造成工事が進むJR島本駅西地区に尾山遺跡が発見されたのは去年(令和2年/2020年)の9月のことでした。鎌倉時代の皇族・貴族が築造に関係すると思われる尾山遺跡は、池底に青い石を敷き詰められた美しいもので、見学会には町内外から250人近い方が参加されました。
それから半年。
令和3年(2021年)3月JR島本駅西地区に新たな遺跡が見つかっています。御所ヶ池の東側、農住エリアの一角から、飛鳥時代~奈良時代初期の登り窯の瓦窯跡(御所池瓦窯跡/ごしょがいけがようせき)が発見されたのです。
しかし、遺跡発見の事実は町民には知らされず、9月末ようやくホームページに写真が掲載されたものの、すでに調査を終え遺跡は破壊された後のことでした。
※ 遺跡の情報を得るための発掘調査は遺跡を破壊することにつながります。
尾山遺跡のような見学会もなく、住民が歴史の息吹に触れることができないままに、調査を終了した御所ヶ池瓦窯跡。
土地区画整理事業の進むなか調査期間終了間際で発見され、「工期遅れにならないように」という開発サイドの声が偏重され過ぎたことはかったのか。
「遺跡等の文化財は町民のみならず国民全体にとっての財産である」という根本的な認識が現場できちんと共有されていたのか。町の対応には問題が多いと思います。
島本町には古代から続く豊かな歴史があり、JR島本駅西地区に限らず、数多くの貴重な遺跡が存在しています。それらを尊重し次世代に伝えていくことは行政にとっても重要な仕事であるはずです。
歴史に対する行政の姿勢のあり方は?遺跡発見からの経緯も含め9月議会で一般質問を行いました。(質問の主な内容は表参照)
今後も、遺跡発見時の情報公開や対応、専門職員の充実、移築などの遺構復元などについて注視していく必要があると思います。
町議会での一般質問(2021/9/6)抜粋、要約 (JR島本駅西地区の文化財遺跡について)
質 問 | 町の答弁 | 答弁に対する永山の発言 | |
1 | 令和3年3月29日に開催された文化財保護審議会において、尾山遺跡の発掘調査について報告が行なわれた際、委員から「遺跡が壊される前に案件として審議会にあげるべき、壊れてからではどうすることもできない。今後は前段階であげていただきたい」との厳しい指摘を受けています。 登り窯の遺構発見に関して審議会を開催したか。 | 今回(尾山遺跡発掘のこと)、文化財保護審議会への報告のために、遺構を掘削せずに置いておくことは、発掘調査が遅滞する要因となるため、発掘調査期間中の報告は困難であった。 文化財保護審議会委員には現地説明会案内を送った。委員の内1名の方は説明会当日、もう1名の方は説明会以外の日に現地に来られたので、内容について報告し池泉跡を確認いただいた。 登り窯については、審議会の案件にしませんでしたが、審議会委員に報告、現地で確認いただいた。 | 審議会の場で議案とされなければ、委員が示された見解など住民が知ることができません。島本町文化財保護審議会規則からは審議会開催時期に制限はみられないのですから、審議会に諮るべきです。 |
2 | 登り窯跡については壊す前に住民に知らせるべきではなかったか? | 重要な遺跡についてはなるべく説明会をするように努力している。 窯跡については、遺構の評価をある程度正しくするには、遺物からも十分検討する必要があったので、限られた時間の中で、現地説明会を優先するよりも、慎重に遺構・遺物の分析、検討を行う方が重要であるとの考えのもと調査を優先した。 また今年度の歴史文化資料館の企画展として「町内発掘調査成果速報展」を予定している。 | 住民に対する情報公開という点も、現地説明会が出来なくても、発見の事実や、写真をHP上で報告するなど他に方法はあります。事業の遅れを懸念のあまり、住民への情報提供が遅れるようなことが無いよう、引き続き情報公開に向けて体制を見直すよう強く求めます |
3 | 今、国は文化財については地域社会で文化財を守り、まちづくりに活かすことを強化する「文化財保存活用地域計画」を進めている。人員体制の充実については? | 職員の配置については町全体の職員数との整合性もあり、引き続き人事部局と協議しながら進める。 | 整合性はわかります。問題は判断の場面で、歴史財産を守り活かすという価値観にどれほど重点がおかれているか、町の姿勢が問われるということを指摘します。 |
4 | 尾山遺跡について、文化財保護審議委員から「審議会から、遺構を移築(いちく)復元してほしいという要望があったと伝えて欲しい」「町はきちんとした方針をもって関わっていくことが必要」という声が上がっていました。 | 尾山遺跡で発見された鎌倉時代の池泉跡については、公園内に移築復元できないか事業主と協議を進めている。 | 調整池もほぼ完成し、埋め戻しが始まると聞いています。公園について 青写真の様なものが見えてきてもいいと思う。協議の進捗については、可能な限り住民に周知する姿勢が 必要。防災公園などの機能を含め、将来の住民生活に大きく影響するという認識でしっかり協議にあたっていただきたいと強く要望いたします。 |
御所池瓦窯跡の詳細は以下のリンクより
参考:中世以前の島本町の遺跡(現住所表記は目安です)。
旧石器時代
山崎西遺跡(山崎4)で国府型ナイフ形石器や剥片数点が採集されている。
縄文時代
越谷遺跡(桜井3) 縄文時代後期の土器が多数出土
広瀬遺跡(広瀬4) 縄文時代晩期の竪穴住居
尾山遺跡(桜井2,3)
弥生時代
桜井駅跡付近、青葉遺跡(青葉3)、広瀬溝田遺跡(水無瀬1)、越谷遺跡に集落跡などが想定
古墳時代
広瀬遺跡北西部、越谷遺跡などで、土器散布。源吾山古墳群(桜井4)
飛鳥~奈良時代
御所池瓦窯跡第1号窯(桜井3)(2021年発掘調査)
鈴谷瓦窯(山崎4)、御所ノ平遺跡(東大寺2)で竪穴住居が検出。
東大寺領荘園「水無瀬荘」(水無瀬川中流右岸)
平安時代
広瀬遺跡―惟喬親王の水無瀬離宮関連施設と推定
桜井4の州浜形状の土地-平安時代の庭園跡との推測あり
鎌倉時代
後鳥羽上皇による水無瀬離宮造営
広瀬遺跡からは、水無瀬離宮に関わる建物跡や所用瓦、西浦門前遺跡(桜井2)からは、庭園施設などが検出
尾山遺跡池泉跡(2020年発掘調査)
(島本町HP内等の情報を参考にした)