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■「餓鬼阿弥の道」公演記録上映 #小栗判官

2018年05月25日 10時00分00秒 | ■小栗判官伝承(をぐり)

「餓鬼阿弥の道」公演記録上映 #小栗判官

https://www.facebook.com/events/434554607003734/

https://m471560.blogspot.jp/2018/04/0524.html

 

 鼓打つ しのだの森のきつね

  雨を乞う 南横山笹踊り

   「」芸に生きたさすらいの夫婦の悲劇

    <語り>の舞台に いま甦る

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■「餓鬼阿弥の道」公演記録上映

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[日時]

2018年(平成30年)

5月25日(金曜日)午前10時15分、午後1時15分、午後3時15分、午後7時15分

5月26日(土曜日)午前10時15分、午後1時15分、午後3時15分、

(上映時間90分)

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[場所]

和泉市立人権文化センター3F会議室

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[内容]

 

◆「熊野街道」と「説経」

 

 熊野街道(小栗街道)は、かならずしも一筋ではない。枝分かれする小道がある。

 熊野街道を陽のあたる道とすれば、この道は影(陰)の道 -障害者や病者が、熊野への信仰に支えられて通った道である。「説経」はこの道に沿って生まれた。

 「説経」は中世末、「さすらいびと」によって語られた芸能である。『小栗判官』『しのだ妻』など、私たちが親しんでいる物語の源流はこの「説経」である。

 これらの物語を語り始めた説経師は、当時「ささら乞食」としてさげすまれた人びとであった。彼らの生活記録は何も残されていないが、『餓鬼阿弥の道』では、その説経師夫婦の失われた生活に虚構の光をあてた。

 舞台は〈語り〉を軸に、多彩な芸能を交えながら展開する。

(乾武俊)

 

◆あらすじ

 

 さすらいの説経師夫婦の旅は、尋常なものではなかった。「ささら乞食」として賤視されながらも、「語り」の旅をつづけるには、子まで消さねばならなかった。

 四天王寺で、妻は病にたおれる。その妻を介抱し助けてくれたのは、少年「しんとく」であった。夫婦はその「しんとく」に、消されたわが子の面影を重ねる。見えつ、隠れつする「しんとく」と共に、夫婦は和泉の「笠掛け松」「腰掛け石」にいたる。折しも泉州一帯は日照りつづきであった。信太山から父鬼街道を経て粉河寺にむかう途中、雨を乞う「笹踊り」に出会う。

   やれしんぼち 急げしんぼち

   後からしぐれは してくるぞ してくるぞ

 いつのまにか、「しんとく」はいなくなっていた。

 霊場巡礼を逆にまわれば、死者に会えるという。ふたりは「しんとく」に会えると思い、観音霊場を逆に、熊野をめざすが…

 

[平成14年(2002年)「餓鬼阿弥の道」公演実行委員会/乾武俊作/井上満壽夫演出]

 

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[費用]無料

[申込]不要

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【主催・会場・問い合せ・申込先】

和泉市立人権文化センター(ゆう・ゆうプラザ)資料室

〒594-0023

大阪府和泉市伯太町6-1-20(1階)

→JR阪和線信太山(しのだやま)駅から200M

[電話&FAX]資料室0725-47-1560

[メール] m471560●ican.zaq.ne.jp

 ※●を@に置き換えて送信してください。

 

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2018-05-05情報更新

 

 

 


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