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萬代、このような姿だったのですね。 (ヴェロニカ)
2015-05-10 20:44:42
はじめまして。
ヴェロニカと申します。

萬代のありし日の姿を拝見でき、嬉しく思っております。

実は、私の、曾曾祖母が、神田連雀町 旅人宿 萬代屋の縁の者でした。萬代屋の初代は、おそらく古田小作氏だと思いますが、曾曾祖父の死亡欄にある親族としての古田氏の名前と、群馬県の文書館に残されている神田連雀町 旅人宿 萬代屋 の宿主の名前が一致しているので間違いないと思います。
とはいえ、父は「萬代屋」の名前は曾祖父母(曾祖父の母方になります)から聞いたことがあっても、親戚づきあいがあるわけでもなし、行ったこともなしで、誰もその姿を拝んだことがございませんでした。

そして、不意に思い立って調べてみたら、貴ブログに行き着き、親子共々、感動しております。すでに、30年前に取り壊されたのは残念ですが、お写真を拝見し、ありし日の姿に思いを馳せました。

ちなみに、曾曾祖父は、東京に家もあったようですが、明治時代の半ばまで、群馬の県会議員をしており、その最中に、萬代屋縁の曾曾祖母と結婚しているので、当時はそういった関係の方々が利用した旅館かもしれませんね……

それでは、このへんで。
他の記事も楽しそうなものばかりで。
これから楽しませていただきます。
 
 
 
>ヴェロニカ様 (流一)
2015-05-12 11:08:35
初めまして。ブログの管理人「流一」です。萬代家に縁のある方からコメントを頂けるとは驚きました。
ネットの情報ですが、残念ながら2013年3月末で割烹萬代は閉店してしまったようです。自家ビルを持っているようなので、その管理に専念するのでしょうか。
万世橋の前身である萬代橋(よろずよばし)が明治6年に架けられています。屋号はそれにちなんでいるのではないでしょうか。「代」を「世」と書くようになって「まんせいばし」と読むようになったと考えられます。「神田連雀町 旅人宿 萬代屋」とは明治期の言い方でしょうが趣がありますね。
ところで、本文では写真に写っている看板から「萬代家」としましたが、古い資料には「萬代屋」と出ているのでしょうか?
 
 
 
お返事ありがとうございます。 (ヴェロニカ)
2015-05-12 20:10:39
こんばんは。
お返事どうもありがとうございます。
感激です。
あれから、ブログ、楽しんで毎日少しずつ読み進めさせていただいております。
本当に、素晴らしい写真のコレクション、失われた(つつある)懐かしい東京の万華鏡ですね。東京に住んでいても、特定のところにしか行かないので、とても新鮮です。萬代はなくなってしまったけれど、まだ健在な建物、みてまわりたいです。もちろん万世橋にも行ってみます。

さて、萬代の名称ですが。
群馬県の文書館の検索↓
http://www.archives.pref.gunma.jp/mkrok/
の総合検索で「萬代」もしくは「古田小作」と入れると、いくつか出てきます。
萬代屋、萬代家のどちらも使ってたみたいですね。(私は、今調べてみるまで明治27年のものしか知らなかったので、前者を使っていました)

それでは、また。
これからも、ブログ楽しみにしております!
 
 
 
Unknown (野田 耕平)
2020-01-14 17:43:33
受験で上京した際、一週間お世話になりました。
一泊二食の上級な旅館は東京では数少なく、出身地の商工会議所の会頭・副会頭さんも定宿にされていました。
中居さんは私のことを坊ちゃんではなく、ご子息様と呼ばれていたのでよく覚えています。
たすき掛けで掃除をされていたのも印象的でした。
その私も今年で70歳となり、生まれ育った尾道に暮らしております。 懐かしい!
 
 
 
>野田耕平様 (流一)
2020-01-15 20:03:43
萬代家に泊まって大学入試を受けたてのは、もう50年以上前になるわけですね。写真を見て新たに思い出すようなこともありそうですね。受験は志望した通りにいったでしょうか?
萬代家は尾道の名士が利用し、お父上も上京した際の定宿だったように読めました。
 
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