万博「今日は短い時間ですが宜しくお願い致します。」
花尻「こちらこそ宜しくお願いします。」
万博「面白い、花尻さんらしい忌憚のないご意見を期待しています。」
花尻「いえいえ、研究家でもないのでそんな難しい事は分からないですし、変な敵も作りたくはないので…。」
万博「早速ですが、1月俳句担当の花尻さんの句から。今回の花尻さんの「鬼」はどんな所から発想、または生まれてきたんですか。」
花尻「ええ、自分の句に鬼の句が結構ありまして、全然世には出していなかったのですが。少し前に頂いた本の中に鬼に関する記述があって、面白いなあって思っていたんですよ。それと、ちょうど筑紫(盤井)さんからこんな企画をするのだが、とお話を頂いて、まあそれがタイミング良く「鬼だ」と。」
万博「五十句。すぐに出来ましたか。」
花尻「いいえ。遅筆は何を書かせても遅筆です。」
万博「筑紫(磐井)さんのガニメデの51句が花尻さんの句の元には有りましたか」
花尻「存分に(笑)。マネしただけでは?と言われると、それはそうかも知れないです。」
万博「俳句形式とは何か?など、自身への問い掛けなどは。」
花尻「形式どうこうと言うのは自分ではよく分かりません。作句中は五七調に救いの手を伸ばしたくはなりましたね。普段どれだけ定型におんぶにだっこなのかはよく分かりました。次の課題が見えたように思えます。」
万博「定型の凄さですね。後は何か?」
花尻「連作ですが、意味から作らない、無意味を作らないと言うのは意識しました。」
万博「自分の中になかったカタチではありましたか?」
花尻「そうですね。鬼の詠み始めに作った数十句は原型もないですから。」
万博「後は読者の方が…」
花尻「まあ、私の句はいいので…(笑)。」
万博「そうですか、では俳句陣営を最初に見ていきましょうか。二月は小津さんの作品でした。」
花尻「私が攝津幸彦記念賞を頂いた時の準賞の方です。いくつか作品を読む機会がありまして目にしていますが、頭いいんだろうなあってのが第一印象です。」
万博「今回の企画のコンセプトの一つには、「俳人が(長編詩に近い)連作俳句を作る」というのがありましたよね。」
花尻「はい、それ以外は割と自由に…とのお言葉でしたので、小津さんならもっと違う形で攻めて来るかなと思っていました。元々小津さんの句はどこか連作っぽい匂いを持っていますので。」
万博「そう言われるとそんな気もしますね。」
花尻「あと小津さんはそれ程「俳句ズレ」していない方と思います。それは何でもありのハチャメチャやっていますよ、ではなくて、どこかタブーを楽しむ余裕のある方だと言う意味です。」
万博「タブーを楽しむ?」
花尻「まあ、詩にタブーなんてないと言う人もいると思いますが…。」
万博「今回の小津作品はどこか甘い香りもしたとの印象を受けましたが。」
花尻「外国の、ヨーロッパ辺りの匂いがしますね。行ったことはないですが、(笑)。」
万博「多分その辺りの文学にお詳しい方なのではないかと思います。」
花尻「俳句の部分も俳句俳句していないです。」
万博「ええ。」
花尻「読み返せば読み返すほど地の部分、俳句の部分共に調べが美しいなあって。これは詩だなって。私は今回の皆さんの句に限って言えば一句一句を独立させて鑑賞する事はあまり意味はないかなあと思いました。「出来るぞ」と言う方がいましたら、まあそれはれで否定はしないです。」
万博「ええ。」
花尻「それとは別に一つ気になることがありまして。」
万博「と言いますと。」
花尻「小津さんを攻撃するとかそんなのではなく、カタカナで表記するのが普通である言葉ありまよすね、小津さんの作品で言うと七句目のびあんかはビアンカでしょ。それを結構みんなが面白がってか何かは分かりませんが、敢えて平仮名表記しているのは何かあるのかなと。ハワイをはわいとか。」
万博「まあ、耳で入って来る情報としましては同じな訳ですから、視覚的な誤差から生まれる違和感を詩的に味わう様なことですか、すみません、私も専門家ではないので。」
花尻「永井荷風の『あめりか物語』なんかは…。」
万博「昔は外来語を平仮名で表していた時代もありましたので」
花尻「いつ位ですか?」
万博「すみません、勉強不足で…。」
花尻「漢字を敢えてカタカナで表すと、うーん、ヒロシマ論的な事を思いますね。」
万博「確かに漢字の広島と片仮名のヒロシマでは違います。」
花尻「そうですね。でも、それはもうある程度定着しているから、多くの受け手にとっては感情の入り込む余地を少し残した情報の一つだと思うんですよね。多少の感情論も織り込み済みの言葉、ヒロシマの字は既にシンボリックな情報になっている。詩での表記云々とはちょっと違うかな。」
万博「昔は平仮名カタカナの表記を変えただけでももっと違和感があって、その字面から何かがある種パワーが漏れていたようには感じます。」
