認知症の本人が語る認知症
認知症を学ぶ最良の方法は、認知症のご本人たちから話を聞くことと、
今回の「認知症カフェ」には、認知症のご本人たちと共に歩む
3人のオバチャン(^^♪と、認知症のご本人たちに来ていただきました。
開始30分前には、付き添いの家族とサポーターも入れると、ゲスト組の15人が到着。
にぎやかなおしゃべりが早くも始まりました。今日はドタ参があるだろうな~、と思っていたら、
予想通り10名近くのドタ参で、結局、総勢50名という大賑わいのカフェに。
(今回は、当日の内容をしっかり伝えたいため、とても長文です(^^♪)
最初のオバチャン(^^♪は、浜井秀子さん。
2014年に始まった相模原若年認知症家族の会から、若年性認知症の本人を中心にした
「じゅりの会」を2016年に立ち上げ、本人たちが家から外に楽しく出ることができるよう、
さまざまな工夫をこらしています。毎月の定例会に加え、講演会、本人を交えたトーク、
手話コーラスの仲間との交流、お花見、農園での野菜栽培、学生との交流などを行うほか、
ラン伴プラス、認知症ソフトボール大会への参加など、本人たちと話し合いながら進めています。
2番目のオバチャン(^^♪は、中島珠子さん。
渋谷区若年性認知症の会を2017年に立ち上げ、若年性認知症の本人、家族、専門職、支援者が集い、
「じゅりの会」と同じように情報交換や本人の社会参加の手伝いをするなど、
本人と家族が楽しい時間を過ごすことができるようサポートしています。
カフェ、家族会、交流会、演奏会、日帰り旅行、遠足、盆踊り、農園での野菜づくりなどに加え、
特養の配膳、ハンドベルの演奏など、本人たちがボランティアできる場もつくっています。
「マリエ」では渋谷区に、若年性認知症のデイサービスをつくってほしいと
熱心にアプローチしてきました。
機会があるごとに行政に実情を伝え、福祉課長など職員を若年性認知症の会(板橋ポンテ)との
合同バーベキューに誘ったり、家族が課長に現実を訴える手紙を書くなど、
いろんな方向から、若年性デイの重要さを訴え続けました。
その結果、1年とちょっとというスピードで、この4月に若年認知症デイがオープン。
役所としては異例の早さです。
6月には、渋谷区が認知症フォーラムを2週間にわたって開催、予想を上回る参加者がありました。
これは博報堂出身でもある区長からの「トップダウン」の企画だったということですが、
「みんなで声を上げ続けることの必要性をあらためて感じました」と中島さんは言います。
浜井さんと同行してくださったのは、56歳でアルツハイマー病の診断を受けた町田さん(現在68歳)。
あれれ、このお顔は・・と思ったら、町田のDays BLGに取材時にお会いしました。
ご夫婦でいらしたので、浜井さんが「奥さんをどう思ってますか?」と聞くと、
「僕らは同化しています」ときっぱり。
かねがね、町田さんが考えていることを、浜井さんがまず、要約してくれました。
「認知症は残念ながら、現時点では進行を遅らせることしかできない。
手術をすれば治るという病気ではないので、病を受け止め、ともに歩むと考えることが大切。
現実的にはだんだん記憶力が衰える、慣れない対応が受けにくくなるなど、不安が多い。
心の状態をなるべくハッピーに保ちながら、自分が楽しいと感じることをするのが重要だ」
当初はショックだったが、脳の状況を見せられると納得せざるを得ない状態だったと
前田さんは言います。悩んでいても仕方ないので、なるべくハッピーな生活を送ろうと考え、
自分らしく生きたいということを願っている、と語ってくれました。
現状を受け止め、できないことをあれこれ考えるのではなく、できることを精一杯やっていきたい。
私は自分に正直に生きていきたい・・・と。
昨年5月から「マリエ」に参加した岩瀬さんは、地域包括からの紹介。
当時はマンションの管理人をしていましたが、道に迷うことが増え、できないことが増えてきたとか。
同僚の管理人に「大丈夫?」聞かれ受診したら、認知症だと告げられびっくりしたそうです。
最近は物忘れが進んできたので、話すこと、書くことを積極的に続けていきたい、
車での移動が多くなったので、足腰を鍛えるためになるべく歩くようにしていると話してくれました。
3番目のオバチャン(^^♪は、松本礼子さん。
町田、多摩、八王子の5人の世話人と一緒に
、認知症本人のおしゃべり会「町田女子会」を運営しています。
この日は「せっかくの機会だから、みんなで参加したい」ということで、
