sally's style

二次創作・小説。全年齢向けBL。関係各所とは無関係。閲覧は自己責任で。【厳禁】転載・引用・保存・翻訳。AI学習禁止。

澄んで青(義炭)

2024-07-30 13:40:05 | 義炭(ぎゆたん)
本日、
竈門が、俺の家に来る。

俺は、
朝早く起き、道場のすみずみまでを拭き清めた。
(あれが怪我をしてはいけない)
しばらく、
そこで木刀を振り、
それからもう1度掃除をして、
水を浴びに庭へ出た。
(綺麗な空だ)

薄い霧が少しずつはがれ、澄んだ青が見えはじめる。
ひんやりとした空気が、徐々にぬくもってくる。
(空が綺麗だ、などと思ったのは何年ぶりか)

朝食のあと、少し道場内を走り、
また綺麗にした。
自分の部屋も掃除し、片づける。
(あれが喜ぶかもしれない)
庭で摘んだ小さな青い菊を床の間に飾ってみる。うむ、悪くない。

庭で大葉を摘み、
多めに炊いた飯を塩にぎりにし、
大葉で包んで焼いた。わざわざ庭に七輪を出して。
そうこうしているうちに、あめ屋の声がおもてで聞こえたので、
呼びとめて水あめをひとつ買う。
庭にとって返して、七輪の炭火を消し、
焼きおにぎりを皿に取り、水あめとともに持って、台所へ向かう。
大切な砂糖と、野菜カゴの中にあったショウガ、
それに水あめと水で「あめ湯」を作り、台所の窓辺にて冷ましておく。
(俺は何をやっているんだ)

そこで、
俺はふと、我に返った。
(あれは稽古に来るのであって、
遊びに来るのではない)
そう思いながらも、自分はすでに、ぬか床に手をかけている。キュウリを出そうと。
(弟弟子にたらふく喰わせるのも、
兄弟子の役目)

キュウリのぬか漬けを、いつもよりていねいに切った。

「冨岡さーん」

じきに、門の向こうから、竈門のほがらかな声がした。
俺は無表情で、だが、早足で門へ向かい、ゆっくりと門を開ける。
「良いお天気ですね!!  冨岡さん!!
お団子買ってきました!!」
「……」

俺は、
無邪気な笑顔の彼から、団子の入った竹皮の包みを受け取り、
彼に、くるりと背を向けた。

「いつ来てもすてきなお庭!!
お花もお野菜もたくさんですね!!」
竈門は、明るい声で俺の背中に話しかける。俺は、なんと返事をすれば良いのかわからない。
庭の花はどこからか飛んで来た種が芽吹いたものだし、
庭木は植木屋に適当に頼み、野菜も、
下女に言われるがままに育てている。
それを彼は喜んで観ている。なんだかもやもやする。

「お茶、淹れますね!!
あ、あらあら、良いにおい」
「!!」
家の中に一歩足を踏み入れて、竈門が不思議そうな表情になる。
「あめ湯と、大葉と、おにぎりのにおい!!」
「……」
「冨岡さん、もしかして、
今日、良いひとが来たんですか!?」

「……」
俺は内心とても動揺したが、
幸いにも顔には出なかった。
(なぜだろう)

「済みません。
もしかして、俺、お邪魔を」
今にも泣き出しそうな顔をする竈門を見て、俺も悲しくなったが、
なんと言ったら良いのかまるでわからなかった。
「俺、帰ります。
お団子は差し上げます」
「!!」
俺は、

思わず、彼の着物の腕を、強くつかんだ。

「……」
「冨岡さん?」
「……」
「あ、あの、」

俺は、
そのまま彼をずるずる引きずって、自室へ戻る。
上座と下座に、俺の用意した膳があった。

「あ、あの、」
「……」
「お、おいしそう、ですね」
「……」

「もしかして、
良いひとに頼んで、
俺のためにお昼をこしらえてもらったんですか?」

「……俺が作った」
「え?  なんですか?  聞こえない」
「……座れ」
「は、はい!!」

竈門はあわてて下座に座る。そして、
しばらく戸惑うように、
俺の顔と目の前の膳を見くらべていたが、
「あ、
冨岡さんのあったかーいにおいがする」

と、うれしそうに言い、
へにゃっと笑ってみせた。
「……」
俺は内心とても動揺したが、
幸いにも顔には出なかった。

「えへへー、
冨岡さんが手ずから用意してくださったお膳をいただけるなんて、
俺、しあわせです」
「……」
「冨岡さんとご飯を食べられるなんて、
夢のようです」
「……」

こんな時、
気の利いた言葉ひとつ出てこない自分が憎いが、
竈門は機嫌よくニコニコしている。
(可愛い)

「食え」
「いただきまーす。
わぁ、おいしそう!!
おっきなおにぎり!!」
竈門は、ニコニコしたまま、焼きおにぎりを手にし、
大きな口でかぶりつく。
「わぁー!!
とってもおいしいです!!
冨岡さん!!」
「……」

「おいしい、おいしい!!」
俺は、
ニコニコしながら焼きおにぎりをたいらげた竈門の姿に満足し、
自分も握り飯を手にする。
「!?」

焦げた砂糖のにおいがする……

「竈門!!」
「は、はい!!  冨岡さん!!」
「ちょっと来い!!」
俺は、
竈門の腕を強く引っ張り、あわてて庭へ向かう。
(こいつ、
家に入った時点で、においに気づいてたんだろうに)

