詩客 協同企画

短歌俳句自由詩の協同の企画を掲載します。

俳句自由詩協同企画評 花尻 万博

2015-09-22 00:09:17 | 日記
万博「今日は短い時間ですが宜しくお願い致します。」
花尻「こちらこそ宜しくお願いします。」
万博「面白い、花尻さんらしい忌憚のないご意見を期待しています。」
花尻「いえいえ、研究家でもないのでそんな難しい事は分からないですし、変な敵も作りたくはないので…。」
万博「早速ですが、1月俳句担当の花尻さんの句から。今回の花尻さんの「鬼」はどんな所から発想、または生まれてきたんですか。」
花尻「ええ、自分の句に鬼の句が結構ありまして、全然世には出していなかったのですが。少し前に頂いた本の中に鬼に関する記述があって、面白いなあって思っていたんですよ。それと、ちょうど筑紫(盤井)さんからこんな企画をするのだが、とお話を頂いて、まあそれがタイミング良く「鬼だ」と。」
万博「五十句。すぐに出来ましたか。」
花尻「いいえ。遅筆は何を書かせても遅筆です。」
万博「筑紫(磐井)さんのガニメデの51句が花尻さんの句の元には有りましたか」
花尻「存分に(笑)。マネしただけでは?と言われると、それはそうかも知れないです。」
万博「俳句形式とは何か?など、自身への問い掛けなどは。」
花尻「形式どうこうと言うのは自分ではよく分かりません。作句中は五七調に救いの手を伸ばしたくはなりましたね。普段どれだけ定型におんぶにだっこなのかはよく分かりました。次の課題が見えたように思えます。」
万博「定型の凄さですね。後は何か?」
花尻「連作ですが、意味から作らない、無意味を作らないと言うのは意識しました。」
万博「自分の中になかったカタチではありましたか?」
花尻「そうですね。鬼の詠み始めに作った数十句は原型もないですから。」
万博「後は読者の方が…」
花尻「まあ、私の句はいいので…(笑)。」

万博「そうですか、では俳句陣営を最初に見ていきましょうか。二月は小津さんの作品でした。」
花尻「私が攝津幸彦記念賞を頂いた時の準賞の方です。いくつか作品を読む機会がありまして目にしていますが、頭いいんだろうなあってのが第一印象です。」
万博「今回の企画のコンセプトの一つには、「俳人が(長編詩に近い)連作俳句を作る」というのがありましたよね。」
花尻「はい、それ以外は割と自由に…とのお言葉でしたので、小津さんならもっと違う形で攻めて来るかなと思っていました。元々小津さんの句はどこか連作っぽい匂いを持っていますので。」
万博「そう言われるとそんな気もしますね。」
花尻「あと小津さんはそれ程「俳句ズレ」していない方と思います。それは何でもありのハチャメチャやっていますよ、ではなくて、どこかタブーを楽しむ余裕のある方だと言う意味です。」
万博「タブーを楽しむ?」
花尻「まあ、詩にタブーなんてないと言う人もいると思いますが…。」
万博「今回の小津作品はどこか甘い香りもしたとの印象を受けましたが。」
花尻「外国の、ヨーロッパ辺りの匂いがしますね。行ったことはないですが、(笑)。」
万博「多分その辺りの文学にお詳しい方なのではないかと思います。」
花尻「俳句の部分も俳句俳句していないです。」
万博「ええ。」
花尻「読み返せば読み返すほど地の部分、俳句の部分共に調べが美しいなあって。これは詩だなって。私は今回の皆さんの句に限って言えば一句一句を独立させて鑑賞する事はあまり意味はないかなあと思いました。「出来るぞ」と言う方がいましたら、まあそれはれで否定はしないです。」
万博「ええ。」
花尻「それとは別に一つ気になることがありまして。」
万博「と言いますと。」
花尻「小津さんを攻撃するとかそんなのではなく、カタカナで表記するのが普通である言葉ありまよすね、小津さんの作品で言うと七句目のびあんかはビアンカでしょ。それを結構みんなが面白がってか何かは分かりませんが、敢えて平仮名表記しているのは何かあるのかなと。ハワイをはわいとか。」
万博「まあ、耳で入って来る情報としましては同じな訳ですから、視覚的な誤差から生まれる違和感を詩的に味わう様なことですか、すみません、私も専門家ではないので。」
花尻「永井荷風の『あめりか物語』なんかは…。」
万博「昔は外来語を平仮名で表していた時代もありましたので」
花尻「いつ位ですか?」
万博「すみません、勉強不足で…。」
花尻「漢字を敢えてカタカナで表すと、うーん、ヒロシマ論的な事を思いますね。」
万博「確かに漢字の広島と片仮名のヒロシマでは違います。」
花尻「そうですね。でも、それはもうある程度定着しているから、多くの受け手にとっては感情の入り込む余地を少し残した情報の一つだと思うんですよね。多少の感情論も織り込み済みの言葉、ヒロシマの字は既にシンボリックな情報になっている。詩での表記云々とはちょっと違うかな。」
万博「昔は平仮名カタカナの表記を変えただけでももっと違和感があって、その字面から何かがある種パワーが漏れていたようには感じます。」
花尻「ええ、何でもありの活字活動なら、作詞家や広告のコピーライターさん達、相当の力持っている方もたくさんいるでしょう。」
花尻「ええ。」
万博「今と昔の差は、情報量の差ですか。」
花尻「四十年、五十年前ならともかく、それ(カタカナを平仮名に)を今でも変わらずしている俳人も沢山います。まだ表記の違いを喜んでいるのかと思うんですよ、そこから何か発生する可能性を追う様な。」
万博「それは、まあ、各個人の詩心の有処もあるでしょうし…。何か生まれる可能性は否定できませんし。」
花尻「なんか、もうそれか流行歌に出て来る「愛」みたいに、俳句界中に、短歌や詩や広告なんかの世界も同じだとは思いますが、飽和しているから感動もないし面白みも無い。その文字、視覚から詩心をくすぐられる事は、私はないです。笑顔の(≧▽≦)←このような絵文字と同じくストレートな情報でしかないような気がする。まあ、攻撃的専門家にはいろいろ意見有るかと思いますし…、私が不感症なだけか(笑)。」
万博「連作として読むから余計旋律的にも思えますが。」
花尻「逆に連作をイメージしているから仕方ないですが、繋ぎっぽい句もあって、個人的にはこの句はなくてもいいのになあ、って句もありました。」
万博「私はさっき花尻さんがおっしゃった、カタカナをあえて平仮名にしている句なんかはいいなあと記が付いています。」
花尻「俳句ではない五七調に乗った詩もありますから。」
万博「他のお二人に比べると花尻さんの句は連作っぽくはないですね。」
花尻「私の句はいいので。(笑)」

