仙人しゃちョォのブログ

伝統工芸はにのつぎ。超越したところに話題。

2001年のアーリー

2006-06-08 10:46:23 | 折坂育志さんとアーリー
 古い写真を探しました。
 2001年に、相互介護村についての会合を催した時のものです。
100km範囲に住む友人をお招きしての会合に、折坂さんも喜んで参加くださいました。 暖かい秋のこと、アーリーの体毛が縁側に抜け落ちて、掃除させてもらったのを覚えています。

福祉大学の、うえだせんせい

2006-06-06 06:56:05 | 折坂育志さんとアーリー
 ここへ、上田先生繋がりの方、コメントください。

 ご両親はもとより、ご兄弟は、彼の実績をあまりよくご存知ではありません。 いくちゃんは、あまり自慢しない人でしたから。 そのことで、残されたご両親の大きな心の穴が、少しでも塞がれることを祈ります。 当然、ご兄弟の発奮材料や、係わった人々の深い気付きも循環するでしょう。

相互介護村 と、折坂さん

2006-06-05 20:28:52 | 折坂育志さんとアーリー
 もう3年がくるかしら。
 糖尿もちで、盲導犬連れで800kmの旅である。 行き先は滋賀県。 彼と意気投合していた『相互介護むら』で流通させるべき、地域通貨を学びに行ったのだ。

 今から思えば、私は無謀な提案をしてしまったのかもしれない。 でも何度か彼に頭を下げると、「行きたいから行った」と意に介さない返事。 ・・・ 私はおまけにひどいことをしたのだ。 帰りの電車のホーム。 二人で待っていると2歳くらいの赤ちゃんがアーリーちゃんに絡んできた。 とってもいい雰囲気に、私はカメラを構えて、何枚かの写真撮影に没頭。 ・・・そこへ列車がホームに滑ってくる。 いいシャッターチャンスに、思わずカメラアングルに熱中。 我に返ると掲示板には乗り遅れてはいけない列車。 とっさに、赤ちゃんと母親に別れを告げ、アーリーと折坂さんを列車に招く。 こけそうになった。 目が見えない人に断崖からつき落とすような不安な目に遭ったろうに、、、。


 それでも、折坂さんは折に触れて、私を励ますのだ。 かれの親に、いくちゃんの老後を心配かけないために、私の『相互介護村』へ一つになろうとしたいくちゃん。  でもその相互介護村は、いまだ、構想途上なのだ。

いくちゃんとの出会い

2006-06-03 12:56:51 | 折坂育志さんとアーリー
 それは、障害を持った方々へのパソコン支援がきっかけだった。
 本業の社会貢献を模索して居るうちに、パソコンボランティアに合流。 実際に九州の長光園という施設へ3人で訪問。
パソコンボランティア・マッチ棒
これを皮切りに、視覚障害者に熱意旺盛な折坂さんとの出会い。 かれは全国で始めての快挙を成し遂げた。 病院の透析室に日本で始めて盲導犬を許可されたのだ。 その熱意を、視覚障害者のパソコン支援という形で集団が結成。
しょうがい者は、健常者のような生活は出来ない。 ただ、折れかけたマッチ棒でも、指を添えれば充分役目を果たせる。

 この長光園の園長さんの言葉を借りて始まったぱそぼらマッチ棒は、誰もなしえないくらいの大勢の視覚の不自由な方々へのインターネット環境を紡いでいかれたのである。 ・・・・・ 続く


次回は、相互介護村 と折坂さん、そしてアーリーちゃん。

1999年 パソボラマッチ棒設立

2006-06-01 14:15:24 | 折坂育志さんとアーリー
 1999年6月。視覚障がい者向けのパソコン支援ボランティアが発足。
その名をパソボラマッチ棒!

 CANPLAZAさんのホームページ
http://www.fuchu.or.jp/~canplaza/psvc99/psvc1999.htm

 ハンディーを持った人へ社会参加の道を開く道具としてパソコンを活用する道を探る中から、自然発生的に沸き上がった物です。・・・佐賀から2年・・・東京でPSVカンファレンスに参加したGIKOさん、CANPLAZAさんが帰郷後、ハンディーを持った人への専用機器展示から、やっと使える段階が来た感を強くされたようです。 いかにしたらあたたかい温度を伝えられるか・・・それがPSV・まっちぼー です。

 マッチ棒の由来・・・ CANPLAZAさんが親しくされていた佐賀県の長光園の園長さん。 この施設で、障がいを持った方が、年賀状作製を上手に取り組まれているのを視察。 当日、パソコン講座を経て、園長さんの談話。
 『障がいをもった方は折れかけたマッチ棒。 でも、うまく手を添えればちゃんと火をつけることが出来る』

四人と一匹

2006-04-14 18:12:13 | 折坂育志さんとアーリー
 4ねんまえでしたか。
四人と一匹で、地域通貨のミニ勉強会。
桜が咲いていました。 こころのなか、にですけど。

 私以上に、彼の老後は、無いかもしれない位真剣。
透析で、余命は保障されていないのだ。 でも、親兄弟に迷惑をかけないために、理想の老後『相互介護村』で流通させる、地域通貨を勉強。 この、折坂さんの強く諦めない心を皆で受け継いでいかなければなりません。

2001年のアーリー 3

2006-04-08 11:09:58 | 折坂育志さんとアーリー
 折坂さん送迎の車中での一こま。 軽四輪でのお迎え。
 そのころは、我が娘も、私のイベントについてきてくれました。 今にして思えば、「点数採りではないけれど、優秀ではないけれど、リーダーシップの解る子」は、こんな、些細な親子の暮らしから伝わるのかと感じます。