Shinkuro's Guitar Blog ~ギターと旅と音楽と

ギタリスト松浦眞九郎のブログ

新ブログのお知らせ

2013-01-07 00:52:00 | お知らせ
昨秋からサブで立ち上げてはいましたが、今後は全ての投稿を新ブログに移転します。
あいかわらず週1程度の更新ですが、これからもよろしくおねがいします。

新ブログ:http://blog.shinkuromatsuura.com/


運命のギター

2012-12-17 20:50:00 | コラム
昨日はとある劇団の舞台を見に行った後、楽器屋4軒をハシゴした。結局何も試奏せず、また何も買うことなく帰った。大抵楽器店でいろいろ見ていると、店員が「音出ししましょうか?」と声をかけてくる。もちろん買うつもりで行っているなら、これとそれを試したいと言うのだが、たまたまちょっと興味があるブツがあった時に、その甘い言葉につられて試奏しようものなら断りきれずに買ってしまう危険がある。ごく稀に店頭に飾ってあるギターが自分を呼んでいる時があるが、それを手に入れたのは過去数回だけだ。機会を逃して二度と手に入れることができなかったギター(機材)も数多い。

初めて楽器屋なるものに行ったのは中学1年のことだった。しかし、地元楽器店の常連になったのは中2になってからだった。常連とは言っても、ただ頻繁に顔を出すだけであり、せいぜい月に数回、弦やピックその他小物を買うくらいのものだった。そういうわけで、当時は試奏を薦めてくる店員もいなかった。だからたまに物を買うと「ああ、今日は買ってくれたんだ!」とイヤミを言われることすらあった。

さて、昨日ハシゴした4軒の楽器屋では、ただ一軒だけが通いたいという気にさせてくれた。何が良かったのかを考えてみると:

1.品揃え
2.価格
3.余計なBGMがあまりない
4.入り口を入ったらすぐにギブソン、フェンダーなどがずらっと並んでいる
5.店員がいちいち寄ってこない

というところだ。

1の品揃え、2の価格を基準にするのは誰でも同じだろう。そして3のBGMだが、最近は誰のために大音量でBGMを鳴らしているのかと聞きたくなる楽器店が多い。さらにひどくなると同時に数種類の音楽を鳴らしていたりする。そんなところで試奏しても、それが良い楽器かどうか判断できない。

4に関しては、自分のギター弟子には中途半端なギターを買うぐらいならギブソン、フェンダー(アコースティックならギブソンかマーティン)を買えといつも言っている。何故なら、

A. それでうまく弾けるようになれば、自分の方向性が定まる。それで不満ならそこから自分に合った楽器を選べば良い

B. スタンダードなのでどこのリペア・ショップに持っていっても修理してくれるし、交換・改造用パーツも多種出ている

C. いざ売りたくなった場合でも有利

だからだ。自分が中学~高校時代にフェンダー、ギブソンといえば、25~30万はする夢のギターだった。散髪代から考えると、当時の物価は今の3分の1だったにもかかわらず、アメリカ製ギターは今の1.5倍くらいしたのだ。単純に計算すると、今のギターの値段は当時の4~5分の1になったとも言える。あの頃「本物」のギブソン、フェンダーが5~8万で買えたなら、誰も日本製コピー・モデルに10万も出さなかっただろう(逆にそれ故当時優れた国産ギターが生まれたとも言える)。

そして5も肝心である。もちろん、店は売ってナンボであるが、それほど気に入らないギターでも試奏するうちに欲しくなり、オシの強い店員のひとことで買ってしまったこともこれまで何度かあった。だが、そういうギターはほぼその後手放しているのだ。自分が買うべきギターというものは、店員が薦めてこなくても「ギターが自分を呼んでいる」ものである。そこで初めて弾いてみて、気に入るかどうかで決めればいいのだ。そんな良い出会いをした楽器店だと、結局その後も何度も通うことになる。

