■ 2024年09月07日 藤原秀郷由縁の神社
アクティブシニアのWeb&折込情報誌「ヒビコレうつのみや」をカミさんが手に入れてきて、藤原秀郷由縁の神社の中で行ったことのなかった、藤原秀郷公墳墓と倉掛神社を訪ねました。
藤原秀郷は、940年現在の関東地方、坂東を制圧し、自らを新星と称して朝廷反乱軍となった平将門を天皇の命により倒し、乱(平将門の乱・承平天慶の乱)を治めた功績から下野・武蔵の両国司、従四位下の階位に昇り部門の頂点である鎮守府将軍となった。その強さは「宇都宮の百目鬼退治」に「近江の大百足退治」などおとぎ話として語り継がれている。
秀郷由縁の神社としては、今回訪れた地のほかに、宇都宮二荒山神社(宇都宮市)、唐澤山神社(佐野市)、磯山弁財天(佐野市)、須賀神社(小山市)がある。
▼ 藤原秀郷公墳墓・・・直径24m、高さ3mの円墳。藤原秀郷は上野の国(群馬県)赤岩に生まれた。天慶3年(940)、朝廷に背き乱を起こした平将門を平貞盛と協力して討ちとった。その戦功により従四位下に叙せられ、武蔵(東京都、埼玉県)、下野(栃木県)の国守に任じられた。正歴2年(991)没し、ここに葬られたと伝わる(説明板より抜粋)。
▼ 倉掛神社・・・秀郷の子孫であり佐野市の祖・戸矢子が祀られる
▼ 鞍掛神社本殿の彫刻・・・秀郷公の武勇と竜宮で賜った宝を伝える「俵藤太物語」の名場面
【参考】
1、情報誌「ヒビコレうつのみや」