万博「三月は竹岡さんでした。」
花尻「句集を頂いたのでどのような句を詠んでいる人なのかは予め知っていました。「虎」で筋を通しています。そのエネルギーに圧倒されました。」
万博「情報の多さにも圧倒されますね。」
花尻「今回の為に揃えた句群とするなら凄いです。雑誌で見る巨匠の句は50句発表していても内容がスカスカな時が多いです。」
万博「一読非常に緻密に構成されて作られているなと思いました。」
花尻「破調して、たまに綺麗な五七調に出会うとドキッとするし。読むのにも結構体力が要りますね。」
万博「虎は何か象徴的な存在なのですか。」
花尻「どうなんでしょうか。空母や戦車も出てきますからね。北極も砂漠も。」
万博「難しい言葉も幾つかありましたね。」
花尻「もちろん、何と何を繋いでいるのか、どの状況を作り出そうとしているのか、散文的に解釈しようと言う余計な頭脳が、飲み込めない句をはじき出しましたね。理屈っぽい句もあった。けど、誕生から死までのドラマはビンビン伝わって来た。独立句としていいのも沢山ありました、この句この句といいのを挙げればキリがない、と言うより興ざめしますので今回は挙げませんが…。」
万博「読者に伝わらない個所はどうなんですか。」
花尻「もちろん分からない句もありますが、よく討論会である「これは分かる」「これは分からない」って挙げていく、アレ意味ないですよね。」
万博「花尻さん、前にどこかで話されていましたよね。」
花尻「鑑賞そのものを否定する意味ではないです。」
万博「落としどころを探りたくない、とかですか。」
花尻「よく分からないものを整理して分かりたいと言う衝動は分かります。エヴァンゲリオンのラスト3話の意味は?のような。」
万博「制作者にしか分からない様な。」
花尻「制作者も分かっていないかも知れません。そんな訳はないか(笑)。うーん、まあ今回の竹岡さんの句群で言えば、分かりたい人ってのは感動や詩に対する気持ちを共有化、情報化したいんですかね。一から十まで分かりたかったら童話でも読めばと思うし。ビートルズの曲を聴くのに分かるとか分からないとか言わないでしょ。」
万博「文学と音楽の差もあるかと思いますが。分かるにもいろいろありますし。」
花尻「華道や茶道にも分かるとか分からないとかはないでしょ。私は茶道なんかよく分からない。知ろうとしたが分からなかった。突き詰めれば文学も、特に詩なんかは同じだと思う。詩に散文的な理解なんてものは一から十までは要らないと思う。」
万博「一句一句としてはどうなのでしょう。」
花尻「一句一句で鑑賞すると、これはイイ、これはイマイチって、多くの人はそんな作業に辿り付くんですが、共感できた⇔出来なかったの二項対立は、その問い掛けそのものに罠があると思うのです。」
万博「そうですか。」
花尻「連作を作るぞっ!から出発して連作を作るのか、数十句が結果的に連作っぽくなったのかは筆者しか分からない事だと思うんですよね。今回は連作を詩にするような試みなのですから、やはり一句一句を重箱の隅を突く様な鑑賞は要らないんじゃないかな。」
万博「独立すると弱いと言う事ですか。」
花尻「独立させる意味がないかな。小津さんも竹岡さんも俳句界では最先端のビッグネームです。その辺りは重々承知で今回の作句に当たっていると思います。」

万博「では1月の詩に。萩原さんの作品です。」
花尻「私は活字を迎えに行ってまでは読まないです。だからこちらに届いた分だけで鑑賞する。創作に対して行間は読みますが、普通レベルで、でも深読みとかはないです、多分。バンボンのパパの「これでいいのだ」のセリフから哲学を紐解く様な器用な事は出来ないです。」
万博「実験を試みてその変化の過程が書かれているように見えます。出来上がったものが詩なのか、その過程をも含むすべてが詩なのか。」
花尻「題名もないですからね。」
万博「鑑賞者がどれだけ詩を読んでいるかも試されている感じはしますね。」
花尻「そうですね。文系は勉強熱心な人が多いから。」
万博「最後の四行が、いわゆる詩の形を保っているように読めます。」
花尻「最後の詩から逆算するように最初の句に戻って行っても何か面白いですね。何かは上手く説明できませんが。あと5セット程同じようなその過程と出来上がった詩を読ましてくれれば、もっともっと面白さを自分の中に溜められるような気がしました。もっと読みたいとは思いました。」
万博「全体が詩とすれば変わった詩だと思います。」
花尻「詩人の方には「俳句に近い一行詩を書く」様なコンセプトが手渡されていますから、書く方も色々頭を悩まされたのかと思います。いつもしている詩作活動と同じ形なら自分のフィールド内の詩を発表する事も出来たと思う。」
万博「普段書かれている詩とは違うんですね。」
花尻「全く違う訳ではないと思いますが。俳句や短歌は詩人からすれば韻律の奴隷かも知れませんし。」
万博「奴隷の韻律ですね、小野十三郎さんの言葉によく出てきましたね。」
花尻「そうですか。」
万博「ええ。あんまり勝手に引用とか発言しないで下さいね、出典を探すのが大変ですので。」
花尻「まあ、多少足かせの様なコンセプトも活字が好きな人にはたまらないのかな。詩と言うと教科書に載っている様な詩を想像しますので。もっといろんな形の詩はありますよ、でも最終的には形は問題じゃないです。」