運命的な出会いをしていながら、経済的事情または他の誰かに買われてしまったりといった理由で手に入れることのなかったギター達は、その時の印象は薄れてきてはいるものの、今でも時々思い出す。

幸運にも手に入れることのできた自分にとっての数少ない「赤い糸」ギター達は、もう既に現役を引退しているが、今でもギター・スタンドで待機している。


2012年10月 アルゼンチン・ツアー その4

2012-12-11 00:38:00 | 旅行記
アルゼンチンの長距離バスは2階建てで、一階に運転席、トイレ、そして1等席があり、2階が一般席になっている。食事は大して期待できないが、ミラネサ(イタリア、アルゼンチンなどでは一般的な薄めのカツ)にスナック類、そしてワインもついてきたのは嬉しい。だが食後トイレから戻った秦野さんが驚くべき事実を目撃したと言うのだ。スチュワーデス(というのか?)が回収したプラスティック食器、ゴミ類を窓から外へ捨てていたというのだ。そこが捨てるべき場所だったのかどうかはわからないが、少なくともゴミ箱に捨ててはいなかったはずだ。いくら広い国土とはいえ、これはいけない。

そんなことはあったものの、その夜はバスのほとんどフラットなシートでぐっすり寝て、翌日午前無事メンドーサに到着した。ルシアーノが車で迎えに来てくれ、そして彼の家に直行した。

そこで数日のリハーサル、ラジオ・新聞・TVでのプロモーションを経てアルゼンチンでは6年ぶりのギグを行ったが、その2日目は運悪くサッカー国際試合のアルゼンチン対ウルグアイ戦に重なってしまった。それもここメンドーサで開催されたのだ。当然の如く、動員はかなり厳しかった。6年前にはメンドーサ一番のコンサート・ホールを満員にしたという驕りもあったのだろう、プロモーションもそれほど行き届いたとはいえない状況だったのを後になって悔やんだ。しかし、それよりも痛かったのは、当初「レコ発ライブ」になるはずだったメンドーサ公演に、新作CDが間に合わなかったことだ。結局CDが納品されたのは当初の予定より3週間も遅れてのことだったので、メンドーサ4公演には当然間に合わなかった。仕方なく、「予約カード」なるものを過去のアルバムと一緒に物販に並べ、予約注文を受け付けることでお茶を濁しただけに終わった。


オンライン新聞にてプロモーション


メンドーサ最大の新聞・テレビ・ラジオ局でのプロモーション。元モデルのパーソナリティーにメロメロ(?)の二人


地元新聞には「ギターの怪物」と紹介!しかし「怪物」もメッシには勝てなかった・・・


サウンド・チェック後の一コマ


さて、今ツアー前半のハイライトはそんなコンサートの合間にやってきた。それはメンドーサ近郊のスラムで演奏するというものだったのだ。

アルゼンチンには、都心部周辺に貧困層が集まる地域があるというのは聞いていた。そして、そこは決して観光客が足を踏み入れてはならない場所だということも知っていた。よそ者とあらば、観光客はおろか、アルゼンチン人だったとしても生きて帰ってこれるかわからない危険地帯なのだ。

ゴミの分別・リサイクルのないアルゼンチンでは、都心部から数十キロ離れた辺りに「ゴミ捨て場」を設け、そこに市内のゴミを生ゴミであろうが何だろうが一緒くたにして捨てている。そこに金に換えれるものを集めにやって来た人々が住みつき、スラム街が出来上がっていったらしい。人口は日本の半分以下だが国土面積は7.5倍だから、人口密度は単純に考えると日本の15分の1以下というわけだ。だからこれまでゴミをどこへ捨ててもやっていけたということなのだろう。しかしそれも限界が見えたのか、数年前メンドーサでゴミを分別しリサイクルしようというプロジェクトが立ち上がった。ということは、スラムに住みつく人々の収入減を絶ってしまうことになるので、不定期的に会合が持たれ、彼らへの仕事の斡旋・子供たちの遊び場(サッカー場)建設などがこれまでに行われてきたという。そこで我々にも何かできないかと話が回ってきたというわけだ。

