コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
Unknown
(
とおる。
)
2006-11-13 19:43:53
はじめまして!
蛎殻町のマンションに住んでいます。
最近の蛎殻町の姿しか知らない私からみると、近代的な建物が出来る前の下町の面影が残る、とても魅力的な町並みだと思います。
はじめまして
(
ryuw-1
)
2006-11-14 12:43:22
とおる様、
コメントありがとうございます。人形町や蛎殻町にあった建物も少しずつアップしていきますので、これからもよろしくお願いします。
補記
(
KZS
)
2007-01-13 18:45:14
上総屋4代目(札幌在住)です。
ぺんてるの社宅は、もと駒木邸です。その左は信和工業という活字製造業がありましたが、この写真では飯場になっていますから、ここら一帯が取り壊し直前のようです。バス停は都電の代替線なので「蠣殻町」のままです。鎧橋は戦災のため貨物電車以外の都電・自動車は通行止め、人と自転車は端の北沿いの仮橋と鉄橋南側人道部分を通行できました。都電21番はここが始発点になっていましたが、やがて水天宮に変更になり、進駐軍の練兵、盆踊り、芸能会、野外映画、町内運動会などに使われる、かっこうの広場になっていまいした。この通りは鎧橋通り、裏の(今の新大橋通り)は市場通りと呼んでいました。
たばこやさんは、福室(ふくむろ)さん。屋号は岡本屋。この時期にも家主は福室さんですが、「ウエダカン」の前は志満津百貨店の東京出張所で、たばこも販売していました。右は飯場で、空き地なので、写っているのはその奥にある建物。上総屋履物店の隣には江口歯科医院がありました。「吾妻亭」は戦後は「平和生命」となり、KazuoStand は最初は平和生命の跡地だけでしたが、江口家が去ってから現在の形に拡張しました。長谷川一夫は開店の日に一度来ただけのようです。「カズヲスタンド」は正式店名でした。
Re:補記
(
流一
)
2007-01-14 11:57:49
写真に撮ってブログに掲載したお店のご主人からコメントを頂けて驚いています。興味深い情報をありがとうございます。
早速、ブログ本文の次の箇所を訂正しました。
・“福宮タバコ店”を“福室(フクムロ)タバコ店”に
・“通称「カズヲスタンド」”の「通称」を削除
「福宮」は『中央区沿革図集』の「火保図」からのものですが、火保図の誤記でしょう。
ご存知かもしれませんが、上総屋と岡本屋は藤森輝信(東大助教授・建築史)が気にしていた建物で、『建築探偵日記―東京物語』(1993年、王国社刊)に「消えた上総屋」という1章を書いています。その中で、建物上部の「タ」の由来を気にしていました。
訂正
(
流一
)
2007-01-14 12:14:20
コメントの「Re:補記」で、「藤森輝信」は「藤森照信」の間違いでした。肩書きは執筆時のもの。
ウエダカンは京都の呉服卸
(
ウエダカンの一族のもの
)
2007-01-29 16:07:33
ウエダカンは京都の呉服卸。もとの社名は株式会社上田勘商店。京都市下京区烏丸通松原下るに本店。札幌に支店、東京にテキスタイル事業部を設けていたときもありますが、1999年4月に倒産。呉服卸で100年以上の歴史に幕を閉じました。
ウエダカンの前の志満津百貨店は茨城県水戸市のデパート。当時の水戸市での2大デパートの1つ。今は京成しまずになっています。
訂正
(
Unknown
)
2007-01-29 16:54:17
志満津百貨店は京成志満津になった後、水戸京成百貨店になっています。
再訂
(
上田
)
2007-01-30 09:00:33
株式会社ウエダカンについて、呉服卸で100年以上→呉服卸で150年に訂正します。
申しわけありません。
本文に追記
(
流一
)
2007-01-30 14:48:49
上田様
ウエダカンおよび志満津百貨店についての情報をありがとうございます。京都の呉服卸の老舗だったとは思いもよらず、驚きました。上総屋様のコメントと合わせて、本文に「追記」として反映させました。
たばこや3 ポスト4
(
kzs
)
2008-06-24 02:28:16
下に「草煙」とあるところ、ウインド・陳列のようになっていますが、志満津さんの時まではここがたばこ売り場です。1950年頃、「三丁目の夕日」のように、おばあさまが店を番していました。ご主人は一流企業にお勤め、奥様は音大出、「たばこやの看板娘」は流一さんより一つ年上と一つ年下の姉妹。
売り場は填め込まれていただけで、ウエダカンさんになって「草煙」の字が出て来たのにはびっくりしました。最近見つかった1940年頃の「サヤヅカ」(右から読んでください)の写真では、ここが陳列になっています(もっともガラスにポスターが貼ってありますが)。1階庇の上には「こばた」の看板。店の作りは普通の商家と同じで、店の人は畳みに座って客を迎えます。
