1/25 小千谷市内の慈眼寺に行って来た。
雪深い処なれど雪はまったくなかった。本堂は建物も大きく
みごとな彫り物が施してあった。
長岡藩家老の河井継之助と新政府軍軍監の岩村精一郎が会談した部屋が
現存しており、150年の時を越えて迫って来るものがあった。
中立和平を訴えた河井だったが聞き入れられず、会談は決裂し北越戦争に突入した。
司馬遼太郎著「峠」と稲川明雄著「長岡城燃ゆ」「長岡城奪還」を読んでの感想~
開明論者であり封建制度の崩壊を見通しながら、継之助が長岡藩を率いて新政府軍と
戦ったという矛盾した行動は、長岡藩士として生きねばならないという強烈な
自己規律によって武士道に生きたからであった。
雪深い処なれど雪はまったくなかった。本堂は建物も大きく
みごとな彫り物が施してあった。
長岡藩家老の河井継之助と新政府軍軍監の岩村精一郎が会談した部屋が
現存しており、150年の時を越えて迫って来るものがあった。
中立和平を訴えた河井だったが聞き入れられず、会談は決裂し北越戦争に突入した。
司馬遼太郎著「峠」と稲川明雄著「長岡城燃ゆ」「長岡城奪還」を読んでの感想~
開明論者であり封建制度の崩壊を見通しながら、継之助が長岡藩を率いて新政府軍と
戦ったという矛盾した行動は、長岡藩士として生きねばならないという強烈な
自己規律によって武士道に生きたからであった。