鈴木頌の「なんでも年表」

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近代開始期におけるスコットランドの意味

2020-08-30 17:07:16 | 世界 イギリス
近代開始期におけるスコットランドの意味

 

実は「医師マンロー伝」を執筆中であるが、多分挫折するだろうと、密かに思っている。

 

その理由は近代開始期よりマンローの出現に至るまでのスコットランドが、なにか宝の山でもあるかのように多くの頭脳を生み出しているからだ。
それに気を取られていると、肝心のマンローの話がちっとも進んでいかない。

 

スコットランドの歴史への登場、それはまずスミスとスコットランド派の経済学者の著作から始まった。それはスチュアート・ミルの登場をもっていったん終了するのであるが、それはエジンバラ大学医学部の系譜へとつながっていく。

 

すなわちチャールズ・ダーウィン、コナン・ドイル、そして我らがドクター・マンローである。

 

イギリスの中でも決して先進地域とは言えないスコットランド、政治・経済的にはイングランドの後塵を拝していたスコットランドが、なぜ今も光り輝くような経済学の古典を生み出したのか、おそらくその精神がエジンバラ医学の骨格を提供しているのではないか。

一応、ウィキから経済的背景をレビューしてみた。

1688年の名誉革命によって、スコットランドはインの支配下に入った。人口で5倍、経済力で38倍の差があった。

1707年 スコットランドはイングランド王国と合同して、グレートブリテンを形成。

それまでスコットランドの伝統的な味方はイングランドではなくフランスだった。知識人は行動の指針をフランスの啓蒙主義に求めた。

1745年 旧王の勢力がスコットランドで反乱。一時はロンドンの北200キロのダービーまで迫る。ジャコバイトの反乱と呼ばれる。
このあとタータンとキルト、バグ・パイプの使用が禁止された。

1760年以降 ヨーロッパの辺境から産業革命の中心地へと変身していく。

製糸や石炭鉱業が盛んになる。ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関車は産業革命の中心となる。

スコットランドが経済成長の中心となった理由。
大学・図書館が整備されたこと。
農牧地の囲い込みが大規模に行われ、都市に豊富な労働力をもたらしたこと。
人件費がイングランドより圧倒的に安かったこと。
があげられている(ウィキ)

18世紀スコットランドの学問状況

 

これは膨大な作業になるだろうと思い、つい怯み続けてきた。

 

このたび、インターネットで下記の論文に出会い、議論のヒントが多少見えてきた気がする。
とりあえず、読書ノートとしてアップしておく。

 

 

出だしの部分は快調なので、そのまま引用させていただく。
十八世紀後半期をもって経済学史上の最も決定的な画期のひとつと見ることができる。
ケネー『経済表範式』(1767)、ジェイムズ・ステュアート『経済の原理』(1767)、アダム・スミス『国富論』(1776)という3つの巨大な経済学体系が、その象徴として聳え立ったからである。
この内、後ろの二つは経済的に後進国であり、政治的にイングランドに従属していたスコットランドの作り上げたものである。
これら「スコットランド歴史学派」は、一つの謎である。
田添が考えるには、

 

イングランドは、直面する経済・社会問題を次々に認識し、その場その場で対策を樹ててきた。

 

だがそれでは体系的経済学を発想することさえできない。スミスはそれを「学問研究を全く放棄してしまった」と批判した。

 

一方、後発のスコットランドは切羽詰った位置に置かれていた。イングランドやフランスのような先進経済に飲み込まれまいとすれば、それに追いつき追いこすことが至上命題であった。

 

そのためには両国が歩んだコースをたどり、それをセオリー化し、市民社会の形成地図を描き出すこと以外になかった。

 

このようにして諸範疇を検出し編成する、つまり体系をつくり出すことがスコットランドの使命だったのである。

 

スチュアートとスミスとマルクス

 

ここは下世話な話も交えて大変楽しいところであるが、本筋から外れるので省略する。

 

ごく荒っぽく紹介しておくとスチュアートの著作は歴史的、発生的議論を踏まえておるので大変説得力があるのだが、スミスは彼の議論の曖昧さをついて、要するに重箱の隅をほじくり、取れる揚げ足を取りきってスチュアートを投げ捨てるのに成功した。

 

その経過を知ったマルクスはスチュアートの歴史的論理を用いてスミスを批判するのだが、結果的には勝手な解釈で議論を混乱させ、しかもなおかつスミスを批判しきれていない、という惨めな状況に陥っている、というのが田添さんの議論のようだ。


スチュアートと「超過利潤」論

 

田添はスチュアートの理論の内実にも踏み込んでいる。

 

ステュアートは生産過程を流通から把握するという観点を貫き、利潤範疇に対する内在的な考究を進めた。こうして利潤が流通過程から発生するだけではなく、生産過程にすでに基礎をもつことを明らかにした。

 

さらにその事をもって、生産過程を中核として近代市民社会が形成される過程を解き明かした。これは重商主義的理解にとどまっていたスミスを凌駕するものである。

 

スチュアートは有効需要を社会的な発展の原動力として把握した。ステュアートにあっては、賃金が生活資料の価値を規制している。

 

スチュアートとニュートン

 

エディンバラ学派については簡単に触れれれているに過ぎない。

 

ステュアートが学んだエディンバラ大学では18世紀中頃に教育改革が進められた。「新哲学」としてニュートン理論が導入され、それに基づいて教育体系の刷新が進められた。

 

こうした変革の風はステュアートに強い影響を及ぼした。実証的な歴史過程をふまえた理論的考察が何よりも重視されるようになった。

 

これ以上については不明である。ニュートンとスコットランド学派については別途検討して見る必要がある。

 

しかしそれにしても、ここまでふくめて医師マンローを描き出すのはなかなかに大変である。


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