コメント
 
 
 
はじめまして (アリス)
2010-05-29 21:02:12
いつも楽しく見させていただいてます。猿江アパート懐かしいです。ただただあの螺旋階段が見たくて、大阪から行きました。美しかったです。あれから22年経つでしょうか。同潤会のような集合住宅はもう二度と作れないでしょうね。さびしいかぎりです。
 
 
 
>アリス様 (流一)
2010-05-30 13:06:29
東京に出てきたついでということであったとしても、わざわざ住吉にまで脚を運ぶということは、そうとうな思い入れがあったのでしょうか。螺旋階段はその思いを裏切らなかったようですね。
私が見たときは古さとかよごれとかが目に付いて、これという印象はなかったのですが、見る目がなかったということなのでしょう。今思うとあの螺旋階段の造形はやほり独特ですばらしいものだったと思います。
 
 
 
なつかしい (ゆう)
2011-09-05 20:18:25
子供の頃真ん中の猫がたむろってる広場で缶けりをして遊んだものでした。当時建築的に価値あるものとは全く知りませんでしたが今思い出すと町の中でもひときわ味のある空間でした。ただただ懐かしい。
 
 
 
懐かしい (まさ)
2018-04-15 08:38:21
はじめまして。自分の昔住んでいたアパートを検索していて見つけました。写真に写っている青いトタン屋根の家が住んでいた場所で、私は昭和47年生まれで建て壊しになる少し前まで住んでいました。
子供同士では公園をアパート公園(アパコ)と呼んでいて、紙芝居のおじさんが来たり、何せ家の目の前なので毎日のように遊んでいました。
親にはあまり上の階や屋上には行かないようにと言われていましたが、探検好きだったのでアパート中をあちこちと見て歩きました。ほとんどの家がドア開きっぱなし、廊下とはいえ居住空間の一部のようだったので、あまりウロチョロしていると怒られそうでしたが。屋上に行くには昼間でも暗い階段を上がり、廃棄された家具などを乗り越えていかないと行けないようになっていたので屋上に出ると開放感がありました。螺旋階段は、木の手すりの手触りがよかった、見下ろした時に何となく怖かったのを思い出します。
自分は歴史的建造物とは知らず、ただのボロ長屋だと思って住んでいたので、たまに写真を撮りに来る方がいたのが不思議でした。
今こうして調べてみて初めて知った次第です。
 
 
 
>まさ様 (流一)
2018-04-16 09:33:07
生まれてから成人になるまで、暮らしていたアパートになるわけでしょうか? ご両親が入居したときの事情はお聞きでしょうか? 本文では建物を明確にするため「○○号館」と明記しているわけですが、住民の方もそのような言い方をしていたのでしょうか?
写真で見ると1階の前面を増築して倉庫かなにかに使っている場合が多いようですね。「アパコ」とは「パルコ」のような語感で面白いですね。紙芝居は普通には見られなくなった時代だと思いますが、子供が多かったのでしょうね。
同潤会アパートに関する書籍は多く出版されているし、建築物としての人気はかなりあるのですが、外部の人間によるものです。そこの住民にとってはただの「ボロアパート」と考えていた人が普通だったと思います。取り壊されて残念だ、というのは勝手な言い分なのかもしれません。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。