万博「次は二月の森川さんの詩です。」
花尻「のの変容ではおのののかさんを思い出しました。さっきも言いましたが、自分から感動を迎えに行ってあげる程優しくも無いので、この詩に対しては冷ややかな感動しかないです。自分の中で消化、昇華出来てる人はそれでいいと思います。」
万博「何でも受け入れられる方もいます。」
花尻「私は不器用、違う、あんまり賢くないから、(笑)。」
万博「情報の中にある活字とは別にある共感できない活字群。「これも詩だ」と言った者勝ちみたいな所もありますか。」
花尻「言った者勝ちだと思います(笑)。それはどんな世界にもあると思います。」
万博「分からないものを難しいと思わないですか。」
花尻「中には「お前らオレの書いている事が分からないだろう。」って、みんなが分からないものを書いて優越感に浸る人もいます。私はそんな活字を迎えには行かないですが、真面目な人は大変だと思う。分かろう、理解してやろうとガップリ四つになるので。」
万博「不可解なものを鑑賞する事は可能ですか。」
花尻「詩人も俳人も、何でも詩にしたがりますからね。それぞれポジションやスタイルがあるでしょうから、それに対しては異論も反論もないです。ある人の詩や俳句がロマン主義の遠吠えでも結構です。排泄物や吐しゃ物を詠んでもらってもいい。私には関係ない事です。
万博「また変な事言いますね。」
花尻「そんな意味では鑑賞はもっともっと身勝手なものでもいいと思います。詩人はどうか知りませんが、俳人は他人の解釈や鑑賞なんか微塵も気にもしないと思いますので。」
万博「そうですか。」
花尻「と、思います。芸術家や詩人は多少ナルシストでもいいです。「何で角川賞の審査委員は私の句の良さが分からないかなあ。ポンコツばかりだなあ。」って。」
万博「そんなこと言って叱られませんか。」
花尻「例えばの話です(笑)。俳句界に変な貸し借りもないから別に気にしません。」
万博「それでもこの森川さんの詩が分かりたいって方もいると思います。」
花尻「言葉を相対化→相対化→相対化→…を続けていくと、相対化出来ない言葉へは近づけるかも知れないです。その内に意味がある思索に出会えるならその意味も分かって来る。でも、そんなのは国文学者かマニアに任せればいい。分からないものを無理に分かった風にポーズしなくてもいい。」
万博「これもまた、所謂「詩」からすれば、変わった作品だと思いますが。」
花尻「俳句を意識した作りですから大変だったと思います。私は一読み「しの変容」が初めに出来たのかなと思いました。次に「がの変容」かな。作っている内に段々面白くなって来た、それで五つ作ったら飽きて来たとか。」
万博「それは花尻さんの妄想ですし。」
花尻「今回の作詩には俳句的な…との縛りがありますから、逆に詩人の皆さんの「俳句観」みたいなものが見えているのかも知れません。」
万博「森川さんの代表的な作品を知っておられる方なんかは、また違った見方をしているのかも知れませんね。」
花尻「そうですね。」
万博「ただ、今回の詩だけを見ると驚かされると言いますか…、」
花尻「申し訳ないですが、正直私には迫って来るものがなかったとしか言えないです。悪意は全くないです。褒めようと思えば哲学や美学を織り交ぜて、褒めて褒めて褒め殺すことも出来るかも知れません。それは他の人に任せます。」

万博「次は三月、柴田さんの詩です。どこか俳句っぽい印象を受けましたが。」
花尻「そうですね。でも、詩だとしても句だとしても、私はそれ程面白くはありませんでした。すみません。」
万博「何ですか。」
花尻「一応謝ってお書こうかなと思いまして(笑)。本当に喧嘩を吹っ掛けるとかそんなのではないので。最近の俳句の評を見て感じるのは、この人は少しチクリと言っても大丈夫だとか、こいつは怒らせると面倒だとか、筆者が勝手に相手(俳人)をゾーンニングしていると言いますか…。」
万博「巨匠の句をけなす人もいませんね。」
花尻「中にはいると思うのですが、多分、編集者側で検閲されているとは思います。」
万博「詩の話で。黒い十人の、はどこか恐ろ恐ろしいですね。」
花尻「うーん、私はもう「死」の字には恐怖を感じないかな。「死」の言葉が変わってきているのかも知れない、そんな気がします。若い世代は、子どもも青年世代もとにかく「死ねっ!」とよく言う。若いお母さん世代も自分の子どもに、もちろん冗談で愛情込めて「一回死んで来い!」とかよく言います。ネットでは「氏ね」とか「四ぬ」とか他の漢字を使って「死」を表します。アホとかバカが言葉の意味通りに相手を卑下する言葉ではなく、時には繋ぎ言葉であったりコミュニケーションを作る言葉であったり、また気を置けない間柄を取り持つ言葉であったりに変化した、そのような変容が「死」の言葉の一部に始まっているのだと思います。」
万博「それでもこれだけ「死」を並べると文字以上の何かが生まれるかも、と期待はしたいですが。」
花尻「私もしたいです。」
万博「ですが…と言う事ですか?」
花尻「だとしても、その死を一般的な受け手がそれを広げられるかな。それか私の読みの浅さか。二つ目の「死」にしても集団自殺や集団殺人を思わせても、それから何かが生まれるとは読めなかった。それなら安楽死や合意死などをテーマにした方が何か広がりはあるかのように思えました。ただ、それが上質な詩となるかどうかは別の話で。」
万博「多くの散文のように、ある程度意味の通った物語を進めるのとは違いますから、詩は。」
花尻「でも、普通の人は活字があればまず意味を取ろうとしますからね。」
万博「そうですね。」
花尻「何でもそうですが「分かる人には分かる」そんな部分があってもいいと思います。椎名林檎の歌詞だって意味が分からないものがある。ただそっちばかりを広げてしまうと詩が貴族の手慰みになってしまう危険性が出て来る。」
万博「それは花尻さんの詩の偏差値にも寄りますし(笑)。」

