大阪松竹座
團菊祭五月大歌舞伎
平成23年5月2日(月)~26日(木)
昼の部
一、女暫(おんなしばらく)
巴御前 時 蔵
女鯰若菜 菊之助
轟坊震斎 松 緑
二、汐汲(しおくみ)
蜑女苅藻 藤十郎
此兵衛 翫 雀
三、極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」(きんぴらほうもんあらそい)
幡随院長兵衛 團十郎
女房お時 時 蔵
出尻清兵衛 翫 雀
唐犬権兵衛 左團次
水野十郎左衛門 菊五郎
夜の部
一、倭仮名在原系図
蘭平物狂(らんぺいものぐるい)
奴蘭平実は伴義雄 松 緑
女房おりく実は音人妻明石 菊之助
在原行平 翫 雀
二、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
浜松屋見世先の場
稲瀬川勢揃いの場
弁天小僧菊之助 菊五郎
南郷力丸 左團次
忠信利平 権十郎
赤星十三郎 時 蔵
日本駄右衛門 團十郎
三、新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
小姓弥生/獅子の精 菊之助
五月の大阪の團菊祭は配役表と演目を見つつため息がもれる。
「またかよ。」
正直な感想である。
弁天小僧などおなじみの狂言は並ぶが、これを見なくては思う芝居はひとつもなかった。
大阪のお客を相手にふざけるなとも言いたくもなる。
そんなことをいっても拉致がないので気になるところを書いていく。
昼の部に目が行く。
時蔵の「女暫」
これは歌舞伎十八番の「暫」をパロディにしたもので女形が「暫」をやる。
役名は巴御前。めずらしいので見たい。
藤十郎の「汐汲」
長唄の舞踊で在原行平との恋を綴るもの。
藤十郎なのでチェックか。
「幡髄長兵衛」
これは湯殿の長兵衛とも言われ、侠客の幡髄長兵衛が旗本の水野十郎左衛門に討たれる話。水野に討たれるの知っても、水野の屋敷に赴く覚悟を見せる長兵衛内が見もの。菊五郎の水野はともかく、團十郎ではなあというのが本音か。
夜の部
松緑の「蘭平物狂」
立ち回りが大掛かりなのが注目であるが、芝居としてはおもしろくはない。
カットが多く、見ていてなんのことかさっぱり分からない。
菊五郎の「弁天小僧」
菊五郎の弁天小僧は悪くはないが、何度も見ると飽きてくるし、もういいやというのが本音である。南郷の左團次、團十郎の駄右衛門と悪くはないがもういいやである。
菊之助の「鏡獅子」
團菊祭で一番の注目か。大事なのは獅子となってからの毛振りではなく、前シテの弥生で見せるものだあることを見せて欲しい。観客も役者も、この踊りのつぼを変に誤解している節がある。頭振り回したらいいというのは勘弁してほしい。
菊ちゃんがせっかく「合邦」の玉手で当たりをとったのだから彼に時代物をというのが私個人の切ない思いです。
昼を見て、夜は「鏡獅子」を幕見でというのがいまの予定かな。
團菊祭五月大歌舞伎
平成23年5月2日(月)~26日(木)
昼の部
一、女暫(おんなしばらく)
巴御前 時 蔵
女鯰若菜 菊之助
轟坊震斎 松 緑
二、汐汲(しおくみ)
蜑女苅藻 藤十郎
此兵衛 翫 雀
三、極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」(きんぴらほうもんあらそい)
幡随院長兵衛 團十郎
女房お時 時 蔵
出尻清兵衛 翫 雀
唐犬権兵衛 左團次
水野十郎左衛門 菊五郎
夜の部
一、倭仮名在原系図
蘭平物狂(らんぺいものぐるい)
奴蘭平実は伴義雄 松 緑
女房おりく実は音人妻明石 菊之助
在原行平 翫 雀
二、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
浜松屋見世先の場
稲瀬川勢揃いの場
弁天小僧菊之助 菊五郎
南郷力丸 左團次
忠信利平 権十郎
赤星十三郎 時 蔵
日本駄右衛門 團十郎
三、新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
小姓弥生/獅子の精 菊之助
五月の大阪の團菊祭は配役表と演目を見つつため息がもれる。
「またかよ。」
正直な感想である。
弁天小僧などおなじみの狂言は並ぶが、これを見なくては思う芝居はひとつもなかった。
大阪のお客を相手にふざけるなとも言いたくもなる。
そんなことをいっても拉致がないので気になるところを書いていく。
昼の部に目が行く。
時蔵の「女暫」
これは歌舞伎十八番の「暫」をパロディにしたもので女形が「暫」をやる。
役名は巴御前。めずらしいので見たい。
藤十郎の「汐汲」
長唄の舞踊で在原行平との恋を綴るもの。
藤十郎なのでチェックか。
「幡髄長兵衛」
これは湯殿の長兵衛とも言われ、侠客の幡髄長兵衛が旗本の水野十郎左衛門に討たれる話。水野に討たれるの知っても、水野の屋敷に赴く覚悟を見せる長兵衛内が見もの。菊五郎の水野はともかく、團十郎ではなあというのが本音か。
夜の部
松緑の「蘭平物狂」
立ち回りが大掛かりなのが注目であるが、芝居としてはおもしろくはない。
カットが多く、見ていてなんのことかさっぱり分からない。
菊五郎の「弁天小僧」
菊五郎の弁天小僧は悪くはないが、何度も見ると飽きてくるし、もういいやというのが本音である。南郷の左團次、團十郎の駄右衛門と悪くはないがもういいやである。
菊之助の「鏡獅子」
團菊祭で一番の注目か。大事なのは獅子となってからの毛振りではなく、前シテの弥生で見せるものだあることを見せて欲しい。観客も役者も、この踊りのつぼを変に誤解している節がある。頭振り回したらいいというのは勘弁してほしい。
菊ちゃんがせっかく「合邦」の玉手で当たりをとったのだから彼に時代物をというのが私個人の切ない思いです。
昼を見て、夜は「鏡獅子」を幕見でというのがいまの予定かな。