■ 2023年08月19日 岩船山高勝寺
栃木県栃木市岩舟町にある「岩船山高勝寺」を訪れました。以前、太平山から岩船駅まで歩いた時に立ち寄らなかった岩船山、みかも山まで来たので立ち寄ってみました。参拝者用駐車場に車を置き、約600段ある参道の階段を上った先に高勝寺がありました。境内をよく見ると参拝者用の駐車場もあり車で来れることがわかってちょっと後悔、ここまで来るだけで汗だくになりました。
▼ 岩船山高勝寺参道入口
▼ 岩船山周辺案内図・・・これを見ると高勝寺へは歩いていくしかないように思える
▼ 参道の階段
▼ 参道途中にある地蔵堂・・・鳥取の大山の修行僧である弘誓坊明願は生きた地蔵様を拝みたいと大山よりはるばる岩船に来た。山腹のこの地に草庵があった。来意を話すと、主の伊賀坊は心良く泊めた。止宿の間に、この主こそ姿を変えて衆生済度する生身の地蔵であることを知る。明願は大願を成就したので帰郷、再度訪れ堂を建てて当山に留まった。開山と生身地蔵の結縁の地である(石碑碑文より抜粋)。
ここからまだ参道の階段が続く!
▼ 山門(仁王門)
▼ 山門手前にある「岩船山高勝寺」案内板・・・宝亀8年’775)第49代光仁天皇の御代伯州大山の僧弘誓坊明願によって、開山された岩船山に関東の高野山日本三尊の第一霊場といわれている。先住民族の間に高い岩肌の出た山に霊魂が集まり、死ぬと霊はこの山へ登るという信仰があった。岩船山は、死者の集まる所、霊魂の集まる所として民俗学的に非常に貴重な山である。岩船山とは山全体が一艘の船の形をしており、子供の霊を供養する所である。また位牌がなまって岩船をなったともいわれている。本尊は子育子授地蔵としても有名であり、徳川四代将軍は岩船地蔵の申し子といわれている。享保年間に諸堂の大改修が行われ、寛延4年(1751)に三重の塔が建立された(説明板より抜粋)。
▼ 岩船山高勝寺の大仏・・・高勝寺では正徳3年(1713)から大規模な寺院建築のために、岩船地蔵を各地に立てるなどの積極的な布教活動が行われました。このことにより岩船山の名声は一層高まり、多くの民衆の力によりお堂や塔などが完成しました。大仏や灯籠はこの活動がきっかけになって建てられたものと考えられます。大仏は享保9年(1726)に、佐野天明鋳物師丸山善太郎毎昭によってつくられました(説明板より抜粋)。
▼ 本堂
▼ 本堂前に座する賓頭盧尊者
▼ 奥の院への道
▼ 奥の院
▼ 孫太郎??には烏天狗が祀られている
▼ ??に祀られているのは石塔
▼ 三重の塔
▼ 境内のトイレ横に咲く「ナツスイレン」
▼ 参道の階段(下り)・・・写真中央の電柱の所が地蔵堂
▼ 参拝者用駐車場から見た岩船山
【参考】
1、岩船山高勝寺