吹く風ネット

たまに聴いてみたくなる懐かしい声

 毎日でもその歌を聴いてみたいというほどでもないのだが、たまに聴いてみたくなる懐かしい声がある。ぼくの場合、それはボブ・ディランだ。
 とりわけて曲がいいとは思わない。詩は何を言っているのか、さっぱりわからない。肝心の彼の歌声はというと、決して洗練されたものではない。どちらかというと野暮ったい。しかし、その野暮ったさが味となっている。時に優しく、時に怒っているように聞こえる彼の歌は、時にぼくの心をいやしてくれる。

 ぼくがボブ・ディランを知ったのは中学3年の時で、あのガロの歌った『学生街の喫茶店』を聴いてからだった。「ボブ・ディランとは何者?」という疑問を抱いたが、ぼくの周りにはボブ・ディランのことを知っている者はいなかった。ぼくとしても、それほど興味を持ったわけではなかった。

 ところが高校に入ってから事情が変わってくる。
 高校1年の時、『たくろうオンステージ第2集』というアルバムを聴いた時、なぜか引っかかるものがあった。そのアルバムのトップに『準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響』という歌があるのだが、そのメロディはボブ・ディランの『ハッティ・キャロルの寂しい死』だと拓郎が言っていた。またその歌の歌詞の中に“その頃ぼくはボブ・ディランを知った”というフレーズが出てくる。
「ボブ・ディラン? そういえば前にも聞いたことがある名前だ。いったいどんな人なんだろう?」
 この時初めて、ボブ・ディランという名前に興味を持った。

 さっそくぼくはレコード屋に走った。そのレコード屋にはそれほど多くディランのLPを置いてなかったのだが、それでも拓郎の言っていた『ハッティ・キャロルの寂しい死』の入ったアルバムはあった。『時代は変わる』というアルバムだった。ジャケットはモノクロで、一人の疲れたおっさんが写っている。

「これがボブ・ディラン? ガロや拓郎はこんなおっさんに夢中になっていたのか」
 そう思いつつ、ぼくはそのレコードを買った。

 家に帰り、レコードに針を落としてみた。
「何だ、この声は!?」
 これがディランの歌を初めて聴いた時の、ぼくの第一印象だ。
 アルバム全体を覆うけだるさ。どちらかというと暗い曲調。
 はっきり言って何も感動しなかった。こんなレコード買わなければよかったとも思った。

 次の日、何となくまたそのアルバムを聴いてみた。その日は2度聴いた。しかし、やはり何も感動しない。相変わらず「こんなののどこがいいんだろう」と思っていた。

 ところが、レコードを買って3日目の朝のこと。無性にディランが聴きたくなったのだ。
 さっそく、レコードをかけた。それまで、けだるいとか暗いとか思っていた歌が、やけに新鮮に聞こえる。耳障りなディランの声も、その日は心地よいものに思えた。ディランの何かに触れた瞬間だった。

 あれから50年経つ。
 その間、あのアルバムのおっさんはやはりディランで、ただ写真写りでああなっただけだというのが判明した。実際のディランは、もっとかっこいいこともわかった。
 ディランに、かなり入れ込んだ時期もある。そのファッションを真似たこともある。コンサートを見に行ったこともある。そして今、ぼくにとってのディランは、「たまに聴いてみたくなる懐かしい声」だ。
 ということで、昨日は「たまに聴いてみたくなった」ので、ディランを聴いた。

 最近、高校の頃に触れた「ディランの何か」について考えることがよくある。あれはいったい何だったのだろう。
 相変わらず疑問は解決しないが、一つだけわかったことがある。それは、あの時ぼくの耳がディランの声に慣れた、ということだ。
 まあ、それはそうだろう。もし慣れていなかったら、「たまに聴いてみたくなる懐かしい声」などとは言わないだろうから。

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