徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

渇いた太陽 ~Sweet Bird of Youth~ 日比谷編 (3)

2014年01月26日 | 舞台

『渇いた太陽』の終幕から、早くも1ヶ月が経ちました。
※ついでにブログ開設から2ヶ月が経ちました。ありがとうございます。


ドイツから帰ったら原作戯曲(英語版)が届いていたので、そこでの気づきや思い出したことがいくつかあるので忘れぬように追記しておきます。


★読んで判明したこと★

・チャンスは29歳と本人の台詞で明言。(My age is twenty-nine years.) 
 ⇔「あなた幾つ?」「年なんか忘れた」

・チャンスがアレクサンドラに向けた台詞「貴女のことが、好きだ」
 ⇔ (I like you, you're a nice monster.) 

この台詞が元からどう訳されたか気になっていたので、思わずニヤリ。そしてこのMonster呼ばわりが繋ぐ台詞はアレクサンドラの「私たちみたいな二人が出会ったら、どちらか一人が引くしかないの。そして、それは絶対に、私じゃない!」(When monster meets monster, one monster has to give way, AND IT WILL NEVER BE ME.)――この台詞は鳥肌が立つほどカッコいい。いつか使ってやろうと心に決めましたw

・フランツの姓は「Albertzart(アルベルツァルト)」だったとか、トリビアも。
 ※ドイツ系の名前。やはりチャンスに似た金髪碧眼の美青年だったことでしょう。

第二幕のアレクサンドラが「あなたに似た若者を思い出したわ…眼も、声も、笑顔も身体も、全てはっきりと」と言っています。フランツとチャンス、彼らに共通していたのは――挫折した野望、小さな裏切り、大きな魅力と優しさの残骸。自分が関わり、その後不幸な死を遂げた若者の記憶と苦い後悔こそ、彼女が必死で(おそらくは似た面差しを持った)チャンスを破滅から救おうとした「最大の理由」なのかもしれません。


◆    ◇   ◆


『スカッダー医師についての考察』
(今更!ではなく今だからこそ見えてきたw)


ところで、『渇いた太陽』の英語版戯曲を読んでもう一つ驚いたことは、ジョージ・スカッダー医師の年齢設定がチャンス(29歳)よりも少し上だったこと。

ト書きには「ジョージ・スカッダーが入ってくる:涼しげに目鼻立ちの整った、青年通商会議所の会長とでもいったビジネスライクな雰囲気を漂わせる男だが、実際は医師で年のころは36、7である。」と書いてあるのです。つまり、チャンスにとっては昔の友人でありまた兄貴的存在だったのかもしれません。それはちょうど、昔のトム・ジュニアにとってチャンスが兄のような存在だったかもしれない、という対比に似ています。

彼らの関係はおそらく「友情」の範疇で括れるものだったと思います。それは決して思い込みではなく、第一幕冒頭、気の置けない友人を迎えたようなチャンスの笑顔と差し出した右手(スカッダーに無視されますが)から、ふたりの会話は始まります。

チャンス「コーヒーは?」
スカッダー「要らない。話をしに来ただけだ。25分後には手術をしに病院に戻らなくちゃならないんだ」
チャンス(驚き、やや小馬鹿にしたように)「へえ~。今じゃ手術もするんだ」 

ここで吸っていたタバコの煙を「ふうっ」とスカッダーの顔に吹きかけるチャンスの表情とは真逆で、スカッダーは眉をひそめたまま挑発には乗りません。

スカッダー「外科部長になった」
チャンス「たいした出世だな」

この後、手紙を送った/読んでいない、の口論が続き「あれほど警告したのに…チャンス、何故セント・クラウドに戻ってきた!」というスカッダー医師の口調は、やはり心配しているように聞こえてならりませんでした。「すぐに荷物を纏めて、そこの眠り姫とこの町を出て行け!」と言い捨ててチェックアウトを勝手にしてしまうのも、強引ですが「時間のない」彼にはそれしかできなかった、とも読み取れます。


もうひとつ。彼を読み解くカギに気づいたのは、ドイツに向かうフライトの中でした。
それはスカッダーの話す時に使われる「一人称」のブレ――普段は「僕」のようですが、チャンスを相手に激する場面では「俺」そしてフィンリー邸での冷ややかな会話では「私」。

第一幕第一場「俺はお前が戻ったと聞いて真っ先にここに駆け付けたんだ!」
第一幕第一場「座れよ。静かに話ができないなら、僕は…」
第二幕第一場「私は信頼された医師です」

