ソールズベリーの歌舞伎愛好家としての日々

歌舞伎や読書をこよなく愛するものです。私の身の回りのできごとや興味あることについて書いていきます。

大河ドラマ「江」

2011-01-10 12:59:28 | Weblog
昨日、NHKの大河ドラマ「江」の第1回目を見る。
 ハイビジョンで見たので総合テレビの放送よりも早く18時からの放送。
 内容はお市の方が浅井家に嫁いで、小谷城の落城まで。
 みどころとしてはお市の方が、身ごもった江を不憫と思い、毒をのんでおろそうとしたときに、茶々がはつをつれて、はつに刃をみけて、江をおろすならはつをさすと脅すところ。
 子役とはいえなかなか迫力があり、茶々という思い込みの激しい気性を見せる意味でこれからの伏線かともいえる。この茶々、のちの淀君を宮沢りえが演じるのであるが、たのしみなところ。
 あとは豊川悦司の信長がそれらしさがでていていい。
 なんとなくでは、江が歴史上の人物に絡んでいく「篤姫」と同じ延長上に描かれるのは間違いはなさそうな感じである。

伊藤博文、西園寺公望

2011-01-09 19:11:26 | Weblog
正月、ここ1週間ほど、近現代史の伊藤之雄さんによる伊藤博文、西園寺公望の評伝を読んでいた。日本の近現代史を語る上では欠かせない人物であるが、あまり評伝として取り上げられることなく、イメージが先行している人物である。
 読んでいて思ったのであるが、日本の近代というものがこれまでの教科書でとりあげられたイメージでどうなのか、考え直す必要があるのではと考えてしまう。
 何のために日本は急速に西欧化していかなくてはならなかったのか。
 教科書では西欧に追いついて、富国強兵を目指していくくらいしか、文明開化について書かれていないが、明治国家の最大のテーマは、江戸幕府から引き継いだ欧米との不平等条約、治外法権の撤廃と関税自主権を取り戻すことである。そのためには、西欧と同じ、法体系を、憲法を持ち、国民が選挙で選ぶ国会を持つことが求められる。そうしなけれは、欧米諸国と条約改正の交渉ができないからであった。
 近代日本、戦前の日本のテーマは、欧米と同じ法体系を持ち、それをいかに日本の国土になじませ、運用していくか、そこに近代日本の格闘の跡が見られる。
 伊藤は、憲法を作り出すにあたり、その範をドイツに求めた。ベストとしては議会制民主主義が進んだイギリスがいいのであるが、個が確立していない、民主主義の理念の合意ができていない日本で、短期的に欧米なみの近代国家を作り上げていく必要があるときに、民衆からの支持による議会で民意に振り回されては、国家の存亡に関わることになる。それを防ぐためにも、イギリス流の議会民主主義ではなく、ドイツ流の皇帝を主権とする国家を歩まざるえなかった。
 これは、最近の国会のねじれ、混迷をみればわかりえることである。
 ドイツ流の天皇を主権とする国家体制を作り上げるとしても、その運用で天皇が権利を乱用する恐れがある。それを内閣なり、維新からの功臣からなる元老による補佐によって天皇の権利を制約していく。
 内閣、元老により補佐によって、天皇の主権は実質的に有名無実として、国家運営をしていく。
 制約的、限定的とはいえ、西欧と対等の憲法、国会、法体系を明治国家は持つ。
 これによって明治における最大のテーマ、条約改正を果たしていく。
 伊藤が創業の人とすれば、西園寺は守成の人である。
 伊藤の作り上げてきた国家の運営体制を維持し、運用していくか、これが西園寺に求められたテーマであった。いくつかの危機に見舞われながらも、明治後半から、昭和の前半、戦前の30年ほどの期間を、政治を関与してきた。政党内閣、普通選挙など、少しづつ、議会制民主主義に近づけていったことは、再評価する必要がある。
 西園寺にとって、彼とともに天皇を補佐する元老は、大正期に山県の死によって、彼以外にいなく、西園寺が山県のように軍に圧倒的な権威、人脈をもっていなかったことは、戦前の軍部の独走という暗い影を残すことになる。西園寺の陸軍の情報網が、宇垣一成のみであったこと、
 象徴であって有名無実化であった天皇がその権威を行使し始めたことによって、権威を落とすことになったことが、戦前の国家崩壊、戦争を駆り立てていく。
 西園寺はこれまでの近現代史からの立場からすれば、優柔不断のイメージがつきまとう。
 今回の伊藤氏の評伝によって国家運用に並々ならぬ意欲を持ち合わせていたことがわかる。
 近現代を改めて考えていかなくてはと考える。

