The Diary of Ka2104-2

エッセイ「引っ越ししてからのシューベルトと共のこの一年」 ー 芸術家・石川勝敏

 

 契約書上7月1日入居のその日から、この5月に入って10ヶ月が経ちました。引っ越し業者の都合で7月4日なら空いているがこの日ならもっと安くできるとの言葉を受けた私は、7月1日にこの家にやって来て電気の開栓に立ち会いはするものの、引っ越しそのものはそれで構わないと判断したからです。紙に書いて私に見せた業者の営業さんからの見積額はなるほど受け入れるのに値するしごく廉価なことしきりでした。

 音楽をBGMとして流すのには転居してからまだ時間が掛かりました。というより余裕がないせいで余裕をつけるための音楽を入れることも考えられませんでした。少しずつ交響曲をランダムに流し始めた頃、私は家の事々を少しずつ片し整えつつ、よく町中を知るために集合住宅のある台地から短い坂を下っては町へと繰り出しました。やがてあらかたの方向性や店舗を知るに至ってからその巡りは目的地のある散歩へと替わってゆきました。散歩道は3方向あり、それらは121号を北へ行く道、新御堂筋に出て北と南へ行く道々であり、微に入り細に入りそれらの途中を曲がりくねったりはしませんでした。なにしろ丘陵地帯なものですからそうしてしまうととかく道路のアップダウンに出くわしてしまい安らかな気持ちで散歩するには不適格なのです。また、夏の日照りの頃、シェルターになるところも見つけまして、無印良品が坂下の複合商業施設の中の1階一部と2階を占めており、無料の給水機と100円玉で飲めるコーヒーもあることから、私はよくそこへ読み物をもって出掛けていました。テーブルとイスも御座います。この頃になると少し生活が安定しだして、それで、わたくしは家のBGMをシューベルトの交響曲全集に偶発的に決めだしたと言えるかと思います。なにゆえシューベルト?全く偶発的であります。今もっかこの全集の最後のCDを流しているので、一年が経つ頃にはまた替えるつもりでいます。次はDvorakにしようかと考えております。

 うちには室内と玄関前の外廊下とに植物がたくさんとなっています。ところが、室内の観葉植物が冬を乗り越え新芽まで出すに至ってからなにかしらにやられてしまう現象が数鉢に渉ってみられこれはしごく私の心まで蝕みました。今この5月にあって、外の整備と室内の様子見で空き時間が有効に使われています。わたし石川勝敏こと声楽家と画家の芸術家はその趣味はと問われれば園芸と筋トレになります。

 筋トレ用のベンチを購入し室内に眠ったままだったものも、ようようこの3月ぐらいからベンチプレス用に始動させました。最近になってこそ身体はスムーズに動くようになってきましたが、今まで筋肉痛と神経痛に悩まされておりました。それこそ室内に居るときは生活に当たってぎこちない動きをしていたものです。

 転居してからトラブルだったことは私の人生と同じように何もありません。普通に暮らしている、ただそれだけでは何も起きません。ただ、集合住宅においては、まずは7月1日に来て良かったことには、6畳の二間ともに照明が付いていなくそれゆえその日の内に坂下のエディオンで買い置きできたことです。もっともなんで照明が付いていないのかと腹立たしくも思いましたが。同じくエディオンで買ったエアコンが全く効かないのは「不良品」だったとのエディオンさんの言辞にはこのくそ暑いのになにをとぼけておられると心の中罵っておりました。数ヶ月が流れ、やがてトイレの水出しレバーが潰れ、続いてこれまたエディオンで買った真新しい洗濯機と洗面台下の給水管の接続口から水が漏れる、さような事がありました。家主のご主人さんがやって来てこう言いました。「こんなこともできんのか」「なんでも自分でやらなあかんぞ」と。店子に使う言葉かしらんではありますが、それよりおっしゃっている言葉の内容に私は意味付けができなく暴虐だと感ずると同時にそれら言葉はいまだに鮮明に私の心に刻まれております。先日、シャワーヘッドが潰れました。穴か裂け目で水漏れであります。私は家主の奥さんの携帯電話番号を知っていたので即座に型番をお伺いしました。私の用はそれだけでした。取り替えするだけですから。存じないようなのでシャワーヘッドに刻印されている3文字のアルファベットを頼りにネット通販で調べてみると、アダプターを挟む式のものが出て参りました。1000円ほどかかりました。目的が探している目当てのシャワーヘッドがあるという訳でなし交換が至上命題だったものですからその品で良かったのです。シャワーヘッドは無事交換できました。集合住宅には一人ご年配の婦人がおるのですが、これがストーカーのように私の巡りを追いかけてくるものですから、たとえば「挨拶」にかこつけたり、寂しいのかどうやら私を「いい人」と見ているようでそれで余計に人の足元見るようにこの婦人はトラブルメーカーになるのでした。過去形にしたのは、なにゆえか、どちらかというと希望的観測でしょうか。古い建物で、リビングとキッチンの真夏と真冬は厳しいものがありますが、2LDKはかけがえのない物件です。私はこれからの一年は過不足なく穏やかに暮らしていきたいと思っております。なにせ私はもう引っ越せなくここが終の棲家なのですから。