花尻「ええ、何でもありの活字活動なら、作詞家や広告のコピーライターさん達、相当の力持っている方もたくさんいるでしょう。」
花尻「ええ。」
万博「今と昔の差は、情報量の差ですか。」
花尻「四十年、五十年前ならともかく、それ(カタカナを平仮名に)を今でも変わらずしている俳人も沢山います。まだ表記の違いを喜んでいるのかと思うんですよ、そこから何か発生する可能性を追う様な。」
万博「それは、まあ、各個人の詩心の有処もあるでしょうし…。何か生まれる可能性は否定できませんし。」
花尻「なんか、もうそれか流行歌に出て来る「愛」みたいに、俳句界中に、短歌や詩や広告なんかの世界も同じだとは思いますが、飽和しているから感動もないし面白みも無い。その文字、視覚から詩心をくすぐられる事は、私はないです。笑顔の(≧▽≦)←このような絵文字と同じくストレートな情報でしかないような気がする。まあ、攻撃的専門家にはいろいろ意見有るかと思いますし…、私が不感症なだけか(笑)。」
万博「連作として読むから余計旋律的にも思えますが。」
花尻「逆に連作をイメージしているから仕方ないですが、繋ぎっぽい句もあって、個人的にはこの句はなくてもいいのになあ、って句もありました。」
万博「私はさっき花尻さんがおっしゃった、カタカナをあえて平仮名にしている句なんかはいいなあと記が付いています。」
花尻「俳句ではない五七調に乗った詩もありますから。」
万博「他のお二人に比べると花尻さんの句は連作っぽくはないですね。」
花尻「私の句はいいので。(笑)」
万博「三月は竹岡さんでした。」
花尻「句集を頂いたのでどのような句を詠んでいる人なのかは予め知っていました。「虎」で筋を通しています。そのエネルギーに圧倒されました。」
万博「情報の多さにも圧倒されますね。」
花尻「今回の為に揃えた句群とするなら凄いです。雑誌で見る巨匠の句は50句発表していても内容がスカスカな時が多いです。」
万博「一読非常に緻密に構成されて作られているなと思いました。」
花尻「破調して、たまに綺麗な五七調に出会うとドキッとするし。読むのにも結構体力が要りますね。」
万博「虎は何か象徴的な存在なのですか。」
花尻「どうなんでしょうか。空母や戦車も出てきますからね。北極も砂漠も。」
万博「難しい言葉も幾つかありましたね。」
花尻「もちろん、何と何を繋いでいるのか、どの状況を作り出そうとしているのか、散文的に解釈しようと言う余計な頭脳が、飲み込めない句をはじき出しましたね。理屈っぽい句もあった。けど、誕生から死までのドラマはビンビン伝わって来た。独立句としていいのも沢山ありました、この句この句といいのを挙げればキリがない、と言うより興ざめしますので今回は挙げませんが…。」
万博「読者に伝わらない個所はどうなんですか。」
花尻「もちろん分からない句もありますが、よく討論会である「これは分かる」「これは分からない」って挙げていく、アレ意味ないですよね。」
万博「花尻さん、前にどこかで話されていましたよね。」
花尻「鑑賞そのものを否定する意味ではないです。」
万博「落としどころを探りたくない、とかですか。」
花尻「よく分からないものを整理して分かりたいと言う衝動は分かります。エヴァンゲリオンのラスト3話の意味は?のような。」
万博「制作者にしか分からない様な。」
花尻「制作者も分かっていないかも知れません。そんな訳はないか(笑)。うーん、まあ今回の竹岡さんの句群で言えば、分かりたい人ってのは感動や詩に対する気持ちを共有化、情報化したいんですかね。一から十まで分かりたかったら童話でも読めばと思うし。ビートルズの曲を聴くのに分かるとか分からないとか言わないでしょ。」
万博「文学と音楽の差もあるかと思いますが。分かるにもいろいろありますし。」
花尻「華道や茶道にも分かるとか分からないとかはないでしょ。私は茶道なんかよく分からない。知ろうとしたが分からなかった。突き詰めれば文学も、特に詩なんかは同じだと思う。詩に散文的な理解なんてものは一から十までは要らないと思う。」
万博「一句一句としてはどうなのでしょう。」
花尻「一句一句で鑑賞すると、これはイイ、これはイマイチって、多くの人はそんな作業に辿り付くんですが、共感できた⇔出来なかったの二項対立は、その問い掛けそのものに罠があると思うのです。」
万博「そうですか。」
花尻「連作を作るぞっ!から出発して連作を作るのか、数十句が結果的に連作っぽくなったのかは筆者しか分からない事だと思うんですよね。今回は連作を詩にするような試みなのですから、やはり一句一句を重箱の隅を突く様な鑑賞は要らないんじゃないかな。」
万博「独立すると弱いと言う事ですか。」
花尻「独立させる意味がないかな。小津さんも竹岡さんも俳句界では最先端のビッグネームです。その辺りは重々承知で今回の作句に当たっていると思います。」
万博「では1月の詩に。萩原さんの作品です。」