万博「総括を頂けますか。」
花尻「(私以外の)俳人の方の作品が良かった。連作やテーマ詠を嫌う人もいるし、こんなのばっかりだと飽きも来ますが、別の俳人の作品も見てみたい気がします。これは大きな俳句の雑誌ではない仕事です。」
万博「俳句雑誌では見かけないアプローチですね。」
花尻「違う所でも書きましたが、五十句、百句は俳人の力や熱が込められる量だとも思いますね。あと何回かは続けて欲しいです。いつまでも「ミヤコホテル」を崇め話す時代でもないでしょう。時代が作品を整理してくれると思いますが、いつか連作(っぽい作品)ならコレと言うのがここから生まれて欲しいですね。」
万博「いや、ミヤコホテルもいい作品です。」
花尻「文系の世界は論理を組み立てるのは大学生でも出来るけど、その実証は歴史の選択を待つしかない部分も大きいです。」
万博「理系の様な繰り返しの実験が出来ない部分もありますから。」
花尻「ただ歴史の経るスピードは速くなって来た感はあります。ネットの進化は文系の進化かも知れないです。」
万博「今は雑誌の読者よりもネットでの詩や俳句の視聴者(読者)の方が多いようには思えます。」
花尻「それは紙信奉者は否定すると思いますよ。」
万博「この位の事ならリサーチすればすぐに分かりますね。」
花尻「そうですね。しかし、詩や俳句が知識人のお座敷遊びであって欲しい人も沢山いますから。」
万博「また、叱られますね(笑)。詩人陣営はどうですか。」
花尻「今回は大分俳句側に寄り添って来てくれたせいか、個人的には「おおーっ」と思う様な作品はなかったです。すんません。私の詩を読む経験値も低いかもしれないし、それは申し訳なく思います。でもメンバーが変われば違う詩も出てきますから、是非次を企画して欲しいです。俺に書かせろっ!とのフルスロットルな詩人もまだまだいそうです。」
万博「そうですね。今日は有難う御座いました。」
花尻「いえいえ、こちらこそ。」

俳句自由詩協同企画評  俳句を超えた俳句 柴田 千晶

2015-08-26 19:04:33 | 日記
 森川雅美さんからの依頼は「俳句の発想を根底から覆してくれるようなもの」「俳人には発想できない、まったく斬新な1行詩」ということだったのだけれど、半分は俳人の血が流れている私にとって、「俳人には発想できない」というところで躓いてしまった。
 具体的な例としてあげられた安西冬衛や北川冬彦の代表的な一行詩は、果たして俳人には発想できない一行詩なのだろうか?

●安西冬衛『軍艦茉莉』(昭和4年刊)所収の
     春
  てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。
     春
  鰊が地下道をくぐつて食卓に運ばれてくる。


などは、タイトルの「春」と句点の「。」をとってしまえば自由律俳句のようにも見える。

●北川冬彦『検温器と花』(大正15年刊)所収の
     馬
  軍港を内蔵してゐる。


 タイトルの「馬」は外せない。馬体に内蔵された軍港というイメージの衝撃力。でも、この詩は頑張れば俳句に転換できそうな気もする。例えば「馬が軍港を内蔵してゐる」と、自由律風にしてみる。「馬 軍港を内蔵している」もありか。うーん、どちらもやっぱりだめだ。衝撃力が弱い。
 この詩の良さは、タイトルと詩との間の深い亀裂にある。跳び移ることが出来ない断崖が、詩のイメージを鮮烈にしているのだ。俳人には発想できない、かどうかはわからないが、この詩は、明らかに俳句とは違う一行詩である。
 では、次の俳句はどうなのか。

  いっしんに螢が食べている軍艦   西川徹郎

 螢が軍艦を食べている。この句もイメージ鮮烈。螢と軍艦で、ふつうならもっと情緒的な句を作るのではないか。螢といえば英霊。電灯艦飾の一つ一つの光がだんだん螢に見えてくる。みたいな。
 でも、西川徹郎はそんな常套的な句は作らない。
 この俳句の凄いところは「いっしん」に「食べている」にある。ここにも深い亀裂がある。

      螢
  いっしんに軍艦を食べている。

 こうなってもすごい一行詩なんじゃないかな。今書かれている前衛的な俳句に、果たしてこれだけの亀裂があるのか。一句の中に断崖があるのか。と、一度問うてみたい。
 

●草野心平の『第百階級』(昭和3年刊)所収の

     春殖
  るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる


 この詩はどう頑張っても俳句には転換できないだろう。これこそ俳句とは明らかに違う一行詩だ。
 と、思ったのだが、いや、まてよ。るるるるるるるるといえば、

  くるるるるるる音無谷の羊歯のうぶごゑ   三橋鷹女

 この句がある。古賀新一の「のろいの顔がチチチとまた呼ぶ」をいつも思い浮かべてしまう異様な世界。生まれてしまったことへの畏れと歓び、禍々しい産声がほんとうに聞こえてきそうだ。
 心平の蛙と鷹女の羊歯。二つはぜんぜん違うものだけれど、どちらも誕生に関わりがある。どちらも斬新な一行詩であると思う。
 鷹女のこの句こそ、「俳句の発想を根底から覆してくれるようなもの」ではないのか。

 森川さんの依頼は、ものすごく単純に言えば、詩人なら俳人には書けない一行詩を書いてみせろ、ということなのだと思うが、一行詩そのものが、詩人にとっては古い型の一つなのではないかと実は思っている。だから今、一行詩を書くのなら、中身がよほど新しくないと作品から黴臭さは拭えない。
 今回、詩人側、萩原健次郎、森川雅美、柴田千晶(私)が試みた3作品は正直どれも古臭い。安西冬衛や北川冬彦の時代に流行った一行詩という古い型の前で、やはり詩人は身構えたのだ。
 私自身のことを言えば、この試みに対する敗北感がある。一行で勝負したら詩は俳句には勝てない。一行詩を書こうとすると、言葉が俳句の方へどんどん引き寄せられていってしまう。言葉が俳句になりたがってしまうのだ。そのほうがずっと自由になれるからだ。定型の魔力には抗えない。

