有機ゲルマニウム体験記

Sursum corda (スルスム・コルダ) 〜心を挙げて〜

『私のゲルマニウム体験記』(1): 有機ゲルマニウムとの出会い

2024年02月06日 | 有機ゲルマニウム体験記

「有機ゲルマニウムとの出会い」

(使用した製品: ゲルマニウムウォーター  
 主な効果: 偏頭痛、生理痛、中耳炎、扁桃腺炎、喘息など)


私は1980年代の初め、17、8歳の頃に、両親と弟の家族4人で、有機ゲルマニウムを飲んでいた。
ある日父が「すごい評判になっている『夢の万能薬』だぞ!」と言って、謎の水を買って来たのだ。

弟は「誰かの紹介があったらしい」と記憶していたが、父はすでに亡くなっていて、
購入の経緯や、正確な商品名などはわからない。 その水には独特の酸味があったので、
柑橘類が苦手な弟は「スッパイゲルマニウム」と呼んでいた。

私は味にはそこまで抵抗はなかったが、『夢の万能薬』という言葉は大げさだと感じていた。
流行り物好きの両親には、それまでにも似たような触れ込みで、様々な物を飲まされていたからだ。
「どうせまた、すぐに飽きるだろう」と思っていたのだが、
これが他の健康食品とは比較にならないほど絶大な効果がある物だということを、私は身を以て知ることになる。

当時私は偏頭痛や生理痛が酷くて、いつもかなりの量の鎮痛剤を飲んでいた。
また中耳炎や扁桃腺炎になりやすく、ほぼ毎月のように耳鼻咽喉科に通っていた。
さらに夜中に度々喘息の発作を起こし、寝不足になりがちだった。

その状況が、ゲルマニウムを飲み始めた途端、劇的に一変した。
まず、夜は良く眠れる。息苦しさで目覚める事も無く、「今日は咳が出ませんように、咳が出ませんように」と、
祈りながら床に就いていたのが嘘のように、朝までぐっすりと眠れる。

中耳炎や扁桃腺炎にもかからなくなった。
ズキッ、ズキッと続く耳の痛みや、 唾を飲み込む度に感じる喉の痛みが、まったく出なくなった。
生理痛や偏頭痛にも良く効いて、鎮痛剤の出番も無くなった。

それでもたまに強い痛みが出た時には、いつもの倍くらいの量のゲルマニウムを飲んだ。
学校にいる間に「帰って飲んだら治る、絶対治る」と、自分に言い聞かせていた事を覚えている。
その期待が裏切られたことは一度もなかった。

痛みや苦しみの無い、健やかな日々!
それまでの私には想像することもできなかった『幸福』だった。

このように、私にとってはまさしく「夢の薬」だったのだが、
家族の中で効いたのは、なぜか私だけだった。
効果があまりにも顕著だったので、両親はゲルマニウムを買い続けてはくれたが、
同じように毎日飲んでいても、私以外の者には目立った効果は無かった。

後に浅井一彦博士の著書を読んだり、浅井ゲルマニウム研究所の中村宜司氏による「アサイゲルマニウムセミナー」で
お話を伺ったりしたので、今では効き方にはかなり個人差があること、特に食べ物や精神状態などによって、
大きく差が出るということを知っている。

両親に関して言えば、父親はヘビースモーカーで大の酒好き、一日中コーヒーをがぶ飲みしていたし、
母親は気が短くて、気分屋で偏食家、そして二人とも相当の肥満体型だった。
効果が出なかったのも不思議ではない。弟の方はもともと身体に不調があった訳ではないので、
はっきりと違いを感じることがなかったのだろう。

それでも長く飲み続けていれば、両親や弟にも良い変化が現れたと思うのだが、
残念なことに、私たち家族と有機ゲルマニウムとの関わりは、一年足らずで突然終わりを告げる。

ある夜、激怒した両親に「こんなもん、全部捨てる!」「毒だったんだ!人が死んでるんだぞ!」
「ニセもんだった!バカ高かったのに!」などと言われた。
『ゲルマニウムは危険』という大きな誤解を生み、いまだに社会に多大な影響を及ぼしている健康被害事件、
悪質な業者が無機ゲルマニウムを有機ゲルマニウムとして販売し、死者まで出したことを耳にしたためだった。

当時はそれらの詳しい事情を知る由もなかったが、それでも私はゲルマニウムが「ニセ物」だとは、
ましてや「毒」だとは、微塵も思わなかった。
ただ、手にしたばかりの、苦痛の無い、穏やかな生活が失われてしまうことを思って、
目の前が真っ暗になった。

私は懸命に、自分にはとても良く効いたことを訴えたが、両親はまるで聞く耳を持たなかった。
「そんなの、効く、効くって言われて、その気になってただけだ!」
「バカだから騙されるんだ!」等々、まるで八つ当たりのように罵倒され、 結局すべての水が処分されてしまった、、、

こうして私の前からゲルマニウムは姿を消した。
両親はアロエやニンニクエキス、朝鮮人参など、ありとあらゆる健康食品をまた使い出した。
それらは私にとっては、それこそ「効くと言われれば、そうなのかも」と答えるしかないような物で、
到底ゲルマニウムの代わりになるようなものではなかった。

私の症状はやがてすべてぶり返し、薬漬けで、不調が当たり前の日々に戻ってしまった。
痛みが酷い時、発作で眠れない夜など、「ゲルマニウムがあったなら」と何度思ったことだろうか。

あの時代には、情報源と言えばテレビと週刊誌くらいしか無かった。
ゲルマニウムの効果を、ついに一度も実感することがなかった両親が、それらが垂れ流すゴシップを鵜呑みにしてしまったのは、
あるいは無理からぬことではあったかもしれない。

けれども、あの騒動の中でも、惑わされる事なくゲルマニウムを使い続けた人たちはいたのだ。
そしてその人たちと、人々の健康のために、大きな困難の中で努力を続けてくださった会社の方々のおかげで、
私は有機ゲルマニウムとの再会を果たす。

40年後の事だった。