花尻「私は活字を迎えに行ってまでは読まないです。だからこちらに届いた分だけで鑑賞する。創作に対して行間は読みますが、普通レベルで、でも深読みとかはないです、多分。バンボンのパパの「これでいいのだ」のセリフから哲学を紐解く様な器用な事は出来ないです。」
万博「実験を試みてその変化の過程が書かれているように見えます。出来上がったものが詩なのか、その過程をも含むすべてが詩なのか。」
花尻「題名もないですからね。」
万博「鑑賞者がどれだけ詩を読んでいるかも試されている感じはしますね。」
花尻「そうですね。文系は勉強熱心な人が多いから。」
万博「最後の四行が、いわゆる詩の形を保っているように読めます。」
花尻「最後の詩から逆算するように最初の句に戻って行っても何か面白いですね。何かは上手く説明できませんが。あと5セット程同じようなその過程と出来上がった詩を読ましてくれれば、もっともっと面白さを自分の中に溜められるような気がしました。もっと読みたいとは思いました。」
万博「全体が詩とすれば変わった詩だと思います。」
花尻「詩人の方には「俳句に近い一行詩を書く」様なコンセプトが手渡されていますから、書く方も色々頭を悩まされたのかと思います。いつもしている詩作活動と同じ形なら自分のフィールド内の詩を発表する事も出来たと思う。」
万博「普段書かれている詩とは違うんですね。」
花尻「全く違う訳ではないと思いますが。俳句や短歌は詩人からすれば韻律の奴隷かも知れませんし。」
万博「奴隷の韻律ですね、小野十三郎さんの言葉によく出てきましたね。」
花尻「そうですか。」
万博「ええ。あんまり勝手に引用とか発言しないで下さいね、出典を探すのが大変ですので。」
花尻「まあ、多少足かせの様なコンセプトも活字が好きな人にはたまらないのかな。詩と言うと教科書に載っている様な詩を想像しますので。もっといろんな形の詩はありますよ、でも最終的には形は問題じゃないです。」
万博「次は二月の森川さんの詩です。」
花尻「のの変容ではおのののかさんを思い出しました。さっきも言いましたが、自分から感動を迎えに行ってあげる程優しくも無いので、この詩に対しては冷ややかな感動しかないです。自分の中で消化、昇華出来てる人はそれでいいと思います。」
万博「何でも受け入れられる方もいます。」
花尻「私は不器用、違う、あんまり賢くないから、(笑)。」
万博「情報の中にある活字とは別にある共感できない活字群。「これも詩だ」と言った者勝ちみたいな所もありますか。」
花尻「言った者勝ちだと思います(笑)。それはどんな世界にもあると思います。」
万博「分からないものを難しいと思わないですか。」
花尻「中には「お前らオレの書いている事が分からないだろう。」って、みんなが分からないものを書いて優越感に浸る人もいます。私はそんな活字を迎えには行かないですが、真面目な人は大変だと思う。分かろう、理解してやろうとガップリ四つになるので。」
万博「不可解なものを鑑賞する事は可能ですか。」
花尻「詩人も俳人も、何でも詩にしたがりますからね。それぞれポジションやスタイルがあるでしょうから、それに対しては異論も反論もないです。ある人の詩や俳句がロマン主義の遠吠えでも結構です。排泄物や吐しゃ物を詠んでもらってもいい。私には関係ない事です。
万博「また変な事言いますね。」
花尻「そんな意味では鑑賞はもっともっと身勝手なものでもいいと思います。詩人はどうか知りませんが、俳人は他人の解釈や鑑賞なんか微塵も気にもしないと思いますので。」
万博「そうですか。」
花尻「と、思います。芸術家や詩人は多少ナルシストでもいいです。「何で角川賞の審査委員は私の句の良さが分からないかなあ。ポンコツばかりだなあ。」って。」
万博「そんなこと言って叱られませんか。」
花尻「例えばの話です(笑)。俳句界に変な貸し借りもないから別に気にしません。」
万博「それでもこの森川さんの詩が分かりたいって方もいると思います。」
花尻「言葉を相対化→相対化→相対化→…を続けていくと、相対化出来ない言葉へは近づけるかも知れないです。その内に意味がある思索に出会えるならその意味も分かって来る。でも、そんなのは国文学者かマニアに任せればいい。分からないものを無理に分かった風にポーズしなくてもいい。」
万博「これもまた、所謂「詩」からすれば、変わった作品だと思いますが。」
花尻「俳句を意識した作りですから大変だったと思います。私は一読み「しの変容」が初めに出来たのかなと思いました。次に「がの変容」かな。作っている内に段々面白くなって来た、それで五つ作ったら飽きて来たとか。」
万博「それは花尻さんの妄想ですし。」
花尻「今回の作詩には俳句的な…との縛りがありますから、逆に詩人の皆さんの「俳句観」みたいなものが見えているのかも知れません。」
万博「森川さんの代表的な作品を知っておられる方なんかは、また違った見方をしているのかも知れませんね。」