当日はお役所のバックアップがあるとはいえ、何が起きてもおかしくないので、財布
、クレジット・カード、カメラはもちろんのこと、携帯電話、そしてパスポートすら持たずに現場に向かった。

環境省の大臣(?)からトヨタのハイラックス4WDを借り、現地へ向かった。そして現場周辺地域に入るや、既に市内に比べてかなり貧しい地域であるのがすぐにわかったが、いざ現場に入るとそこですら充分豊かだったことを思い知った。

数年前、エミール・クストリッツァ監督による映画「マラドーナ」が公開されたが、そこは正に映画に出てきたマラドーナの育った地域そのものだった。勝手に人が住みつき、また子供が生まれるから当然戸籍も住民票もない。ただの無法地帯(ゴミ捨て場)なのだ。

ハイラックスを降りると生ゴミの腐敗臭が鼻をつき、辺り一帯ゴミの山でもあり、ゴミを捨てるために掘ったと思われる巨大な穴だらけでもある。ハエが飛び回り、流れ着いたと思しき野良犬がたむろする。こんな状況でまともに演奏できるのだろうかと危惧したが、数十分もすると慣れたのか臭いも気にならなくなった。それはいかに人間が環境に適応できるかを痛切に感じた瞬間だった。

「コンサート会場」には、既に子供達とその母親達が集まっていた。無法地帯だと聞かされていたが、それに反して子供達の純真無垢さに驚いた。我々のレパートリー数曲を演奏し、さらに子供達も参加できるようにアルゼンチン(南米)特有の2:3のポリリズムを手拍子で参加してもらったりした。嬉しかったのは、子供達が我々の演奏に夢中になり(もしかしたら日本人2人が宇宙人にでも見えたのか?)、ある子供は「私も練習して絶対うまく弾けるようになってみせる!」と言っていたことだ。

そうは言っても、メンドーサの取り組みに前途多難なのは明らかである。当日姿を見せたのは13歳以下の子供達とその母親達だけであり、男連中は一切現れなかった。車でやってくる途中、ところどころでヒップホップ等を大音量で鳴らし、柵の向こうにいる気配だけ振りまいていた彼らだったが、最後まで姿を見せることはなかった。自分達にとっては本当に貴重な体験だったが、彼らにとってはどうだったのかわからない。


おそるおそる現場に到着


子供たちは初めてのエレキと秦野さんの日本製「ハイテク」チューナーに夢中


終演後の記念撮影(右端の日本人は一人はりきっている)


現場外にてサッカー・コーチもまじえて再度記念撮影




こだわりのブランド

2012-11-27 01:14:00 | コラム
自分にはこだわりのブランドと言えるものはほとんどない。逆に「ブランドにこだわらないことにこだわっている」のだ。

もちろん、昔からずっとそうだったわけではない。

最初にこだわったブランドと言えばカセット・テープだろう。今から35年ほど前は3つのメジャー・ブランドがあったが、最初はイメージだったり新商品が出たので試したいといった理由で、カセットを選んでいた。前述の3大ブランドで同価格帯なら、特に音に違いがあるとも思えなかった。しかし、その内の一社は回転系が弱いデッキで使用すると、すぐにテープを巻き込んでしまうという事故が多発した。それで残り2社に絞られたが、さらにもう一社もたまに巻き込むことがわかり、最終的に一社になった。

