「本居宣長」の時代から、「お医者様で文学者」と言う人は多い。特に、近代に入ってからは、森鴎外とか斉藤茂吉、その息子の北杜夫など特に有名だ。渡辺氏は「毀誉褒貶」の差が著しい点でも、世上を賑わした。実は、私なども、最初の頃は、「この作家は、ただものではない」と言う敬意の念を持っていた。経歴とか、発言が広く知られるに及んで、何か、少し可笑しい人ではないかと、考えるようになった。
年甲斐もなく「性愛」について語り過ぎると言う感じなのだ。例の大評判になった「失楽園」は、映画やテレビで、映像化された。男性も女性も、通常の感覚を突き破った物語は、確かに話題性には富んでいただろうが、世間の顰蹙も買ったのだ。勿論、私も読んだし、テレビも見た。しかし、余り良い印象は持っていない。
だから、逆に、渡辺氏が、こう言う傾向で世間を賑わすことには、寧ろ「お気の毒な」と言う気持ちだった。この作家は、本当は、優しく、細やかな神経をお持ちの人物なのに、と言うわけだ。私は、全く渡辺氏を知らない時に、「公園通りの午後」と言う文庫本を手にした。なかの「少女の死」を読んだ時の感動は強烈だった。重病で入院していた少女は、診察する医師に「私は死なないよね」と繰り返し念を押し、「退院したら、こうしたい、ああしたい」と夢を語り続ける話だった。死ぬ病気を分かっている医師は、「死なせない、必ず治す」と励まし続ける。しかし、少女は死に、遺体が運び去られたベッドには、小さな窪みが残っていた、と言う話だ。
実際、渡辺氏は、こうした情景をよく目にしたに違いない。将来を夢見ながら、この世を去っていかねばならない若い人への深い同情が読み取れる。当時、病気入院していた娘と重なった部分があったのかも知れない。お医者さんへの敬意は、深くなった。お医者さんが、医業、治療だけでなく、広く病気の実態、入院の患者の気持ち、家族の思いなどを作品化してくれたら、どんなにか心慰むことだろう。そう言う点から、私は医師や看護師の書いた作品をよく読むようになった。渡辺氏の小説では、その後も「麻酔」を扱った作品を読んだりしたが題名は忘れた。
渡辺氏の作品は、たくさん読んだ気がするが、特に強く覚えているのは「与謝野晶子」を扱った「君も雛罌粟(コクリコ)、我も雛罌粟」と言う伝記小説だ。情熱の歌人、与謝野晶子は、歌の師である与謝野鉄幹に恋をし、妻の座を本妻から奪う。その一連の恋心を『乱れ髪』という歌集に著して、夫鉄幹以上の好評を博した。鉄幹がフランスに留学した際には、夫を慕って、自身も遥遥フランスまで出鰍ッている。現在と違って「フランスへ行きたしと思へどフランスは余りに遠し」と歌われた時代だ。晶子は、シベリヤ経由の鉄道で旅したはずである。
何日か経過して、フランスのパリに立った晶子は「ああ皐月 フランスの野は 火の色す 君も雛罌粟、我も雛罌粟』と詠んだ。フランスのマルセイユ港から帰国の途につくまでの4か月間、与謝野夫婦は、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、オランダなどを訪れた。この間のことを、私は、渡辺氏の伝記小説から学んだのだ。渡辺淳一氏は、単なる「性愛」賛美者ではなく、純粋に男女間の恋愛を扱う作者だったと信じたい。
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