花尻「そうですね。」
万博「ただ、今回の詩だけを見ると驚かされると言いますか…、」
花尻「申し訳ないですが、正直私には迫って来るものがなかったとしか言えないです。悪意は全くないです。褒めようと思えば哲学や美学を織り交ぜて、褒めて褒めて褒め殺すことも出来るかも知れません。それは他の人に任せます。」
万博「次は三月、柴田さんの詩です。どこか俳句っぽい印象を受けましたが。」
花尻「そうですね。でも、詩だとしても句だとしても、私はそれ程面白くはありませんでした。すみません。」
万博「何ですか。」
花尻「一応謝ってお書こうかなと思いまして(笑)。本当に喧嘩を吹っ掛けるとかそんなのではないので。最近の俳句の評を見て感じるのは、この人は少しチクリと言っても大丈夫だとか、こいつは怒らせると面倒だとか、筆者が勝手に相手(俳人)をゾーンニングしていると言いますか…。」
万博「巨匠の句をけなす人もいませんね。」
花尻「中にはいると思うのですが、多分、編集者側で検閲されているとは思います。」
万博「詩の話で。黒い十人の、はどこか恐ろ恐ろしいですね。」
花尻「うーん、私はもう「死」の字には恐怖を感じないかな。「死」の言葉が変わってきているのかも知れない、そんな気がします。若い世代は、子どもも青年世代もとにかく「死ねっ!」とよく言う。若いお母さん世代も自分の子どもに、もちろん冗談で愛情込めて「一回死んで来い!」とかよく言います。ネットでは「氏ね」とか「四ぬ」とか他の漢字を使って「死」を表します。アホとかバカが言葉の意味通りに相手を卑下する言葉ではなく、時には繋ぎ言葉であったりコミュニケーションを作る言葉であったり、また気を置けない間柄を取り持つ言葉であったりに変化した、そのような変容が「死」の言葉の一部に始まっているのだと思います。」
万博「それでもこれだけ「死」を並べると文字以上の何かが生まれるかも、と期待はしたいですが。」
花尻「私もしたいです。」
万博「ですが…と言う事ですか?」
花尻「だとしても、その死を一般的な受け手がそれを広げられるかな。それか私の読みの浅さか。二つ目の「死」にしても集団自殺や集団殺人を思わせても、それから何かが生まれるとは読めなかった。それなら安楽死や合意死などをテーマにした方が何か広がりはあるかのように思えました。ただ、それが上質な詩となるかどうかは別の話で。」
万博「多くの散文のように、ある程度意味の通った物語を進めるのとは違いますから、詩は。」
花尻「でも、普通の人は活字があればまず意味を取ろうとしますからね。」
万博「そうですね。」
花尻「何でもそうですが「分かる人には分かる」そんな部分があってもいいと思います。椎名林檎の歌詞だって意味が分からないものがある。ただそっちばかりを広げてしまうと詩が貴族の手慰みになってしまう危険性が出て来る。」
万博「それは花尻さんの詩の偏差値にも寄りますし(笑)。」
万博「総括を頂けますか。」
花尻「(私以外の)俳人の方の作品が良かった。連作やテーマ詠を嫌う人もいるし、こんなのばっかりだと飽きも来ますが、別の俳人の作品も見てみたい気がします。これは大きな俳句の雑誌ではない仕事です。」
万博「俳句雑誌では見かけないアプローチですね。」
花尻「違う所でも書きましたが、五十句、百句は俳人の力や熱が込められる量だとも思いますね。あと何回かは続けて欲しいです。いつまでも「ミヤコホテル」を崇め話す時代でもないでしょう。時代が作品を整理してくれると思いますが、いつか連作(っぽい作品)ならコレと言うのがここから生まれて欲しいですね。」
万博「いや、ミヤコホテルもいい作品です。」
花尻「文系の世界は論理を組み立てるのは大学生でも出来るけど、その実証は歴史の選択を待つしかない部分も大きいです。」
万博「理系の様な繰り返しの実験が出来ない部分もありますから。」
花尻「ただ歴史の経るスピードは速くなって来た感はあります。ネットの進化は文系の進化かも知れないです。」
万博「今は雑誌の読者よりもネットでの詩や俳句の視聴者(読者)の方が多いようには思えます。」
花尻「それは紙信奉者は否定すると思いますよ。」
万博「この位の事ならリサーチすればすぐに分かりますね。」
花尻「そうですね。しかし、詩や俳句が知識人のお座敷遊びであって欲しい人も沢山いますから。」
万博「また、叱られますね(笑)。詩人陣営はどうですか。」
花尻「今回は大分俳句側に寄り添って来てくれたせいか、個人的には「おおーっ」と思う様な作品はなかったです。すんません。私の詩を読む経験値も低いかもしれないし、それは申し訳なく思います。でもメンバーが変われば違う詩も出てきますから、是非次を企画して欲しいです。俺に書かせろっ!とのフルスロットルな詩人もまだまだいそうです。」
万博「そうですね。今日は有難う御座いました。」