その次にブランドで買い続けたものはギター弦だった。中学時代はアメリカ製のギター弦は高くて、1セット買おうものなら小遣い1ヶ月分が吹っ飛ぶくらいだった。アーニー・ボールやフェンダー、ギブソン弦はセットで1200円くらいした。ヤマハなら800円くらいで買えたので、普通はそれにした。だが高校に入った頃、300円くらいの激安弦が登場し、大喜びで2セット買って帰った。しかしいざ使ってみると、サスティンも音のきらびやかさもなく、さらにすぐに切れるという粗悪品だったのだ。それっきり買うことはなかったが、それでも比較的安価な国産ギター・メーカーの弦を色々試してみた。しかし、そのいずれもがアメリカ弦の足元にも及ばないものだったのだ。500円でも1ステージ持つか怪しい位なら、800円出した方がよっぽどマシという訳だ。

それから5、6年くらいしてアメリカ弦はどんどん価格が下がり(1200円→800円→600円)、安心して使うことができるようになった。しばらくはアーニー・ボール弦をメインに使っていたが、ダダリオがエコパック(6本の弦をバラバラの袋ではなく一つにまとめ、ボールエンドの色で何弦かわかるようにしてあるもの。ゴミも劇的に少なくなり省資源、そしてさらに安い!)を発売してからは、もっぱらそればかり使うようになった。たまに冒険して高級な弦を買ったり、違うブランドを試したりしたのだが、ツアーの最中やライブ直前に予備がなくなった時に手に入りにくいのは困る。安くて便利、そして安定した品質がありがたかった。

しかし、それも数年前にコーティング弦が発売され、それを試すまでのことだった。コーティング弦は通常の弦の2、3倍の値段だが、3~6倍以上長持ちするのだ。1本のギターだけ弾いているならいいが、数本のギターを月2回のペースで弦交換するとなると非常に面倒だし、コストも高くつく。その点、コーティング弦なら一度張ったら半年以上(頻繁に使わないギターなら一年以上!)交換しなくて済むので大助かりなのだ。

ところで、ギターを始めて数ヶ月~数年の生徒にお薦めのギターは何かと尋ねられると、大抵フェンダーUSAのテレキャスターを買えと言い続けている。ブランドにこだわっていないと言っているくせに、大きな矛盾である。

自分がギターを始めた当時、フェンダーやギブソンは高嶺の花で夢のギターだった。しかし円高その他の理由により、35年前に30万円だったレス・ポールは20万円程度、25万くらいだったストラトキャスターは10万円台に、そして20万円だったテレキャスターは10~15万円くらい買えるようになった。自分が高校生だった当時はバイトしても自給400円だったから月4万円稼ぐのが関の山だった。だから半年は頑張る必要があったが、今なら高校生でも2、3ヶ月頑張れば買えなくはない値段なのだ。そしてレス・ポールは手荒に扱うとすぐにネックが折れたりするが、テレキャスターなら放り投げても壊れることはない。万が一ネックが折れても簡単に別ネックに交換できる。さらに、フェンダーUSAなら下取りに出してもそれなりの価格で買い取ってくれる。

ちょっと待て、これではまるでヨーロッパの高級ブランド・バッグを買い漁る大阪のオバちゃんと同じ行動基準ではないか。しかし、実際どう考えてもテレキャスター以上にタフで、融通が利き、演奏性に優れ、そして手に入れやすいエレクトリック・ギターは他にはない。

そう、結局自分の商品を選ぶ基準は大阪のオバちゃんと同じだったのだ。ブランドで選んではいないが、たまたまブランドの方が有利だっただけなのだ。無名で壊れやすいブランドに3万円を払って捨てるぐらいなら、タフで融通の利くテレキャスターに15万円を払い、いざとなれば質屋に持っていくという考え方なのだ。

そういえば、スーパーで食料品を買うときも同じ原則に基づいていることを思い出した。ブランドよりも質、価格なのだ。うまい品種だとわかっていても、あまりに高いと買えない。少し前までは常にウチの冷蔵庫にはトマトが「常備」されていたが、最近全く買わない。というよりあまりに高すぎて買えないのだ。1個50円程度なら買うが、100円ともなると全く買えない。それならイタリアからの輸入トマト缶を買い込む。イタリア産にこだわるというよりも、100円で数個分のトマトが手に入るからなのだ。