落語を聞く日々

2011-01-09 18:12:25 | Weblog
このごろ、落語をよく聞いている。わけは特にないがなんとなく聞いている。
 今日も、TBSチャンネルで、落語の番組を昼からやっていたので聞いていた。
 新春落語研究会と題して、上席、中席、下席と分けて6時間の放送。
 内容は上席は、志の輔の「鼠」、正蔵の「星野屋」、権太楼の「言訳座頭」
      中席は、志ん輔の「包丁」 小里んの「盃の殿様」、喬太郎「ハワイの雪」
      下席は、鯉昇の「質屋蔵」、昇太の「時そば」、扇橋の「芝浜」
 どれも、内容が良かった。
 最近の落語は、流行っていて、若手、中堅が充実している。
 東京、大阪とも同じことがいえる。
 落語はさほど詳しいことはないが、大学のとき、サークルでちょこまかといっていたくらいで、円生、志ん朝の落語のCDを集めていたくらいである。
 CDにしても、志ん生、文楽、円生といって名人クラスか、志ん朝、米朝、枝雀くらいのトップクラスしか、10年くらい前はなかったが、最近は、さん喬、権太楼などの中堅、喬太郎とかの若手までいろいろとでていた。ちょっと考えられないくらいに。
 大阪についていえば、繁昌亭という定席の小屋ができたので、落語が聞きやすくはなっている。
 どこかの会場、ホールとかの大きなところから、寺や教会といった少人数のところでやっていた時代を知っているものとしては感慨深い。
 米朝一門しか聞いてこなかったが、笑福亭やそのほかの一門の落語が聞けて、同じ落語さまざまな角度から落語が聞ける。
 落語会、CDをどれから選んでいくべきか、買うべきかが迷ってしまう。
 特に東京の落語家は、層が厚いので情報がつかめないし、わからない。
 ツイッターや、マイミクの情報で少しずつではあるが見えてきている。
 当面は、長期的には円生、志ん朝の落語を集めていくとして、権太楼、さん喬、枝雀、米朝とかを集めていく予定。先が長い道のりである。
 月1度のペースで落語会に行くとして、生の落語を堪能していく。
 

中村富十郎

2011-01-04 20:37:23 | Weblog
今朝、中村富十郎の死を知る。ツイッターで富十郎のことが出ていたので変に気になって、新聞のサイトを見ていると、速報で富十郎の死を伝えていた。正直、ショックであった。
 年末から、海老蔵のことが話題になっているが、こちらのほうが自分にはショックであった。
 踊りが見れないのか、うかれ坊主が、二人椀久が、舟弁慶がと思いがよぎる。
 私が富十郎を知るようになったのは、作家の池波正太郎さんのエッセイ、日記で見かけていたからである。池波さんは鬼平などで作家として知られるが、それ以前は舞台に身をおいて、市役所の仕事をこなしつつ、新国劇で脚本、演出をやっていた。芝居についてかなり詳しく、子供のころから歌舞伎に通っていた。芝居の世界に身を置いただけあって、毀誉褒貶を気にしてか、あまり役者ここ、芝居についてはあまりかかれていない。役者、歌舞伎役者について、書いているのは、十五代目市村羽左衛門、2世中村又五郎、又五郎については、又五郎の春秋という評伝を書かれている。そして、中村富十郎くらいである。池波さんは、富十郎をことさら贔屓にしていた。役が知るたびにそのこと、そのことを書いていた。自分が富十郎の当たり役、勧進帳の弁慶、船弁慶の知盛、静御前をしったのは池波さんの日記からであった。池波さん自身よく、富十郎さんと連絡をとりあい、対談もしたりしている。
 富十郎の人生がどうなったかといえば、苦労に苦労を重ねた人生であり、役者として安定してきたのは、晩年の十数年くらいであったと思う。
 母は舞踊家の吾妻徳穂、父は4世中村富十郎、母方をたどれば祖父が十五世市村羽左衛門になる。血筋は恵まれているとはいえ、父の後ろ盾がものいうのがこの世界で、父の4世は、女形、関西で活躍していた役者のため、舞台とかに恵まれているわけではなかった。のちに武智歌舞伎という実験歌舞伎で名を馳せるが、これが役立つのは晩年になってからである。
 役者としては舞踊に秀でて、技量もあったが、歌右衛門や松緑、勘三郎のいた時代がながかったので、脇に位置づけられる時代があまりにも長かった。歌右衛門、松緑が舞台に出れなくなってようやく、日の目を見るようになってきたが、今度は若手、幸四郎、吉右衛門とかが台頭しだした。
 芝居が見られるのは、自分が歌舞伎を見始めたころから十年くらいが、富十郎の最盛期であり、脂が乗っていた。ここ数年は、体調が思わしくなく、休演が続いていた。自分のためというよりは、60を過ぎてから産まれた子、鷹之資が、役者として身が立つように苦労を重ねていた。
 自分が苦労を重ねた人生だけあって、その思いがことさら強く感じた。
 鷹之資を義経に、自分が弁慶として役を納めた勧進帳は悲壮さは感じてならなかった。
 この弁慶は、富十郎が演じたものとしては始めて見たが、前半が優れていた。前半の山伏問答までがこの芝居の山場で、なめらかに乗り切れるかがポイントで、下手すると、富樫との叫びあいの、絶叫になりやすい芝居であるが、ここをさらさらと演じて乗り切ったのは一派をなすもである。
 芝居と舞踊をひとつ上げるとして、舞踊は洒脱と軽妙さが出たうかれ坊主、芝居は、形、形をきっちりと見せた実盛物語の実盛か。
 鷹之資のためにもう10年は頑張らせたかったというのが自分の感想である。

