コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
聖パウロ幼稚園
(
chats
)
2007-11-26 12:54:36
この教会には、聖パウロ幼稚園がありました。
「幼稚園のように見える」のは、幼稚園だったからです。「耶蘇は好きではない」下町の職人の子どもたちではなく、教育熱心なサラリーマンの家の子が多かったと思います。ちなみに、聖パウロ幼稚園からカトリック系の小学校にあがるのが、この界隈のお坊ちゃまのエリートコースだったように思います。
>chats様
(
流一
)
2007-11-26 17:14:56
ご教示ありがとうございます。撮影時は私も幼稚園だったのだろうな、という意識で見ていましたが、改めて写真を見てもそういう表示がないので「のように見える」とごまかしたわけです。一時どこかに移転していたのでしょうね。
幼稚園はもうないようです。
(
chats
)
2007-11-26 20:37:17
聖パウロ教会のホームページを見てみましたが、幼稚園はもうなくなってしまったようですね。
なにしろ小中学校が廃校・統合されている地域ですから、子どもが少なくなっているのでしょう。
ちなみに近所の大人たちは、「聖パウロ」ではなく「聖ポーロ」と呼んでいたように記憶しています。PTAを「ピーテーエー」というような感じでしょうか。
>>chats様
(
流一
)
2007-11-27 11:18:07
幼稚園は新しくなった教会の建物で再開されたのかと思っていました。
「ポーロ」という言い方は、大根を「デーコン」というのと同じ変化なんでしょうね。下町らしくてなんだかうれしくなります。
聖ポーロ幼稚園の卒園生です
(
とし
)
2011-08-16 03:04:17
昭和36年生まれの卒園生です。
弟、妹もここの卒園生です。妹は昭和42年2月生まれで2年保育をここで過ごしましたが、妹が最後の卒園生じゃなかったかな。あるいは嘆願があって、もう1年延びたかもしれません。
ですので、昭和40年代後半には廃園になりました。
右手のプレハブが建っているあたりに礼拝堂があったのですが、雨漏りがひどく、旧幼稚園の園舎をのちに礼拝堂として使った時期があるのかもしれません。
園舎に向かって左手には小さな築山というか、木々が茂っている場所があり、幼稚園の頃は、ちょっと秘密基地っぽい遊び場でした。
とても懐かしいです。
おみ堂
(
とし
)
2011-08-16 08:24:41
私が言う「礼拝堂」とは、大勢がお祈りする場所です。幼稚園当時、「おみ堂」と呼んでいました。
月曜日の朝は、いつもおみ堂でお祈りしていたと思います。
手前の道路に沿うように建っていました。
一番使う場所ですが、老朽化が激しく、写真を撮られた当時はすでに解体されていたのでしょうか。
私より下の世代ですが、この幼稚園を卒園して、現在台東区議になっている方もいらっしゃいます。
>とし様
(
流一
)
2011-08-16 19:59:52
たくさんの投稿をありがとうございます。住民の方の個人的な体験に基づいたコメントは貴重な証言で、とてもうれしいです。。
「おみ堂」があったということで、昔の航空写真(goo地図>古地図)を見てみました。敷地の東半分の中央に大きな建物がありますね。撮影時に存在したら1枚目の写真に写っているはず。『国土情報ウェブマッピングシステム』の昭和59年度には写っているので、2・3年早く来ていたら撮れたかもしれませんね。
「園舎に向かって左手には小さな築山」に近い場所の写真があったので本文に追加しました
写真追加ありがとうございます
(
とし
)
2011-08-17 00:18:24
築山の写真の追加、ありがとうございます。
幼稚園の頃は秘密基地のイメージでしたが、大人になってから見ると、ずいぶん小さな山、というより盛り土でしたね。
私も建物解体前後、築山が少し崩されている状態の時に見て、そんな感想を持った記憶が呼び起されました。
余談ですが、正門写真の後ろに写っている煙突のあるマンションは、蔵前橋通り沿いにあり、銭湯を建て替えたマンションで、1F部分の銭湯は現在も「帝国湯」として営業している建物だと思います。
ありがとうございました。
(
MTB
)
2014-11-22 20:35:26
貴重な写真を見ることができて感謝します。私は今の教会がずっと前からのものだと思い込んでいました。
敷地もかなり広かったのですね。
鐘つき堂でした
(
しばいぬ
)
2016-10-07 17:27:38
はじめまして。私も卒園生です。
昭和33年生まれで、昭和38年と39年の2年間だけ通いました。
現在は3年保育が普通ですが、当時は2年保育が主流でしたね。