 定型の魅力は、型の中で藻掻くことにある。
 藻掻いた結果、俳句を超えてしまった俳句がある。それを一行詩と呼ぶのではないか。

  雪夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び   加藤楸邨
  凍瀧を亡母の衣裳嗚呼のぼる         飯島晴子
  妻の遺骨を網棚におきねむたくなる      栗林一石路
  父の陰茎の霊柩車に泣きながら乗る      西川徹郎

 これらの作品は、俳句の形をしているが、俳句を超えた一行詩であると思う。
 もしも、定型の枠を外して自由に書いていいよと言われたら、果たしてこれらの作品は生まれてきただろうか。定型の枠があったからこそ生まれた作品なのではないか。

 詩人と俳人の定型意識の差のわかりやすい例として

  金魚鉢割られたあとが なお金魚       宗 左近
  金魚玉とり落しなば舗道の花         波多野爽波

 宗左近は、中句と名付けた一行詩をたくさん残している。この作品はたまたま五七五形式になっているが、定型意識はおそらくないと思う。金魚鉢が割れて、床に落ちた金魚がもがくように跳ねている。その姿がなおいっそう金魚らしいと言っているのだが、肝心の金魚の姿が見えてこない。イメージの金魚、観念の金魚、金魚という言葉があるだけ。
 一方、波多野爽波の金魚玉は、実際にはまだ舗道に落ちていない。金魚玉をもし落としたならばという仮定を詠んだものだ。なのに、舗道に落ちた金魚が生々しく見えてくる。硝子の破片、水に濡れた舗道、舗道で跳ねる赤い金魚。これは定型意識の中で揉まれた作品だ。イメージの金魚、観念の金魚では短い詩の中で存在が弱くなる。金魚の存在をリアルに描くためにはどうすればいいのか、舗道の固いイメージと、花の美しさ、儚さ、そんなイメージを盛り込むことで金魚が生々しく見えてくるのだ。定型の中でぎりぎりまで粘る。これが俳人の性だ。

 まだだれも試みていない詩の形があるのかもしれない。
 でも、試みの面白さだけでは詩は支えきれない。やはり中身の新しさが命なんだと思う。

 終わりに。いちばん心惹かれた小津夜景さんの「うきはしをわたる風景」について。
 作品は、行分け詩、俳句、行分け詩の3つのパートからなる。冒頭の行分け部分は90年代に好んで使われた言葉、例えば「非人称」「かまびすしい」「リノリウム」など、当時量産された詩のムードが漂っていて、そこが損をしているなと思う。この部分、詩を意識した形ではなくて、例えば、小津さんが「blog 俳句空間」で連載していた【小津夜景作品 No.8】「冬の朝、そのよごれた窓を(その2) 」の散文部分のような風景を描いたものを置いた方が効果的だったのではと思ってしまう。これは私の好みの問題かもしれないけれど。
  ……( une jetée flottante )以降の俳句がとても魅力的。
 
  はなびらに吹かれて貌となる日かな
  ほころびて馬酔木を垂らす首のあり
  ためらひの母音よ東風の腕いづこ
  かぎろひに来よやとばかり眼湧く
  まなぶたは綴ぢて硝子のばくてりあ


 ばらばらに生まれてくる貌や首や腕。遠いところで生まれたからだの部分が互いに呼び合っているような、あるいは、もっとはるかなものからそれぞれが呼ばれているのかもしれない。
 この俳句をくぐり抜けた後の行分け詩からは、冒頭の行分け部分に感じたぎこちなさが消えている。

  本を閉じ、土を嗅ぎ、目の前の馬酔木に指を入れた。
  花が、けざやかに裂けた。
  ぞっと、そのあざやぎに震えた。
  指を葬られて。


 この指、向こう側へ持っていかれてしまったのだろう。身体がばらばらになってゆく感じがたまらなく好きだ。
 そして、この作品の末尾に

  わたぼこりこんな時間に旅立つか

 という句が置かれている。旅立ったものは何だろうか。わからないが、はるかなものから呼ばれて生まれてくるものと、はるかなものに呼ばれて旅立ってゆくものが、うきはしの上ですれ違ったのだろうか。

俳句自由詩協同企画評  おんなのひとと、鎮静剤 小津 夜景

2015-08-23 17:23:56 | 日記
 柴田千晶さんは実にさまざまな女の光景を描く方ですが、なかでも突出した印象を読者に与えるものに「廃墟としての女体」といったアプローチがあります。柴田作品では、女体がしばしば危機にさらされ、断片化され、破壊され、空虚化された状態で危うく突っ立っている。一体どういう了見でこんな姿になっているのかといえば、それは作中の女性たちが暗に「闘争」しているからなんですね。

 彼女たちの「闘争」の相手については、男性中心主義的な世界の枠組みといっても、率直に男といっても、あるいは自分が女であることといってもよさそうですが、とにかくセクシャリティをめぐる視座がその主要な対象物となっている。

 ここでまず押さえておきたいのは、この「セクシャリティをめぐる闘争の果てに廃墟性を帯びる女」なる図式が、ある種の古典的幻想に満ちたロマンティズムの典型である、ということです。私の思うところ、柴田作品に出てくる女性たちは、廃墟としての自己を積極的に志向しています。なぜなら美学的に言って廃墟とは「永遠性」を意味し、またその廃墟を体現した女体とは「崇高」ないし「威厳」ないし「女神」のメタファーへと成り上がるからです。つまり柴田作品の女性たちは「闘争」に勝利にしたゆるぎない証拠としての「廃墟の烙印」を渇望している、と考えられます。

 仮に物事の表層のみを見るならば、こうした構図をもつ柴田作品を、紋切型のロマン主義として批判することは可能でしょう。さらには精神分析の領域から、女性が自らを破壊することによって得るカタルシスは男性至上主義の肯定ならびにそれの補完にすぎない、といった声も聞こえてきそうです。とはいうものの作家の側からすれば、作品とは「ものの見せ方」のことである以上、或る構図をどんな風に変奏するかがむしろ問題なのは分かり切った話。もっと言えば、作家は或る目的のために、あえて通俗的図式を活用することすら珍しくない。 

