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懐かしく拝見させていただきました.
(
コヨーテ
)
2013-04-02 11:30:45
たまたま昔の写真をみたくなって検索したところ貴サイトにたどり着きました.
私の父が写真の「純喫茶TOP」を経営していました.
お写真のお店は,「本店」で,「支店」は近くの小学館ビルの地下で3年前まで営業しておりました.
本店が取り壊される時は,とても残念でしたが,このお写真を拝見して懐かしく思いました.
お写真で「純喫茶 藤」さんの右隣ののれんが見えるお店は,中華料理の「末広」さんでした.大人4~5人しか座れないカウンター席のみでしたが,ドライカレーやラーメンなどボリュームたっぷりで美味しかったです.
純喫茶TOPと純喫茶藤さんの間には,細い通路があり,TOPと藤さんと末広さんの裏口になっていました.主にゴミ箱を置いていました.
私は,神保町に生まれ,今も神保町に住んでいますが数々の懐かしい写真に感動しました.
またサイトを拝見いたします.
>コヨーテ様
(
流一
)
2013-04-02 20:10:24
写真の建物に関わった方からのコメント! 驚きました。いろいろと建物に関して判ってきました。ありがとうございます。「末広」という店のことや共用の通路のことなど、ご教示されなければそのまま埋もれてしまう情報です。
当ブログでは、神田はカテゴリーとして独立しているように、わりと詳しく取り上げていますのでお楽しみいただけると思います。
ありがとうございます.
(
コヨーテ
)
2013-04-03 09:50:02
早速のご返答,とても嬉しく思います.
もう少しだけこれらのお写真について補足いたします.
父は,おそらく昭和20年代後半にTOPを開店したそうです.
ですから,その以前からこの建物はあったそうです.
このお写真の後,工事などで地面を掘ると関東大震災時のものと思われるものや貝殻などいろいろ出てきたそうです.
『TOP』は,1階と2階が客席になっていて,店内2階の右の壁の小さなドアから急な階段で3階に行けるようになっていました.若い頃は,3階に住んでいたそうです.その後は倉庫にしていました.『TOP』だけは他の店舗とは独立して3階まで通じていたのです.
お写真をよくみると,純喫茶『藤』さんと,『末広』さんとの間にシャッターが見えるかと思います.この部分から他の2階や3階部分に行ける階段となっていました.実際にその階段を登って上の階の出版社さんなど,いくつかの部屋に行ったことがあります.
また,TOPの左側に見える民家みたいな建物は,昭和50年代までは,てんぷらの『天作』,その前後「遠藤印刷」さんが入居しておりました.『天作』さんは,三崎町に,印刷屋さんは,飯田橋に移転しました.その後は,しばらく空き屋になっていましたが,お写真の直後くらいに取り壊され,長い間「空き地」になっていました.
お写真では隠れていて見えませんが,実はこの建物のちょうど裏手は民家になっていました.
「空き家」と旧第一相互銀行別館の間に道があってそこから入る感じでした.
他のお写真も拝見いたしました.ちょうど掲載されている時代に,私はよくさくら通りやすずらん通りを毎日遊び場にしていたので,どの建物も馴染みのものばかりです.
昭和50年代~平成8年位までの神保町2丁目の奇数・偶数番地,西神田近辺は,よく覚えています.
またわかることがありましら,コメントいたします.
懐かしい数々のお写真ありがとうございます.
≫コヨーテ様
(
流一
)
2013-04-06 16:51:27
TOPの開店が昭和20年代後半とは驚きました。老舗ですね。
この辺りをストリートビューで見てみました。TOPの建物があったところは駐車場のままですね。「天作」の建物は間口の狭いビルに。さくら通りの手塚印刷が取り壊されて「裏手の民家(鈴木家)」が見えていますね。今では古いままの建物は朝田質店だったものくらいでしょうか?
都心ですからビル化が進むのは当然なのですが、住んでいた方々が離散していってしまうのはやはりさみしいですね。
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私の父が写真の「純喫茶TOP」を経営していました.
お写真のお店は,「本店」で,「支店」は近くの小学館ビルの地下で3年前まで営業しておりました.
本店が取り壊される時は,とても残念でしたが,このお写真を拝見して懐かしく思いました.
お写真で「純喫茶 藤」さんの右隣ののれんが見えるお店は,中華料理の「末広」さんでした.大人4~5人しか座れないカウンター席のみでしたが,ドライカレーやラーメンなどボリュームたっぷりで美味しかったです.
純喫茶TOPと純喫茶藤さんの間には,細い通路があり,TOPと藤さんと末広さんの裏口になっていました.主にゴミ箱を置いていました.
私は,神保町に生まれ,今も神保町に住んでいますが数々の懐かしい写真に感動しました.
またサイトを拝見いたします.
当ブログでは、神田はカテゴリーとして独立しているように、わりと詳しく取り上げていますのでお楽しみいただけると思います。
もう少しだけこれらのお写真について補足いたします.
父は,おそらく昭和20年代後半にTOPを開店したそうです.
ですから,その以前からこの建物はあったそうです.
このお写真の後,工事などで地面を掘ると関東大震災時のものと思われるものや貝殻などいろいろ出てきたそうです.
『TOP』は,1階と2階が客席になっていて,店内2階の右の壁の小さなドアから急な階段で3階に行けるようになっていました.若い頃は,3階に住んでいたそうです.その後は倉庫にしていました.『TOP』だけは他の店舗とは独立して3階まで通じていたのです.
お写真をよくみると,純喫茶『藤』さんと,『末広』さんとの間にシャッターが見えるかと思います.この部分から他の2階や3階部分に行ける階段となっていました.実際にその階段を登って上の階の出版社さんなど,いくつかの部屋に行ったことがあります.
また,TOPの左側に見える民家みたいな建物は,昭和50年代までは,てんぷらの『天作』,その前後「遠藤印刷」さんが入居しておりました.『天作』さんは,三崎町に,印刷屋さんは,飯田橋に移転しました.その後は,しばらく空き屋になっていましたが,お写真の直後くらいに取り壊され,長い間「空き地」になっていました.
お写真では隠れていて見えませんが,実はこの建物のちょうど裏手は民家になっていました.
「空き家」と旧第一相互銀行別館の間に道があってそこから入る感じでした.
他のお写真も拝見いたしました.ちょうど掲載されている時代に,私はよくさくら通りやすずらん通りを毎日遊び場にしていたので,どの建物も馴染みのものばかりです.
昭和50年代~平成8年位までの神保町2丁目の奇数・偶数番地,西神田近辺は,よく覚えています.
またわかることがありましら,コメントいたします.
懐かしい数々のお写真ありがとうございます.
この辺りをストリートビューで見てみました。TOPの建物があったところは駐車場のままですね。「天作」の建物は間口の狭いビルに。さくら通りの手塚印刷が取り壊されて「裏手の民家(鈴木家)」が見えていますね。今では古いままの建物は朝田質店だったものくらいでしょうか?
都心ですからビル化が進むのは当然なのですが、住んでいた方々が離散していってしまうのはやはりさみしいですね。