コメント
春日通りの洋館
(
ひで爺ィ
)
2014-06-14 10:04:38
懐かしいですね
小生の御徒町中学への登下校路でした。
もっと幼い頃からありましたが、外壁全てが防水シートを貼り付けた(打ち付けた)ようなものでしたが、台風など雨風には耐えていたからそれなりの専門家が造られたのですね。
当時(S30~35)のうわさですが、
「外人さんがひとりでコツコツと造ってる」というのが通説でした。
みなで金網のフェンスに張り付いてかなりジロジロ見ていたのですが、
だれも住民、あるいはそれらしき人を見たことが無いのです。
なるほど、
(
流一
)
2014-06-15 09:39:03
外壁材が普通ではないようですね。本格的な家を造ったのではなく、半ば遊びも取り入れて造り上げた、という感じもします。「外人さんがひとりでコツコツと造ってる」という噂もまったくの作り話ではないかもしれません。大人でも、下町の大通り沿いに環境も景観も無視した洋館を建てるとは日本人とは思えない、と感じたかもしれませんね。「謎の洋館」にしては窓が大きいので意外と開放的な感じもしますが。
昭和44年の住宅地図では、ぼんやりした手書きの文字なのではっきりしませんが「井上医院」のように読めます。医院なら納得できる建物です。
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小生の御徒町中学への登下校路でした。
もっと幼い頃からありましたが、外壁全てが防水シートを貼り付けた(打ち付けた)ようなものでしたが、台風など雨風には耐えていたからそれなりの専門家が造られたのですね。
当時(S30~35)のうわさですが、
「外人さんがひとりでコツコツと造ってる」というのが通説でした。
みなで金網のフェンスに張り付いてかなりジロジロ見ていたのですが、
だれも住民、あるいはそれらしき人を見たことが無いのです。
昭和44年の住宅地図では、ぼんやりした手書きの文字なのではっきりしませんが「井上医院」のように読めます。医院なら納得できる建物です。