井戸水を出し、
茶碗に注いで竈門に渡す。
「ゆっくり飲め」
「は、はい!!」
彼は、言われた通りに、水をゆっくり、こくこくと飲む。
そして、

俺は左手で彼の口を開けさせ、右手の人差し指と中指を、喉の奥へつっこむ。
「にゃにふるんでふか!!」
「吐け」
「にやでしゅお。もっはいにゃい!!」
「良いから吐け」
(なんてことだ。
弟弟子を腹いっぱいにさせたいと思ったのに、
まずい飯を喰わせてしまった)

「やめてください!!」

竈門が俺の手を強い力で振り払う。その目には、大粒の涙が溜まっていた。
「……済まない」
俺が小さな声でそう言うと、竈門はズズッと軽く鼻をすすった。

「お砂糖は貴重品です!!
俺の口にはめったに入りません!!
あんなにふんだんに使ってくださって。
ご馳走ですよ!!」
「……だが、」
「ご馳走です!!」

涙をポロポロこぼしながら、俺をまっすぐ見てそう訴える彼を見て、
俺は急に、彼を強く抱きしめたくなった。
(なぜだろう)

強く抱きしめて抱きしめて、
離したくなくなってしまった。
(なぜだろう)

振りあおいだ空は澄んで青。
抱きしめた彼から、甘い砂糖のにおいがする。
(あぁ)

気の利いたことひとつ言えない自分が憎い。
空が綺麗だな、と言う一言でさえ。

(2024.07.30 公開)

夏来る(義炭)

2024-07-20 09:42:38 | 義炭(ぎゆたん)
青々とした桜の木立にかくれるように、
そのひとは古びたあめ色の木のベンチにて、分厚い本を開いていた。

「冨岡先生」
俺がそっとその名を呼ぶと、彼はうろんな目を上げる。そして、
その青色の目が俺の姿で焦点を結んだのか、はにかむようにわずかに笑ってみせた。
「ここは暑いです。中にいらっしゃればよかったのに」
返事の代わりに彼は、窓を振り返る。赤いレンガ造りの大きな図書館の中には、
ひとがいっぱいいた。今日は土曜日。しかも今は夏休みだからだ。

梅雨明け間近の太陽を浴びた葉は青から緑へのグラデーションが美しく、
透き通るような彼の頬に魚影のような文様を描いていた。
長くつややかな黒髪がしっかりとまとめられている。「その髪、どうしたんですか」と問うと、
彼がすっと後頭部を見せる。俺は思わずあんぐりと口を開けた。

サイドは編み込み、後ろはおだんごにまとまり、
大粒の淡色パールがならんだ金色の櫛を差してある。
「宇随が」
どうやら、
ここへ来る道すがら、同僚の宇随先生につかまったらしい。デートなのを即座に見抜かれたにちがいない。
今日、彼は、麻の青いシャツを着ている。光の当たり具合によって、
紫や青紫にも見える。ていねいなつくりのものだと、素人目にもわかった。
ボトムはベージュのスラックス。薄手で着心地がよさそうだ。黒いスニーカーは履き古してはいるが、常にきれいに手入れされていることを俺は知っている。

彼が、
自分のかたわらにあった黒い大きな水筒から、
水筒のふたに何かを注いで俺に渡してくれる。無表情のままだったが、
その目には優しい光がほんのりと灯っている。
「ありがとうございます」
受け取ったら中身は冷たい麦茶だった。駅から走ってきたことがわかったのだろうか。汗をかいているからか。
これでも近くのコンビニのトイレで、乱れた髪を直し、汗を拭いてきたのに、
ここに来るまでにまた汗ばんでしまった。太陽の光はきつい。だが、
彼のまわりはいつも、静かでひんやりとした空気に包まれている。
(心地好い)

彼がぱふぱふと自分のとなりを軽くたたいたので、遠慮なく座る。
彼が手にしている辞書のように厚い本には、「スイス」と言う文字が見てとれた。
「行きたいんですか。スイス」
心のこもった冷たい麦茶で喉をうるおし、俺は彼をじっと見つめる。すると、
彼は、少し小首をかしげ、それから俺を見て、わずかに薄く赤い唇をゆるめた。
「おまえは?」

俺がいっしょに行く前提だった。
首から上までカーッと熱くなるのを感じる。行きたい。行きたい? いや、
行きたいのか? 俺、スイス。
(あなたとなら、どこへでも)

俺が顔を赤らめているので何か大きな勘違いをしたらしく、
彼は2杯目の麦茶を注いで寄越し、
それから、腰のベルトにつけていた小さな黒いバッグから、青いタオルハンカチを出して、そっと差し出してきた。
「ありがとうございます。冨岡先生」
俺の心からの感謝に、彼がまたはにかむように笑う。右目の下にできた深い笑いじわに、
飛んできたミツバチの羽の小さな影が映る。

俺は昨年20歳になり、彼はもういくつになったのか。
恩師である彼は、今は「恋人」と名がつく。恋人と名がついても、
相変わらず彼はとても静かで、だが、そのあたたかいまなざしや、
ちょっとした気づかいから、あふれんばかりの愛情を感じる。
(俺のために冷たい麦茶を淹れてきてくれるし)

「中に入ろうか。炭治郎」

彼がそう言って、静かにほほ笑んだ。俺は、飲みかけの麦茶を一気に飲み干す。
「ですが、先生。
中はとても混んでいますよ」
「中は涼しい」

あぁ、また、気づかわれた。

「うちにいらっしゃいませんか。
ミートパイを焼こうと思って、中身だけ作っておきました」
「ありがとう」
俺の提案に、彼は深い低音で答える。無表情だが、とってもうれしそうなにおいがする。甘くかぐわしいはちみつのような。
(ドキドキする。
ドキドキしすぎて、胸がはちきれそうだ)

