本日、
竈門が、俺の家に来る。
俺は、
朝早く起き、道場のすみずみまでを拭き清めた。
(あれが怪我をしてはいけない)
しばらく、
そこで木刀を振り、
それからもう1度掃除をして、
水を浴びに庭へ出た。
(綺麗な空だ)
薄い霧が少しずつはがれ、澄んだ青が見えはじめる。
ひんやりとした空気が、徐々にぬくもってくる。
(空が綺麗だ、などと思ったのは何年ぶりか)
朝食のあと、少し道場内を走り、
また綺麗にした。
自分の部屋も掃除し、片づける。
(あれが喜ぶかもしれない)
庭で摘んだ小さな青い菊を床の間に飾ってみる。うむ、悪くない。
庭で大葉を摘み、
多めに炊いた飯を塩にぎりにし、
大葉で包んで焼いた。わざわざ庭に七輪を出して。
そうこうしているうちに、あめ屋の声がおもてで聞こえたので、
呼びとめて水あめをひとつ買う。
庭にとって返して、七輪の炭火を消し、
焼きおにぎりを皿に取り、水あめとともに持って、台所へ向かう。
大切な砂糖と、野菜カゴの中にあったショウガ、
それに水あめと水で「あめ湯」を作り、台所の窓辺にて冷ましておく。
(俺は何をやっているんだ)
そこで、
俺はふと、我に返った。
(あれは稽古に来るのであって、
遊びに来るのではない)
そう思いながらも、自分はすでに、ぬか床に手をかけている。キュウリを出そうと。
(弟弟子にたらふく喰わせるのも、
兄弟子の役目)
キュウリのぬか漬けを、いつもよりていねいに切った。
「冨岡さーん」
じきに、門の向こうから、竈門のほがらかな声がした。
俺は無表情で、だが、早足で門へ向かい、ゆっくりと門を開ける。
「良いお天気ですね!! 冨岡さん!!
お団子買ってきました!!」
「……」
俺は、
無邪気な笑顔の彼から、団子の入った竹皮の包みを受け取り、
彼に、くるりと背を向けた。
「いつ来てもすてきなお庭!!
お花もお野菜もたくさんですね!!」
竈門は、明るい声で俺の背中に話しかける。俺は、なんと返事をすれば良いのかわからない。
庭の花はどこからか飛んで来た種が芽吹いたものだし、
庭木は植木屋に適当に頼み、野菜も、
下女に言われるがままに育てている。
それを彼は喜んで観ている。なんだかもやもやする。
「お茶、淹れますね!!
あ、あらあら、良いにおい」
「!!」
家の中に一歩足を踏み入れて、竈門が不思議そうな表情になる。
「あめ湯と、大葉と、おにぎりのにおい!!」
「……」
「冨岡さん、もしかして、
今日、良いひとが来たんですか!?」
「……」
俺は内心とても動揺したが、
幸いにも顔には出なかった。
(なぜだろう)
「済みません。
もしかして、俺、お邪魔を」
今にも泣き出しそうな顔をする竈門を見て、俺も悲しくなったが、
なんと言ったら良いのかまるでわからなかった。
「俺、帰ります。
お団子は差し上げます」
「!!」
俺は、
思わず、彼の着物の腕を、強くつかんだ。
「……」
「冨岡さん?」
「……」
「あ、あの、」
俺は、
そのまま彼をずるずる引きずって、自室へ戻る。
上座と下座に、俺の用意した膳があった。
「あ、あの、」
「……」
「お、おいしそう、ですね」
「……」
「もしかして、
良いひとに頼んで、
俺のためにお昼をこしらえてもらったんですか?」
「……俺が作った」
「え? なんですか? 聞こえない」
「……座れ」
「は、はい!!」
竈門はあわてて下座に座る。そして、
しばらく戸惑うように、
俺の顔と目の前の膳を見くらべていたが、
「あ、
冨岡さんのあったかーいにおいがする」
と、うれしそうに言い、
へにゃっと笑ってみせた。
「……」
俺は内心とても動揺したが、
幸いにも顔には出なかった。
「えへへー、
冨岡さんが手ずから用意してくださったお膳をいただけるなんて、
俺、しあわせです」
「……」
「冨岡さんとご飯を食べられるなんて、
夢のようです」
「……」
こんな時、
気の利いた言葉ひとつ出てこない自分が憎いが、
竈門は機嫌よくニコニコしている。
(可愛い)
「食え」
「いただきまーす。
わぁ、おいしそう!!
おっきなおにぎり!!」
竈門は、ニコニコしたまま、焼きおにぎりを手にし、
大きな口でかぶりつく。
「わぁー!!
とってもおいしいです!!
冨岡さん!!」
「……」
「おいしい、おいしい!!」
俺は、
ニコニコしながら焼きおにぎりをたいらげた竈門の姿に満足し、
自分も握り飯を手にする。
「!?」
焦げた砂糖のにおいがする……
「竈門!!」
「は、はい!! 冨岡さん!!」
「ちょっと来い!!」
俺は、
竈門の腕を強く引っ張り、あわてて庭へ向かう。
(こいつ、
家に入った時点で、においに気づいてたんだろうに)
井戸水を出し、
茶碗に注いで竈門に渡す。
「ゆっくり飲め」
「は、はい!!」
彼は、言われた通りに、水をゆっくり、こくこくと飲む。
そして、
俺は左手で彼の口を開けさせ、右手の人差し指と中指を、喉の奥へつっこむ。
「にゃにふるんでふか!!」
「吐け」
「にやでしゅお。もっはいにゃい!!」
「良いから吐け」
(なんてことだ。
弟弟子を腹いっぱいにさせたいと思ったのに、
まずい飯を喰わせてしまった)
「やめてください!!」
竈門が俺の手を強い力で振り払う。その目には、大粒の涙が溜まっていた。
「……済まない」
俺が小さな声でそう言うと、竈門はズズッと軽く鼻をすすった。
「お砂糖は貴重品です!!
俺の口にはめったに入りません!!
あんなにふんだんに使ってくださって。
ご馳走ですよ!!」
「……だが、」
「ご馳走です!!」
涙をポロポロこぼしながら、俺をまっすぐ見てそう訴える彼を見て、
俺は急に、彼を強く抱きしめたくなった。
(なぜだろう)
強く抱きしめて抱きしめて、
離したくなくなってしまった。
(なぜだろう)
振りあおいだ空は澄んで青。
抱きしめた彼から、甘い砂糖のにおいがする。
(あぁ)
気の利いたことひとつ言えない自分が憎い。
空が綺麗だな、と言う一言でさえ。
(2024.07.30 公開)