聖パウロ幼稚園は3年保育で、年少組の「ばら組」が1クラスだけありましたが、年少から通う子供はまだまだ僅かでしたね。
ちなみにクラス名ですが、年中は「もも組・すみれ組」で、年長は「ゆり組」でした。
年長は、もう1組あったかもしれませんが、さすがに記憶が曖昧です。
私は、もも組とゆり組でした。
何点もの写真の数々、本当に懐かしいです。
本来ならば、1枚目の写真には教会がありました。
50年以上経った今でも、内部の荘厳で美しかった様子はハッキリと覚えています。
二枚目の写真の司祭館ですが、園長先生が毎朝ここから出てこられました。
お名前は千葉大樹先生といい、とても穏やかでお優しい神父様でした。
子供にとって、ボタンが沢山ついたドレスのような神父服が珍しかったですね。
大勢の幼児に囲まれて、ニコニコ笑っていらしたお姿は忘れられません。
三枚目・四枚目の写真は園舎です。
手前の園庭で運動会が行われました。
私の記憶に間違いがなければ、アーチ型の入り口の右に年少組・左に年中組の教室がありました。
年長のユリ組の入り口と教室は一番左にあり、一部が二階建てでした。
私は熱を出して、二階の部屋に布団を敷いて寝かせてもらった事があります。
写真ではわかりませんが、園舎の奥に講堂や別の部屋がいくつかあったはずです。
最後の「礼拝堂」と書かれている写真ですが、あれは鐘つき堂ですね。
当時は内部に鐘が設置されていたを覚えています。
記憶はないですが、きっとカラ〜ン♪カラ〜ン♪と鳴らしていたのでしょう。
私は1988年12月に結婚して府中へ移り、実家も同じ市内へ引っ越してしまいました。
後に訪れた時には、もうキレイな新しい教会が経っていて、なんだか淋しい気持ちになったものです。
住んでいるうちに、たくさん写真を撮っておけばよかったと思います。
>しばいぬ様
(
流一
)
2016-10-09 13:32:35
いろいろとご教示ありがとうございます。50年以上の前のことなのに、よく覚えておいでですね。
掲載した写真は、教会の中心になる本堂が取り壊されて、その周囲の附属的な建物が残っているという、建て替えの過度的な状態のときに撮影したものですね。幼稚園に「聖パウロ聖堂」の看板があるのは本堂の役割をそこで行っていたということでしょうね。
戦前の洋風建築のデーターベースと言っていい『日本近代建築総覧』という本には、本堂についての記載でしょうが、「浅草カトリック教会、台東区浅草橋5-20-5、建築年=大正14年、木造、設計・施工=稲葉(大工)」となっています。「カトリック浅草教会」が正しいのでしょうが、門は「浅草カトリック教会」の表札だったりで、あまり気にしていないのでしょうか。
1966年の住宅地図では「浅草カトリック教会/聖パウロ幼稚園/聖チェチリア音楽教室/校舎/堀江・伊藤(司祭館の裏の家)/横山(6枚目写真左の家)」の記載があります。
本当に嬉しいです!
(
しばいぬ
)
2016-11-07 17:54:42
こちらこそ、貴重なお写真を拝見させていただきまして、本当にありがとうございました。
もう二度と見られないと思っていた風景を、再び見る事ができて、マジで感動しました。
5才・6才という幼さで、たった二年間の通園だったのに、50年以上経っても覚えているなんて、われながら感心しています。(笑)
あれから急に懐かしさがつのり、卒園アルバムを探し出して見てみました。
園長先生や教職員の方々、教会の内部やお教室内の写真などが見つかったので、久しぶりで嬉しくなりました。
当時は絵本などの教材もカトリック系が多かったですね。
ちなみに、「カトリックかるた」という物もありました。
「(る)ルルドの姫ぎみマリアさま」
「(ひ)日ましに大きくなりました」
などとという札があったのを記憶しています。
学芸会で、「キリストの誕生」という劇をやった事もありましたね。
私の兄は準主役で、イエス様の養父である聖ヨセフを演じたものです。
昭和40年代になると、近隣の区立小学校のほぼ全てに幼稚園が併設されるようになり、5才下の妹も聖パウロではなく、近くの小学校内に新設された幼稚園に通いました。
そんな事もあって、聖パウロ幼稚園は閉園を余儀なくされたのかもしれませんね。
でも、小学校内の幼稚園は、わたし的には快適には見えませんでした。
要するに、校舎内に間借りしている状態なので、専用の広い園庭などありません。
遊具もなく、限られた狭いスペースで遊んでいる園児達を見ていると、なんだかかわいそうでしたね。
それに比べると、私が聖パウロで過ごした日々は、なんて素晴らしいものだったのだろうと思います。
今思い返しても、実に貴重な幼稚園生活でした。
もし、タイムマシンがあったら、ぜひ行ってみたい場所です。
Unknown
(
うさ
)
2019-09-28 12:02:56
懐かしい写真ありがとうございます!