花尻「いえいえ、こちらこそ。」
花尻「こちらこそ宜しくお願いします。」
万博「面白い、花尻さんらしい忌憚のないご意見を期待しています。」
花尻「いえいえ、研究家でもないのでそんな難しい事は分からないですし、変な敵も作りたくはないので…。」
万博「早速ですが、1月俳句担当の花尻さんの句から。今回の花尻さんの「鬼」はどんな所から発想、または生まれてきたんですか。」
花尻「ええ、自分の句に鬼の句が結構ありまして、全然世には出していなかったのですが。少し前に頂いた本の中に鬼に関する記述があって、面白いなあって思っていたんですよ。それと、ちょうど筑紫(盤井)さんからこんな企画をするのだが、とお話を頂いて、まあそれがタイミング良く「鬼だ」と。」
万博「五十句。すぐに出来ましたか。」
花尻「いいえ。遅筆は何を書かせても遅筆です。」
万博「筑紫(磐井)さんのガニメデの51句が花尻さんの句の元には有りましたか」
花尻「存分に(笑)。マネしただけでは?と言われると、それはそうかも知れないです。」
万博「俳句形式とは何か?など、自身への問い掛けなどは。」
花尻「形式どうこうと言うのは自分ではよく分かりません。作句中は五七調に救いの手を伸ばしたくはなりましたね。普段どれだけ定型におんぶにだっこなのかはよく分かりました。次の課題が見えたように思えます。」
万博「定型の凄さですね。後は何か?」
花尻「連作ですが、意味から作らない、無意味を作らないと言うのは意識しました。」
万博「自分の中になかったカタチではありましたか?」
花尻「そうですね。鬼の詠み始めに作った数十句は原型もないですから。」
万博「後は読者の方が…」
花尻「まあ、私の句はいいので…(笑)。」
万博「そうですか、では俳句陣営を最初に見ていきましょうか。二月は小津さんの作品でした。」
花尻「私が攝津幸彦記念賞を頂いた時の準賞の方です。いくつか作品を読む機会がありまして目にしていますが、頭いいんだろうなあってのが第一印象です。」
万博「今回の企画のコンセプトの一つには、「俳人が(長編詩に近い)連作俳句を作る」というのがありましたよね。」
花尻「はい、それ以外は割と自由に…とのお言葉でしたので、小津さんならもっと違う形で攻めて来るかなと思っていました。元々小津さんの句はどこか連作っぽい匂いを持っていますので。」
万博「そう言われるとそんな気もしますね。」
花尻「あと小津さんはそれ程「俳句ズレ」していない方と思います。それは何でもありのハチャメチャやっていますよ、ではなくて、どこかタブーを楽しむ余裕のある方だと言う意味です。」
万博「タブーを楽しむ?」
花尻「まあ、詩にタブーなんてないと言う人もいると思いますが…。」
万博「今回の小津作品はどこか甘い香りもしたとの印象を受けましたが。」
花尻「外国の、ヨーロッパ辺りの匂いがしますね。行ったことはないですが、(笑)。」
万博「多分その辺りの文学にお詳しい方なのではないかと思います。」
花尻「俳句の部分も俳句俳句していないです。」
万博「ええ。」
花尻「読み返せば読み返すほど地の部分、俳句の部分共に調べが美しいなあって。これは詩だなって。私は今回の皆さんの句に限って言えば一句一句を独立させて鑑賞する事はあまり意味はないかなあと思いました。「出来るぞ」と言う方がいましたら、まあそれはれで否定はしないです。」
万博「ええ。」
花尻「それとは別に一つ気になることがありまして。」
万博「と言いますと。」
花尻「小津さんを攻撃するとかそんなのではなく、カタカナで表記するのが普通である言葉ありまよすね、小津さんの作品で言うと七句目のびあんかはビアンカでしょ。それを結構みんなが面白がってか何かは分かりませんが、敢えて平仮名表記しているのは何かあるのかなと。ハワイをはわいとか。」
万博「まあ、耳で入って来る情報としましては同じな訳ですから、視覚的な誤差から生まれる違和感を詩的に味わう様なことですか、すみません、私も専門家ではないので。」
花尻「永井荷風の『あめりか物語』なんかは…。」
万博「昔は外来語を平仮名で表していた時代もありましたので」
花尻「いつ位ですか?」
万博「すみません、勉強不足で…。」
花尻「漢字を敢えてカタカナで表すと、うーん、ヒロシマ論的な事を思いますね。」
万博「確かに漢字の広島と片仮名のヒロシマでは違います。」
花尻「そうですね。でも、それはもうある程度定着しているから、多くの受け手にとっては感情の入り込む余地を少し残した情報の一つだと思うんですよね。多少の感情論も織り込み済みの言葉、ヒロシマの字は既にシンボリックな情報になっている。詩での表記云々とはちょっと違うかな。」
万博「昔は平仮名カタカナの表記を変えただけでももっと違和感があって、その字面から何かがある種パワーが漏れていたようには感じます。」
花尻「ええ、何でもありの活字活動なら、作詞家や広告のコピーライターさん達、相当の力持っている方もたくさんいるでしょう。」