最後の忠臣蔵

2010-12-28 12:51:59 | Weblog
昨日は、朝のうち病院に行き、皮膚科で薬をもらう。それから、南森町まで向かい、なじみ古本屋にいく。内田百聞の日記を見つけたので買う。斜め読みした程度であるがなかなかおもしろい作品。
 うどんを昼食にしてピカデリー梅田で「最後の忠臣蔵」をみる。
 この最後の忠臣蔵は、討ち入りに加わらなかった瀬尾孫左衛門と、討ち入りして抜け出した寺坂吉右衛門の忠臣蔵の後日談である。丁寧な演出、人物描写でうまくまとている。
 瀬尾の役所広司、寺坂の佐藤浩市が愚直にひたむきに生きる人物を描いてよかった。
 瀬尾が内蔵助から生まれてくる子供の世話を頼まれ、その子、娘が嫁入りの場面で、嫁入り行列の際、途中から寺坂が加わり、寺坂の合図で、連れてきたお供の人々に松明の炎がひとつ、ひとつ、灯っていくとき、涙が出てきた。これで瀬尾の16年が報われたのかと。
 仁左衛門が出ているが、ほのわずかなので残念であるが、内容的には仕方がないか。
 田中邦衛がちょい役で出ているのにはうれしかった。
 久々に年の瀬に気楽に映画を見れた。気分はちょっとした池波正太郎である。

ダイアン・キートンは魅力的。

2010-11-28 22:19:48 | Weblog
今日は昼前から映画「恋愛適齢期」を見る。
 これはダイアン・キートン、ジャック・ニコルソンのオスカー俳優の共演によるラブコメディ。
 内容はともかくとしてふたりの軽妙な掛け合いが注目。
 恋愛小説家で、年下の女性が好きな男と、劇作家で、バツイチでちょっとおくてな女が、不器用でまどろこしいラブストーリーを展開していく。これにキアヌ・リーブスが絡んでいく。
 久々にダイアン・キートンが見れて嬉しかった。個人的にはメリル・ストリープより好き。
 ジャック・ニコルソンとのからみでのキートンの60前の年齢でのスタイルの良さには驚く。
 あれなら20歳くらいさばは読めると確信できる。
 ジャック・ニコルソンは性格俳優なのでどうかなと感じであるが、恋愛ものはうまいし、男女の微妙な心情を表現するのはなかなかのもの。因みに、「愛と追憶の日々」でシャーリー・マクレーンの相手役として演じてオスカー、助演男優賞と得ている。
 二入の演技で2時間過ぎたのはこの映画というのか感想か。
 夕方は龍馬伝の最終回、坂の上の雲の先行作を見ていく。
 龍馬伝は最終回はみごたえがあった。とくに暗殺のシーンは。
 ここ数回の、大政奉還へ奔走していく中で、自分の役目が終わりつつあることを感じていく、微妙な演技を福山さんは乗り切ってくれた。香川さんの龍馬へのあくなき憧れ、これがこの物語を引っ張っていく、これがこの大河ドラマのテーマかとなぜ、岩崎弥太郎が絡むのかが最後になってわかった感じ。坂の上の雲は来週地上波で放送なのでそのときにまた。

