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トロリーバス知らない世代です (定マニア)
2017-08-28 07:58:05
トロリーバスは、「水曜どうでしょう」で、大泉洋さん一行が、立山を訪れた際の映像でしか見たことがありません。サイト「昭和からの贈りもの」昭和10年5月11日によれば、上野桜木に昭和27年頃から、トロリーバスの停留所ができたとあります。今回紹介された建物は、不忍通り沿いにありましたよね?トロリーバスは、言問通りから坂を下って、不忍通りを走っていたのでしょうか。ついでに、上野動物園の倉庫は、トロリーバスの変電所も兼ねていたのかしら。こち亀にも、トロリーバスをテーマにした話があるそうなので、今度見たいと思います。
 
 
 
>定マニア様 (流一)
2017-08-29 11:08:30
上野公園-今井の101番のトロリーバスは不忍通りをちょっと走って言問通りに入っていきます。また、須田町-江戸川橋の20番の都電が上野公園-宮永町の部分で同じコースを走っていました。不忍池の上野の山側の道から不忍通りに出てくるところが池之端七軒町電停ですね。写真の両山堂はその電停から少し南にあり、そこの不忍通りには都電もトロリーバスも走っていなかったようです。
トロリーバスは私が23歳のときまで走っていたのですが機会がなく乗ったことはありません。今思えばなんとも残念です。
 
 
 
懐かしい (元社員)
2019-11-29 11:07:54
両山堂の元社員でした。食品関係のラベルが多く、印刷物も現在主流の4色セットのインクではなく、ラベルに合わせて現場の職人が色を調合してラベルに合わせたインクを盛って刷っていました。
4色インクと比べるとやはり重厚さがあり、ラベルとしては見映えは良くなりますが、コストはかかるので私がいた2000年初頭のデフレ時はかなり厳しかったと思います。良いものはそれなりの対価が支払われるべきだと思いますが、当時はどこも、特に大手がコスト削減を謳っていたので昔ながらの重厚なラベルは“見映えが良いけれど、どこか薄っぺらいもの”にとって代わりました。両山堂の印刷は古い機械と長年の技術があるから出来るものと聞いていましたが、何十年も使用していた機械だったのでメーカーでも部品がなくなり、何かあると現場の人が何とかしていました。辞めた後たまに近くを通る際は会社の前を通っていましたが、ある時通ったらマンション予定地の立て看板を見たときは寂しかったです。
 
 
 
>元社員様 (流一)
2019-11-30 09:57:19
大谷石の壁の建物には造り直された看板が架かっているので営業は続いているのでしょうね。今はパソコンとプリンターで仕事をしているのでしょうか。
元社員さんのお話を伺うと、古い機械を熟練工が使いこなして、他にない高級なラベルを作製している、などということを夢想してしまいます。
 
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