「土産を」
「あの、先生」
もう1杯麦茶を注いで、彼が俺に渡してくれる。わんこ麦茶状態だが、
これ以上飲んだら、お手洗いが近くなってしまう。

「俺、実家から引っ越したんです」

「!?」
彼の青い目が、紫色や青紫色が混じりあう困惑した色に変わる。俺は、
その万華鏡のような色の交わりを、じっくりと堪能し、
それから、
彼に、小さな銀色の鍵を差し出した。

「来て、くださいますか。義勇さん」

全身の毛穴から汗が噴き出す。ミツバチが低く愛らしい羽音を立て、
それに呼応するように緑が揺れ、真夏がすぐ近いことを告げる香りを放つ。
(この夏は、
この夏も、あなたといっしょに)

不意に、
差し出した手を、ぎゅっと握られた。
氷のように冷たい手の温度に俺はぎょっとし、それから、とても心配になる。
俺を待つ間、あなたは、こんなに冷たい手をひとりで我慢していたのかと。
「わかった」

彼がまたわずかにほほ笑んだ。はにかむように。
笑うとちょっと幼くなる。笑いじわが深くなる。彼も俺と同じように年を重ね、
以前はなかった目の下のしわが、彼の完ぺきな美貌を少しだけ崩し、
それがまた、
心がふるえるほどに愛しいのだった。
(義勇さんが、いっぱい笑ってくれるようになった証拠だから)

「よろしく」

強く手を握られて、頼もしく感じるのに戸惑った。
「あの、義勇さん。
俺、あなたと握手したかったわけではなくて」
「?」
「あの、この鍵を、
あなたに持っていてほしくて」
「!!」

伝わらなくて伝わらなくて伝わらなくても、
そのもどかしさも距離感も、今はただひたすらに愛しい。
あなたと過ごす夏も、春も秋も冬も、
風の温度や街のにおい、移り変わる草花の色、
何もかもが愛しい。あなたといっしょにいる時の。

「土産を」
「あの、俺、
ひとり暮らしなんで、そう言うの、気にしないでください!!」
あわてた俺を見て、彼は目を丸くし、
それから、ふんわりと笑う。
小さな花がひかえめに甘く香るように。

「スイス産のチーズ」
「え?」

「俺の家にある」

伝わらなくて伝わらなくて伝わらなくても、
伝わった時のうれしさは、何ものにも代えがたい。
「お、お邪魔、します」
「どうぞ」

うまい具合に今日も、彼の家へとみちびかれた。
彼の深い笑いじわを見て気づいた。確信犯だと。

(2024.07.20 公開)

Little by Little(義炭)

2020-05-26 09:59:49 | 義炭(ぎゆたん)
真っ赤な夕焼けを飲み込むような鈍色の雲。
会社の窓からそれを見上げていた俺は、はああ、と深いため息を吐き出した。
(あぁ、帰りたくないなぁー)
俺のため息で窓がくもる。
(だって、義勇さん、絶対怒ってると思うし)


昨日、
俺は、
同居する冨岡義勇さんと喧嘩をしました。


「おい、竈門」
「ひえっ!」
後ろから声をかけられて、俺は思わず変な悲鳴を上げてしまう。
「どうした? 今日はやけにため息が多いんだな」
「宇髄さん」
振り返るとそこには、上司の宇髄天元さんが立っていた。今日もブランドものの茶色のスーツでビシッと決めている。
宇髄さんは社内でも1位2位の成績を争う優秀な社員だ。長身の美形で、英語とフランス語が堪能と来た。モテないわけがない。
(義勇さんは在宅ワーカーだから、いつもジャージ姿なんだよな)
俺は同居人のことを思い浮かべてみる。い、いや、義勇さんだって何を着ても格好良いですよ!?
上背も肩幅もあるし、黒髪はふさふさ、つやつやしているし、肌も白くてなめらかで、
切れ長の目は青みがかって宝石みたいだし、形の良い唇は紅色だし。
(って、俺、何でまた義勇さんのことを思い出してるんだよ!)
昨日の夜、
夕食を食べたあと、いつものように義勇さんに会社でのことを聞いてもらった。
俺の勤めるここは東京都内にある大手の食品会社で、俺はこの春から営業2課に配属された。
今まで総務部にいたので、初めての外回りに、俺は毎日四苦八苦し、どっぷりと疲れて家に帰る。
義勇さんの職業はライターだ。特技の英語とフランス語を駆使して、主に翻訳家として活動している。
- いつもお家にいる義勇さんには、
俺の気持ちなんてわかりませんよ!!
(あー、昨日の俺、最低だよ……)
どうしてあんなことを言ってしまったのか。義勇さんは無表情だったけれど、
その目に悲しそうな色をたたえて、しばらく静かに俺を見つめたあと、
おもむろに、
腕立て伏せをはじめた -
(えっ、何で?)
俺はしばらくぽかんとそんな義勇さんを見つめ、
それから、ひとりで風呂に入り、自分の部屋に布団を敷いて寝た。
義勇さんの部屋からは夜通しパソコンのキーをたたく音が聞こえてきた。まるで雨のような優しい音が。
そして、今朝。
義勇さんはいつもと変わらない無表情で、
タマゴとベーコンを閉じ込めたトーストと、トマトとアスパラのサラダ、
それにカボチャのポタージュを用意してくれた。なのに、
俺は行ってきます、以外には、何も言わなかった。
(あー、どうやって謝ろう……)
そして俺は気づく。
そう言えば、義勇さんと喧嘩をするのははじめてだ、と。


