吹く風ネット

恋愛に勝者なし

朝焼けが差し込み 今日の運命を決める朝に
灰色がかった空に 薄く日が差す昼に
カラスが鳴き叫び こうもりが群がる夜に
君がほしい

みんなが美しいと言う花に そっぽを向く時
みんなが素晴らしいと言う 風に向かって歩く時
みんなが この時間がにせものだと思う時
君がほしい

 組み合った手は すべてを引きつけ
 その中に君がいることも たしかだろう
 君にすべてを向けたい だけど心は遠くに
 君がほしい 君がほしい 君がほしい
        「君がほしい」(1975・8・29)


 高校3年の時に作った詩だ。この頃、ぼくは恋をしていた。その人とは結ばれないと、本能的にはわかっていたのだが、それでも彼女に対する激しい感情は抑えることが出来なかった。その感情が、詩となり、歌になったのだった。
 結局、ぼくはその人のことを、高校1年の時から8年間思い続けた。途中、他に好きになった人がいないではないが、その人への想いには勝てなかった。
 不器用なぼくのことである。その人とは、もちろん片想いのままで終わった。終わったと自覚したのは、その人が結婚したというのを聞いた時だった。想っては諦め、諦めては想い、の8年間だった。

 その8年間の恋を、ぼくは次の詩で締めくくった。

悲しいのは今じゃない
思い出にこだわるぼくなんだ
気がついてみると君を忘れて
ただつまらぬ思い出に恋をして
        「思い出に恋をして」(1981)


 また、数年後、その8年間を振り返ってもみた。

今 君がどこにいて何をしてるかなんて
ぼくには関心ないことなんだよ
もっと大切なことは 君を心の中から
離したくない それだけなんだよ

 いつも、君はぼくの中にいる
 もっと、素敵な笑顔見せてくれ
 早く、もっと早くぼくの前に
 明るい風を吹かせてくれ、いいね

もう 時を急ぐことはない
ぼくは 時を超えているんだから
今 君がどんなに変わっていても
吹きすぎる風は ぼくにやさしい

 いつも、君はぼくの中にいる
 もっと、素敵な笑顔見せてくれ
 早く、もっと早くぼくの前に
 明るい風を吹かせてくれ、いいね
        「プラトニック」(1986)


 悲しいものだ。
「人に恋をするということは、病気になるということだ」と、ぼくはこの詩を書いた時につくづく思った。まあ、病気ではないにしろ、まともな精神状態でないことはたしかだ。
 片想いでさえ、こんなふうなのだから、相思相愛であったとしたら、かなり重症である。それは目を見たらわかる。何かトロンとしているものだ。自分を見失っている証拠だろう。

 以前、ある人に彼女の話をした時、
「結局、おまえは今のご主人に負けたんだな」と言われた。
 しかし、ぼくが好きだということが、その人にうまく伝わってないのに、「ご主人に負けた」もないものだ。

 そういえば、よく恋は勝ち取るものだと言うが、ぼくはそれは間違っていると思う。いったい何を基準に恋の成就と言うのだろう。セックスまで至ることが成就なのか?結婚に至ることが成就なのか?心中することが成就なのか?
 どうもはっきりしない。基準のはっきりしないものに、勝ち負けなんかあるはずないじゃないか。

 だいたい、病気の度合いを競って、何になると言うのだろう。どんなに深い恋でも、いつかは消え去ってしまうものだ。そんな一過性の病気のようなものに、優劣をつけること自体おかしい。つまり、恋愛に勝者なし、ということである。
 ぼくは恋愛の勝者を求めていたのかなあ。であれば、片想いより、そちらのほうが悲しい。

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