元気な女子会のオバチャン(^^♪5人と、世話人3人、計8人が参加してくれました。
「まずは、私たちの考え方を」ということでくるくるくると広げたのが
、町田市を通る町田街道を認知症の人が歩む「ほほえみ街道」と名づけた長い地図。
町田市が制作した「認知症ケアパス」のページをつなげたものです。
「認知症には、最初があって必ず終わりがあります。それを最初に理解していないと、
突然発症して、突然倒れて、突然入所する、ということになってしまいます」
と話し始めました。
こんなふうに認知症の歩む道にある公的な支援と地域資源盛り込んだ「地図」があると、
認知症の旅がとても楽になります。
松本さんは、こう続けました。「今日はどう進めようか、皆さんの話を聞きながら決めました。
認知症と診断されたふつうのオバチャンたちによる、認知症と診断された
ふつうのオバチャンたちのための認知症懇談会にします。
誰も認知症が特別だと思っている人はいません。あなたも、私も、いずれなるかもしれない。
町田女子会は11人いますが、みんなこの道を歩いている仲間なんです」。
まず、紹介されたのが、言葉が最近出なくなったケイコさん。世話人の村松さんとなら
話すことができ、この日の待ち合わせ駅の改札口で、「おはよう」と言ったケイコさんは、
「48分の電車ね」としっかり伝えてくれたとか。
電車の中ではずっと話しながら来たそうです。
「さっきはここで、『お菓子ちょうだい』と言ってました(笑)。
話せないと言っても、言葉が泳いでいくだけで、
話せないことと、理解できないことはちがいます」と、松本さん。
「女子会」をつくるきっかけになったのは、
松本さんがもともと運営していた認知症の「本人会議」。
男ばかりの会に、あるとき女の人が「来ちゃった」そうです。
彼女は50年来の主婦なので、男の話の輪には入れない。本人に「どうしたらいい?」と聞いたら、
「おしゃべりができる仲間がほしい」と。そこで地域包括に聞いたところ、
「うちにも認知症の人、いるわよ。呼びましょうか」。やってきたのが、陽気で楽しい市川さんでした。
「市川さんは、生粋の町田っこ、町田で生まれ、育って学校に行き、町田で農家の人と結婚して、
3人の子どもを育てた。そしていま、町田で立派な認知症になったんですね(笑)。
どうして、自分が認知症だとわかったか、話してくれる?」。
松本さんの紹介に応え、市川さんが前に出ます。
「私は農協がやっているヘルパーの研修に行き、ヘルパーになったんです。
そこで認知症の高齢者を見ていたのと、母も認知症だったし、民生委員もやって勉強させてもらっていたので、
「あれ~、私あのおばあちゃんに似ているよな」と、私もそうかなと思ったんですね。
それで、一人で病院に行ったら、先生に次からは家族と来てください、と怒られた(笑)。
当時はそこまでできていたけど、最近は漢字が書けなくなりました。
でも、ひらがなでもいいかなと思ってます」
次に紹介された八王子の高橋さんは、25年間、新聞配達をしていました。
その経験と足腰を生かして、地域情報誌の配達をしています。
デイで採れた野菜を団地に販売に行くときには、道案内もしてくれる頼もしい存在だとか。
その高橋さんが言いました。
「運動しても、認知症になるよ。だって、私は25年やったんだから。
運動をすれば認知症にならない、というのは『ホントかな』と思ったほうがいいよ」。
会場は大爆笑です。
こんな頼もしいオバチャンたちがいるせいか、町田市では「私、認知症です」と
カミングアウトすることが、それほど怖くなくなってきたと松本さんは言います。
女子会は「認知症の人による認知症サポーター講座」も行っていますが、
この日、松本さんが提案したのは、
メンバーがどこにでも出前して、認知症で悩んでいる人と一緒におしゃべりをする
「女子会ワークショップ」でした。
「怒ること、泣くことは人間の基本的な感情。認知症になって泣いたり怒ったりすると、
なぜか薬を飲まされる。おかしくないですか? 泣いたり笑ったりする自由。
それをどうして? という問いを抜きに、『激怒的』『介護反抗』とか記録する。
それよりも、自分がありのままで生きるということに、寄り添ってほしい。
そういうことを、女子会の中で、みんなで話し合っていきたい。
これは今日、発表ですけど、賛成してくれる人はいますか?」
松本さんたち、世話人が考え続けているのは、認知症の人それぞれの
「暮らし」に寄り添って何ができるのかということ。
「就労ができるようになったらそれでOKではなく、
その人たちにひとり一人にどんなことが起こっているのか、