義勇さんと俺は6歳差の幼なじみで、
俺が物心つく頃には、義勇さんは鱗滝さんと言う親せきのおじさんとふたり暮らしをしていた。
義勇さんはたまに俺の実家のパン屋を手伝ってくれたり、
いそがしいうちの両親に代わって、食事を作ってくれたりした。
義勇さんが大学1年生の時、イギリスに留学することになって、
俺は大泣きした。目玉が溶けるかと思うくらいに泣いた。
そして、気づいたんだ。俺は義勇さんに恋をしているんだって。
イギリスに行く前、義勇さんは俺に言ってくれた。
- 帰ってきたら俺の恋人になってくれないか。炭治郎。
(あの時の天にものぼるような心地を忘れちゃうなんて、
俺って何て最低なやつ)
「竈門。
気晴らしに今日、ちょっと飲みに行くか。
販促部の我妻も誘って。おまえ、同期で仲良かったろ」


宇髄さんがそう言ってくれたけれど、俺は虫みたいに窓に貼りついたままだ。
「ご一緒したいのはやまやまですけど、
我妻くんは宇髄さんと飲みに行くのはあまり好きではないのでは」
「あぁ、あいつのはただのツンデレだから」
「ハァ」
口を開けばため息しか出て来ない。家に帰りたくない。飲みに行きたい。
でも、義勇さんが夕食を準備していてくれるだろうし、飲みや食事に行く時は、
前もって伝えるように言われている。
(義勇さんの顔を見たら、またひどいことを言っちゃいそうでこわい)
「おまえ、何でそんなにため息ついてるんだよ。ため息製造機か。
今日一日、このオフィスにおまえのため息に寄る二酸化炭素が充満してたぞ」
「……実は、彼氏と喧嘩しちゃって」
「ふむ」
俺が振り向かないでいると、宇髄さんは何かを考えているのか、
しばらく黙りこみ、
それから、
「竈門。
これ、やる」


自宅マンションの前で、俺はまた深いため息を吐き出した。
(義勇さん、怒ってないかな)
頬にポツ、と言う雨が落ちる。まずい。降りだした。早く帰らないと。
(もおおおおお、
玄関のドアを開けたら、まず、謝ろう!!)
俺はそう決心してスタスタと歩き出す。先手必勝だ!


「義勇さん、ただいま!
ごめんなさい! これ、お土産!!」
玄関のドアを開けた瞬間、俺は中に向かってそう叫んだ。
「おぉ、駅前の新しい店のシュークリームじゃないか」
「!?」
そんな俺に返事をしたのは久しぶりに聞く声だった。ぎ、義勇さんじゃ、ない?
「さ、錆兎!」
「おい、義勇!
炭治郎、帰って来たぞ!」
「……」
どうやら義勇さんはキッチンにいるようだ。俺たちの幼なじみで、
今は福岡の会社に勤めているはずの錆兎が、なぜ、ここに?


「おかえり、炭治郎」
義勇さんがパタパタと奥からやってきて、首をかしげて俺の顔をじっと見、
それから、ぎゅうっと俺を抱きしめる。
「義勇さん……」
義勇さんが俺の背中をぽんぽん、とたたいて、
それから俺のおでこにちゅっとキスをしてくれる。
「炭治郎。帰ってきてくれて良かった」
「義勇さん……!」


俺は義勇さんの胸に顔をうずめて、しばらく泣いた。
義勇さんは俺の背中を、ずっと優しくぽんぽんとたたいていてくれた。


「たまたま出張でこちらに来たんだが、
義勇に連絡したら今にも泣きそうで」
(錆兎の存在をすっかり忘れてた)
義勇さんの部屋兼居間のテーブルには、天ぷらと煮物が並んだ。
俺の大好きなタラノメ、大葉、アスパラ、それにマイタケと、エビの天ぷらだ。
それに、ニシンとニンジンとタケノコの煮物。おいしそうだ。よだれが出そう。
缶ビールの中身を冷えたグラスに注ぎながら、錆兎が言った言葉に、
「泣きそう?」
俺は思わず聞き返す。義勇さんは相変わらずの無表情だ。
「あ、俺の土産は明太子と『博多通りもん』だから」
「義勇さんが泣きそう、って」
俺は錆兎の顔を見て、それから義勇さんの顔を見る。義勇さんはビールのグラスをかたむけている。
「『どうしよう。炭治郎を怒らせてしまった。
もう帰って来ないかもしれない』って」
「えっ、本当ですか? 義勇さん!!」
錆兎の言葉を聞いて俺が声を上げても、義勇さんは涼しい顔だ。え、錆兎、
幻聴を聞いたんじゃないの?
「俺は今までに何百回も、義勇から、おまえに関する相談を受けているんだぜ。炭治郎」
「え……」
俺は驚いて義勇さんの顔を見る。そうしたら義勇さんは、箸で海老をつまんで、
俺の口元へ持ってきた。あ、あの、空気を読んでください。


「義勇。
おまえ、自分の口でちゃんと言えよ」
「うまい」
「いや、天ぷらの感想をじゃなくて。しかもそれ、自画自賛だし。
おまえは圧倒的に言葉が足りなすぎる。だから炭治郎が不安になるんだろうが」
俺は海老をモグモグしながら錆兎の言葉を聞いている。あ、本当にこれ、おいしい。
プリップリ。
「……」
錆兎の言うことはすべて正論だ。もっと言ってほしいくらいだ。
「良いか、よく聞け、炭治郎。
義勇はな、今日、一日中、タラノメを探して都内中のスーパーをめぐっていたんだぜ」
「えっ!!」
錆兎の言葉に、俺は思わず声を上げてしまう。確かに、タラノメの天ぷらなんてめずらしいな、とは思ってはいたんだけど。
「ほ、本当ですか。義勇さん!」
こっくり、と義勇さんがうなずく。まだモグモグしている。ちょっと、あの、大事な話の途中なのですが。


