広島・資本論を読む会ブログ

読む会だより21年12月19日開催用

「読む会」だより(21年12月用)文責IZ

(11月用の訂正)
・当日、訂正を言い忘れていましたが、P5の二つ目の引用の冒頭 「労働力の日価値<12時間労働>は3シリングだった……」の、<>内の補足は削除してください。
また、P5、6のタイトル番号を6→5、7→6と置き換えるように言いましたが、予定しながらまとまらなかった(5)を今回追加しますので、番号はそのままにしておいてください。

(11月の議論)
11月の「読む会」は21日に開催されました。まず(議論)の部分では、「すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間の労働力の支出であって、」とあるが、この「生理学的意味での」というのは、「生身の人間」というような意味か、という質問が出されました。チューターは、自分も最初に読んだときにずいぶん悩んだ記憶があるが、これはすぐ後に「この同等な人間労働または抽象的人間労働という属性において」とあるように、「単なる、人間に共通な脳や筋肉などの支出としては」、あるいは「単なる人間の生命力の発揮としては」といったような、むしろ抽象的な意味に受け取るべきだろう。引用している1章2節では、たとえば「裁縫と織布とは、質的に違った生産活動であるとはいえ、両方とも人間の脳や筋肉や神経や手などの生産的支出であり、この意味で両方とも人間労働である。それらは、ただ、人間の労働力を支出するための二つの違った形態でしかない」と説明してある。ここに言う「この意味で」というのが、「生理学的意味」の内容だろうと答えました。

(説明)では、チューターから前回も今回も、価値を形成する労働についてチューター自身の思い込みや思い違いがあるのではないかと思いつつ書いているので、あれこれ意見を出してもらえるとありがたい。たとえば、『経済学批判』では「小麦を味わっただけでは誰がそれを作ったのか、ロシアの農民か、フランスの分割地農民か、イギリスの資本家なのか、分かるものではない。使用価値は社会的生産関係を表現するものではない」とあり、言外に価値とは社会的生産関係を表現するものだとされている。そしてこの点については、資本論の1章4節では「商品生産者の一般的な社会的生産関係は、彼らの生産物を商品として、したがって価値として取り扱い、この物的な形態において彼らの私的労働を同等な人間労働として互いに関係させるということにある」(全集版、P106)と述べられている。支出労働時間としての価値は、社会的な実体であって、なにか空虚な観念ではないと、チューターは思っている。間違っていれば今後の検討のなかで分かってくるはずだろうし、検討中ということで勘弁してほしい、と前置きをしました。
とくに、(3)のなかのP4~P5にかけて、「生産物の価値を“保存”するという機能……この機能は、支出された社会的労働時間を測定するという労働の抽象的・社会的労働としての機能によるものであって、種々の有用物を生み出すという労働の具体的有用労働としての機能によってではありません」、と触れました。しかし、マルクス自身は次の第6章のなかで「だから、労働者が消費された生産手段の価値を保存し、またはそれを価値成分として生産物に移すのは、彼が労働一般を付け加えるということによってではなく、この付け加えられる労働の特殊な有用的性格、その独自な生産的形態によってである。このような合目的的な生産活動、すなわち紡ぐことや織ることや鍛えることとして、労働は、その単なる接触によって生産手段を死から蘇らせ、それを活気づけて労働過程の諸要因となし、それと結合して生産物になる」(同、P262)と反対の説明しています。この点について考えたことは、第6章で触れます。

あまり多くの意見は出ませんでしたが、「労働時間によって価値が決まるというが、かつてのような労働集約型ではなくオートメ化などが進んでしまった現代では、そのまま当てはめることができないのではないか」、という意見が出されました。チューターは、たしかに生産的労働が縮小しているということは言えるが、生産的労働のみが価値を生み出すということは間違いないことだろう。縮小しただけ今では巨大な割合で生産的労働者から剰余労働の搾取が行われる(具体的な数字は調べてみないと、分からないが)ということと、資本による剰余価値の分配のなかで労働時間が見えづらくなっているということではないか、と述べました。これに対しては別の参加者から、「資本による分配というのはどういう意味か」という質問が出ました。チューターは、貨幣資本としては、資本はその投下した大きさにしたがって平等に剰余価値を受け取る権利をもつために、産業資本以外の資本のもとでも価値が生まれるかの外見が生まれる、といった意味だ、と述べました。
なお、次回からはたよりをブログにアップした時点で参加者に連絡し、郵送費や紙代を節約しようということになりました。