花尻「ええ。」
万博「今と昔の差は、情報量の差ですか。」
花尻「四十年、五十年前ならともかく、それ(カタカナを平仮名に)を今でも変わらずしている俳人も沢山います。まだ表記の違いを喜んでいるのかと思うんですよ、そこから何か発生する可能性を追う様な。」
万博「それは、まあ、各個人の詩心の有処もあるでしょうし…。何か生まれる可能性は否定できませんし。」
花尻「なんか、もうそれか流行歌に出て来る「愛」みたいに、俳句界中に、短歌や詩や広告なんかの世界も同じだとは思いますが、飽和しているから感動もないし面白みも無い。その文字、視覚から詩心をくすぐられる事は、私はないです。笑顔の(≧▽≦)←このような絵文字と同じくストレートな情報でしかないような気がする。まあ、攻撃的専門家にはいろいろ意見有るかと思いますし…、私が不感症なだけか(笑)。」
万博「連作として読むから余計旋律的にも思えますが。」
花尻「逆に連作をイメージしているから仕方ないですが、繋ぎっぽい句もあって、個人的にはこの句はなくてもいいのになあ、って句もありました。」
万博「私はさっき花尻さんがおっしゃった、カタカナをあえて平仮名にしている句なんかはいいなあと記が付いています。」
花尻「俳句ではない五七調に乗った詩もありますから。」
万博「他のお二人に比べると花尻さんの句は連作っぽくはないですね。」
花尻「私の句はいいので。(笑)」
万博「三月は竹岡さんでした。」
花尻「句集を頂いたのでどのような句を詠んでいる人なのかは予め知っていました。「虎」で筋を通しています。そのエネルギーに圧倒されました。」
万博「情報の多さにも圧倒されますね。」
花尻「今回の為に揃えた句群とするなら凄いです。雑誌で見る巨匠の句は50句発表していても内容がスカスカな時が多いです。」
万博「一読非常に緻密に構成されて作られているなと思いました。」
花尻「破調して、たまに綺麗な五七調に出会うとドキッとするし。読むのにも結構体力が要りますね。」
万博「虎は何か象徴的な存在なのですか。」
花尻「どうなんでしょうか。空母や戦車も出てきますからね。北極も砂漠も。」
万博「難しい言葉も幾つかありましたね。」
花尻「もちろん、何と何を繋いでいるのか、どの状況を作り出そうとしているのか、散文的に解釈しようと言う余計な頭脳が、飲み込めない句をはじき出しましたね。理屈っぽい句もあった。けど、誕生から死までのドラマはビンビン伝わって来た。独立句としていいのも沢山ありました、この句この句といいのを挙げればキリがない、と言うより興ざめしますので今回は挙げませんが…。」
万博「読者に伝わらない個所はどうなんですか。」
花尻「もちろん分からない句もありますが、よく討論会である「これは分かる」「これは分からない」って挙げていく、アレ意味ないですよね。」
万博「花尻さん、前にどこかで話されていましたよね。」
花尻「鑑賞そのものを否定する意味ではないです。」
万博「落としどころを探りたくない、とかですか。」
花尻「よく分からないものを整理して分かりたいと言う衝動は分かります。エヴァンゲリオンのラスト3話の意味は?のような。」
万博「制作者にしか分からない様な。」
花尻「制作者も分かっていないかも知れません。そんな訳はないか(笑)。うーん、まあ今回の竹岡さんの句群で言えば、分かりたい人ってのは感動や詩に対する気持ちを共有化、情報化したいんですかね。一から十まで分かりたかったら童話でも読めばと思うし。ビートルズの曲を聴くのに分かるとか分からないとか言わないでしょ。」
万博「文学と音楽の差もあるかと思いますが。分かるにもいろいろありますし。」
花尻「華道や茶道にも分かるとか分からないとかはないでしょ。私は茶道なんかよく分からない。知ろうとしたが分からなかった。突き詰めれば文学も、特に詩なんかは同じだと思う。詩に散文的な理解なんてものは一から十までは要らないと思う。」
万博「一句一句としてはどうなのでしょう。」
花尻「一句一句で鑑賞すると、これはイイ、これはイマイチって、多くの人はそんな作業に辿り付くんですが、共感できた⇔出来なかったの二項対立は、その問い掛けそのものに罠があると思うのです。」
万博「そうですか。」
花尻「連作を作るぞっ!から出発して連作を作るのか、数十句が結果的に連作っぽくなったのかは筆者しか分からない事だと思うんですよね。今回は連作を詩にするような試みなのですから、やはり一句一句を重箱の隅を突く様な鑑賞は要らないんじゃないかな。」
万博「独立すると弱いと言う事ですか。」
花尻「独立させる意味がないかな。小津さんも竹岡さんも俳句界では最先端のビッグネームです。その辺りは重々承知で今回の作句に当たっていると思います。」
万博「では1月の詩に。萩原さんの作品です。」