「済みません……何だか気を使わせちゃって」
俺がしょんぼりしながらそう言うと、義勇さんが首を横に振る。
「おまえが帰って来てくれて本当に良かった」
「義勇さん……」
その青みがかった美しい目で真っ直ぐ見られて、俺はぽっと頬を赤らめる。
俺のために、都内中のスーパーをめぐって、タラノメを探し出してくれて、
おいしい天ぷらを作ってくれて、しかも、全然、怒っていないみたいで。
(と言うか無表情なのでよくわからない)
俺と来たら、一日中、ため息をついていただけだ。帰りたくない、なんて甘えたことを言いながら。


「とりあえず、仲直りの乾杯をしろ。な、ふたりとも」
錆兎がそう言ってニッと笑ったので、俺と義勇さんは顔を見合わせた。
「ごめんなさい、義勇さん」
「俺のほうこそ済まなかった。炭治郎。
動揺しすぎて筋トレすることしか出来なくて」
「へっ?」
「乾杯」
義勇さんが俺のグラスに自分のグラスをつけ、
それから錆兎ともグラスをつける。
「ちょ、ちょっと待ってください。義勇さん!
昨日、腕立て伏せをしていたのって、動揺していたからなんですか!?」
「うまい」
「義勇、炭治郎の話もちょっとは聞いてやれ」
とりあえず、ちゃんと謝れたし、許してもらえた。
義勇さんはやっぱり優しいなぁ。


ビジネスホテルに泊まると言う錆兎を見送った後、
義勇さんと俺はふたりで後片付けをして、お風呂に入った。
お風呂の中でちょっとイイコトをした。甘い気持ちがからだと心に満ち満ちて、
気分が高揚したまま布団の中に入り、とろけるようなキスを繰り返す。
「義勇さん」
「ん、何だ、炭治郎」
「昨日、いっしょに寝られなくてごめんなさい。
俺、寂しかったです」
「俺のほうこそ悪かった」
「いえ、俺が一方的に怒っていただけなので」
俺は義勇さんの目を見つめて謝る。義勇さんはひとつも悪くない。
俺が勝手に怒って、勝手にすねただけだから。


「もっとおまえの気持ちを理解したい」
俺のおでこや鼻先、頬にちゅっちゅっと軽いキスをしながら、
義勇さんがそう言って優しくほほ笑んでくれる。さっき食べた博多通りもんより甘い笑顔だ。
「もっと、おまえの喜ぶことを言ってあげたい」
「義勇さんはそのままで良いですよ」
俺がそう言うと、義勇さんがん? と言う顔になり、それから、
「ありがとう、炭治郎。
俺のそばにいてくれて」
そう言って、本当に幸せそうに笑ってくれたんだ -


「義勇さん。
昨日、うちの上司から、これをもらいました」
次の日の朝、
俺は財布の中から、宇髄さんにもらったものを取り出して、
義勇さんに見せた。
「チケット、ですかね」
チケットケースに入っているその中身を取り出した義勇さんの目に、
一瞬、緊張に似た何かが走る。
「え、何ですか。義勇さん」
しかし、また、すぐに無表情になってしまう。えっ、えっ、何?


俺は義勇さんの手からそのチケットを奪って、書いてある文字を読む。
「ほ、ホテルの、宿泊、チケット……!
ししししし、しかも、こ、このホテルって、いわゆるそう言う、」
「宇髄め」
「えっ!?」
義勇さんが低くうなった一言に、俺は義勇さんの顔を見る。
義勇さんは右手で口を押さえている。やっぱり、無表情だ。
「ちょっと待ってください。
あなた、宇髄さんとお知り合いなんですか!?」
俺が義勇さんの白いジャージの胸をつかんで勢いよくそう聞いても、
義勇さんは口を引き結んだままだ。絶対にしゃべらないつもりらしい。


「ちょっと待ってください。宇髄さんとどう言ったお知り合いなんですか!?
あ、もしかしてイギリス時代の!?」
「……」
「ねぇ、義勇さん! 話してくださいよ! 何で黙ってるんですか!!」
「……」
まったく、
このひとは相変わらずだ。重要なことを何も話してくれない。
(でも、一生、いっしょにいるわけだし)
少しずつ、少しずつ、あなたのことを知っていきたい。
少しずつ、少しずつ、あなたに近づきたい -


天然色サイダー(義炭)

2020-05-08 10:08:26 | 義炭(ぎゆたん)
(あ、カレーのにおいがする)
金曜日、
学校が終わったあと、家に帰って、
それから俺には行く場所がある。
実家のパン屋からパンをたくさん持ってきた俺が、
玄関のチャイムを鳴らすと、こわれているのかうんともすんとも言わなかったので、
「こんばんはー!!」
俺がドアをこぶしでドンドンたたくと、
「おかえり、炭治郎」


青いアロハシャツを着た冨岡義勇先生が、無表情でドアを開けてくれた。


(何でアロハシャツ……?)
先生はせまいキッチンの一口コンロで、何かをジャッジャッと炒めている。
手際が良い。カレーのにおいがするけれど、今夜はカレーなのだろうか。
そう考えると口の中がじゅわっと潤ってくる。カレーって、何てしあわせな響きなのだろう。
「先生、お手伝いすることありますか」
「皿とスプーンと箸」
「はいっ!」
先生の短い指示に、俺はビシッと敬礼をする。先生が作っていたのはキーマカレーだった。
うわあああ、おいしそう!! 早く食べたいっ!!
(で、何でアロハシャツ……?)
今日はとても暑かった。5月になったばかりだと言うのに、もう真夏みたいだ。
夕方になった今でも風はほんのりぬるい。先生も季節を先取りしているのだろうか。
俺が言われた通りに食器を出すと、先生はアゴでシンクに置くように指示して来る。
本当に無口なひとだ。学校でも無駄口は一切たたかない。無口なことが、雪の彫像みたいな先生の美しさをいっそう際立たせている。