たばこやは公社の委託を受けるので、それなりにステータスがあり、それゆえ逓信から切手・葉書の販売委託を受けることが多いので、たばこやの近くにはポストがあることが多いのです。戦前の写真にはポストが写っていますが、戦後は撤収されていました。1度復活しましたが、たばこやとともに無くなったようです。
岡本屋と上総屋は同じ棟梁の作です。金をかけた分上総屋の方が長持ちして崩れが少なかったようですが、築15年の頃、隣の洋風の江口歯科医院と3軒並んで調和がとれています。
裏手の市場通り(新大橋通り)を隔てた小網町6の角に今も健在の喫茶室の桜井さんもたばこやです。ブロックが隣り合っているのは、市場通りが震災後の区画整理で作られた道路だからです。市場通りは次の災厄の時1km程延ばして清杉通りにつなぐ計画だったようですが、さすがに国力の疲弊した戦災時には実行できなかったようです。
>kzs様
(
流一
)
2008-06-24 16:36:24
岡本屋の煙草売り場は、言われてよく見ると独特ですね。裾の部分に豆タイルを貼ったものが煙草売り場の古いパターンだと思っていますが、あれは戦後のはやりだったのでしょうか。
岡本屋の建物も銅板張りの建物としては上質の部類だと思いますが、上総屋のほうはもう一段上ですね。上部の唐破風の軒と千鳥格子(あるいは網目?)の壁面もですが、「店物履屋総上」の字を銅板でレリーフにした看板も手が込んでいます。
駒木商店の件
(
mamoru
)
2008-10-20 17:24:06
津川安正堂謹製
登録商標
敷島香
京廣香
養老香
特約店 駒木銀三郎
製造元大阪柴田商店
登録商標
衛生消毒箸
特約店 駒木商店
2つの木製看板が(70x70x厚さ2センチ位)出てきました。
ご家族に戻したいのですが連絡先がわかりません。
何か情報がありましたら、教えて戴きたくお手紙しました。
よろしく、お願いいたします。
>mamoru様
(
流一
)
2008-10-23 12:21:47
駒木商店に関しては残念ながらなにも知るところはありません。当ブログの本文に「駒木銀次郎」の名前が出ているのは、昭和20年代火保図に記載があったのを書き写しただけです。
駒木商店ですが、「古今・お江戸日本橋」というサイトの「日本橋“町”物語>日本橋小網町」のページにある「天保元年(1830)創業の荒物雑貨の駒木商店」のようですね。
「駒木商店+小網町」の検索にかかるような記事を新たに作成し、mamoru様のコメントに誘導するようにしました。閲覧者数の少ない当ブログでは、駒木商店の関係者が気づくとも思えませんが、そのくらいのことしかできません。
駒木商店
(
mamoru
)
2008-10-24 08:22:07
ありがとう御座いました。
昔の事をもっと調べていきたい気がします。
訂正
(
流一
)
2009-07-14 21:05:06
1段目の『住宅地図では「ぺんてる別館」、』を『住宅地図では「ぺんてる別館(旧・駒木銀次郎邸)」、』に、
2段目の『日本家屋は駒木銀次郎邸』を『日本家屋は丹野邸』と訂正しました。
KZS様のコメントに指摘があったのですが、今まで直していませんでした。
写真
(
KZS
)
2019-05-31 04:12:02
1940年ころのもの1葉と高速道路建設中時のもの数葉、試みましたが、うまくお目にかけられればよいのですが。
なお訂正1件、サクライさんは岡本屋さんから煙草販売権を譲り受けたとのことです。
>KZS様
(
流一
)
2019-06-01 16:02:23
1940年頃の写真の公開、ありがとうございます。それを見ると、二軒とも解体されたときとほとんど変わらない感じですね。岡本屋の赤字に白の「煙草」の文字も戦前からのものでしたね。正面を飾っていた銅板の模様を額装にして残したのは素晴らしいと思います。
新大橋通りのサクライは今も喫茶店とタバコ屋として続いていますね。旧店舗の写真を撮っていなかったのが悔やまれます。
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蛎殻町のマンションに住んでいます。
最近の蛎殻町の姿しか知らない私からみると、近代的な建物が出来る前の下町の面影が残る、とても魅力的な町並みだと思います。
コメントありがとうございます。人形町や蛎殻町にあった建物も少しずつアップしていきますので、これからもよろしくお願いします。
