先週は連続する台風の接近に悩まされました。伊豆大島の悲劇がいっそう自然の怖さを思い知らされます。台風一過の27日の日曜日、高尾山に登りました。ハイカーも驚くほど多かったですね。
紺碧の青空の下、空気が澄み切り遠く都心の街並みもくっきりと見えました。
そのハイキングの道脇で、あの「アサギマダラ」という蝶に出会いました。あのというのは、この蝶はその美しさに加え、驚異的な長距離移動をすることで有名です。春から夏にかけては本州等の涼しい高原地帯を繁殖地とし、秋、気温の低下と共に南方へ移動を開始。遠く九州や沖縄、さらに八重山諸島や台湾にまで海を越えて飛んでいくそうです。海を渡って1000キロ以上の大移動です。冬の間は、暖かい南の島で過ごし、新たに繁殖した世代の蝶が春から初夏にかけて南から北上し、本州の高原地帯に戻るという生活のサイクルをきちんと守っているのです。季節により長距離移動(渡り)をする日本で唯一の蝶ということ。台湾・陽明山まで2100キロを飛んだのがこれまで5個体が確認されているそうです。
この蝶、間もなく南へ飛び立つのでしょう。そして春になってこの子供達と共にまたここに戻ってくるのです。本州では八ヶ岳でよく見かけるようですが、ここ高尾山で遭遇できるとは。感動しました。来春に是非再会したいものです。
横須賀浦賀港の入り口の両岸に二つの叶神社が向かい合って鎮座しています。正式名称はどちらも叶神社ですが、西岸の神社を「西叶神社」,東岸の神社を「東叶神社」と呼んでいます。御祭神はどちらも第15代応神天皇の譽田別尊(ほむたわけのみこと)。「叶神社」この縁起のよい名を持つ神社は,日本中を探してもここ浦賀にしかないそうです。
幕末の1860年に勝海舟率いる「咸臨丸」はアメリカに向けて、ここ浦賀港を出港しました。勝海舟はここで航海の無事を祈り断食修行をしたといわれています。
その由来からか東叶神社に『勝」というお守りがあります。先日のハイキングの時に、「己に勝つ」「病に勝つ」そして「○○に勝つ」を祈願して拝受致しました。さて最後の○○は何でしょうか。ここで公にすると負けそうですので、敢えて○○と致しました。
まだ際だった効用はありませんが。
東京湾浦賀港の入り口には、1648年に完成した「燈明堂」があります。和式灯台です。明治2年(1869年)、日本初の洋式灯台である観音埼灯台が建設されたことによって、燈明堂はその使命を終えました。今では史跡として復元されています。
1853年に、マシュー・ペリー代将が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が、日本に来航しましたが、この燈明堂は艦隊の航行の目安ともなったといわれています。当初久里浜に来航しましたが、久里浜の港は砂浜で黒船が停泊できなかったことから、幕府は江戸湾浦賀に誘導しましたた。この沖合に黒船4隻が来港したときの驚きはさぞかしと思われます。対岸の陸地は房総半島。狭い東京湾の入り口です。
まだまだ暑さが続きますが、秋は観光の季節。あちこち出かけたくなる気分になります。10日に「小江戸 川越」に出かけました。今春、鉄道五社によろ相互直通運転開始で横浜からの交通アクセスが大変便利になりました。乗り換え無し、1時間30分足らずの時間です。
「小江戸」(こえど)の別名を持つ川越は、江戸時代には親藩の川越藩の城下町として栄えた都市です。城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方で鎌倉、日光に次ぐといわれています。埼玉県内では唯一国から「歴史都市」に認定されています。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、市内の観光名所には年間約620万人もの観光客が訪れる観光都市。ふと、タイムスリップしそうな歴史町です。来週19日、20日には壮大な「川越祭り」があり、100万人の人出予想だとか。
東京駅の赤レンガの駅舎が改装オープンしたのが昨年の10月。丁度1年になります。丸の内界隈はこれとともに再開発が進み、丸ビル、新丸ビルと近代的な街並みになってきました。その中でも丸の内南口改札口の前にある「東京中央郵便局」も改装され「KITTE」という新しい高層ビル商業施設に生まれ変わりました。半年前の3月にオープンしたばかりです。
保存改修された中央郵便局の6階屋上は展望テラスとして解放されています。そこから眺める東京駅の風景は正に新しい丸の内の顔です。ホームの一部も観ることができます。新幹線を初め多くの電車ががひっきりなしに出入る光景は、一日中観ても飽きることがなさそう。
先週、2日の新発見です。