上村松園展

2010-11-24 08:09:59 | Weblog
昨日は、京都の国立近代美術館まで上村松園展を見に行く。
 入ってすぐに、序の舞を鑑賞。
 圧倒されたというのが正直な感想。
 能のなかでのはじめに動き出す瞬間を描き出したもの。
 極度の緊張状態のなかでの、これから舞う、女性の美しさのなかの内面の気迫とが見事に一致したのがこの序の舞であり、松園の傑作の一枚である。年齢てきに61歳の作品で、松園の絵が成熟、完成の域に達したころの絵である。
 今回の展覧は、松園の20代から60代の晩年までの作品を集めているので、作風の変化を知るうえでは良かった。20代、30代の作風は写生であり、清方かと思うが、写した感じの作品。
 40代で内面の描写が見えてきた。晩年と比べて色の使い方が繊細で細やか、このころの「舞仕度」はその色の細かさ、繊細が出ていて、うぶな舞妓さんを描いていてよかった。このころは古典や能を扱った作品が見られ、楊貴妃などの中国を題材にしたものが見られる。松園にしてはめずらいい。女性が書く楊貴妃はわかる。
 60代に差し掛かって松園の味わい見え、題材も浮世絵を意識したもの、古典、能を中心とした作品が多い。鮮やかな極彩色を使って、女性の内面を描いていく。序の舞もそうした延長上にある。
 松園の作品には黄昏る女性が多い。何をおもっているのか、松園は何を意図したのか、知ってみたい。
 午前中から京都に向うがこの時期は人が多すぎる。いつも京都に行くときはあまり感じたことはなかったが。記念に図録と松園の絵がのったクリアファイルを買う。

清元合同演奏会

2010-11-09 20:35:33 | Weblog
土曜日のNHKのプレミアムシアターで8月の清元の合同演奏会の放送があったので録画して拝見。梅派の三味線の梅吉、語りの延寿太夫の「隅田川」が見どころになる。
 「隅田川」は子を人買いにさらわれて、その子を追い求めていくうちに、隅田川の渡しで子供を弔われている塚を見つけ、それがわが子のものとわかり、母の悲しみ、苦悩を清元で謡ったもの。
 歌舞伎で見たときは、現代的な感覚があり、作品の重みと相まって、理解にほど遠かったが、今回、聞くと、名曲であることを感じる。
 とくに梅吉の三味線、川の描写が格段に秀でていて、幽玄的、幻想的な描写で表現。
 天才梅吉、ここにあることを実感。
 梅吉はともかく、延寿太夫の出来がこれまでのきいたなかで一番の出来であった。
 いいのは、延寿太夫の芸にたいする飽くなき向上心、謙虚さ、品のよさが語りの中に出てきたこと。
 清元の宗家のプライドをかなぐり捨てて、梅吉に胸を借りる思いで「隅田川」を語り上げたことが語りに出ていた。
 あと仁左衛門の「お祭り」がこの演奏会に花を添える。
 

11月 文楽 錦秋公演 第2部

2010-11-09 20:10:33 | Weblog
今月の国立文楽劇場の第2部は一谷ふたば軍記に八百屋お七の2本立て。
 一谷ふたば軍記、熊谷陣屋の段は今月の文楽の第一となす。
 まず、勘十郎の熊谷の古怪、不気味でスケールの大きな人物を描いている。
 この熊谷あってこそ、熊谷の苦悩、主命とはいえ子を殺さねばならない葛藤、この世に対する無常観がにじみ出てくる。勘十郎の人形に味わいがでてきたと実感させる。
 子を殺した故に、自分を追い詰めていく精神の苦悩、だれに救いを求めることのできない孤独感という人物像が組み込まれているが故に、切り場の熊谷陣屋の段がおもしろくなっていく。
 熊谷陣屋は勘十郎だけでなく、それをささえる脇、太夫、三味線が充実している。
 陣屋の切り場を、綱太夫、清二郎が務める。綱太夫は、ゆっくりとした間合いで、人物の位、品位を出しつつも、熊谷が背負わなければならない子殺しの罪悪感、重圧感、苦悩と葛藤を描いてゆく。
 熊谷が藤の方、相模に語って聞かす物語は、キリスト教の、神への自分の罪の告白であり、それはドフトエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの告白にも比する。
 最近の綱太夫の出来は住太夫を上回るものがあり、安定感、作品への解釈は太夫のなかでも第一である。
 脇の充実では相模の和生、藤の方の文雀はともに本役であり、勘十郎の勝るとも劣らぬ出来。
 相模、藤の方とも、位、品位がしっかりと取れており、熊谷との釣り合いも取れている。
 歌舞伎ではあまり見られぬが、相模と藤の方のやりとりがあって、やりとりのなかに十六年一昔の歳月を感じさせる。主従の立場から対等に渡り合おうとする相模の十六年が和生の人形に見られた。弥陀六は玉女。歌舞伎ほど役の重みはさほど感じなかったが、役者は相持ちというか、周囲の充実に玉女が老いの力強さをみせた。
 後半部分を、太夫は英太夫、清介。はなやかに舞台を盛り上げていく。
 陣屋の段ほどではないにしろ、組討の段も上々の出来。
 太夫は呂勢太夫、清治。呂勢太夫のはややかでのびやかな語りは、舞台の様式美と相まって、組討のくだりの悲劇性をより深めていく。清治の三味線はいつもながら華麗である。
 勘十郎の熊谷は淡々と役を勤めつつも、これから始まる悲劇の序曲を見せる。
 一谷ふたば軍記のあとは八百屋お七。
 淡々とした流れの中に華やかさが垣間見れるのは江戸風の文楽を感じさせる作品。
 切り場を嶋太夫、清友。はややかさのなかに少女の一途なかなうことのない恋への激しい重いを語り上げていく。お七は清十郎。控えめで、うちに秘めた激しさを、内向的に描き出していく。
 勘十郎の影には隠れているが、清十郎大当たりの今月の文楽である。