花尻「私は活字を迎えに行ってまでは読まないです。だからこちらに届いた分だけで鑑賞する。創作に対して行間は読みますが、普通レベルで、でも深読みとかはないです、多分。バンボンのパパの「これでいいのだ」のセリフから哲学を紐解く様な器用な事は出来ないです。」
万博「実験を試みてその変化の過程が書かれているように見えます。出来上がったものが詩なのか、その過程をも含むすべてが詩なのか。」
花尻「題名もないですからね。」
万博「鑑賞者がどれだけ詩を読んでいるかも試されている感じはしますね。」
花尻「そうですね。文系は勉強熱心な人が多いから。」
万博「最後の四行が、いわゆる詩の形を保っているように読めます。」
花尻「最後の詩から逆算するように最初の句に戻って行っても何か面白いですね。何かは上手く説明できませんが。あと5セット程同じようなその過程と出来上がった詩を読ましてくれれば、もっともっと面白さを自分の中に溜められるような気がしました。もっと読みたいとは思いました。」
万博「全体が詩とすれば変わった詩だと思います。」
花尻「詩人の方には「俳句に近い一行詩を書く」様なコンセプトが手渡されていますから、書く方も色々頭を悩まされたのかと思います。いつもしている詩作活動と同じ形なら自分のフィールド内の詩を発表する事も出来たと思う。」
万博「普段書かれている詩とは違うんですね。」
花尻「全く違う訳ではないと思いますが。俳句や短歌は詩人からすれば韻律の奴隷かも知れませんし。」
万博「奴隷の韻律ですね、小野十三郎さんの言葉によく出てきましたね。」
花尻「そうですか。」
万博「ええ。あんまり勝手に引用とか発言しないで下さいね、出典を探すのが大変ですので。」
花尻「まあ、多少足かせの様なコンセプトも活字が好きな人にはたまらないのかな。詩と言うと教科書に載っている様な詩を想像しますので。もっといろんな形の詩はありますよ、でも最終的には形は問題じゃないです。」
万博「次は二月の森川さんの詩です。」
花尻「のの変容ではおのののかさんを思い出しました。さっきも言いましたが、自分から感動を迎えに行ってあげる程優しくも無いので、この詩に対しては冷ややかな感動しかないです。自分の中で消化、昇華出来てる人はそれでいいと思います。」
万博「何でも受け入れられる方もいます。」
花尻「私は不器用、違う、あんまり賢くないから、(笑)。」
万博「情報の中にある活字とは別にある共感できない活字群。「これも詩だ」と言った者勝ちみたいな所もありますか。」
花尻「言った者勝ちだと思います(笑)。それはどんな世界にもあると思います。」
万博「分からないものを難しいと思わないですか。」
花尻「中には「お前らオレの書いている事が分からないだろう。」って、みんなが分からないものを書いて優越感に浸る人もいます。私はそんな活字を迎えには行かないですが、真面目な人は大変だと思う。分かろう、理解してやろうとガップリ四つになるので。」
万博「不可解なものを鑑賞する事は可能ですか。」
花尻「詩人も俳人も、何でも詩にしたがりますからね。それぞれポジションやスタイルがあるでしょうから、それに対しては異論も反論もないです。ある人の詩や俳句がロマン主義の遠吠えでも結構です。排泄物や吐しゃ物を詠んでもらってもいい。私には関係ない事です。
万博「また変な事言いますね。」
花尻「そんな意味では鑑賞はもっともっと身勝手なものでもいいと思います。詩人はどうか知りませんが、俳人は他人の解釈や鑑賞なんか微塵も気にもしないと思いますので。」
万博「そうですか。」
花尻「と、思います。芸術家や詩人は多少ナルシストでもいいです。「何で角川賞の審査委員は私の句の良さが分からないかなあ。ポンコツばかりだなあ。」って。」
万博「そんなこと言って叱られませんか。」
花尻「例えばの話です(笑)。俳句界に変な貸し借りもないから別に気にしません。」
万博「それでもこの森川さんの詩が分かりたいって方もいると思います。」
花尻「言葉を相対化→相対化→相対化→…を続けていくと、相対化出来ない言葉へは近づけるかも知れないです。その内に意味がある思索に出会えるならその意味も分かって来る。でも、そんなのは国文学者かマニアに任せればいい。分からないものを無理に分かった風にポーズしなくてもいい。」
万博「これもまた、所謂「詩」からすれば、変わった作品だと思いますが。」
花尻「俳句を意識した作りですから大変だったと思います。私は一読み「しの変容」が初めに出来たのかなと思いました。次に「がの変容」かな。作っている内に段々面白くなって来た、それで五つ作ったら飽きて来たとか。」
万博「それは花尻さんの妄想ですし。」
花尻「今回の作詩には俳句的な…との縛りがありますから、逆に詩人の皆さんの「俳句観」みたいなものが見えているのかも知れません。」
万博「森川さんの代表的な作品を知っておられる方なんかは、また違った見方をしているのかも知れませんね。」