冨岡義勇先生は、俺が通うキメツ学園の中等部の体育教師で、
俺が中学生の頃、3年間、担任だった。
俺は今、高等部に進み、校内ではあまり先生に会わない。その代わり、
週末、俺は先生の住むキメツ市内のはずれにあるオンボロの1Kアパートの部屋に通う。
俺と先生は、秘密の恋人同士だった。


炊飯器がピーピーと鳴る。ごはんが炊けた。キーマカレーもできあがったようだ。
先生は手早くごはんとカレーを皿に盛りつけ、
冷蔵庫からラップをしたちぎりレタスとプチトマトとアスパラのサラダの器を出す。
そして、手早くフライパンを洗い、キッチンペーパーで拭いて、
オリーブオイルを入れ、あたため、そこにスライサーでジャガイモを削り入れる。
「先生、今度は何ができるんですか」
「ガレット」
「ガレット?」
どうやらジャガイモのお好み焼きのようだ。ジャガイモを炒めてまとめ、
塩コショウと粉のコンソメを入れて味をつけ、ピザ用チーズを乗せて両面を焼く。シンプルだけどおいしそう!
あっと言う間に食卓の準備が整ってしまった。俺が冷蔵庫を開けたら、
甘いものがあまり好きではない先生が絶対に飲まないサイダーのボトルが入っていた。俺のために買っておいてくれたんですね、先生!
「先生、大好きっ!」
俺が先生の太い腕にキュッとしがみつくと、先生がこちらを見る。やっぱり無表情だが、
心なしかその目がやさしく見える。
「食べよう」
心なしかその声がやさしく聞こえる。美声だからなおさら。学校ではとても厳しい先生だけれど、
俺にはとってもやさしい最高の恋人だ。


先生の部屋兼居間は、窓が少し開いていた。風はだいぶ涼しくなっている。
先生の作ってくれたごちそうの乗ったちゃぶ台を前に隣り合って、
俺たちは両手を合わせていただきますをし、食べはじめる。
「ん、おいしい! あんまり辛くない!」
キーマカレーをひと口食べて、俺がパアアアアッと表情を明るくすると、
先生の目がまたやさしいものになる。
「俺の分も少し食べるか」
「良いんですか!?
あっ、」
先生の言葉に俺は勢いよく答えて、ハッと口を押さえる。
「どうした?」
「えっ、いえ、だって、
俺、いやしい……」
俺がぽっと頬を赤らめると、先生がニコッと笑い、俺の頭をぐりぐりと撫でてくれる。
「たくさんお食べ」


ぽうっと見惚れてしまった。先生は本当に美男子だ。


食事を終え、俺が皿を洗って先生が拭いて棚におさめ、
それからまた居間にもどってテレビを観ることにする。
先生の部屋には天井まで届く本棚(本がぎっしり詰まっている)と、
黒いノートパソコンがある。服や布団は押入れにきれいにおさめている。
俺はそのパソコンでテレビ番組を選ぶ。先生は押入れを開けて、何かを取り出す。
「炭治郎」
「はい」


「これ、おまえに」
先生が俺の前に広げてみせたのは、緑のアロハシャツだった。
先生が今着ているのとデザインが同じで色違いだ。サイズも俺に合わせたもののようだ。
「えっ、お、俺に?」
先生がこっくりとうなずく。わぁ、先生とおそろいなんて、はじめて! うれしいなぁ!!
「ありがとうございます!!
あの、着てみても良いですか!?」
「うん」
と、
先生が俺の着ている半袖のシャツの胸に、手をかけた -
(えっ!?)


先生は無表情のまま、俺のシャツのボタンをプチプチとはずしていく。
(えっ、えっ、
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!)
俺は首まで真っ赤に茹であがり、白目になる。ちょ、ちょっと、
俺っ、今、何? 何をされているの!?
「まっ、待って、先生っ! 先生!!」
俺はあわてて先生の両手首をつかむ。先生が不思議そうな顔をした。
心臓がドカドカ言っている。あ、あのっ、ど、どうして今、
俺は脱がされているんですかっ!?
「先生、あの、俺っ、心の準備が!!
あ、」
先生が俺の前にアロハシャツを広げてみせる。も、もしかして、
(それを俺に着せようとしていたのかー!!)
俺は思わず両手で顔をおおう。恥ずかしい、恥ずかしい、すっごく恥ずかしいー!!
(穴があったら入りたい!! と言うか、自分で掘る!!)


「どうした、炭治郎」
先生が俺の右肩にぽんと手をおく。とても、とてもつめたい手だ。
「い、いえっ、何でもありません」
(恥ずかしいー!!)
俺は顔が上げられない。俺だって健康な高校生男子です。そう言うことを考えないわけではありません。
と、言うより毎日考えています!!
けど!
(俺……いざとなったら、やっぱり、こわい……!)
先生、ほうれんそうをちゃんとしてください。報告・連絡・相談を。
いきなり何かしないでください。必要な言葉はきちんと言ってください。
「炭治郎?」
先生が俺をその広い胸に抱き寄せてくれる。ひんやりとした胸だ。
甘いのにすっきりとしたデオドラントのにおいがする。わずかに汗のにおいも。
そのにおいや先生の低い体温はとても心地好いのに、これより先に進むのがこわい。先生、
俺はまだ子どもですか - ?
「驚かせて済まない」
先生が俺の背中をぽんぽんとたたいてくれる。あぁ、何だか、安心して涙が出そう -