絶えず見ていくという活動を続けていきたい」と締めくくりました。
その後の質問タイムでは、参加した介護家族、医師、地域包括職員、ケアマネから、
たくさんの質問が。印象に残ったコメントを挙げておきます。
■私はこうしたらいいとは、本人には言わない。本人の言葉を聞きやすい立場にいるので、
それを聞いてケアマネなどいろんな人に伝える。
つぶやきがいちばんかき消されてしまうのは担当者会議。
どんなつぶやきも逃がさないようにしている(松本さん)。
■人生の中で介護保険やケアプランが関わるのはごくわずか。
「マイライフ」という立場に立って考えることが大事。
ケアマネはこういう会に関心がないのが残念。(町田世話人)
■病院に行っても先生からのアドバイスは「社会参加をしてください」。
でも、社会参加って、具体的に言ってもらわないとわからない。そのあたり、
医師が少し不親切かなと思う。
認知症カフェのチラシや、「もしも」のような冊子を置いて紹介してくれたら(中島さん)
■地域包括にお願いしたいのは、若年性が行くと介護保険をまず勧められる。
それよりも、何ができるか、何をやりたいのか聞いてほしい。仕事をしたいという人もいるだろうし、
畑をやりたいという人もいるだろう。介護保険のことだけに留めないでください。
人口90万人の世田谷には、残念ながら、まだ若年認知症の人の場も、本人会もありません。
区は来年4月に正式に発足する「認知症在宅生活サポートセンター」で、
本人会、おしゃべり会を準備中とのことですが、そこで松本さんから、最後のツッコミがありました。
「公的な立場にいる人たちが、公的な立場から認知症の人を支えることはできない、
という自覚をしていたけたらと思います。
公の人が支援とはこうだということを勧めると、『暮らし』がブロックされます。
ケアマネにデイサービスを紹介されると、受けなければならないと考えてしまう。
本人たちの『それは、いや』という声をちゃんと聞いて、
他の社会資源につないでいくことが必要。
地域包括ケアシステムは、その周囲の社会資源がちゃんと見えていなければ、
役に立たないと思います」。
オバチャン、おそるべし!!
本音で認知症が語れるこうした会を、できるだけ多くやっていきたいと、
妄想がまた、膨らんできました(^^♪。
認知症を学ぶ最良の方法は、認知症のご本人たちから話を聞くことと、
今回の「認知症カフェ」には、認知症のご本人たちと共に歩む
3人のオバチャン(^^♪と、認知症のご本人たちに来ていただきました。
開始30分前には、付き添いの家族とサポーターも入れると、ゲスト組の15人が到着。
にぎやかなおしゃべりが早くも始まりました。今日はドタ参があるだろうな~、と思っていたら、
予想通り10名近くのドタ参で、結局、総勢50名という大賑わいのカフェに。
(今回は、当日の内容をしっかり伝えたいため、とても長文です(^^♪)
最初のオバチャン(^^♪は、浜井秀子さん。
2014年に始まった相模原若年認知症家族の会から、若年性認知症の本人を中心にした
「じゅりの会」を2016年に立ち上げ、本人たちが家から外に楽しく出ることができるよう、
さまざまな工夫をこらしています。毎月の定例会に加え、講演会、本人を交えたトーク、
手話コーラスの仲間との交流、お花見、農園での野菜栽培、学生との交流などを行うほか、
ラン伴プラス、認知症ソフトボール大会への参加など、本人たちと話し合いながら進めています。
2番目のオバチャン(^^♪は、中島珠子さん。
渋谷区若年性認知症の会を2017年に立ち上げ、若年性認知症の本人、家族、専門職、支援者が集い、
「じゅりの会」と同じように情報交換や本人の社会参加の手伝いをするなど、
本人と家族が楽しい時間を過ごすことができるようサポートしています。
カフェ、家族会、交流会、演奏会、日帰り旅行、遠足、盆踊り、農園での野菜づくりなどに加え、
特養の配膳、ハンドベルの演奏など、本人たちがボランティアできる場もつくっています。
「マリエ」では渋谷区に、若年性認知症のデイサービスをつくってほしいと
熱心にアプローチしてきました。
機会があるごとに行政に実情を伝え、福祉課長など職員を若年性認知症の会(板橋ポンテ)との
合同バーベキューに誘ったり、家族が課長に現実を訴える手紙を書くなど、
いろんな方向から、若年性デイの重要さを訴え続けました。
その結果、1年とちょっとというスピードで、この4月に若年認知症デイがオープン。
役所としては異例の早さです。
6月には、渋谷区が認知症フォーラムを2週間にわたって開催、予想を上回る参加者がありました。
