マンローは縄文・弥生という時代区分を用いずに、先史時代の日本を描き分けています。
それは日本の先史時代をメソポタミア、アジア北部回廊、中国古代王朝、朝鮮半島と一貫した変化として捉えるために非常に重要な視点を提供しています。
そしてこの世代交代の重要な指標として「ドルメン文化」の考えを突き出しています。しかしながらこの考えはうまくなかったと思います。理由は西欧のドルメンとインドのドルメン、遼河文明、朝鮮の北方式と南方式はそれぞれが起原も発送も異なっているからです。少なくとも朝鮮の北方式と南方式は分けて考えるべきでしょう。

ただマンローがとくに朝鮮半島の南方式(支石墓)を重視したのは大事なポイントです。
マンローは支石墓文化の世界的な共通点として、青銅器時代=鉄器時代の前夜という歴史段階を考えました。それは石器時代と鉄器時代という人類史の二段階の短い移行期であり、とりわけ東アジアでは短縮され、一つの時代としては認識し得ないほど短い場合もあるが、必ず通らなければならないステップだとかんがえたようです。

そしてその考古学的特徴を列挙し、これを先史時代と歴史時代の分岐点として、日本の歴史を考えるよう進めました。
ともすれば陶器の文化、木の文化、稲の文化に目を奪われがちな我々にとって、この世界史的な視点はぜひとも心すべきことです。

この教えは引き継ぐべきではないでしょうか。