ギターなら海外で安く買っても国内に非課税で持ち込めるのはせいぜい2本だが、バッグや洋服ならたくさん持ち込める。だから、ヨーロッパのブランド・ファッション店では日本人が大勢いたわけだ。今までは鼻で笑っていたが、やっと理由がわかった。

これからはヨーロッパに行く度に免税店でヴィトンのバッグを買い込むぞ。

1977~79年頃のカセット。3大メジャー+1。フェリクローム46分に500円位払ったのも今では懐かしい・・・。




78~79年のギター雑誌での広告。グレコはもとより、アリアもヤマハも当たり前のようにギブソン/フェンダーのコピー・モデルを作っていた。



2012年10月 アルゼンチン・ツアー その3

2012-11-12 18:51:00 | 旅行記
エセイサ空港からレミースにて約45分で、当夜のブエノスアイレス宿泊先に到着した。そこはルシアーノの義父母のマンションである。義父は出張中で留守だったが、義母と義祖母、そしてブエノス訪問中の義弟が温かく迎えてくれた。よく冷えたキルメス・ビールがありがたい。その数時間前に機内食を食べたばかりでそれほど空腹を感じていなかったにもかかわらず、出されたエンパナーダスを3個も平らげてしまった。エンパナーダスとはアルゼンチン名物の軽食で、餃子の皮のようなものに肉やオリーブ、玉ねぎに野菜といった具を詰めてオーブンで焼いたものだ。サイズは餃子の2,3倍くらい(その2の写真参照)。

翌日はエルナン・ヌニェスが昼食に招待してくれた。ちょうど歩いて10分程のところの、彼が以前ずっと住んでいた一角にあるパリージャ(炭火焼レストランとでも言うのだろうか)である。ワイン、前菜、そして2種類のステーキを3人でとりわけて“腹12分目”になった。さらにデザートのフランも絶品。日本では「甘い物は別腹」という言い方があるが、ヨーロッパやアルゼンチンでは甘い物で消化を助けるという考え方だ。鱈腹食った後は甘い物又は、コーヒーかリキュールで食事を締めくくる。

その後付近を散歩したりしてゆっくり休息をとり、夕方にはメンドーサ行きの長距離夜行バスに乗るためにレティーロ・バス・ターミナルに向かった。ほとんどの列車が廃止されたアルゼンチンでは、長距離の移動は車か飛行機、またはバスしかないのだ。そして最近のバスは座席もゆったりで、リクライニングもほとんど平らにでき、飛行機のワールド・ビジネス・クラス並に快適なのだ。しかし、巨大なバス・ターミナルは新大阪駅よりも大きいくらいで、さらに発着ターミナルが直前に変更になったりする。インフォメーションでターミナルを尋ね、そこで待っていても、注意してアナウンスや掲示モニターを確認していないと、乗りそびれかねない。

ここでもエルナンに世話になり、ターミナルまでの移動、念のため水と軽食の確保、そして荷物を積み込むまで助けてもらった。ここは特に危険で、うかうかしているとスリやかっぱらいの被害に遭いかねない中、強面のエルナンがついていてくれるのは非常に心強い。さらに荷物を積み込むとき、ギターが壊れないように安全な場所を確保するように係員に「心付け」を渡してくれた。ちょうど日本の空港バスのように、タグをつけて荷物を積み込んでもらうのだが、チップが必要なのだ。払う様子がないとどんどん後回しにされ、そして荷物も乱暴に扱われたりする。

そして無事にバスに乗り込み、メンドーサまではるか1060km、15時間の旅に出た。(つづく)


エルナンと秦野氏


写真では大きさがわかりにくいが確か500gのビッフェ・デ・チョリソ


これも500gのステーキ


デザートのフラン(日本で言うプリン)


食後は公園でひと休み