     黒い十人の
  縊死圧死溺死感電死転落死毒死凍死情死笑死失血死
     家路
  十人の女の肢体に赤い轍の縄痕


 どうですか、この見せ方。市川崑です。大衆路線のブラック&クール。ギラギラしたサスペンス・タッチ。すごく小気味良い。これを見る限り、柴田さんがナイーヴに、ではなく、ノリノリで通俗を狙っているのは間違いありません。

 残念ながら手元に本がないので印象批評にとどまらざるを得ないのですが、今回このエッセイを書くために可能な限り柴田作品について調べたところ、もともと柴田さんにはドキュメントとドラマツルギーとを往復するといった独特の体質があるようです。例えばこのサイト内で連載していた「黒い十人の女」というエッセイ(同じ場所で同じ映画のタイトルを使うなんて、本当にこのテイストが好きなんですね)は、ごくふつうの俳人論と殺人事件ファイルとを交互に語る、といった全くもってふしぎな構成で書かれています。また数年前に出版された『生家へ』という本のつくりも、ドキュメント風の散文詩とドラマツルギーの滴るような俳句、といった二つの柱を往復する格好になっているようです。あるいは今回の作品にしても「黒い十人の」と「家路」の部分がドキュメントにあたり、「縊死圧死溺死感電死転落死毒死凍死情死笑死失血死」と「十人の女の肢体に赤い轍の縄痕」の部分がドラマツルギーにあたるといった見方が出来なくもない。いろんな形式を試す作家というのは世に溢れていますが、ひとつの作品の内部で形式を大きく移動せずにはいられない人というのはたいへん稀であり、これは柴田作品を考察する上でぜひ別稿を立てるべき重要な特徴だと考えられます。

 で、話は戻って今回の柴田さんの作品に対するわたしの感想ですが、市川崑のシネマを借景とした女性をめぐるロマン主義的把握と「縊死圧死溺死感電死転落死毒死凍死情死笑死失血死」の文字並びのド迫力とが、良質の娯楽性を生み出すことに成功している、と感じました。演出過剰な死因についても、舞台美術のビジュアルワークみたいでなかなかオツです。また廃墟と化した女たちの死体現場図が先に示されたあとに「十人の女の肢体に赤い轍の縄痕」という詩が置かれ、死んだはずの女たちがよみがえって家路を辿る、といった時間軸の処理も効いている。演劇的カタストロフの後の世界をなおも生き存えざるをえない女たちの姿は、どこかしら「生き残りとしての現存在」(デリダ)をたたえた哀しみに満ちています。そしてなにより、これらふたつの詩にみなぎる押し出しは、ステレオタイプの価値観を土台にした上でそれを逆手にとるかたちでなければ、確かに実現が難しいだろうと納得させられました。

 今「ステレオタイプ」と書いてふと思い出したのですが、わたしが「黒い十人の女」を知ったきっかけって、元ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースしたニュープリント版なんですよね。彼は一時期この系統のアート・ワークを猛烈にリヴァイヴァルさせていましたけど、今でもわたしの記憶に新鮮なのが夏木マリのシリーズ。『9月のマリー』というアルバムには彼女がサングラスをかけて煙草をふかしている写真が載っていて、それが格好良いのか悪いのかまるで分かんないくらい通俗的な決まり方で、思わず大笑いしてしまったことがあるのですが、そのアルバム収録曲の「鎮静剤」というのがこれまた凄い歌詞で、こんなの。

    鎮静剤   マリー・ローランサン(堀口大學訳)

  退屈な女よりもっと哀れなのは、悲しい女です。
  悲しい女よりもっと哀れなのは、不幸な女です。
  不幸な女よりもっと哀れなのは、病気の女です。
  病気の女よりもっと哀れなのは、捨てられた女です。
  捨てられた女よりもっと哀れなのは、よるべない女です。
  寄る辺ない女よりもっと哀れなのは、追われた女です。
  追われた女よりもっと哀れなのは、死んだ女です。
  死んだ女よりもっと哀れなのは、忘れられた女です。


 うーん。凄いですね。ここには惨死や廃墟以上にみじめでドラマティックな女の姿がとてもクールに書かれている。ローランサンって多芸だったんだなあとしみじみしつつ、そうだ、柴田さんは忘れられた女も書くのかな? もし書くとしたらどんな風に? この機会に作品集を読んでみようかな、と思ったりしました。

俳句自由詩協同企画評 -森川雅美「五つの文字の変容」のやぎもとの〈ののの〉現場リポート- 柳本々々

2015-07-13 13:11:37 | 日記
のの変容
野の乃ののの之のに野が乃ののの之のに野が乃をのの之のに


森川雅美さんの自由詩「五つの文字の変容」の〈現場〉におもむいてみたいとおもいます。
その前にラカンによる〈日本語読者〉のための『エクリ』序文のこんなことばから始めてみようとおもいます。

 本当に語る人間のためには、《音読み》は《訓読み》を注釈するのに十分です。お互いを結びつけているペンチは、それらが焼きたてのゴーフルのように新鮮なまま出てくるところをみると、実はそれらが作り上げている人びとの仕合わせなのです。
……誤解を恐れないで言えば、日本語を話す人にとっては、嘘《を媒介として》、ということは、嘘つき《であるということなし》に、真実を語るということは日常茶飯の行ないなのです。
……したがって、私は彼らに、この序文を読んだらすぐに、私の本を閉じる気を起こさせるようにしたい!

