天の川を渡って

井上紗羅の波間の泡のように消えてゆく日常の防備録です。

ズーム イン

2017-04-22 23:25:11 | ニュース
今日の東京・世田谷区は曇り後雨。昼間は晴れ間も出ていたのに、夕方からにわかに雨が降り出した。


この頃の雨は穀雨とも言い、作物を育てる雨である。年によっては長雨となることもあるが、雨量としてはさほどのものではない。


春雨じゃ、濡れて行こう。という名句が出来たのは、このためと思われる。これからは一雨ごとに暖かくなる。そして間もなく初夏を迎える。


季節の食材が、季節でなくても手に入るようになって久しいが、やはり先物は味が今一つのようだ。旬の食材には敵わない。


畑の畝に植えられた野菜ではない、野菜工場で作られたレタスなどがスーパーなどでも普通に売られるようになってきた。


野菜工場の野菜は、直射日光に当たってないぶん、柔らかくて見た目は美しい。


虫にもかじられず、泥もついておらず、緑が濃すぎてごわごわで捨てられる部分もないようだ。


難点を言えば、やはり水分含有量が多すぎて、早く腐り易いのと、味が若干薄い気がする。これも好みに拠るだろうが。



世の中のものの大半は工場で造られるようになってきた。


これからは、人間の能力に匹敵するアンドロイドも盛んに作られるようになることだろう。


ならば、人間の価値とは何だろうか。


一つだけ言えることがある。


人の一生は有期である。


そしていくら外見を整えても、人は心のみすぼらしさは覆い隠すことはできない。


人は、作業能力に於いてその地位をアンドロイドに譲らざるを得ない以上、自身の管理能力すら無いアンドロイド以下の人間になっては、その存在価値をも失うことになる。










白き光の影に

2017-03-07 23:04:02 | ニュース
ばあちゃん、おばちゃん、あれがぬいぬいちゃんだよ。


小さな坊やが得意そうに壁のシミを指差した。


その家は、古いけれど大きな広い家だった。


一人で這うようにして階段を上り、大きな声を立てて笑っている坊やに、家族は声を失って壁のシミを見つめた。


雨水が沁み込んだのだろうか。


そこには、大きなてるてるぼうずのようなシミが出来ていた。


毎日一人で二階へ行くなんて。誰もいないのに、怖くないのかしら。


家族は、不思議に思っていた。


あるとき、恐る恐る階段を上っていくと、子供の話し声がした。


驚いてのぞくと、坊やは壁に向かって話をしていた。


ねえ、でてきて。いっしょにあそぼうよ。


坊やが言っても、壁のシミは動かない。


気味が悪そうに、大人たちは急いで坊やを抱いた。


下へ降りようよ。お菓子があるよ。


坊やは素直にうなづいて、腕からするりと降り、壁のシミに手を1回だけ振った。





1階には画廊のような部屋もあり、絵の具が床に降り積もっていた。


誰かが、キャンパスに腕を奮っていたのだろう。油性の絵の具は、こんもりと床に凹凸をつけていた。


庭には大きな樹が幾本も重なり合い、東京なのに、まるで林の中にいるようだった。


落ち葉の降り積もった土は柔らかく、真っ黒で湿った匂いを放っていた。


空から降り注ぐ夏の陽射しは、髪を焦がすほどだったが、その庭には凛とした静けさがあった。

桜舞う頃に~迷い道にいる君に捧げる詩

2017-03-05 23:41:53 | ニュース
桜の季節は心弾む季節。

けれども別れの季節でもある。

卒業は嬉しいけれど、共に暮らしてきたクラスの友ともバラバラになる。

大人になるということは、何かを手放し、何かを得るということを繰り返すことなのかも知れない。


人は生きているだけで、誰かの助けを借り、何かを消費しなければならない。

一人で生きていると思ってみても、世界中の人がいなくなれば、人は生きることができない。

他人にわずらわされたくないと思いながらも、他人をわずらわせながら生きているのだ。

こうやって誰だって大人になっていく。


2000年生まれの子供たちが、これからの世界をつくっていくのだ。

たくさんの概念を覆し、たくさんの発見・発明が為されていくことだろう。

そしてそれらは、いつだって人の手で行われてきたのだ。

偏差値が高いことだけが、人の存在価値を計るすべではない。


人と違った価値を持つ。それが何だっていい。

それが、自分という個を支える価値の全てなのだから。

思春期の頃は、見た目の差異に優劣を感じてしまうこともある。

思いが届かなくて傷ついても、また違う人生を探せばいい。


時間はたっぷりあるのだから。生き急ぐことはない。

農家のスープ

2017-02-28 23:11:45 | ニュース
時計だけが鈍く響く部屋で、おばあさんはカギ編み棒をゆっくり動かしていた。

すぐそばでは、ストーブにかかった寸胴鍋が時々ぼわっと湯気を上げていた。

もう、わたしには何にもできないよ。

おばあさんは困ったような顔でそうつぶやいて、ため息をついた。

顔を上げた窓辺に差し込む陽は、もうすでに傾きかけていた。



窓の外をひとしきり見つめて、おばあさんは目を細めた。

そろそろ焼くかね。

おばあさんは、ゆっくりゆっくりかまどを開け、テーブルの上に置いてあった、こねた小麦粉を並べて火をつけた。

大きなしみのある枯れ木のような腕で、おばあさんはほつれた前髪を掻き上げた。

それでもね。朝から煮込んだスープと黒パンがあれば幸せなのさ。


カラーン。

大きな音がして玄関が開き、まず犬と子供たちが賑やかに駆けこんできた。

寂しかった家の窓には、オレンジの明かりが灯り、温かな笑い声に包まれていった。

外には黒絹のような、しんとした夜のしじまが広がっていた。

老人と猫

2017-02-26 00:05:00 | ニュース
その番屋は、海の近くにあった。

大勢の若い衆が次々と鮭を上げる。

番屋はいつも活気に満ちていた。

そのすぐ近くまで来る熊がいた。

傷物の鮭を川淵に投げ捨てていたからか。

恐がる若い衆に、親方は怯まなかった。

あれは母さん熊だ。子供に食べさせているんだ。

やがて鮭の魚影も薄くなり、番屋を閉める頃が来た。

それを知ってか、親方が手を振ると、何度も何度も振り返りながら熊は去っていった。

間もなく北海道に雪がちらつき始めた。

毎年番屋を閉めると、ねずみの被害が大きくて。

あの独り者のじいさんに頼もうか。

じいさんは、若い頃世話になった番屋だ、と二つ返事で諾してくれた。

子供を亡くしてから、妻にも先立たれ、独りぼっちで住んでいた。

番屋の相棒は一匹の猫だった。

冬の間、狭い小屋の中で、一人と一匹は、それでもつつがなく暮らしていた。

やがて長い冬が終わりを告げ、北海道にも春がやってきた。

じいさんが小屋の外で手足を伸ばして振り返ると、外に出られた喜びで走り回る猫の乗った流氷が、今まさに離岸しようとしていた。

じいさんは渾身の力でその流氷に飛び乗った。

やっとの思いで猫を抱いた時、じいさんの乗った流氷は潮目の違う流氷と激突した。

猫を抱いたまま、じいさんは岸壁の岩に打ち付けられた。

一冬一緒に過ごした猫だ。見捨てるわけにはいかなかったんだよ。

じいさんの亡骸は、小屋を見に来た若い衆に、そう語っていた。