 私の積極的人間関係作りはここへきて終わりとしました。最近のことです。お金もないことですしそうそう何やかやに参加もしていられません。私が時々伺う地域活動支援センターは居心地の良い場所を提供してくれています。また、千里山駅前にあるコミュニティセンターも人探しに使うのでなしに本当におもしろそうだと思えるプログラムにだけその主意のためだけに使おうと今では思っています。先だってのことそこでおかしな逸話が御座います。「おやじの食堂」というプログラムがあるのですが、我々調理をしていざ食する段、私の前に座った方が「おやじでなく、じいさんの食堂にして欲しいな」と大胆にも私を前にしてそうおっしゃるのです。それではおやじの私は面目丸つぶれです。ですが私はこの方はそんなに老けても見えませんし、かわいい人だなと軽く受け流しました。そうしたらオーストラリア人の同席もあってそのテーブルはむしろなごやかで流ちょうな場となりました。私の心はいつでもオープンであります。ただ自ら活動のように友人・仲間を探すのだけはもうやめようと決めたのです。友愛と決別し孤独のまま没しようとはつゆとも思っておりません。さて、このような思いの中で次の一年はどうなってゆくことでしょうか。楽しみにして生きていこうと思います。

 では芸術についてこの一年はどうだったでしょうか?声楽曲アップはこの5月6日現在までで計5歌曲だったようです。少ないようですが、この収録のためボックスを予約で押さえなければならない点、それまでにlibrettoを暗記しスコアを暗譜、さらに声を発さずエアで自宅での歌いの練習をしなければならない点、そして「あれ」に干渉されてきてはまともな声自体が出ないので事実上キャンセルにてまた一ヶ月後と後回し後回しにならざるを得ない点、等々を加味するとわたくしとしては致し方ない総数だったのではと思いもします。絵画を見ていきましょう。5月6日現在までで総数計31にのぼります。セット組でアップしているものもあることを考慮に入れると更に点数としては上がります。昨年引っ越し月の7月の翌月8月には6点アップしております。また今年2024年1月から4月にかけて4ヶ月で16点アップしております。昨年8月と今年の4ヶ月に集中的に描いていることが窺えます。以前住んでいたワンルームは物があふれかえっていて絵を描くにも万年床の上に折り畳みの小さなテーブルをかしいで置いた上での右手にはピアノとその上の物々があるわで四つ切りサイズさえ描けませんでした。ですが転居してから私は計画どおり絵を描く専門の机を置きましたし他に邪魔する物質は何もないのでとても描くのに敵しておる昨今ですが、転居一ト月後の8月に6点とはそういうことが影響しているものと思われます。絵画には暗記がありませんし、スペースはというとうちの部屋が現場ですのでその意味でも声楽曲よりもハイペースだったことがわかります。これからの展望は全く未知数ですが、次の声楽曲はChe gelida maninaで、次の絵画は「生花」と思っていて下さって間違いはないと思います。

 わたくしは今年3月2日に57歳になりました。還暦の60歳まであと3年です。私はつい最近までこの事実を深刻に受け止めて参りました。ですがここのところ、あと3年を気張らずにどれだけ充実させることができるかという現実生活に目を転回させることに注意を向けています。そしてシニアともなれば色々な割引などサービスが待っているではありませんか。こちらの方に生活保護の身と致しましては関心がシフトし期待している所存で御座います。