これは博報堂出身でもある区長からの「トップダウン」の企画だったということですが、
「みんなで声を上げ続けることの必要性をあらためて感じました」と中島さんは言います。
浜井さんと同行してくださったのは、56歳でアルツハイマー病の診断を受けた町田さん(現在68歳)。
あれれ、このお顔は・・と思ったら、町田のDays BLGに取材時にお会いしました。
ご夫婦でいらしたので、浜井さんが「奥さんをどう思ってますか?」と聞くと、
「僕らは同化しています」ときっぱり。
かねがね、町田さんが考えていることを、浜井さんがまず、要約してくれました。
「認知症は残念ながら、現時点では進行を遅らせることしかできない。
手術をすれば治るという病気ではないので、病を受け止め、ともに歩むと考えることが大切。
現実的にはだんだん記憶力が衰える、慣れない対応が受けにくくなるなど、不安が多い。
心の状態をなるべくハッピーに保ちながら、自分が楽しいと感じることをするのが重要だ」
当初はショックだったが、脳の状況を見せられると納得せざるを得ない状態だったと
前田さんは言います。悩んでいても仕方ないので、なるべくハッピーな生活を送ろうと考え、
自分らしく生きたいということを願っている、と語ってくれました。
現状を受け止め、できないことをあれこれ考えるのではなく、できることを精一杯やっていきたい。
私は自分に正直に生きていきたい・・・と。
昨年5月から「マリエ」に参加した岩瀬さんは、地域包括からの紹介。
当時はマンションの管理人をしていましたが、道に迷うことが増え、できないことが増えてきたとか。
同僚の管理人に「大丈夫?」聞かれ受診したら、認知症だと告げられびっくりしたそうです。
最近は物忘れが進んできたので、話すこと、書くことを積極的に続けていきたい、
車での移動が多くなったので、足腰を鍛えるためになるべく歩くようにしていると話してくれました。
3番目のオバチャン(^^♪は、松本礼子さん。
町田、多摩、八王子の5人の世話人と一緒に
、認知症本人のおしゃべり会「町田女子会」を運営しています。
この日は「せっかくの機会だから、みんなで参加したい」ということで、
元気な女子会のオバチャン(^^♪5人と、世話人3人、計8人が参加してくれました。
「まずは、私たちの考え方を」ということでくるくるくると広げたのが
、町田市を通る町田街道を認知症の人が歩む「ほほえみ街道」と名づけた長い地図。
町田市が制作した「認知症ケアパス」のページをつなげたものです。
「認知症には、最初があって必ず終わりがあります。それを最初に理解していないと、
突然発症して、突然倒れて、突然入所する、ということになってしまいます」
と話し始めました。
こんなふうに認知症の歩む道にある公的な支援と地域資源盛り込んだ「地図」があると、
認知症の旅がとても楽になります。
松本さんは、こう続けました。「今日はどう進めようか、皆さんの話を聞きながら決めました。
認知症と診断されたふつうのオバチャンたちによる、認知症と診断された
ふつうのオバチャンたちのための認知症懇談会にします。
誰も認知症が特別だと思っている人はいません。あなたも、私も、いずれなるかもしれない。
町田女子会は11人いますが、みんなこの道を歩いている仲間なんです」。
まず、紹介されたのが、言葉が最近出なくなったケイコさん。世話人の村松さんとなら
話すことができ、この日の待ち合わせ駅の改札口で、「おはよう」と言ったケイコさんは、
「48分の電車ね」としっかり伝えてくれたとか。
電車の中ではずっと話しながら来たそうです。
「さっきはここで、『お菓子ちょうだい』と言ってました(笑)。
話せないと言っても、言葉が泳いでいくだけで、
話せないことと、理解できないことはちがいます」と、松本さん。
「女子会」をつくるきっかけになったのは、
松本さんがもともと運営していた認知症の「本人会議」。
男ばかりの会に、あるとき女の人が「来ちゃった」そうです。
彼女は50年来の主婦なので、男の話の輪には入れない。本人に「どうしたらいい?」と聞いたら、
「おしゃべりができる仲間がほしい」と。そこで地域包括に聞いたところ、
「うちにも認知症の人、いるわよ。呼びましょうか」。やってきたのが、陽気で楽しい市川さんでした。
「市川さんは、生粋の町田っこ、町田で生まれ、育って学校に行き、町田で農家の人と結婚して、
3人の子どもを育てた。そしていま、町田で立派な認知症になったんですね(笑)。
どうして、自分が認知症だとわかったか、話してくれる?」。