(ジャック・ラカン「日本の読者に寄せて」『エクリⅠ』弘文堂、1972年、p.Ⅳ)


 ジャック・ラカンはかつて日本語を〈精神分析的〉であるといいました。日本人は〈焼きたてのゴーフル〉のような日本語を使うことでたえずじしんを精神分析している。だから俺の本は必要じゃない、と。このラカンが使ったおいしい比喩〈焼きたてのゴーフル〉という日本語の重層性はあるひとつのことを示唆しているとおもうんです。

 たとえば、なんでもいいんですが、「心」と打ち込んだ場合に、この「心」はつねに潜在的かつ多層的なレベルで「心/こころ/ココロ/しん/シン/KOKORO/試/新/…」などと葛藤しあっています。葛藤しあう位相を抑圧して、たったひとつの「心」を打ち込むわけです。ここには打ち捨てられてゆく〈外部〉があります。日本語を使うということは、たえず〈外部〉を抑圧し、忘却していくことなのです。大澤真幸さんがこんなことを述べられています。

 「漢字」が表現するような抽象的かつ普遍的な概念に妥当性を付与する超越的な審級は、日本語の言説空間の中で、どうしても、両義的な位置を得ることになる。日本語は、漢字を媒介にしながら、普遍的なものを受け入れてはいる。しかし、それは、日本語に対して外在的なものとしてのみ、日本語に受け入れられたのだ。言ってみれば、それは客人としては迎えられたが、いつまでたっても、身内としては認められなかったのである。
(大澤真幸「哲学と文学を横断すること」『思想のケミストリー』紀伊國屋書店、2005年、p.13)


 大澤さんが、「漢字」を使用するからこそ生じる「外在=客人」としての〈外部性〉を指摘しているように、実は〈日本語〉を使うということは、その一音一音が〈外部〉への〈抑圧〉の作業になっているんじゃないかということです。多様なありえた〈のののののののののの〉の選択肢のなかから、ただひとつの〈〉を選ぶということ。

 森川さんの自由詩「五つの文字の変容」のなかの「のの変容」においては、「」がさまざまなかたちでパラフレーズされていき、「」に潜在している〈「」たち〉がひきずりだされていきます。

 そこには「」や「」や「」がある。これらは実は「」を使うときにもつねに・すでに潜在的に「」のしたにいつでももぐっている〈〉のはずです(だから変換予測にはいつも出てくる)。

 ところが「の」を使うときはそれらを〈抑圧〉して使うわけです。ある意味で、「」を使うときにわたしたちは「」を喚起しつつも、即座にそれらを抑圧し、忘却し「」にたどりつく。

 この詩の詩的役割は、そうした「」の抑圧を解除しつつ、なんども「」の〈記憶(=隣接的換喩)〉が〈記録(=同一的隠喩)〉によって忘却されようとする〈現場〉を記述することにあるのではないかとおもうんです。

 「」と刻印したしゅんかん、「」が抑圧され、忘却されようとする。だからそれを〈変容〉という思考回路をとおして、「」や「」「」と表出し、もういちどひっぱりあげる。しかし「」や「」「」と刻印したしゅんかん、こんどはそれら以外の〈ノ〉が抑圧されるので、また「(たち)」をひっぱりあげる。

 これが〈〉の〈現場〉なのではないかとおもいます。

 そういった所作そのものを現場化する。だから、語り手は意味にかんしては不慣れでもあるのだと。ここから〈有意味〉的ななにかはたちあがってこない。なぜなら、それは〈〉が〈〉として明滅する現場だから。ただただ〈〉の記憶と忘却に奉仕し立ち会う〈ゲンバ〉だから。

 しかし〈現場〉はそれだけではありません。そもそもこの自由詩には、タイトルに「五つの文字の変容」があるように、この自由詩は「のの変容」だけでなく、「五つの文字」が「変容」しているのが特徴です。

 つまり、「」「」「」「」「」がそれぞれに段階をふんで、関係しあいながら、一方向的に、変容していくプロセスがあるのです。詩とは、プロセスなので、そのプロセスもまた、〈現場〉化されていきます。

 そこでさいごの「しの変容」をみてみましょう。

しの変容
師の死に誌を史から市へ志する視が紙と私まで刺で資する歯も


 「のの変容」とくらべてどう思われたでしょうか。ぐっと、意味性がでてきたと思われませんか。語り手はあきらかに〈意味生成〉のありかたにおいて〈変容〉していると、わたしはおもうのです。文字の変容をくりかえしくりかえししたプロセスのなかでこの詩の語り手はだんだんと〈日本語〉そのものに習熟していってる、と。

 つまり、「」がうまく使えなかったはずの語り手は「五つの文字の変容」というプロセスを経て日本語に〈習熟〉し、日本語が〈達者〉になり、意味生成への欲望をいだきはじめたのではないかとおもうのです。

 この詩の語り手は〈文字の変容〉というプロセスを通じて、「」のときにくらべて最終的に意味性の生まれる文を使えるようになっていると。

 〈文字の変容〉を繰り返すうちに、みずからの日本語に〈教育〉され、しだいに抑圧の所作に馴致し(あるいは忘却し)、〈達者〉になっていった。語り手は〈〉が葛藤しあっていたはずの〈現場〉そのものを抑圧し、次第に、わたしたちがふだん使っている有意味な日本語の文章にちかづいてきているのではないかと(つまり、完璧なる抑圧と忘却の現場に)。

 そういった語り手の変容する日本語的身体のプロセスが〈変容そのもの〉としてあらわれしだされているのがこの〈詩〉の〈詩性〉なのではないかとおもうのです。

 〈現場〉そのものが〈詩〉になっていたはずなのに、いつしか〈現場〉が抑圧/忘却され、その忘却される過程そのものが〈現場〉になるということ。それらのいっさいがっさいが〈詩〉なのだということ。

 それこそがこの詩の〈変容〉だったのではないかとおもうのです。

 語り手は、おびただしい〈〉の沃野からこの詩を始めました。そして、さいごの「しの変容」には多くの「」に交じって、たった一音の「」が入っていました。みずからの〈〉の始原を忘れてしまったかのように。それでもかろうじてみずからの〈〉の始原を思い出そうとするかのように。

 「日本語の話者は、普遍性を保証する超越的な審級を、完全には内面化しえなかったのだ」と大澤真幸は述べています。だとすると、この語り手も、超越的〈〉に出会えなかったのでしょうか。すべての〈〉を支え・保証してくれる、超越的審級としての〈〉に。

 それでも、この、最終的な、たった一音だけの〈〉のしたには、かつてあったはずの、そしてこれからありえるであろう、かこの、げんざいの、みらいの、まんかいの〈〉がふかくたかくうずもれているのです。