先生といるとドキドキする。ドキドキするのに安心する。
時々、心臓がバクバクして、こわれるんじゃないかと思う。
先生とこれからどうにかなったら、俺はどんな風に変わるのだろう。
世界のすべてが一変するくらいに変わるのか。それはとてもこわい。まだ、こわい。


「俺の言葉が足りないのは自覚している」
先生は静かにそう言って、俺をキュッと抱きしめた。
「至らないところがあったら、遠慮なく言ってくれ。炭治郎」
「えっ、そ、そんな、
至らないところなんて!!」
俺が腕をほどいて先生の顔を見ると、先生は驚いたように目を丸くし、それから、
「おまえの気に入る俺になりたい」
そう言って、ふわっとやわらかく笑った -


なんてきれいなのだろう、と思った。はじめて見た、こんな笑顔。
俺はまた、ぽうっと先生の笑顔に見惚れる。あぁ、本当にきれいだ。


「せ、先生、そんな、なんてもったいないお言葉を」
「そうか?」
「お、俺のほうこそ、先生のお気に召す俺になりたいです」
「おまえはそのままで十分だ」


きっぱりとそう言い切った先生の顔はとても凛々しくて、
俺はしばらくその顔にぽかんと見入り、それから、
やけに目頭が熱くなって鼻をズズッとすすった。
(あぁ、どうしよう、大好きだ。すっごく、すっごく大好きだ)
胸の中でその言葉があふれかえって奔流になっているのに、
口からはちっとも出てこない。喉につっかえてしまって。
「せ、先生」
「ん、何だ、炭治郎」
「ありがとう……」


俺が何とかそれだけを搾り出すと、先生がフッと笑う。
「似合うと思う」
「アロハシャツの話じゃなくて」
俺は思わずプッと笑ってしまう。先生、天然なのか計算なのか、
俺にはまったく判断がつかない。でも、先生といるととても楽しい。
これからもずっとずっと、先生と仲良く過ごしたいと思う。いつか、もっと深い関係になっても。
先生が俺の頬に手を添えたので、俺はドキドキしながら目を閉じる。そうしたら、
俺の唇をやわらかいものがそっと包んだ。


先生が俺にくれたアロハシャツは、俺にピッタリのサイズだった。
「先生、
これ、もしかして、オーダーメイド、だったりして」
俺が目を丸くしながらそう聞くと、先生は返事の代わりに目を細めた。
「えっ、俺のサイズ、何で知ってるんですか」
「ムフフ」
「えっ、先生、何で!?」
先生はその夜も、いつもの無表情だったけれど、とても機嫌はよさそうだった。
俺はとってもうれしかった。先生が楽しそうで。
機嫌の良い先生を見ながら、俺はふと気がついた。


先生は甘いものがあまり好きではない。辛いもののほうが好きなようだ。
だが、今日、先生が作ったキーマカレーは、あまり辛くなかった。
先生が俺の好みに合わせてくれたのだ。
「もう、先生、大好き!!」
「うん」
来週は、俺が何か食事を作りますね。だから、また、ここに来ても良いでしょう? ねぇ、先生。


パジャマでいっしょにね(義炭)

2020-04-21 09:32:01 | 義炭(ぎゆたん)
おなかがすいた……


夜、ふっと目が覚めて、最初に思ったのがそれだった。
スマートフォンの時計は午後11時を少し過ぎたことを知らせてくれる。
に、しても、
おなかがすいた。
おかしいな。会社から帰ってきて、夕食を食べたのはだいたい7時半頃。
今日の夕食はつくねのハンバーグ、大根おろしソース添えと、レンジ蒸しのキャベツとブロッコリー、
それに山盛りの白米と、ワカメと絹豆腐と巻き麩の味噌汁だった。
俺はキメツ市にあるキメツ学園中・高等部を卒業したあと、
大学で経営学を学び、現在は市内にあるマーケティング会社で働いている。
そして、学生時代の恩師、大好きな冨岡義勇先生と、
市内のはずれにあるオンボロ2DKアパートで現在、同棲中である。
今日の夕食は先生が作った。とってもおいしくて、おなかいっぱい食べた。
(なのに、おなかすいた……)
これはいったいどう言うことだろう。
春になり桜が咲き、気温が下がった。俺の身体は冬に戻りたがっているのだろうか。冬眠準備か。
俺は布団の中で手を開いたり握ったりしてみる。足も動かしてみる。
振り向いたら、俺の恋人は俺を背中からぎゅうっと抱きしめ、固く目を閉じている。
つややかな黒髪と同じ色のまつ毛が厚い。美男子と言うものはどうしてこうも、
いつも美男子臭をまき散らしているのか。
(今、おやつを食べようとしたら、先生を起こしてしまう)
俺は空腹から気をそらすために、目の前にある恋人の本棚を見る。
文庫本がぎっしり詰まっている。純文学、ミステリー、恋愛小説、エッセイ、エトセトラ、エトセトラ。
に、しても、
(おなかがすいて眠れない!!)


俺は、やむを得ず、
布団を抜け出すことにした。


(えぇと、おやつは……)
俺はダイニングの戸棚をあさる。ここにクッキーとかポテトチップスとかがあったはず。
「何をしている」
(あ)
俺が顔を上げたら、腕組みをした先生が目の前に立っていた。
先生は群青色のパジャマを着ている。眉間にシワを寄せ、少し怒っているようにも見える。全身から青いオーラが立ち上っているように見えて、
「ヒエエエエ、すみませんー!!」
俺は思わずその場で土下座をした。先生は結構、寝起きが悪い。
「何をしている」
さっきよりも一段と低くなった声で先生が再び俺に問う。眠いらしい。
怒っていても美声なのだから始末におえない。俺がうっかり、その声にうっとり聞きほれていると、
「ラーメンでも作るか」
先生はあっさりそう言って、戸棚からインスタントラーメンを取り出し、
鍋に水を入れてIHヒーターにかけはじめた。
(あ、アレ?)
「あ、あの、先生。
先生もおなかがすいたんですか」
俺が恐る恐るそう聞くと、先生は表情を変えず、
「あぁ」
と、あっさり答える。それから、
「身体を冷やすぞ」
そう言って自分の羽織っていた青い半纏を、
俺の肩にふわっとかけてくれる。
(うわぁ、あったかい! そして、とっても良いにおいがする!
先生がいつもつけている香水のにおいだぁ!)


