自国を守るように 他国が他国を守る中、このように様々な事がグローバルする事を望みます。
理由は単純です。
どんな形であれ戦争はなくなるのです。
初めに戻りますが 私は地獄化はもちろん 天国化も望みたくありません。
どちらの言葉のうしろにも戦争という言葉が潜んでいるからです。

TPPは導入されるでしょう。
そして日本は阿鼻叫喚にもなるでしょう。
これでいいのだ
ではありませんが、地球と言う物を直視するのは誰に取っても嫌なのです。
そこには、数え切れぬだけの不幸があり また自分自身を守ろうとすれば必然的に他者を陥れる事になります。
企業の本来あるべき形が紛争をするためにあるべきでない無いのなら、人も同じです。
人もまた何かに差別をつけてしまっては、誰かを不幸にするのですから。

全ての差が消えたあとにあるのは完全平和・・・ま、これはまた別の話ということでニコッ


【命題】
天国と地獄をなくすとどうなる?
ただし、この天国は天国化や物資増加などのことではない。地獄も同じ。悪魔で一般的な天国。

教育学

2011-06-18 | 命題
教育とは何か?
1.語源・語義からの定義 (例 「教育とは、能力を引き出すことを意味する」)
2.目標・目的からの定義 (例 「教育とは、よりよく生きるためのものである」)
3.方法・手段からの定義 (例 「教育とは、強制の一種である」)
4.機能・効果からの定義 (例 「教育とは、社会の再生産である」)
といった内容がある。

この機能・効果からの定義で、社会の再生産とあるように
社会は教育によっても変化する。
今の社会はだいぶ昔に比べ、智(知恵)が足りないように思う。
それは、教育に問題があるのではないのだろうか?
私は思う、昔に比べ学習量が減り満足な知識が足らず、智が足りなくなったのではないのだろうか?
もし、教育が変われば社会は大きく変わるのではないのだろうか?

幸い、様々な智や知識の氾濫で 若い子供は昔に劣らずのIQを持っているのだと思う。
しかし、あまりにも無秩序であるとおもう。
ところで、IQをご存じだろうか?

IQとは知能指数(Intelligence Quotient)である。
IQは高いほど知能が高いことを、低いほど知能が低いことをあらわのである。
では、知能とはなんだろうか?
心理学領域では一般に、創造性、性格、知恵としているが、
私は別の視点で知能を考えたいと思う。
理由はいくつかある。
一つは精神と関わりが深いと既存の学問が判断することである。
私はあえて、人間と機械の差を無くすために、このような分類をする。
・思想:従来の創造性にあたる。知能の智を司る。
・学力:知能の知識を司る。
・技能:知能の能力を司る。

では、IQをどのように測定できるのでしょうか?
先ずは、思想、学力、技能に分けて測定しなくてはいけません。
・思想:さんざん考えたけど、ひとことでは言えませんでした。
・学力:どれだけ多く覚えてるのか。
・技能:記憶力、暗記力、計算力などの力がどれだけあるのか。

私達が教育を通して学べるのは知能です。
逆に知能以外を学ぶのが宗教であり、信仰などです。
前述した通り、教育の水準 即ち知能の低さゆえに社会は智が足りなくなり、
その結果、智を扱う智すらも無秩序になりました。
しかし、だからといって教育を増やせとは思いません。
ましてや、教育=いやなものになっては論外と言うしかありません。
さらには、教育の結果の知能向上を二の次にした入試はシステムとしての悪と言えるでしょう。

では、どうすればよいでしょうか?
即ち、どのように教育で学習し知能を向上させて社会を智的にするべきでしょうか?
私は近未来の教育を態度、知識、智(知恵)のそれぞれで特化した教育をするべきだと思います。
私は現代の教育の問題点を踏まえて態度、知識、智という三つのレベルステージを考えました。

レベルステージ
態度:知能の向上に於いて、まずはそれが義務ではなく 望まれるが故のものではなくてはいけません。
知識:そして、望まれた知能を得るための知識で無くてはいけません。
智:やはり一言では説明出来ませんでした。
応用力や、様々な学問を通すことによって得られる考えや、知識にたいする扱いなどは全て智のレベルステージに相当します。

私が提案する教育とは、これらのレベルステージごとの教育を同時に行い、
生徒にとって今足りないのはどのレベルステージかを見極め、
学年や学力などではなく、生徒にあった教育であるべきだと思います。


さて、今回の命題はこの智のレベルステージ、思想の測定、創造性はどのように体系化するのでしょうか?