「たより11月用」への追加
(5.価値形成過程は、新価値を形成する一面と旧価値(生産手段の価値)を保存する一面とを同時にもっている。)

(3)(4)で引用しましたように、生産物の価値(その生産に必要な労働時間)には、その生産手段(原料と労働手段)の価値がその成分として含まれています。他方、それらの生産物は、「吸収された労働の計測器」として、生産手段の価値のみならず、生産手段を生産物に転化するために、実際にこの労働過程において支出された労働時間を新しい価値成分として含むことになります。
このあとの第6章では、「労働のたんに量的な付加によって新たな価値が付け加えられ、付け加えられる労働の質によって生産手段の元の価値が生産物のうちに保存される あるいは 同じ不可分の過程で労働が価値を保存するという性質は労働が価値を創造するという性質とは本質的に違う」(P263)と述べられています。価値形成過程は、その中に新価値を形成(創造)する一面と旧価値(生産手段の価値)を保存する一面とを同時にもつのですが、詳しい説明は第6章に譲ります。
(説明)第6章「不変資本と可変資本」
(1.第6章の課題について)

この章の課題について、マルクスは第6章の終わりの方で次のように触れています。
・「われわれは、生産物価値の形成において労働過程のいろいろな要因<生産手段(労働材料と労働手段)と労働力>が演ずるいろいろに違った役割を示すことによって、事実上、資本自身の価値増殖過程で資本のいろいろな成分が果たす機能を特徴づけたのである。」(同、P273)
そして次のパラグラフの最後で、第6章をこうまとめています。
・「労働過程<使用価値の生産>の立場からは客体的な要因と主体的な要因として、<すなわち>生産手段と労働力として、区別されるその同じ資本成分が、価値増殖過程の立場からは不変資本と可変資本として区別されるのである。」(同)

以下で触れていくように、この第6章では、まずもって、生産手段と労働力とに大別される労働過程の要因が、どのように生産物の価値の形成にかかわっているのかが検討され、そこでの両者の役割の違いが明らかにされます。
まとめの部分で、「労働過程の立場」からは、その諸要因が「客観的な要因」=生産手段と「主体的な要因」=労働力とに「区別される」というのは分かるが、それらの要因を、なぜ「資本成分」と呼ぶのか? という疑問をもつ方もいるかもしれません。資本(家)は、労働者から直接に剰余生産物を収奪するのではありません。それは流通を介して、すなわち前貸し貨幣を流通に投下することによって、生産手段と労働力という労働過程の条件をともに商品として購入し、労働力の価値以上に労働力を使用することによって、生産する商品の剰余価値(剰余労働時間)として剰余労働を取得するからに他なりません。だから、「価値増殖過程の立場」からは、労働過程の要素は、資本の成分(価値成分)として機能することになるのです。
はじめの引用に続いてマルクスは次のように説明しています。
・「生産物の総価値のうちの、この生産物を形成する諸要素の価値総額を越える超過分は、最初に前貸しされた資本価値を越える価値増殖された資本の超過分である。<価値増殖過程においては、>一方の生産手段、他方の労働力は、ただ、最初の資本価値がその貨幣形態を脱ぎ捨てて労働過程の諸要因に転化したときにとった別々の存在形態でしかないのである。」(同)


(2.労働者は、労働を付け加えることによって労働対象に新たな価値をつけ加える。生産手段(原料と労働手段)は、労働が付け加えられることによってその価値を生産物のなかに移転し、保存する。)

第6章の冒頭でマルクスは次のように述べます。
・「労働過程のいろいろな要因<つまり労働そのもの、その対象、その手段>は、それぞれ違った仕方で生産物価値の形成に参加する。
労働者は、彼の労働の特定の内容や目的や技術的性格を別にすれば<岩波文庫訳では「の如何にかかわらず」>、一定量の労働を付け加えることによって労働対象に新たな価値を付け加える。他方では、われわれは消費された生産手段の価値を再び生産物価値の諸成分として、たとえば綿花や紡錘の価値を糸の価値のうちに、見出す。つまり、生産手段の価値は、生産物に移転されることによって、保存されるのである。この<価値の>移転は、生産手段が生産物に変わるあいだに、つまり労働過程のなかで行われる。@
それ<価値の移転と保存>は労働によって媒介されている。だが、どのようにしてか? 」(同、P261)

