高校に入ってから、その日の丸や額が、吉田拓郎やボブ・ディランのポスターに替わったわけだが、べつに拓郎やディランが尊敬する人というわけではなかった。そういう人たちの反戦歌を聴いたり歌ったりしながらも、尊敬するのは、相変わらず東郷元帥だった。
高1の夏休みに東京に行った際には、明治神宮を参拝したあと、ちゃんと東郷神社にお参りし、御守りを買っている。
東郷神社というのはこちら福岡にもあって、日本海海戦の戦場が一望できる山の上に建っているが、ここにも一度お参りしている。歴史を知れば知るほど、あの戦いがどれだけ重要なものだったのかがわかってきた。それでさらに尊敬の度合いが強くなったわけだ。
中学の頃だったが、クラスで尊敬する人というのが話題になったことがある。ぼくは、もちろん東郷平八郎の名前をあげた。他の人も、それぞれに尊敬する人をあげていた。ところが、中に「何で親を尊敬しないんだ?」と意見する人がいた。
「親がいなかったら、生まれてこなかったわけでしょ?親を尊敬せんで誰を尊敬するんね?」
「あんたの言い方だと、親以外尊敬したらいけんということになるやん。それなら最初から尊敬する人などという言葉なんかいらんやろ」
「だから親を尊敬しとけばいいやん」
「それじゃノーベル賞は取れんやろ」
「何で?」
「親を尊敬するということは、親を目標にするということやん」
「親を尊敬してもノーベル賞は取れるよ」
「ふーん、じゃああんたの親はノーベル賞を取るくらい偉い人なんやね。立派、立派」
その後、「お前は素行が悪い」「おまえの方が悪い」と互いのけなしあいになってしまい、わけのわからないまま議論は終わってしまった。
今だったら、「価値観の違い」という言葉一つで片付くのだが、当時は誰もそういう言い回しを知らなかった。というか、まだ個性だの価値観だのいう時代ではなかったのだ。
コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

しんた

さくらもち
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 日記(825)
- もう一つの日記(1)
- ぶるうす(254)
- 思い出(28)
- 過去の日記(182)
- 言葉をつま弾く(29)
- 詩風録(11)
- 街風景(0)
- 夢見録(0)
- 吟遊(0)
- 生活(3)
- 事件簿(0)
- 飲食ネタ(1)
- 頑張る40代!(0)
- 健康一番(3)
- 備忘録(0)
- ローカルな話(2)
- 聴き歩き(0)
- スポーツ(0)
- 仕事の話(3)
- HP・PC・携帯(0)
- 想い出の扉(4)
- 中学時代(0)
- 高校時代(0)
- 浪人時代(0)
- 東京時代(0)
- 旅行記(0)
- 吹く風録(0)
- 筋向かいの人たち(0)
- 嫁ブー(0)
- ヒロミちゃん(1)
- 甘栗ちゃん(0)
- タマコ(0)
- 酔っ払いブギ(16)
- 歌のおにいさん(0)
- たまに人生を語る(0)
- 延命十句観音経霊験記(0)
- 霊異記(1)
- 携帯写真館(0)
- 本・読書(0)
- 歳時記(0)
- テレビ・芸能(1)
- 動物録(3)
- 時事・歴史(0)
- がらけろく(27)
- しゃめがら(1)
- 自戒(1)
- モノラル(2)
- 入院日記(0)
- リライト(50)
- 履歴書(0)
バックナンバー
人気記事