ぺんてるの社宅は、もと駒木邸です。その左は信和工業という活字製造業がありましたが、この写真では飯場になっていますから、ここら一帯が取り壊し直前のようです。バス停は都電の代替線なので「蠣殻町」のままです。鎧橋は戦災のため貨物電車以外の都電・自動車は通行止め、人と自転車は端の北沿いの仮橋と鉄橋南側人道部分を通行できました。都電21番はここが始発点になっていましたが、やがて水天宮に変更になり、進駐軍の練兵、盆踊り、芸能会、野外映画、町内運動会などに使われる、かっこうの広場になっていまいした。この通りは鎧橋通り、裏の(今の新大橋通り)は市場通りと呼んでいました。
たばこやさんは、福室(ふくむろ)さん。屋号は岡本屋。この時期にも家主は福室さんですが、「ウエダカン」の前は志満津百貨店の東京出張所で、たばこも販売していました。右は飯場で、空き地なので、写っているのはその奥にある建物。上総屋履物店の隣には江口歯科医院がありました。「吾妻亭」は戦後は「平和生命」となり、KazuoStand は最初は平和生命の跡地だけでしたが、江口家が去ってから現在の形に拡張しました。長谷川一夫は開店の日に一度来ただけのようです。「カズヲスタンド」は正式店名でした。
早速、ブログ本文の次の箇所を訂正しました。
・“福宮タバコ店”を“福室(フクムロ)タバコ店”に
・“通称「カズヲスタンド」”の「通称」を削除
「福宮」は『中央区沿革図集』の「火保図」からのものですが、火保図の誤記でしょう。
ご存知かもしれませんが、上総屋と岡本屋は藤森輝信(東大助教授・建築史)が気にしていた建物で、『建築探偵日記―東京物語』(1993年、王国社刊)に「消えた上総屋」という1章を書いています。その中で、建物上部の「タ」の由来を気にしていました。
ウエダカンの前の志満津百貨店は茨城県水戸市のデパート。当時の水戸市での2大デパートの1つ。今は京成しまずになっています。
申しわけありません。
ウエダカンおよび志満津百貨店についての情報をありがとうございます。京都の呉服卸の老舗だったとは思いもよらず、驚きました。上総屋様のコメントと合わせて、本文に「追記」として反映させました。
売り場は填め込まれていただけで、ウエダカンさんになって「草煙」の字が出て来たのにはびっくりしました。最近見つかった1940年頃の「サヤヅカ」(右から読んでください)の写真では、ここが陳列になっています(もっともガラスにポスターが貼ってありますが)。1階庇の上には「こばた」の看板。店の作りは普通の商家と同じで、店の人は畳みに座って客を迎えます。
たばこやは公社の委託を受けるので、それなりにステータスがあり、それゆえ逓信から切手・葉書の販売委託を受けることが多いので、たばこやの近くにはポストがあることが多いのです。戦前の写真にはポストが写っていますが、戦後は撤収されていました。1度復活しましたが、たばこやとともに無くなったようです。
岡本屋と上総屋は同じ棟梁の作です。金をかけた分上総屋の方が長持ちして崩れが少なかったようですが、築15年の頃、隣の洋風の江口歯科医院と3軒並んで調和がとれています。
裏手の市場通り(新大橋通り)を隔てた小網町6の角に今も健在の喫茶室の桜井さんもたばこやです。ブロックが隣り合っているのは、市場通りが震災後の区画整理で作られた道路だからです。市場通りは次の災厄の時1km程延ばして清杉通りにつなぐ計画だったようですが、さすがに国力の疲弊した戦災時には実行できなかったようです。
岡本屋の建物も銅板張りの建物としては上質の部類だと思いますが、上総屋のほうはもう一段上ですね。上部の唐破風の軒と千鳥格子(あるいは網目?)の壁面もですが、「店物履屋総上」の字を銅板でレリーフにした看板も手が込んでいます。
登録商標
敷島香
京廣香
養老香
特約店 駒木銀三郎
製造元大阪柴田商店
登録商標
衛生消毒箸
特約店 駒木商店
2つの木製看板が(70x70x厚さ2センチ位)出てきました。
ご家族に戻したいのですが連絡先がわかりません。
何か情報がありましたら、教えて戴きたくお手紙しました。
よろしく、お願いいたします。
駒木商店ですが、「古今・お江戸日本橋」というサイトの「日本橋“町”物語>日本橋小網町」のページにある「天保元年(1830)創業の荒物雑貨の駒木商店」のようですね。
「駒木商店+小網町」の検索にかかるような記事を新たに作成し、mamoru様のコメントに誘導するようにしました。閲覧者数の少ない当ブログでは、駒木商店の関係者が気づくとも思えませんが、そのくらいのことしかできません。
昔の事をもっと調べていきたい気がします。
2段目の『日本家屋は駒木銀次郎邸』を『日本家屋は丹野邸』と訂正しました。
KZS様のコメントに指摘があったのですが、今まで直していませんでした。
なお訂正1件、サクライさんは岡本屋さんから煙草販売権を譲り受けたとのことです。
新大橋通りのサクライは今も喫茶店とタバコ屋として続いていますね。旧店舗の写真を撮っていなかったのが悔やまれます。