みなさん こんにちは
いつもありがとうございます。
おかげさまで
12月9日で
自然社本宮は
建立58年を迎えました。
ほんとうにありがとうございます。
さて
その自然社本宮に
先日お参りしたとき
金田のおいやんの
お社の
まわりを
掃除しておられた
東さんとお話しました。
そのとき
11月27日の話題になり
東さんに
あとはインターネットに書きますと
お伝えして
帰ってきました。
これから書くことを
東さんに向けての
メッセージですが
みなさんも
ご覧いただければ幸いです。
もう10年以上前のことに
なると思いますが
現在
自然社徳島(神社)の
神主さんが
自然社本宮で
おられたとき
神様にお供えする
お米を作っている田んぼの
神事を行う
場所を
イノシシが
あらしたことで
教えていただいた
神様の教えを
ご紹介します。
「自然と人間の調和というおのずからの互いの成り立ちを認めて譲り合って生きていくという
世の中に生を頂いて生きるものの基本のルールが
自分のことを優先にして自分中心で自分本位という我がままに
世の中の中心である人間がなっていって
世の中を急速に乱してきたことの深く気づきます」
「この乱れを元として 年々人と自然との間に保たれてきた 調和のルールが乱されてきたことにより
このように人間が困ることが生じることになっているのであると知ります」
「これによく気づいて 深くおわびしていきます」
「まず 自分自身の生き方を自分中心で自分本位をなくし
人と人との調和を大切にして生きます」
「知らず知らずのうちに 自分の都合に捉われて
物事を行っていくことによって
周囲に他人に迷惑を及ぼすことになることのあると知り、生活の中でこれに気付いていきます」
さて
東さん
11月27日
自然社本宮の駐車場の北側に
どういう看板を
掲げましたか?
「入山禁止」という看板でしたね。
神社の都合にとらわれていなかったでしょうか?
高野山で例えると
大門のところで
「入山禁止」という立札があり
みなさんが
入れなかったらどうなるでしょう?
多くの方々が困りますね。
自然社本宮はどなたでも
お参りできる場所です。
私は
11/27日
紀の川市にある
オーストリートの
バス停から
バスに乗り
かつらぎ町下志賀に
9時半ごろ
着き
歩いて(一人で)
自然社本宮に向かっていました。
「どなたか、一緒に参拝する人にめぐまれないかな~」と
思って
ヒッチハイクをすると
ご夫婦の乗った軽自動車が
止まってくれて
乗せてくださいました
「高野山に行きます」との
ことで
高野町花坂の
国道沿いに
やきもち屋さんが
二軒並んでいるところまで
乗せてくださいました。
(ここから、自然社本宮の
駐車場まで約1キロちょっとです)
車の中で
「これから、この近くの神社
自然社本宮にお参りします」
伝えていて、
降りるとき
「あの白い看板を目印(自然社本宮の周辺には
おおきな白い看板が4つ立っています)に
また
ご参拝ください」と
お伝えして
お別れしました。
ところが
自然社本宮の駐車場まで
400メートルぐらいのところ
歩いていると
後ろから
軽自動車が・・・・・
見ると
先ほどのご夫婦!
お伺いすると
「あなたが おっしゃったので
花坂不動尊(花坂にあるお不動さんを
祀っているところ)まで
行って
引き返してきました。
一緒にお参りします」とのこと。
ということで
再び
乗せていただいて
3人で
自然社本宮の駐車場へ
駐車場についてみると
北側に
「入山禁止」の看板があったので
ご夫婦にわからないように
看板を外しました。
そして、
ご夫婦を案内し
一の鳥居をともに
くぐり
自然社本宮の
拝殿へ向かいました。
ある病気を
患ったこともある
とのことで、
駐車場から
歩いて15分(人によりますが・・・)ぐらいのところにある
神様の
お水を
いただけれました。
そして、拝殿前につき
ちょうどその日は
月に一回の月次祭の日でしたので
ご夫婦も参拝することができました。
参拝を終え
持っていた
ケッチャプが入っていた
容器に
神様のお水を入れて
お渡しすることもできました。
ほんとうにありがたいことでした。
東さん
これが
神様のお心ではないでしょうか?
私がヒッチハイクで
乗せていただいた夫婦は
高野山に行く予定でした。
それが
自然社本宮に来られ
私がいたからこそ
参拝できましたし
私も
ご夫婦が
来られたからこそ
あらためて
神様が
望んでおられることを
知ることができました。
東さん
どうですか?
そう思いませんか?
さて
みなさん
自然社本宮の神様を
お祀りしている
ところは
大きく言うと
全国に13か所あります。
現在
自然社本宮で
住んでおられる
東さんは
以前は
自然社徳島の
神主さんでした。
徳島時代に
神社に
お参りされる方々が
減ってきたことに
ついて
次のように
神様から
東さんは
教えられました。
「信仰が自分の生活のための
信仰という
自分中心の狭い心と
なっていたことに
気がつきます」
「これを長い年月
してきておることで
周りの子孫たちのためを
思いやり慈しむ
信仰者らしい
温かいものに
欠けていくことに
知らぬ間になっていっていたと
知ります」
「これからは教師として
自分の信仰
についてをはじめ
についてをはじめ
信徒の指導布教について
これをよく知って
導いていきます」
さて
東さん
「信仰が自分の生活のための
信仰という
自分中心の狭い心と
なっていたことに
気がつきます」
11/27
入山禁止となっていましたが
実際は
一部の方々は
入山されていました。
自分中心の狭い心となっていませんでしたか?
「これを長い年月
してきておることで
周りの子孫たち
のためを思いやり慈しむ
信仰者らしい
温かいものに
欠けていくことに
知らぬ間になっていっていたと
知ります」
自然社本宮は
どなたでも
参拝できる神社です。
この教えを
真にお誓いしていれば
おのずとどのようにすべきかが
見えてきます。
周りの子孫は
世界中の人々は
もちろん
動植物も
みんな
周りの子孫です。
そんな
思いやりの心
慈しみの心で
いれば
自然社本宮に
被害は
絶対起きません。
金田のおいやん(金田徳光先生のこと)が
高千穂の峰に
歌碑を建てるとき
何人かの方々と
登りました。
そのとき、
年配の女性もおられたので
おいやんは
登るとき
素足に
わらじ履きで登られました。
それは、もし一行に何か
あったとき
「わが身に代わる」ということを
神様に誓われたからです。
自然社本宮に
何かあったときは
私が変わりますので
ご安心ください。
東さん
そんな
おいやんの
心を私たちは
生きていくことを
毎日誓っているはずです。
(自然社本宮では
日々、朝拝と夕拝を行い
4本の祈り詞を
お役の
神主さんを中心に
東さんたちは祈っています。
もちろん、私も日々祈っています)
真剣に祈っていれば
わかるはずです。
わからなければ
私の指導がたりないので
今度お会いした時
「きよてる
わからない?」と
どこがわからないか
私に聞いてください。
お伝えさせていただきまので・・・・
皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。