松本さんの紹介に応え、市川さんが前に出ます。
「私は農協がやっているヘルパーの研修に行き、ヘルパーになったんです。
そこで認知症の高齢者を見ていたのと、母も認知症だったし、民生委員もやって勉強させてもらっていたので、
「あれ~、私あのおばあちゃんに似ているよな」と、私もそうかなと思ったんですね。
それで、一人で病院に行ったら、先生に次からは家族と来てください、と怒られた(笑)。
当時はそこまでできていたけど、最近は漢字が書けなくなりました。
でも、ひらがなでもいいかなと思ってます」
次に紹介された八王子の高橋さんは、25年間、新聞配達をしていました。
その経験と足腰を生かして、地域情報誌の配達をしています。
デイで採れた野菜を団地に販売に行くときには、道案内もしてくれる頼もしい存在だとか。
その高橋さんが言いました。
「運動しても、認知症になるよ。だって、私は25年やったんだから。
運動をすれば認知症にならない、というのは『ホントかな』と思ったほうがいいよ」。
会場は大爆笑です。
こんな頼もしいオバチャンたちがいるせいか、町田市では「私、認知症です」と
カミングアウトすることが、それほど怖くなくなってきたと松本さんは言います。
女子会は「認知症の人による認知症サポーター講座」も行っていますが、
この日、松本さんが提案したのは、
メンバーがどこにでも出前して、認知症で悩んでいる人と一緒におしゃべりをする
「女子会ワークショップ」でした。
「怒ること、泣くことは人間の基本的な感情。認知症になって泣いたり怒ったりすると、
なぜか薬を飲まされる。おかしくないですか? 泣いたり笑ったりする自由。
それをどうして? という問いを抜きに、『激怒的』『介護反抗』とか記録する。
それよりも、自分がありのままで生きるということに、寄り添ってほしい。
そういうことを、女子会の中で、みんなで話し合っていきたい。
これは今日、発表ですけど、賛成してくれる人はいますか?」
松本さんたち、世話人が考え続けているのは、認知症の人それぞれの
「暮らし」に寄り添って何ができるのかということ。
「就労ができるようになったらそれでOKではなく、
その人たちにひとり一人にどんなことが起こっているのか、
絶えず見ていくという活動を続けていきたい」と締めくくりました。
その後の質問タイムでは、参加した介護家族、医師、地域包括職員、ケアマネから、
たくさんの質問が。印象に残ったコメントを挙げておきます。
■私はこうしたらいいとは、本人には言わない。本人の言葉を聞きやすい立場にいるので、
それを聞いてケアマネなどいろんな人に伝える。
つぶやきがいちばんかき消されてしまうのは担当者会議。
どんなつぶやきも逃がさないようにしている(松本さん)。
■人生の中で介護保険やケアプランが関わるのはごくわずか。
「マイライフ」という立場に立って考えることが大事。
ケアマネはこういう会に関心がないのが残念。(町田世話人)
■病院に行っても先生からのアドバイスは「社会参加をしてください」。
でも、社会参加って、具体的に言ってもらわないとわからない。そのあたり、
医師が少し不親切かなと思う。
認知症カフェのチラシや、「もしも」のような冊子を置いて紹介してくれたら(中島さん)
■地域包括にお願いしたいのは、若年性が行くと介護保険をまず勧められる。
それよりも、何ができるか、何をやりたいのか聞いてほしい。仕事をしたいという人もいるだろうし、
畑をやりたいという人もいるだろう。介護保険のことだけに留めないでください。
人口90万人の世田谷には、残念ながら、まだ若年認知症の人の場も、本人会もありません。
区は来年4月に正式に発足する「認知症在宅生活サポートセンター」で、
本人会、おしゃべり会を準備中とのことですが、そこで松本さんから、最後のツッコミがありました。
「公的な立場にいる人たちが、公的な立場から認知症の人を支えることはできない、
という自覚をしていたけたらと思います。
公の人が支援とはこうだということを勧めると、『暮らし』がブロックされます。
ケアマネにデイサービスを紹介されると、受けなければならないと考えてしまう。
本人たちの『それは、いや』という声をちゃんと聞いて、
他の社会資源につないでいくことが必要。
地域包括ケアシステムは、その周囲の社会資源がちゃんと見えていなければ、
役に立たないと思います」。
オバチャン、おそるべし!!
本音で認知症が語れるこうした会を、できるだけ多くやっていきたいと、
妄想がまた、膨らんできました(^^♪。