ほらね。心の動揺はセリフに現れる、というのは多少意地悪な見方?^^


そして…実はスカッダーはもう一度、チャンスに救いの手を差し伸べています。
第二幕第一場、ボス・フィンリーがチャンスの帰還を知り激怒している時に、「今日の集会は欠席されてはいかがですか?ヘヴンリーと一緒に、海に出てはどうでしょう?」と勧めています。

原語ではここでフィンリー家が所有するレジャーボートを使って…となっています。このボートこそ、実は直前にトム・ジュニアがチャンスを抹殺するために使おうとして父親に使わせてくれるようせがんでいたのです。(海に連れ出して鮫の餌にでもしようと思ったのでしょうか)

一見唐突な提案ですが、スカッダーの計算ではトム・ジュニアの思いつきを封じた上で、ボスが海に行く…つまり街を離れてしまえば、時間稼ぎができ、その間にあの分からず屋の旧友を説得して、できなければ力ずくでもセント・クラウドから連れ出し逃がしてしまおう…と思ったのかもしれません。


しかし…1ヶ月経っても、まだあなたは分かりにくいよ、スカッダー先生!(笑)
誰か、彼の鉄面皮に隠された心情を読み解いてください。


◆    ◇   ◆


実は第二幕第一場でもずっと引っかかってたシーンがありました。トム・ジュニアがスカッダー医師に「今夜、あんたも一緒に来るよな?」と凄む場面。スカッダーは「私は行きません。この件に私が関わるわけにはいかない」と拒絶します。

トム・ジュニア(嗤って)「そうだよな、知り合いに女の子をトラブルから救って医師免許を剥奪された医者がいるが、そいつならそんなことは言わないだろうなあ…」
スカッダー(鼻白んで)「私は信頼された医者です。医師免許も剥奪されてはいない。しかもあなたのお父上の病院の外科医長です」

私は「来るよな?」の目的語が「ロイヤルパームホテルの集会」のことだと思っていたのです。医者だから政治には関わらない…と言ったのかと。ですから、ホテルの演説会で彼がボス・フィンリーやヘヴンリー、トムジュニアの後に続いて(三歩ほど離れた位置ながらも)演壇に立っていたのを見て、あれ?と違和感を感じました。

そして…終演後に友人が「ラストシーン、スカッダーがいたよ。上着は脱いで、覆面で顔を隠していたけれど」と指摘したのを聞いて、文字通り愕然としました。スカッダーはトム・ジュニアの言った「チャンス・ウェインを殺す以上の目にあわせる→男としての価値を失わせる」、その場に立ち会え、むしろ執刀しろ、と命じられていたのか、と。

その後友人と話をしまして「あれは襲撃者その1、みたいな人数合わせかと思って見てたから(俊藤さんが)スカッダーとして出ているとは思わなかった…そういう見方?」と逆に驚かれましたが、仮に数合わせだとしたら、あの目立つ黄色いネクタイを外してベストを脱いでしまえば「モブ」として名前と存在を消すことはできますよね。あの重要な局面で、演出の深作さんが手を抜くとは絶対に考えられません。

友人「観客に『スカッダーもあの場にいた』と認識された→そう認識させよう、あるいは、されていい、ということ?」

私の意見は「Yes」です。そこに気づくのが遅すぎた、かもしれません…ですがヘヴンリーの執刀医でもある彼には、何と残酷な言葉であり、最終の選択だったのでしょうか。


◆    ◇   ◆


アレクサンドラ「Yes, and her brother, who was one of my callers, threatens the same thing for you: castration, if you stay here.」
(今の男たちの中には彼女のお兄さんも居たわ。あなたがもしここにとどまるなら(ヘヴンリーと)同じ目にあわせるって…!あなた、去□されてしまうのよ!)

チャンス「That's can't be done to me twice. You did that to me this morning, here on this bed, where I had the honor, where I had the great honor...」
(同じ男を二度□勢することはできないさ!ぼくは今朝、もう貴女によって去□された…この、ベッドの上で…!!…大女優の、貴女に!!!)


第一幕のスカッダーの台詞も載せておくとします。
「Chance, I think I ought to remind you that once long ago, the father of this girl wrote out a prescription for you, a sort of medical prescription, which is castration. You'd better think about that, that would deprive you of all you've got to get by on.」
(チャンス、お前に言っておくが、彼女の父親はお前に処方箋を書いた…それはお前の□勢手術だ!よく考えてみろ!そんなことをされたら、お前の生きていく術はもう、何もなくなってしまうんだぞ!)