生産物の価値を創造できるのは、つまり生産物に対してそれが無差別な人間労働が対象化されたものであるという社会的な性格を与えることができるのは、人間の労働力の発揮──その大きさは発揮された継続時間で計られる──のほかにはありません。だから、労働者は「一定量の労働を付け加えることによって労働対象に新たな価値を付け加え」ます。しかし第5章で見たように、生産物の価値には、労働過程のなかで新たな生産物へと転換された生産手段の価値が含まれます。価値を形成する労働については、すでに価値形成労働のところで説明済みですが、生産手段の価値の生産物への移転・保存は、「労働によって媒介されている」以上、「だが、どのようにしてか?」と、労働による媒介の仕方をより詳しく検討することが必要になります。それは、まず次のように説明されます。

・「労働者は同じ時間に二重に労働するのではない。一方では自分の労働によって綿花に価値を付け加えるために労働し、他方では綿花の元の価値を保存するために、または、同じことであるが、自分が加工する綿花や自分の労働手段である紡錘の価値を生産物である糸に移すために労働するわけではない。そうではなく、彼は、ただ新たな価値を付け加えるだけのことによって、元の価値を保存するのである。@
しかし、労働対象に新たな価値を付け加えることと、生産物のなかに元の価値を保存することとは、労働者が同じ時間にはただ一度しか労働しないのに同じ時間に生み出す二つのまったく違う結果なのだから、このような結果の二面性は明らかにただ彼の労働そのものの二面性だけから説明できるものである。同じ時点に、彼の労働は、一方の<労働一般としての>属性では価値を創造し、他方の<具体的有用労働としての>属性では価値を保存または移転しなければならないのである。」(全集版、P261)

要するに生産的消費において、労働者がその労働によって生産手段を新たな生産物に転換する場合に、その現実の労働の支出によって、新たな価値(対象化された労働時間)を付け加えるということと、その労働によって“あらかじめ”生産手段が持っていた──すなわち現実の労働の支出とはかかわりのない──価値(対象化された労働時間)を“保存”するということとは、別の事柄だ。しかし、それが同時に行われるということは、労働自身がもつ二面性から、すなわち抽象的な人間労働一般の支出としての属性と、具体的な合目的的有用労働としての属性との“違い”からしか説明できない、と言うのです。
ここで注意しておくべきことは、「同じ時点に、彼の労働は、一方の属性では価値を創造し、他方の属性では価値を保存または移転しなければならない」と言われているように、労働のもつ対立的な属性がそれぞれに生産手段に働きかけるという点でしょう──といってもそれは同じ労働によって同時に起こるのですが。一方(抽象的労働の属性)では労働は、生産物の新たな価値を創造するとともに、他方(有用労働の属性)ではその労働は、生産手段の使用価値を生産的に消費し、新たな生産物としての使用価値に置き換える(すなわち現実に使用価値として再生産する)からこそ、生産手段の価値を生産物の価値成分として引き渡す(すなわち価値をそのなかに再現させる)、と言うのです。
さらに、マルクスはこう続けます。いろいろと議論のあるところなので、少し長くなりますが引用します。

・「労働者はそれぞれ<岩波版では「各労働者は」>どのようにして労働時間を、したがってまた価値を付け加えるのか? @
いつでもただ彼の特有な生産的労働様式の形態で<つまり具体的有用労働として、その対象と目的に合致した形態において>そうするだけである。紡績工はただ紡ぐことによってのみ、織物工はただ織ることによってのみ、鍛冶工はただ鍛えることによってのみ、労働時間を付け加えるのである。しかし、彼らが労働一般を、したがってまた新価値を付け加える際の、目的によって規定された形態によって、すなわち紡ぐことや織ることや鍛えることによって、生産手段、すなわち綿花と紡錘、糸と織機、鉄と金敷は、一つの生産物の、一つの新しい使用価値の、形成要素となる。生産手段の使用価値の元の形態は消えてなくなるが、それは、ただ、新たな使用価値形態で現れるためになくなるだけである。@
ところで、価値形成過程の考察で明らかにしたように、ある使用価値が新たな使用価値の生産のために合目的的に消費される限り、消費された使用価値の生産に必要な労働時間<すなわちその価値>は、新たな使用価値の生産のために必要な労働時間の一部分をなしており、したがって、それは、消費された生産手段から新たな生産物に移される労働時間<すなわち移転される価値>である。@
だから、労働者が消費された生産手段の価値を保存し、またはそれを価値成分として生産物に移すのは、彼が<生産手段の生産的消費の過程で一定量支出される労働とは別に>労働一般を付け加えるということによってではなく、この付け加えられる労働の特殊な有用的性格、その独自な生産的形態によってである。このような合目的的な生産活動、すなわち紡ぐことや織ることや鍛えることとして、労働は、その単なる接触によって生産手段を死から蘇らせ、それを活気づけて労働過程の諸要因となし、それと結合して生産物になるのである。
もし労働者の行なう独自な生産的労働が紡ぐことでないならば、彼は綿花を糸にはしないであろうし、したがってまた綿花や紡錘の価値を糸に移しもしないであろう。これに反して、同じ労働者が職業を変えて指物工になっても、彼は相変わらず1労働日によって彼の材料に価値を付け加えるであろう。だから、彼が彼の労働によって価値を付け加えるのは、彼の労働が紡績労働や指物労働であるかぎりでのことではなく、それが抽象的な社会的労働一般であるかぎりでのことであり、また、彼が一定の価値量を付け加えるのは、彼の労働がある特殊な有用的内容をもっているからではなく、それが一定時間継続するからである。@
つまり、その抽象的な一般的な性質において、人間労働力の支出として、紡績工の労働は、綿花や紡錘の価値に新価値を付け加えるのであり、そして紡績過程としてのその具体的な特殊な有用な性質において、それはこれらの生産手段の価値を生産物に移し、こうしてそれらの価値を生産物のうちに保存するのである。@
それだから、同じ時点における労働の結果の二面性が生ずるのである。」(全集版、P262)