「お寺に併設された幼稚園のような建物」は、まさに幼稚園でした。
その後、閉園してから→「信徒会館」になり→聖堂を取り壊してから「臨時聖堂」として、使用されていたようです。
幼稚園だっただけに、中に入ると外から見る以上にとても広く、木造建築のひんやりとした涼しさが懐かしく思い出されます。
「本物の聖堂」は、
右側の「鐘つき堂」の奥に、立派なヨーロッパ式の大きな大きな聖堂がありました。
建築当時、東京一の大きさだった?と聞いたことがあります。
(現在の教会の場所からCSタワーまでが敷地だったのですから、どれほど大きかったか分かります。)
あの聖堂の写真が撮れていたら、きっと感動されたと思います!
ステンドグラスの素晴らしさ、天使や聖人の彫像や絵画の見事さ!おそらくヨーロッパから届いたものでしょう。
そして、アーチ型の天井や柱のラインの美しさは、子供ながらに見惚れていました。
水道橋にある「カトリック神田教会」が、とても似た雰囲気だったので、
こちらが健在なうちに見られると、古き良き建築が味わえるかも知れません。
素敵なブログ、楽しみにまたのぞきに来ますね。(^-^)
>うさ様
(
流一
)
2019-09-29 11:39:28
1925年12月に建った旧聖堂は、1986(昭和61)±2年に取り壊されたと思います。木造だったので限界だったのでしょうか? 私がもう1・2年早く訪れていたら見ることができたのかもしれません。
『ウィキペディア』には「現在の聖堂にあるステンドグラス「誕生・十字架の死・復活」(ジャック・グリュベール工房1929年製作)は、旧聖堂から移設された」とありますね。
教会は以前、南側を除いて民家に取り囲まれていましたね。今はビルと教会だけで、それがまったくありません。あの民家は教会の家作だったのでしょうか?
Unknown
(
高島
)
2023-05-26 11:36:09
今更ながらのコメントです。
41年から、ばら組もも組と2年通いました。
懐かしい。みんなどーしてるかな。
遅刻気味にアーチ型の入り口に手を引かれて入る時、始業のベルがなり「遅刻だーっ」て泣いたのを覚えてます。
コメントを投稿する
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
「幼稚園のように見える」のは、幼稚園だったからです。「耶蘇は好きではない」下町の職人の子どもたちではなく、教育熱心なサラリーマンの家の子が多かったと思います。ちなみに、聖パウロ幼稚園からカトリック系の小学校にあがるのが、この界隈のお坊ちゃまのエリートコースだったように思います。
なにしろ小中学校が廃校・統合されている地域ですから、子どもが少なくなっているのでしょう。
ちなみに近所の大人たちは、「聖パウロ」ではなく「聖ポーロ」と呼んでいたように記憶しています。PTAを「ピーテーエー」というような感じでしょうか。
「ポーロ」という言い方は、大根を「デーコン」というのと同じ変化なんでしょうね。下町らしくてなんだかうれしくなります。
弟、妹もここの卒園生です。妹は昭和42年2月生まれで2年保育をここで過ごしましたが、妹が最後の卒園生じゃなかったかな。あるいは嘆願があって、もう1年延びたかもしれません。
ですので、昭和40年代後半には廃園になりました。
右手のプレハブが建っているあたりに礼拝堂があったのですが、雨漏りがひどく、旧幼稚園の園舎をのちに礼拝堂として使った時期があるのかもしれません。
園舎に向かって左手には小さな築山というか、木々が茂っている場所があり、幼稚園の頃は、ちょっと秘密基地っぽい遊び場でした。
とても懐かしいです。
月曜日の朝は、いつもおみ堂でお祈りしていたと思います。
手前の道路に沿うように建っていました。
一番使う場所ですが、老朽化が激しく、写真を撮られた当時はすでに解体されていたのでしょうか。
私より下の世代ですが、この幼稚園を卒園して、現在台東区議になっている方もいらっしゃいます。
「おみ堂」があったということで、昔の航空写真(goo地図>古地図)を見てみました。敷地の東半分の中央に大きな建物がありますね。撮影時に存在したら1枚目の写真に写っているはず。『国土情報ウェブマッピングシステム』の昭和59年度には写っているので、2・3年早く来ていたら撮れたかもしれませんね。
「園舎に向かって左手には小さな築山」に近い場所の写真があったので本文に追加しました
幼稚園の頃は秘密基地のイメージでしたが、大人になってから見ると、ずいぶん小さな山、というより盛り土でしたね。
