北海道のいいとこ撮り

デジタルカメラで撮りためてきた北海道の自然や野生動物を掲載していきます。画像中心のブログです。

太田山神社の本殿へ 2009年3月 2

2019年02月10日 | 渡島・檜山
2009年3月に訪れた、せたな町の太田山神社。標高485mの太田山の山頂付近の洞窟にある本殿への入口となる鳥居です(こちらの続き)。


登り始めは非常に急な階段です。


国土地理院の地形図によると、この階段だけで標高差50mを登ることになります。どこまで正確か分かりませんが、地形図における階段の水平距離は約50mです。ということは斜度は45度近くあることになります。スキー場の上級車コースで体感できますが、一般的な感覚として斜度が30度を超えるとかなり恐怖を感じます。


鳥居の前から撮影した太田地区。


2009年にはまだ工事中だった太田トンネルが小さく見えています。太田トンネルが開通したのは2013年のことです。




昇降の補助のためのロープがかけられるほどの急斜面ですが、写真にするとあまり伝わらないかもしれません。




危険なのは登りよりも降る時です。転倒すると本当に下まで転がり落ちてしまいそうな階段です。


この階段は傾斜が一定になってないのではと登っていて感じたのを覚えています。写真を見て改めて分かりましたが、登るにつれて若干ですが傾斜が増しているように見えます。

(せたな町 2009年3月)
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降雪の濤沸湖畔 2017年2月 3

2019年02月09日 | オホーツク
2017年2月中旬に訪れた雪が降る網走市の濤沸湖の様子(こちらの続き)。翌朝まで深々と降り続いた雪はかなりの降雪量となりました。


濤沸湖の湖口近くに位置する水鳥湿地センターから。少数が越冬するオオハクチョウが丸まって風雪に耐えています。背後に写っている橋は国道244号です。


湖口付近で見られたホオジロガモ。


ホオジロガモはユーラシア大陸北部で繁殖し、冬になると越冬のため日本にやって来る渡り鳥です。


水鳥湿地センターの駐車場に車を停めさせてもらって国道244号の橋まで歩いてみました。左に写っているのはJR釧網線が濤沸湖の湖口を渡る橋です。


この年の冬、濤沸湖の湖口付近が例年に比べてかなり凍結している印象を受けました。


左端に重機が見えているように湖口付近で何か工事が行われていました。潮汐による流れのため凍結しにくい湖口ですが、工事と何か関係があったのかもしれません。




国道244号の橋から濤沸湖側の様子。





(網走市 2017年2月)
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日本最寒の地@幌加内町

2019年02月07日 | 上川・留萌
先月下旬、北米中西部において大寒波の影響で多くの街で機能停止するというニュースを見ましたが、今週末は北日本でも強烈な寒気が流れ込むと予報されています。過去最強クラスとも予報される今回の大寒波では札幌市の最高気温が-10℃を下回る可能性もあり、その場合、約40年ぶりの記録となるそうです。外出時の防寒対策や水道管の凍結など、十分注意が必要です。

さて、北海道における過去の最低気温を調べてみると、数値がいくつか存在していてややこしいのですが、気象庁公表の歴代全国ランキングでは1902年(明治35年)1月25日に旭川市で記録した-41.0℃が国内最低気温となっています。
青森県の八甲田山にて旧日本陸軍青森歩兵第5連隊の雪中行軍遭難事件が発生したのはこの時のことです。訓練に参加した210名中199名が死亡するこの事件は新田次郎氏著の「八甲田山 死の彷徨」を読むと詳しく分かります。運悪く襲来した大寒波と指揮系統の混乱から次々と斃れていく兵士たちの描写は恐怖そのものですが、一方、同時に別ルートで八甲田山を雪中行軍した弘前歩兵第31連隊が一人の犠牲者も出さず見事行軍を踏破する、その対比に深く考えさせられます。

気象庁の公式データでは上述の通り-41.0℃が最低気温となりますが、気象台や測候所以外の記録を含めると1931年(昭和6年)1月27日に美深町で観測された-41.5℃が最低になります。また、美深町の南西部に接する幌加内町母子里(もしり)地区も極めて寒い地域として知られており、1978年(昭和53年)年2月17日に記録された-41.2℃は戦後の最低気温の記録となるそうです。