 以上、〈〉の現場から、やぎもとがお送りしました。の

俳句自由詩協同企画評 「定型」とはますます分からなくなってくる 森川雅美

2015-07-12 23:12:11 | 日記
 まず最初にこの企画の原点に戻ってみよう。
俳人には書けない詩人の1行詩 俳人の定型意識を超越する句
というのがそれだ。
 かなり強引な企画である。詩人はまだいい。あくまで定型の意識をずれて逸脱していけば、何らかの形になるのだから。
 実際、萩原は定型から発しそこからずれていく過程と、その言葉の移動の後の作品を提示し、柴田は名詞の羅列など、なるべくそこにあるものとして言葉を置いている。私、森川はひらがなを多用し、品詞を混乱させることを意図した。たぶん、あくまで私の貧しい脳の範囲だが、いま詩人が考える、定型をずれていく言葉の動きの、典型的な例が出そろったように思える。
 しかし、俳人に課せられた条件はより厳しい。
定型意識を超越する句
というのである。「ずれる」「外れる」のではなく、「超越する」というのだ。さらに「定型」でなく「定型意識」とは。イメージが湧かない。
 とりあえず、個々の作品に向かい合ってみる。

「鬼」花尻万博に俳句の素人である私は躓く。確かに、今まで見たことのない、言葉の切り方の俳句ではある。着眼点はいいし、試みとしても面白い。が、「はたしてこれが俳句なのか」という疑問も起こってくる。確かに、高柳重信など多行俳句の作品は多くあり、現在も多行俳句に特化した「未定」という結社もある。しかし、それらにはいくら逸脱しようとも、ある種の短さがあり、また言葉と言葉、この場合は主に行と行の緊張がある。では「鬼」はどうか、作品の冒頭を引用する。

柊や 街
祀られ鬼
言の間あひ虎落笛こゑする
鬼と災ふ
出口 街の川
鬼の衣冷た


 これは何なのだろうか。少しきつい言い方だが、どこが途切れかもわからずだらだらと続き、しかも行間の緊張も弱い。俳人が見ればまた違うのだろうが、正直なところ「あくまで定型を外れた」としか私には読めない。方法的には自由詩の柴田の方法と共通する、言葉をそのまま置く仕方だが、行わけをしたことでかえって平板になってしまっている。

吾の手か手袋の中動き出す

旧都とうきょう今乱れて今雁

焚火の炎耳当ての中耳病みぬ


 などの行は確かに定型である。とすると他の行は詞書なのか。しかし、それにしては言葉の質の違いが見えてこない。
 では作品はどのような意図でこのような形をとったのか考えてみる。言葉の奥にあるまがまがしい律、そのようなものを浮かび上がらせようとしたのか。しかし、まがまがしい言葉がかえって上ずっている印象は免れない。言葉の奥底の意識まで届いていないのだ。自由詩における高貝弘也のような達成は感じられない。

 「うきはしをわたる風景」小津夜景はよりわかりやすい構造だ。自由詩のような行わけ、俳句、日記、また俳句と、明らかに定型を中心に作品は成り立っている。いわばその他の部分は詞書のように働いている。

あばらやがのつぺらばうと戯れてゐる

扉からくちびるまでの朧かな

日々といふかーさ・びあんか白い墓


 引用してみたが俳句もなかなかいい。しかも、行わけにも俳句的リズムが潜んでいるのも面白い。
 しかし、二つほど問題がある。
 まず一番の問題は最初の行わけの部分だ。あくまで「詩」といわずに「行わけ」といっているのは、詩にしては言葉の緊張感が足りないのだ。説明過剰で行間の飛躍も弱い。もっとも、このような詩は自由詩の同人誌にも溢れているので、詩といってもいいのだが、ここではあえて妥協せずに考えていく。そう考えていくと、これは今までの散文であった詞書を、行替えしただけではという、いじわるな見方にもなる。
 もう一つは、先月見事にひとつの例を柳本々々が示したように、物語の構造が出来過ぎていることだ。そのため言葉の動きより、物語の構造が目立ってしまう恨みある。
 興味深い内容を提示した作品だけに、その部分が残念といえる。

 「虎の贖罪」竹岡一郎はまさに直球勝負だ。
 あくまで作品を提示するだけで、はじめに読むと作品を並べただけに思える。作品は確かに読み応えのあるものだが、言葉を切断したり非定型と組み合わせたりなどの試みはされていない。
 しかし、よく読み込んでいくと、言葉の引力と斥力の微妙なずれと逸脱があることに気がつく。冒頭を引用する。

地平には血泥うづまき降誕前
迫る聖夜、弾頭に迫る使用期限
千年を火薬に烟る聖樹たち


 純粋に作品を読めばいいので、あまり説明はしたくないが、まず最初の3行(独立の作品ゆえそういっていいか分からないが)から見てみる。ことばの斥力は「地平には」と「血泥うづまき」の間にある。まず初めに言葉は反発しあう。しかし、「血泥」は「降誕」、次の行の「聖夜」とは親和している。さらに「千年」「聖樹」に繋がり、2行目の「弾薬」は「使用期限」「火薬」とつながっていく。このようにこの一連の作品は、様ざまな縁語の連鎖で成り立っている。しかも、それらは徐々にずれていき新しいイメージを喚起させる。並みではない知識と言葉の反射神経が、背景にはあるのだろう。さらに、「聖夜」と「弾頭」のような斥力もいたるところに仕掛けられ、作品により奥行きを与えている。
 とはいえ、作品を根底で支えているのは、一句一句の力である。特に気にいった数句を提示する。

竹馬は熾れる灰の国歩む

ふさふさの尾が火事跡の金庫から

電脳へ霊を移す 仰げば空爆

初恋や少年饐えて弾籠める

空母搦め、悲母たちの諦めの髪

灯台に醒めをる獏の舌純白


 「虎の贖罪」がはたして「定型意識を超越する句」であるかは分からない。しかし、三つの作品の中で何か新しものを生み出す可能性が、最も大きいのは確かだ。
 「定型」とはまことに奥深く、ますます良く分からないものである。