11月 文楽 錦秋公演 第一部

2010-11-07 12:55:31 | Weblog
11月の文楽の第一部は、「日向嶋」、「堀川」。
 第一部は人形の清十郎の日向嶋のお滝と勘十郎の堀川の伝兵衛が見ものである。
 清十郎のお滝は、この十四歳の少女が持つ、無垢さ、一途さをもって、日向嶋のドラマ、父景清のこころを切り開かんとする。ただひとつ、父に逢いたさのため。
 といっても父ははるかかなたの日向、宮崎県。それまでいくにも十四歳の少女に旅費があるわけでもない。ならばと、自分の身を売って、そのお金で日向まで赴く。その奉公は、年季奉公のわけではなく、生涯にわたる。つまり、父に会う、そのひとつのために自分の人生のすべてを閉ざす。
 自ら、遊女屋に赴いて、遊女として働くことを決め、父のいる日向に向う。
 清十郎は、無垢さ、一途さをもってお滝を演じていく。役の性根、父に会ってお金を渡すことで、父のこれからの余生を平穏に送らせたいという思いを伝えていく。この無垢さ、一途さがあるゆえに、頼朝打倒に己の生をかけてきた景清のこころを動かし、その存在意義を突き崩し、頼朝の家臣としていきていく決意をさせるのである。文楽の娘形の可憐さ、華やかさを極力省き、少女の気持ちでもって演じたことはこの昼の部の第一の見ものである。
 清十郎の娘は蓑助とはやや異なる。成長次第では一派をなす女形の人形振りになすもの。
 清十郎のお滝をのぞけば、日向嶋は見どころに欠ける。
 この作品は、動きは少ないが、景清のこころの動き、内面の葛藤が、二転、三転と激しく動いていく。それを太夫なり人形なりが表現していくには、かなりの技量、力量がいる。
 咲太夫がこの日向嶋一段を語り上げたことは誉めることかもしれないが、一段語り上げた印象しかない。景清の内面の葛藤、平家の一門のプライド、意地が見えてこない。父以来の当り役を期待するものとしてはいささか残念であった。
 玉女の景清は、一見、このひとの仁の気はするがそうではなく、このひとの本役は、二枚目系の勝頼や弥助にある。いささか、気の毒な配役にも感じた。景清の表情には手強さが見えてこない。
 和生の佐治太夫が力強く、芝居の厚みがでる。
 「堀川」は導入部の四条河原の場がおもしろい。
 勘十郎の伝兵衛がいい二枚目の役を好演。あたりさわりのない無難さが、ここにきて味わいがでてきたところ。二枚目でありながら上方狂言のつっころばしの要素を失わせない、どこか頼り下のない一途なぼんぼんの味が人形で出ていて、伝兵衛の人物像が鮮明にでている。
 猿回しの段は住太夫の語りに注目したが、ここは切り場と前半に分かれていたが、切り場についてはなぜ、住太夫がという疑問が残った。母が与次郎とお俊に語るところは、住太夫らしい老いの強みが出ていたがそれ以外は平凡。いいところは津駒太夫にいった感じである。
 蓑助のお俊は一通りであって、紋寿の与次郎が、善良な小市民の町屋の人間を描いたことが印象に残る。