※ところでこの「□□」(ちょっと過激な語のように思う方もいらっしゃったので)と言う語の解釈が観た方の中でずいぶん割れておりましたが…そんなに特殊な語ですか?
そのままの意味で解釈するのが自然だと私は思っていますが。(英語戯曲ではcastrationとそのままに使っています)犬猫が「仔を産まないようにする」あの手術のことです。


実はボス・フィンリーの言葉にもありましたが、「白人優生主義」「階級と社会差別」はこの時期の南部に色濃く根付いていました。話題になっていた「一部の過激派白人による黒人青年に対する云々」はまさにその暴力的発露であり、そのまま考えるならチャンスが「castration」されるということは、「お前は劣っている」と烙印を押し、遺伝子を残さないように「処理」してしまうということ・・・「南部の白人の優れた血」であるヘヴンリーの「遺伝子を残す機能」を奪う原因を作ったチャンスは「南部の(優れた家系の)血を汚した」重罪人だというわけです。(注:チャンスは南部の非富裕の白人家庭で、おそらく片親。金も地位もなかったと本人が劇中で言っていますし、彼の家族は終始、母親の名前しか出てきません)

もちろんスカッダーは医師であり、教育も受けており、第二次大戦中のナチスドイツが掲げた「アーリア人至上主義」にも似たそんな発想そのものが「ばかげている」とは、きっと思っていたことでしょう。だからチャンスを逃がそうと朝一番に訪ねてきたのではないか、とすら思うのです。

ですが、一方で彼はヘヴンリーの「トラブル」を知った上で、執刀をした人間でもあり、その事実を隠蔽し、さらにはその相手(ヘヴンリー)と結婚しようとする身でもあります。当時の良家の子女の結婚が「姻戚関係を結び、双方に有益な存在となる子孫を残す」ことを第一に考えたものであるとすると「商品価値のなくなった」ヘヴンリーの「押し付けられ先」と考えられなくもありません。ボスは自分の選挙戦で事実を糊塗するためにあれこれ画策するのですが…。

それがさらにチャンスにまで手を下せ、と言うのは――先ほどのトム・ジュニアに対する台詞は、おそらく彼の良心が耐えられる+拒絶できる、ギリギリの言葉だったのではないかと思いました。

ボス一家と嫌でも「一蓮托生」にならざるを得ないスカッダー自身の立場、彼の良心、今やチンピラ同然とはいえ、さすがに古い友人(←と思いたい私)のチャンスに、男である価値を失わせしめ(ヒモとしてですら)生きる術を奪うことを意味するその手術、そこまではしたくない…。

ここまで考えた後に、第一幕冒頭からのスカッダー医師の振る舞いを観直してみると…印象が変わっては来ませんか?あの隙のない立ち姿と、冷たい物言いと、鉄面皮の奥に隠された苦悩が、浮かび上がってくるような…そんな気がします。

ちなみにこのスカッダーの造形については、演じるうちにどう「よくわからない」(パンフレットでのインタビュー)が変化したか、演者の俊藤光利さんに出来ることなら是非!是非!お聞きしたいところであります!(笑)



いや別にスカッダー推しじゃないんだけど!(笑)ワタクシ、何だかんだでスカッダーをじっくり観てたんだな~と思います。二幕でフィンリー親子が口論している時の目や顔の背け方、ノニーやヘヴンリーが現れた時に半歩照明の当たらないほうへ身を隠すように身体をずらしたり…彼は台詞のない時のお芝居が細かいのですよ。あそこではトム・ジュニア=川久保さんの「動」の芝居に目を奪われがちですが、俊藤スカッダーの「静」の芝居はすごく良かったです。前にも書きましたが、まさしく「炎と氷」。

それにあのキャラの立ち位置が一番謎めいていたので、読み解く方としては「挑戦状」を受け取った気分になりまして。俊藤さん、地声が良いですよね。大野治房@真田のときも思いましたが。背も高いし、クラシカルなスーツがとても品よく似合っていました。



◆    ◇   ◆



最後に私の一番好きだった、チャンスの台詞を原語で紹介します。


I don't ask for your pity, but just for your understanding---not even that---no.
Just for your recognition of me in you, and the enemy, time, in us all.



他にも色々と思索を巡らせたことがありましたので、また気まぐれに書き残すかもしれません。
お付き合いいただき、ありがとうございました。