徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

鳳凰祭三月大歌舞伎

2014年03月24日 | 舞台
友人に誘われ、連休最終日は昨年末以来の歌舞伎座に行ってまいりました。
演目と配役は以下の通り。

1.壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
  工藤祐経:梅玉
  曽我五郎:橋之助
  曽我十郎:孝太郎 
  近江小藤太:松江
  八幡三郎:歌昇
  化粧坂少将:児太郎 
  喜瀬川亀鶴:梅丸
  梶原平次景高:桂三
  梶原平次景時:由次郎
  大磯の虎:芝雀
  鬼王新左衛門:歌六
  小林妹舞鶴:魁春 


2.身替座禅(みがわりざぜん)
  山蔭右京:菊五郎
  太郎冠者:又五郎
  侍女千枝:壱太郎
  侍女小枝:尾上右近
  奥方玉の井:吉右衛門


3.封印切(ふういんぎり)
  亀屋忠兵衛:藤十郎
  傾城梅川:扇雀
  丹波屋八右衛門:翫雀
  井筒屋おえん:秀太郎
  槌屋治右衛門:我當


4.二人藤娘(ににんふじむすめ)
  藤の精:玉三郎
  藤の精:七之助


くどいようですがワタクシ、歌舞伎初心者です。本日最初の質問!
私「何故『鳳凰祭』なの?」
友人「歌舞伎座の紋が鳳凰で、今までそういうのはなかったんだけど、新築一周年だし松竹が今月来月の公演を鳳凰祭と銘打っただけ」
私「なるほどー。いや、そういうの今まで聞いたことなかったな、と思って…」 ←歌舞伎で私の知っているのは團菊祭だけだ(笑)。

そんなわけでいつもの定位置、三階へ。花道の手前4/3は見えませんが、パノラマ的に舞台が見えるのでこれで十分なのです。
もちろん双眼鏡は必携です。(^^;


『壽曽我対面』
鎌倉初期の有名な話、歴史好きにはなじみ深いストーリーです。まずは居並ぶ遊女たちの豪華な打掛にウットリ!特に大磯の虎の黒い打掛!金銀の飾り、桜と紅葉の刺繍があざやか!他の二人(化粧坂少将・喜瀬川亀鶴)も、蝶や鷹をあしらったそれはそれは煌びやかな打掛姿。三者三様の存在感で、虎は流石の貫録、亀鶴と少将はもっと若くてお雛様みたいな可愛らしさ。何とも絵になるなあ、と感心していたら「あの役は若い役者さんでこれからが楽しみな人がやることが多いんだそうです」とのこと。ほほう。きっと10年後にはタイトルロールを演るような役者さんなのか!それにしても可愛らしい。このあたりで毎度の「観る側が少々気恥ずかしくなる」歌舞伎女形の美しさに溜息。

私の中では橋之助さんの曽我五郎が「ええっ!?」と言うほど印象的で、あの穏やかな(歌舞伎メイクをしていない、素の)中村橋之助さんのイメージからは程遠い迫力で、カッと目を怒らして見得を切る場面は、思わず「かっこいい…!」声も朗々とよく通るし、それはもう、絵になる役者さん。あまりにパワフルで、兄の十郎が「早まるな」と止めるシーンでは(孝太郎さんの繊細で知的な佇まいとも相まって)「あー…お兄ちゃん、それじゃ止められないよw」と思ってしまうほど。

兄弟の親の仇・工藤祐経が良い人過ぎて(笑)通行証を与える場面では「それでいいの?!」とツッコミを入れたくなるところ。いやいやいや、器の大きさと言いますか。一応、親の仇なので悪役に分類されるのでしょうが、どうしても「見えない」!黒地に金銀で庵木瓜の紋を大胆に配した衣装がこれまた似合って、二畳の高座に落ち着く姿もとても品が良くて、兄弟への語りかけや盃を取らせるシーンも穏やかな口調、いや~これは敵討ち云々にどうしても見えないのでした…。

そうそう。五郎が怒りを堪えきれずに祐経から下された盃を叩き割るシーン。パアン!と見事に舞台で素焼きの盃が砕けるのも緊張感にあふれていましたが、よく見ると檜舞台の床に、30センチ四方ほどの範囲で盃のあとらしき傷が10数ヵ所・・・見事に同じ場所に叩き付けているんだなあ、と。そして欠片はちゃんと後方に飛んで、お客さんには当たらない!(笑)←観るのそこじゃない、と言われそうですが(^^; すみません。

で、源氏重代の太刀「友切丸」が出てきて大喜びする清盛クラスタでありました!(当然脳内には玉木義朝様w)ここでは髭切じゃないのですが(笑)



『身替座禅』
菊五郎さんの山蔭右京が最高!と友人と大喜びしながら観ていました。とにかく面白い。もともとが喜劇なので、理屈なしに笑える演目とはいえ、あの飄々とした雰囲気と品の良い面立ちと、やってることのバカバカしさのギャップが、踊りも所作も一流なせいで余計におかしい。それにしても菊之助さんを前回観たせいか、ひと目で「わあ、雰囲気がそっくり」と思ってしまいました!(笑)こういうことがちゃんとわかると、歌舞伎見物がもっと面白くなるんでしょうね。