「先生、お手伝いします!」
「頼む」
わぁ、すっごくうれしいなぁ!
先生といっしょに、深夜、ラーメンが食べられるなんて!


先生が小口ネギを刻んだ。俺は先生の指示通り、
ラーメンを茹でたお湯を捨てた。カロリーカットのためだ。
パジャマ姿で料理なんてはじめて! ワクワクしちゃうなぁ。
粉末スープはあたためたどんぶりに入れ、別に沸かしたお湯で溶いた。
卵は水を入れたマグカップに割り入れ、串で表面にちょっと穴を開けたら、
ラップをしてレンジでしばしチンをする。半熟卵のできあがりだ。
今日は塩ラーメンだ。んー、とっても良いにおい!
ダイニングのテーブルで向かい合っていただきます、をする。
わぁ、おいしそう! 湯気がもうもうとしている。熱そうだな。
猫舌の俺をしり目に先生はズルズルとラーメンをすすっている。
俺は、ラーメンにフーフーと息を吹きかけ、少しずつすする。
「うわぁ、おいしい!」
俺が思わず声を上げると、先生がフッと笑った。


「深夜のラーメンは背徳感がたまりませんね」
俺がそう言うと、先生がこっくりとうなずく。半熟卵を乗せ、小口ネギを散らしただけのシンプルなラーメンだけれど、
恋人が作ってくれたことと、深夜と言う時間が、絶妙なスパイスとなって本当においしく感じる。
「あぁ、おいしい。すっごくおいしい! 
先生、これ、すっごくおいしいですね!」
「俺の分もちょっと食べるか」
先生がそう言って、自分の麺をちょっと俺のどんぶりに移してくれる。
「あぁ、こんな時間にこんなに食べて良いのかなぁ」
「おまえを太らせておいしく食べる」
「!?」


俺が思わずバッと顔を上げたら、
先生は涼しい顔をしてラーメンをすすっていた。
ラーメンをすすっていても美男子とはどう言うことだろう。
俺が中学生の頃、先生は20代の前半だった。あれから10年の時が過ぎ、
先生は30代になった。20代の頃から色気にあふれていたひとだったが、
30代になったらそれに年相応の落ち着きと知性が加わり、
つまるところ、
(とんでもなく格好良くなった……!)
俺は箸をぎゅうっと握って赤面する。そんな先生が俺みたいな人間を選んでくれたこと、
今でも奇跡だと思っている。何しろ、俺は先生に4年間も片想いをしていたのだから。
先生は実直で真面目で、とても誠実な先生だった。俺が高校を卒業するまで待っていてくれたのだ。
俺がキメツ学園にいる間、先生は俺と、ほかの生徒たちに接するのと何も変わらず接した。
いっそ冷たいくらいだった。でも、その青い眼差しに時折灯るあたたかい光に、俺は気づいていた。
その光が俺だけに向けられていることを、ずっと長い間、知らずにいた。
(今はとても優しくて、時々、ちょっと意地悪な恋人)
俺がチラッと先生を見たら、先生もチラッと俺を見る。
「タマゴも食べるか」
優しい声でそう言って、俺を見る先生の目に浮かんでいるのは、
やっぱり、とてもあたたかい光だった。
先生が俺のどんぶりにタマゴを移す。それから、ニコッと笑って、
また、目を伏せてラーメンをすすりはじめた。
(アアアアア、美男子ー!!)
俺は思わず首まで真っ赤になる。この先生は確実に、自分の笑顔の使いどころをわかっている。
自分がイケメンだと知っているイケメンほど強いものはいない。
しかも、先生はめったに笑わない。その笑顔はとてもレアなのだ。
(宝石みたいな日々だ。先生と過ごす毎日は)
朝、起きたら先生が同じ布団にいる。いっしょにごはんを食べて、
いっしょに駅まで行って、たまにお弁当を作ってあげたり作ってもらったりして、
帰ると先生がいて、休日はいっしょに買い物したり、映画を観たり。
そんなささやかな日々が、本当にとても大切なんだ。
「先生、
今日は俺と先生との『深夜のラーメン記念日』ですね」
俺がそう言ったら、先生がクスッと笑う。小さな白い花が咲いたような笑みだった。


「後片付けは明日の朝で良い。
歯をみがいて今夜はもう寝よう」
「はい」
ほこほこしたあたたかい気持ちのまま、ラーメンを食べ終えて、
いっしょに歯みがきをして布団に入った。
あぁ、おなかがくちくて、すぐにでも寝入ってしまいそうだ。しあわせだなぁ。
に、しても、
「先生」
「ん、何だ。炭治郎」
「先生は実は、
あんまりおなかがすいていなかったんじゃ……」
返事の代わりに先生は俺の唇にキスをした。歯みがき粉のクールミントの味がした。
「おまえを太らせておいしく食べると言っただろう」
先生が俺の耳に低くそうささやく。あぁ、俺は、先生に食べられるために、
おいしいラーメンを作ってもらったんですね -
先生、俺のこと、お好きなだけおいしく食べてください。
先生、俺はね。優しくてあたたかくて、ちょっと意地悪な先生が、とっても大好きです。