 夜の過ごし方がわかりません。きっとこの時間帯は人との関わりに宛がうものなのだと思います。もうSNSで誤魔化すのは飽き飽きします。そこを思い直してベンチプレスしてみても継続にこそ力点を置きはしてもすなる時間をたっぷりととはいきませんもの。あるいはネットはネットでもYoutubeで交響曲をあさって自分で選んだ当該曲を見聞きしてはたまに「草花・雑草図鑑」といったポケット版の写真や解説に浮気してみてもそれはそれで楽しい時間が流れはするのですが何か違うといった気から離れることが出来ません。思うに、夜こそ孤独が身に沁みる時間はないのかもしれません。古来、人は夜を愛の時間に充てていました。それは生殖のためかもしれません。夜が人間一人を不安にさせるせいかもしれません。現代で言うなら、恋人同士の時間であったり、家族の団らんの時間であったり、外での飲食の時間であったりするのではないでしょうか。都会では夜空を見上げても星もまばらで見上げるだけ無駄と我々は心得ています。また、57にもなるとお星様に自分の人生を委ねるといった風にはあまりにもドライです。また、地方のきれいな空気の中お住まいの方は方で満天の夜空はなにも珍しくなく日常生活の一コマに過ぎないかと。私的に昼間は仲間たちと働いていて夜は孤独のキャンプがいいとされる方も中にはおいででしょう。そういう人たちは我々は今念頭に置いておりません。友人との語らいもないのは、おまえが幻声が発せられる向こう側に一人囲われてるからだという解釈は当を得ていても実を成しません。かといって夜の飲食と私がいうとき、それは焼き肉の食べ放題を月一で通うことしか思い浮かびませんし又それ以外は財布の問題で不可であります。肉食欲は人との愛とはかけ離れています。ゲイバーでも行くがいいさと人は言うかもしれませんが生活保護×一人では到底足が忍ばれます。私には貯めたお金で行き詰めた経験がありますから。これからも私は長い長い夜を一人で過ごさねばならないのでしょうか?せめてcamで誰かと話せればいいのですが。私が80まで生きるとしても、今後8千数百の夜を過ごしていかなければなりません。途方もなく途方に暮れます。

 私の朝はとても早くに訪れ、私はトイレのあとコーヒーをいれテレビのNHKに平日なら合わせ、そして鍋でその日の分のお米を炊きにかかります。炊き上がれば蒸らしている間に外の植物たちに水をやりメダカに餌を与えます。水やりは全ての植物に毎日というわけでなく草木、セダム・サボテン、苔の順に水を日替わりでやっていきます。朝食と食後の薬を済ませると、しんどくなければそのまま、しんどければ日本茶をすすってから、歯磨きとシャワーでその日一日の準備を済ませます。

 こうして夜も消え入りやがて朝が迎えてくれます。晴れの朝も雨の朝も風の朝も曇りの朝もいつだってどんなかたちであれ朝は訪れます。形而上学的かもしれませんが、明日は毎日回ってくるのになぜ人は夜ごとたゆたうのでしょうか?孤独な現代人は夜間不安神経症に陥りがちです。どうそれを遮ればいいのでしょう。答えはなんらかで誤魔化すか自殺することです。誤魔化しは人生にとって不誠実ではないでしょうか。自民党ならなんでも自助ファーストで自己管理ミスとでも言いかねません。孤独な人がその孤独を自ら助くるというのは、随分おかしな言い分では御座いませんか?野党もこういうことへの返答は持ち合わせてはおりません。つまり誰も救ってはくれません。たった一人の命も救えずに万人の命は救えません。

 私はあと8千余の夜を一人で一人渡ってゆかねばならないのでしょうか?ぞっと致しますので、これから夜に何をすべきかじっくり探り寄せていこうと思います。そうです。ごまかしであり自分への背徳であります。

 先だっての2月から3月にかけてわたくしはパルプ製の小さなカップをいくつも使って種を植え込みました。ひとつにはいちごであり、ひとつにはバジルであり、ひとつには大葉であります。4月に発芽しだしました。まずは大葉でした。種を植えた分すべてが発芽したのではと思うほど繁茂しました。そしていちごがちらほら7,8ほど発芽しました。こちらのいちごは発育もよくありません。最後にバジルは奇跡のようにひとつだけ芽吹きました。先日私はバジルは見限って他の大葉といちごの鉢への植え替えをしました。これでこの夏はわたしは大葉といちごの生育と共にその時間を過ごしてゆくことになろうかと思います。口が腐ってもわたくしがヴァカンスに出掛けないのは金欠とは言いません。ひとえにこれらへの水やりの為と負け惜しみを申し上げます。精神障害者にとって保養とは金持ちにしかできない特権です。せいぜい我々は精神病院に送られるだけです。大輪に咲くだろう深紅のバラやゴッホの絵に見られるようなヒノキ科のカイヅカイブキ(貝塚息吹)もこの春に植えたものです。

 そうですね。人から招かれるのも良いですが、せっかく広いうちですので、誰か複数人をわたしんちへ招くのも良いですね。パーティーをしましょ。かしわの叩きやかしわの天ぷらぐらいは作って置きますが、料理とドリンクは基本客の持ち寄りということでお願い申し上げます。

 

 

 


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