輪をかけて面白かったのが吉右衛門さんの玉の井…出てきた瞬間、劇場がワッと笑いに包まれました。無理矢理女装して出てきたとしか表現しようのない、およそ歌舞伎にあるまじき?このミスマッチ感。もっと言うなら「鬼平さんご乱心っ?!」この奥さんだったらそりゃ右京さんも浮気したくなるわな、と。でも心根はいたって優しい…と言えないこともない?(笑)太郎冠者のすり替えがばれて、地声(!)で「こらぁ!」と一喝するところなんか、満座の爆笑でした。やってる方も観客の反応を見て楽しんでいるんだろうな、というワクワク感の伝わる演目でした。



『封印切』
上方歌舞伎(和事)ということで、私の中ではちょっと毛色の変わった演目(と、思っていたのですが、後から疑惑発生w)。

遊女に惚れて身請け金を全額都合できない男があれやこれやで見境なく他人様のお金に手を付けてしまい、死罪を逃れて金の続く限り逃亡生活→金がなくなったら心中しましょ、という話。…と書くと身もふたもないのですが、こればっかりは(苦笑)主人公の男の設定がダメすぎて。そしてオーディオガイド(初心者必携!)の方が「上方の色男はどうもふにゃふにゃと…」「お大尽なんて所詮無駄遣いの代名詞」とか、ボロクソでしてwww面白いんだけど気が散って、気が散って、途中からガイドなしで観ました。まあ、台詞も多く時代がかった台詞回しや関西弁にも慣れているので、問題はありませんでしたが。

友人が「同じ男女云々の話でも『助六』とかはカッコイイのに、この手の演目はちょっと」と言ったので「主役(男)に感情移入できないからじゃない?」と私はバッサリ。あんなダメ男、要らんわー!と本能的に思ってしまったのかもしれません。一方で人格は最低ですが(苦笑)翫雀さん演じる八右衛門の見事な台詞捌きと悪役っぷり、カッコ良かったです!

ところで、私は幼いころ親と一度歌舞伎を観に行ったことがあります。演目は忘れたものの、登場人物の女性が「だらだらしゃべる」を「まぁ~じゃらじゃらじゃらじゃらと…云々」と表現していたのを強烈に覚えていまして。まさに、この井筒屋おえんの口調と台詞にそっくり!驚きました。あの時私が観たのは、ひょっとしてこれだったのかもしれません。

どっちにしても、あの時代の民衆がやりたくてもやれなかった「夢物語」を芝居に仕立てたという点で、「きっと当時の庶民はこんなこと夢見ながら現実は普通に働いていたんだろうな」と思ったり。あまり、現代のサラリーマンと変わるところはありませんね。



『二人藤娘』
休憩をはさんで、本日のラスト!そして一番楽しみにしていた演目です。
純粋に踊りと伴奏と衣装を楽しむ25分。七之助の若さがキラキラ輝くような藤の精、問答無用で観るものの心と視線を奪う玉三郎の藤の精。「ほう」とか「はあ~」と溜め息しか出ません。また舞台のしつらえ(松の枝に満開の藤の花枝)も素晴らしく、オーディオガイドでその所以が語られると、なるほどと感じ入ったり。

七之助さんの藤の精は、何と言いますか、若さゆえの絶対的な美しさがありました。特にすっと通った鼻筋と、目許の愛らしさは、型を決めて観客に視線を投げかける場面など「どう?私綺麗でしょ?」と言わんばかりの、あでやかな媚びを含んだ、ドキドキするような魅力がありました。年末の公演で顔世御前を演じた彼を見ているはずなのですが、もう、佇まいが全然違いました。顔世御前はアゴが気になったわけではありませんが(爆)何か違った…でも、この藤娘は素晴らしく美しかった!としみじみ惚れ惚れと眺めておりました。

そしてもう一人の藤の精、玉三郎さま。衣装は七之助とお揃いだったり色違いだったり。ですが…思い出すだけでウットリ酔ったような気分になる、あの艶やかな色気は文字通りオトナの魅力です。黒と黄の打掛の片身違いの衣装がなんと良くお似合いだったことか。(七之助さんが3代前の尾上菊五郎ゆかりの明るい橙と浅葱?の片身違いだったのも美しかったけれども!)その踊りの緩やかな動きのあえかさ、艶やかさ、品の良さ。七之助さんがとんでもなく美しいだけに、さらに上を行く「人外w」な世界を垣間見た思いがしました。私が特に好きなのは指先と首の傾げ方、腰つきなんですが、本当に(前回も書きましたが)女である私(=観客)が、思わず身の置き所のない羞恥を感じるほどに、完璧なまでの「張り詰めた神経と美意識」そのものでした。こういう人のファンであるのも大変だろうな、と思ったのですが。(その審美眼に近づきたい!と思わざるを得ないほどに、彼自身が一個の生ける芸術品ですから!)

二人の藤の精がお酒をたしなみつつ緩やかに酔い、春風のように舞い、観ているこちらも桃源郷のような心持ちでした。そして「お酒を根元に注ぐとより美しく咲く」という藤の花。ふと、平等院の藤棚を思い出しながら、数百年を経て今年お色直しをしたあの場所にまた行ってみたい、と思いました。