鈴木頌の「なんでも年表」

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ハプロN人 雑感

2021-03-17 17:37:57 | マンロー
ウィキのハプログループN (Y染色体)に関する記載は承服しがたいものがあるが、一応そのまま紹介する。

 

Y染色体のハプログループNは、NOグループを親系とし、ハプログループOとは4万年前に分岐した。

 

そしてユーラシア北部、さらにはシベリアを横断して北欧まで分布を広げている。

 

現在はユーラシアの極北地帯に分布しているが、これは後から入ってきた人種に圧迫されたためかもしれない。

 

分布は広範で他系人との混交が目立つ。特に注目されるのが遼河文明の遺跡人骨でN1が60%以上の高頻度で見つかっている。

 

対となるミトコンドリアDNAハプログループはZ系統である。



次が「知識探偵クエビコ」というかなり専門的なサイト

 

1.南シベリアのミトコンドリアDNA

記事の前半はC2人の話で、とりあえず飛ばしておく。その次がR人の話で、印欧族と対応するらしい。これも飛ばしていく。

 

次の話題が、私のテーマと関係ありそうだ。

 

バイカル湖・アルタイ山脈近くの南シベリアの遺伝子データはY染色体については不足しているので、ミトコンドリアDNAで議論する。

 

この地域のミトコンドリアは、最初の頃あまり東方要素が強くなく、紀元前1500年あたりから東方要素が増えてくる。

2.C1 人はクロマニヨン人より古い

 

もう一つ、これはC1人に関する話題で、

 

C1b系統はオーストラリアにも相当に早い時期に到達していた。C1a系統もヨーロッパの西の端にいて日本にいて、実はアフリカのベルベル人でも見つかってる。二つ合わせたC1系統は、クロマニヨンより古い時代に、かなり世界に拡がってたようだ。

3.ヨーロッパ(マジャールとフィンランド)に広がったN人

 

そして3つ目がヨーロッパのN人だ。

 

鉄器時代になってすぐの時代、ハンガリーにN人が現れる。ハンガリー語もウラル語族で、マジャール人も元はウラル山脈あたりにいたと言います。フィンランドはNが過半数を超える国です。

4.ウィキペディアの批判

 

こ之人、ついでに「ウィキペディアのNの項目」も、遼河文明論に関連して批判しています。

 

Nは日本の周囲のどこを見ても日本よりは高頻度で、普通に各種渡来民にその頻度で含まれていた可能性があります。


こ之ブログはかなり読み応えがあります。N人は極東に遼河文明を築き、西方ではハンガリーやフィンランドまで進出したという、大変行動範囲の広い種族だったようです。多分遊牧民族だったのでしょう。農民ではないからあまり土地には執着しないようです。
移動の手段、交通の手段、異民族との接触、交易の知識等には長けていたはずなので、その木になれば戦争には強かったでしょうが、極度に自然に左右される生活なので、人口=国力の強化維持には弱点を持っていたと思います。
その結果各地で文明が開花するに従い、辺境へと追いやられる結果になっていったのではないでしょうか。








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