『いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!』
に変えた。
この言葉のもととなった記事がこれだ。
仏教で言うところの『生老病死の苦』、これらは決して『苦』ではない。
ぼくにとっては、すべてネタなのである。
『生きる』ことと向かい合うことによって、ネタは生まれる。
『老い』を『笑い』と受け止めることによって、ネタは広がる。
『病』という得がたい経験は、すべてネタになる。
『死』は一生に一度しかない、貴重なネタ元だ。
これらを無駄にしてはならない。
これらを客観的に見ることによって、人生に余裕が出来るだろう。
またそのことが、ネタにつながる。
『生老病死』に悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。
ぼくにとっては、すべてネタなのである。
『生きる』ことと向かい合うことによって、ネタは生まれる。
『老い』を『笑い』と受け止めることによって、ネタは広がる。
『病』という得がたい経験は、すべてネタになる。
『死』は一生に一度しかない、貴重なネタ元だ。
これらを無駄にしてはならない。
これらを客観的に見ることによって、人生に余裕が出来るだろう。
またそのことが、ネタにつながる。
『生老病死』に悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう。
今のところ、ぼくはこの路線で進んでいる。
常に『老い』を『笑い』のネタとして扱っているし、一昨年脳梗塞で入院した時はその得がたい経験をネタにした。今回の自動車事故もネタにしている。そういうふうに出来るのは、すべて『生きる』ことと向かい合っているからだと思う。
さて、これからぼくは、母親を病院に連れて行かなければならない。これもネタにしようかな。