花尻「そうですね。」
万博「ただ、今回の詩だけを見ると驚かされると言いますか…、」
花尻「申し訳ないですが、正直私には迫って来るものがなかったとしか言えないです。悪意は全くないです。褒めようと思えば哲学や美学を織り交ぜて、褒めて褒めて褒め殺すことも出来るかも知れません。それは他の人に任せます。」
万博「次は三月、柴田さんの詩です。どこか俳句っぽい印象を受けましたが。」
花尻「そうですね。でも、詩だとしても句だとしても、私はそれ程面白くはありませんでした。すみません。」
万博「何ですか。」
花尻「一応謝ってお書こうかなと思いまして(笑)。本当に喧嘩を吹っ掛けるとかそんなのではないので。最近の俳句の評を見て感じるのは、この人は少しチクリと言っても大丈夫だとか、こいつは怒らせると面倒だとか、筆者が勝手に相手(俳人)をゾーンニングしていると言いますか…。」
万博「巨匠の句をけなす人もいませんね。」
花尻「中にはいると思うのですが、多分、編集者側で検閲されているとは思います。」
万博「詩の話で。黒い十人の、はどこか恐ろ恐ろしいですね。」
花尻「うーん、私はもう「死」の字には恐怖を感じないかな。「死」の言葉が変わってきているのかも知れない、そんな気がします。若い世代は、子どもも青年世代もとにかく「死ねっ!」とよく言う。若いお母さん世代も自分の子どもに、もちろん冗談で愛情込めて「一回死んで来い!」とかよく言います。ネットでは「氏ね」とか「四ぬ」とか他の漢字を使って「死」を表します。アホとかバカが言葉の意味通りに相手を卑下する言葉ではなく、時には繋ぎ言葉であったりコミュニケーションを作る言葉であったり、また気を置けない間柄を取り持つ言葉であったりに変化した、そのような変容が「死」の言葉の一部に始まっているのだと思います。」
万博「それでもこれだけ「死」を並べると文字以上の何かが生まれるかも、と期待はしたいですが。」
花尻「私もしたいです。」
万博「ですが…と言う事ですか?」
花尻「だとしても、その死を一般的な受け手がそれを広げられるかな。それか私の読みの浅さか。二つ目の「死」にしても集団自殺や集団殺人を思わせても、それから何かが生まれるとは読めなかった。それなら安楽死や合意死などをテーマにした方が何か広がりはあるかのように思えました。ただ、それが上質な詩となるかどうかは別の話で。」
万博「多くの散文のように、ある程度意味の通った物語を進めるのとは違いますから、詩は。」
花尻「でも、普通の人は活字があればまず意味を取ろうとしますからね。」
万博「そうですね。」
花尻「何でもそうですが「分かる人には分かる」そんな部分があってもいいと思います。椎名林檎の歌詞だって意味が分からないものがある。ただそっちばかりを広げてしまうと詩が貴族の手慰みになってしまう危険性が出て来る。」
万博「それは花尻さんの詩の偏差値にも寄りますし(笑)。」
万博「総括を頂けますか。」
花尻「(私以外の)俳人の方の作品が良かった。連作やテーマ詠を嫌う人もいるし、こんなのばっかりだと飽きも来ますが、別の俳人の作品も見てみたい気がします。これは大きな俳句の雑誌ではない仕事です。」
万博「俳句雑誌では見かけないアプローチですね。」
花尻「違う所でも書きましたが、五十句、百句は俳人の力や熱が込められる量だとも思いますね。あと何回かは続けて欲しいです。いつまでも「ミヤコホテル」を崇め話す時代でもないでしょう。時代が作品を整理してくれると思いますが、いつか連作(っぽい作品)ならコレと言うのがここから生まれて欲しいですね。」
万博「いや、ミヤコホテルもいい作品です。」
花尻「文系の世界は論理を組み立てるのは大学生でも出来るけど、その実証は歴史の選択を待つしかない部分も大きいです。」
万博「理系の様な繰り返しの実験が出来ない部分もありますから。」
花尻「ただ歴史の経るスピードは速くなって来た感はあります。ネットの進化は文系の進化かも知れないです。」
万博「今は雑誌の読者よりもネットでの詩や俳句の視聴者(読者)の方が多いようには思えます。」
花尻「それは紙信奉者は否定すると思いますよ。」
万博「この位の事ならリサーチすればすぐに分かりますね。」
花尻「そうですね。しかし、詩や俳句が知識人のお座敷遊びであって欲しい人も沢山いますから。」
万博「また、叱られますね(笑)。詩人陣営はどうですか。」
花尻「今回は大分俳句側に寄り添って来てくれたせいか、個人的には「おおーっ」と思う様な作品はなかったです。すんません。私の詩を読む経験値も低いかもしれないし、それは申し訳なく思います。でもメンバーが変われば違う詩も出てきますから、是非次を企画して欲しいです。俺に書かせろっ!とのフルスロットルな詩人もまだまだいそうです。」
万博「そうですね。今日は有難う御座いました。」
花尻「いえいえ、こちらこそ。」