ここでは要するに、生産的消費において、生産物に対して労働が、価値すなわち労働一般を付加することができるのは、ただその労働が「一つの新しい使用価値の、形成要素」になるからこそであって、この場合には、生産手段の元の使用価値の形態は、ただ新たな生産物の使用価値の形態で現れるためになくなるだけだ。だから、元の使用価値の生産のために支出された労働時間は、新たな生産物の価値に含まれる──すなわち移転し保存される──と言うのです。言い換えれば、生産手段に含まれていた価値は、新たな使用価値の形態に“形態転化”しており、その価値の形態転化を“媒介”しているのが、他ならぬ有用労働だと言っているだけなのです。なぜなら、次の引用にあるように「価値にとっては、何らかの使用価値のうちに存在するということは重要であるが、どんな使用価値のうちに存在するかは、商品の変態が示しているように、どうでもよい」のですから。
有用労働は、その合目的的活動によって新たな使用価値を生み出すことはできますが、しかし有用労働自身はそれが生み出した使用価値に対して、それが無差別な労働時間が対象化された価値であるという社会的な性格を与えることはできません。この社会的な性格を与えるのは、生産手段が生産的に消費されて新たな生産物(社会的な)として流通するという社会関係でしかありません。
労働は、労働過程のなかにあっては、その有用労働としての側面において対象と関係できるだけです。それは合目的的な形態においてのみ、一定の使用価値である生産手段に働きかけ、それを新たな使用価値に置き換えることができます。この新しい使用価値の生産に必要な労働時間は、生産物の価値として労働が“創造”したものですが、それと同時に他方では、有用労働の媒介によって生産手段がその使用価値のうちにもっていた価値は、それが生産的に消費された使用価値に含まれていた分だけ、生産物の価値のなかに“再現”される──価値なのですから移転と言っても、保存と言っても同じですが、ただ“再生産”されるのは使用価値のみです──のです。
マルクスはもう少し後ろの箇所でこう述べています。

・「価値は、価値章表でのたんに象徴的なその表示を別にすれば、ある使用価値、ある物のうちにしか存在しない。(……)@
だから、使用価値がなくなってしまえば、価値もなくなってしまう。@
生産手段は、その使用価値を失うのと同時にその価値をも失うのではない。というのは、生産手段が労働過程を通ってその使用価値の元の姿を失うのは、実は、ただ生産物において別の使用価値の姿を得るためでしかないからである。@
しかし、価値にとっては、何らかの使用価値のうちに存在するということは重要であるが、どんな使用価値のうちに存在するかは、商品の変態が示しているように、どうでもよいのである。@
このことからも明らかなように、労働過程で価値が生産手段から生産物に移るのは、ただ、生産手段がその独立の使用価値と一緒にその交換価値をも失う限りでのことである。生産手段は、ただ生産手段として失う価値を生産物に移すだけである。@
しかし、労働過程のいろいろな対象的要因は、この点ではそれぞれ事情を異にしている。」(同、265)

以下は次回とさせてもらいます。
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