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還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

会津東山温泉泊会津若松観光

■ 2021年06月18日~19日 会津東山温泉泊会津若松観光

福島県会津若松市を訪れました。18日の移動は午後からだったので予約してある会津若松市にある会津東山温泉 原瀧へ直行しました。

翌19日は朝から雨が降り続くあいにくの天候でしたが飯盛山の白虎隊自刃の地、さざえ堂、戸ノ口堰洞穴を見学しました。見学後、昨晩の夕食で飲んだ宮泉酒造の写楽を購入しようと、宮泉酒造(http://www.miyaizumi.co.jp/index.html)へ立ち寄りましたが、「写楽」は卸販売のみということでここでは購入できず、代わりに「会津宮泉 純米吟醸」を購入しました。

その後、昼食をどこで頂こうかと考えた結果、会津若松ならラーメンとソースかつ丼だろうということでスマホ検索で鶴ヶ城からほど近いところにある「らぁ麺 まえ田」を訪れ、ソースかつ丼セットと餃子を頂きました。


■ 飯盛山

飯盛山は会津若松市の中心部から少し東側にある標高314mの山で、白虎隊の自刃の地として知られている。JR会津若松駅前の通りを真っ直ぐ進むと正面井に見えてきます。車で訪れたので、無料の市営飯盛山観光客専用駐車場を利用し、ここから歩いて飯盛山を観光しました。

▼ 飯盛山参道・・・階段が続きますが、階段横には「飯盛山スロープコンベア」もありました。

▼ ローマ市寄贈の碑・・・昭和3年(1928)、白虎隊精神に感銘を受けたローマ市より贈られた記念碑

▼ 白虎隊自刃地趾

▼ 白虎隊士像が望む方向に見える景色・・・鶴ヶ城

▼ 白虎隊自刃者中ただ一人蘇生した飯沼貞吉翁の墓・・・白虎隊自刃地趾に行く途中にあります。

飯沼貞吉(のち貞雄)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、後に逓信省の技師となり、わが国の通信事業に多大な貢献を果たし、昭和6年(1931)仙台市で78歳の生涯を閉じました。戊辰戦役90年祭が行われた昭和32年(1957)、多くの友が眠るこの地に遺髪などが移され、墓碑と顕彰碑が建てられました(案内板より抜粋)。

▼ 白虎隊自刃者19名の墓・・・慶応4年(1868)8月23日(新暦10月8日)、飯盛山で自刃した士中白虎隊二番隊19名の墓。隊士の遺骸は、西軍により手を付けることが禁じられていましたが、村人により密かにこの近くの妙国寺に運ばれて仮埋葬され、後にこの地に改葬されました(案内板より抜粋)。

▼ 松平容保公弔歌の碑・・・戊辰戦争(1868)で自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し、第9代藩主松平容保公が詠んだ弔歌の碑「幾人の涙は石にそそぐとも その名は世々に朽ちじとぞ思う」


■ さざえ堂・・・寛政8年(1796)郁堂和尚が考案建立したもので六角3層高さ約16m、昇降別々のらせん形通路により階段がなく一方通行で上下するという日本唯一、世界でも例のない名建築とされている。

▼ さざえ堂サイドビュー・・・らせん形がよくわかります。

▼ 入口・・・出口は反対側

▼ 上り通路

▼ 上りから下りへ

▼ 下り通路


■ 戸ノ口堰洞穴・・・猪苗代北西岸の戸ノ口から会津盆地へ水を引く用水堰で全長31kmに及ぶ。慶応4年(1868)の戊辰戦争時、戸ノ口原で敗れた白虎隊士20名が潜って逃れた洞穴。


■ 会津東山温泉 原瀧(https://www.yumeguri.co.jp/)

お風呂から施設の横を流れる湯川のの滝が見え、対岸の渓谷美を見ながらの食事、湯川のせせらぎを聞きながらくつろげる客室等、日頃の疲れを癒す空間を備えたとても良いところでした。

▼ 夕食

▼ 朝食


■ 昼食訪れた「らぁ麺 まえ田」・・・ソースかつ丼セットと餃子を頂きました。


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