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ぼくらの”1967”

10月になった。朝夕は、さすがに涼しくなり、長袖シャツが欲しいくらいだ。9月中は、板の床で「ごろ寝」をして来たが、もう出来ない。下手をすれば風邪を引く。健康のための「ごろ寝」だから、10月からはやめようと思う。畑の秋野菜もげんきんだ。涼しくなったら、途端に成長が早くなった。自然は、自然の法則に従って、確実に推移していく。

社会や世相も、時代の変遷に伴って知らぬ間に大きな変化を遂げている。「豊田市郷土資料館」で、昨日から「ぼくらの”1967”」と言う展示が始まった。郷土資料館は車で15分の場所だ。1967年と言えば、今から丁度50年前だ。私は、35歳。「10年ひと昔」とすれば、それを5回繰り返す長さだ。その50年前の豊田市がどのようであったか、「写真パネル」とか生活道具などで示そうと言うのだ。

私のような懐古趣味の人は、きっと多くいるだろうと想像したが、案に相違して、見学者はそんなに多くはなかった。展示初日と言うこともあっただろう。しかし、館員とかボランティアの「歴史マイスター」の人とかが、色々説明してくれ、貴重な知識を得たように思う。







写真は黒白が多くて不鮮明だが、当時の駅前通は、結構、賑わっていたらしい。下は現在の姿だ。高層ビルが立ち並んでいる。





「車の街」だから自動車の展示は欠かせない。これは「初代カローラ」、「走行距離」は56万キロ、48年間乗り続け、現在も現役だとか。



「東京オリンピックを契機として、日本は著しい経済発展を遂げるが、「衣・食・住」に於いても大きな変化をして行く。







女性の衣服の裾が「ミニ」になり、電化製品が出回り、炊飯器とか洗濯機とかが、何処の家庭でも使われるようになった時代だった。趣味、娯楽面でも豊かになって行った。







カメラはカラーフィルムとなり、テレビもカラー化、大型化して行く。ステレオも珍しくなくなる。社会が豊かになって行く反面、車の増加で「交通事故」も多発するようになった。特に「猿投ダンプ事故」は、我家の近くで起きた大事故で、我家の子供たちも危うく事故に遭うところだった。1966年12月15日、午前8時50分ごろ、悲惨な事故が起きた。私はそのときの衝撃を今でもはっきり思い出す。





交通機関も大きく変わった。名鉄電車やバス。駅前風景など、当時を知るものには、懐かしいの一言だ。





豊田市駅と名鉄バス。今では「おいでんバス」が発着している。豊田市駅構内の「西中金行き」の電車、今は猿投駅までだ。足助への便が悪くなった。しかし、多くが高架式になり、踏切が大幅に減った。50年の歳月は無駄には流れていない。

コメント一覧

shuttle
http://happy.ap.teacup.com/shuttle/
youshowさん

日産は「ブルーバード」トヨタは「カローラ」が、評判でした。新し物が好きな私は、トヨタの車は、何種類か乗りました。最後は「プリウス」でしたが、類焼に遭ってからは、孫に譲り、今は「ャ泣e」です。ステレオも早くから聴いていました。4k大型テレビも楽しんでいます。但し、スマホは、操作できないので持っていません。
shuttle
http://happy.ap.teacup.com/shuttle/
わいわいさん

わいわいさんも土曜日にお出鰍ッでしたか。素晴らしい展示が多かったですね。館員さんやマイスターさんの説明も、お聞きになりましたか。私は当時、東高の教員で、猿投事故の際には、同僚達が、大変心配してくれました。上が小学校生になり、下はまだ保育園に通っていなかった時でした。しかし、内の知人達のお子さんは数人が犠牲となりました。お気の毒でしたねえ。
わいわい
先週の土曜日に、たまたま友人に誘われて、「ぼくらの1967年」展に
行って来ましたが、当時の写真パネルや展示物を見た時、50年前にタイム
スリップしたような懐かしさを感じました。同時に、結婚7年目で二人の
子供に恵まれ、35歳の働き盛りの企業戦士だった当時の思い出が、走馬灯の
ように脳裏に浮かびました。
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