2000年9月に撮影した幌加内町のカントリーサインです。-41.2℃の数値が記載されたモニュメントがデザインされています。幌加内町のカントリーサインは現在も変わらずこのデザインが使用されています。


モニュメントは母子里地区にある朱鞠内(しゅまりない)湖の湖畔にあります。2011年8月中旬に訪れた際に撮影しました。


朱鞠内湖の湖畔の様子。1943年(昭和18年)に完成した雨竜第一ダムによって形成された人造湖が朱鞠内湖です。


案内看板の拡大はこちら。朱鞠内湖は通常のダム湖ではあまり見られないような非常に入り組んだ複雑な形をしています。かつては深川市と名寄市を結んだ深名線が湖の周囲を走っていましたが、1995年(平成7年)に廃止となっています。朱鞠内湖の特に西側にはまったく人家のない場所が続きます。このような場所に平成の時代まで線路があったことが今となっては不思議です。看板には当時のままに深名線が残されています。


湖畔にある漁業組合のレストハウス。ワカサギが生息する朱鞠内湖には漁業権が設定されています。


ワカサギの他、コイやフナ、ヤマメといった淡水魚も豊富に生息する朱鞠内湖。大型のイトウも稀に釣れるそうです。


深い原生林に囲まれた静かな湖です。完全に結氷する厳冬期にはワカサギ釣り客で賑わいます。

(幌加内町 2011年8月)
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知床五湖高架木道 2010年5月 2

2019年02月05日 | 知床
2010年5月GWに撮影した知床五湖の高架木道の様子。高架木道の全体が完成したのは訪れる少し前の4月下旬のことでした(こちらの続き)。


知床五湖フィールドハウスがある駐車場から始まる木道の入口。自由に散策できる高架木道ですが、開園時間は7:30~18:30と看板にあります。


地上からの高さ約2mの高架木道。手摺の外側、木道の縁に金属のワイヤーが張られています。


金属ワイヤーは7000Vの高圧電圧が印加された電気柵なのでヒグマが出没しても木道に登ってくることが出来ず安全です。ヒグマの出没が多い知床ですが、木道付近の草原に現れることはそれほど多くないようです。


木道周辺の湿地には芽吹いたばかりのミズバショウが見られました。


時折小雨がぱらつく肌寒い生憎の天候でしたが、GWだけあってそれなりに観光客で賑わっていました。


木道周辺に広がる笹の草原は全体的に湿地帯になっているようです。







(斜里町 2010年5月)
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釧路町老者舞 2013年4月 2

2019年02月04日 | 釧路
2013年4月下旬に訪れた釧路町老者舞(おしゃまっぷ)の様子。釧路町の海岸線に連続する難読地名のひとつです(こちらの続き)。


釧路市から尻羽岬までの太平洋に面した海岸線を通る道道142号から撮影した老者舞の集落。道道142号は概ね標高100mほどの高台を通っています。所々、沢地形になった場所から海岸に降りていく道路が造られていて、その先の海沿いに集落が形成されています。


老者舞に下っていく道路の途中から撮影いた沢の様子。少し分かりにくいですが、中央から左方向にかけての山際の高さに道道142号が通っています。


漁港がある老者舞の集落の様子。集落の背後の崖の中腹に設けられた避難所からの撮影です。2016年の統計資料によると、老者舞には42世帯128人が暮らしています。釧路町の難読地名の集落の多くは世帯数が少なく、既に住民がいなくなり消滅した場所もありますが、その中で老者舞は比較的世帯数の多い地区です。同じく難読地名の集落として跡永賀(あとえか)を以前こちらで紹介していますが、跡永賀は4世帯21人となっています。


集落内の様子。




老者舞漁港にやって来ました。






老者舞は険しい断崖が続く海岸線の中にある約500mほどの砂浜に形成された集落です。1970年代の航空写真を見るとまだ漁港は建設されておらず、船を砂浜から直接海に漕ぎ出していた様子が分かります。



(釧路町 2013年4月)
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