私も建物解体前後、築山が少し崩されている状態の時に見て、そんな感想を持った記憶が呼び起されました。
余談ですが、正門写真の後ろに写っている煙突のあるマンションは、蔵前橋通り沿いにあり、銭湯を建て替えたマンションで、1F部分の銭湯は現在も「帝国湯」として営業している建物だと思います。
敷地もかなり広かったのですね。
昭和33年生まれで、昭和38年と39年の2年間だけ通いました。
現在は3年保育が普通ですが、当時は2年保育が主流でしたね。
聖パウロ幼稚園は3年保育で、年少組の「ばら組」が1クラスだけありましたが、年少から通う子供はまだまだ僅かでしたね。
ちなみにクラス名ですが、年中は「もも組・すみれ組」で、年長は「ゆり組」でした。
年長は、もう1組あったかもしれませんが、さすがに記憶が曖昧です。
私は、もも組とゆり組でした。
何点もの写真の数々、本当に懐かしいです。
本来ならば、1枚目の写真には教会がありました。
50年以上経った今でも、内部の荘厳で美しかった様子はハッキリと覚えています。
二枚目の写真の司祭館ですが、園長先生が毎朝ここから出てこられました。
お名前は千葉大樹先生といい、とても穏やかでお優しい神父様でした。
子供にとって、ボタンが沢山ついたドレスのような神父服が珍しかったですね。
大勢の幼児に囲まれて、ニコニコ笑っていらしたお姿は忘れられません。
三枚目・四枚目の写真は園舎です。
手前の園庭で運動会が行われました。
私の記憶に間違いがなければ、アーチ型の入り口の右に年少組・左に年中組の教室がありました。
年長のユリ組の入り口と教室は一番左にあり、一部が二階建てでした。
私は熱を出して、二階の部屋に布団を敷いて寝かせてもらった事があります。
写真ではわかりませんが、園舎の奥に講堂や別の部屋がいくつかあったはずです。
最後の「礼拝堂」と書かれている写真ですが、あれは鐘つき堂ですね。
当時は内部に鐘が設置されていたを覚えています。
記憶はないですが、きっとカラ〜ン♪カラ〜ン♪と鳴らしていたのでしょう。
私は1988年12月に結婚して府中へ移り、実家も同じ市内へ引っ越してしまいました。
後に訪れた時には、もうキレイな新しい教会が経っていて、なんだか淋しい気持ちになったものです。
住んでいるうちに、たくさん写真を撮っておけばよかったと思います。
掲載した写真は、教会の中心になる本堂が取り壊されて、その周囲の附属的な建物が残っているという、建て替えの過度的な状態のときに撮影したものですね。幼稚園に「聖パウロ聖堂」の看板があるのは本堂の役割をそこで行っていたということでしょうね。
戦前の洋風建築のデーターベースと言っていい『日本近代建築総覧』という本には、本堂についての記載でしょうが、「浅草カトリック教会、台東区浅草橋5-20-5、建築年=大正14年、木造、設計・施工=稲葉(大工)」となっています。「カトリック浅草教会」が正しいのでしょうが、門は「浅草カトリック教会」の表札だったりで、あまり気にしていないのでしょうか。
1966年の住宅地図では「浅草カトリック教会/聖パウロ幼稚園/聖チェチリア音楽教室/校舎/堀江・伊藤(司祭館の裏の家)/横山(6枚目写真左の家)」の記載があります。
もう二度と見られないと思っていた風景を、再び見る事ができて、マジで感動しました。
5才・6才という幼さで、たった二年間の通園だったのに、50年以上経っても覚えているなんて、われながら感心しています。(笑)
あれから急に懐かしさがつのり、卒園アルバムを探し出して見てみました。
園長先生や教職員の方々、教会の内部やお教室内の写真などが見つかったので、久しぶりで嬉しくなりました。
当時は絵本などの教材もカトリック系が多かったですね。
ちなみに、「カトリックかるた」という物もありました。
「(る)ルルドの姫ぎみマリアさま」
「(ひ)日ましに大きくなりました」
などとという札があったのを記憶しています。
学芸会で、「キリストの誕生」という劇をやった事もありましたね。
私の兄は準主役で、イエス様の養父である聖ヨセフを演じたものです。
昭和40年代になると、近隣の区立小学校のほぼ全てに幼稚園が併設されるようになり、5才下の妹も聖パウロではなく、近くの小学校内に新設された幼稚園に通いました。
そんな事もあって、聖パウロ幼稚園は閉園を余儀なくされたのかもしれませんね。
でも、小学校内の幼稚園は、わたし的には快適には見えませんでした。
要するに、校舎内に間借りしている状態なので、専用の広い園庭などありません。
遊具もなく、限られた狭いスペースで遊んでいる園児達を見ていると、なんだかかわいそうでしたね。
それに比べると、私が聖パウロで過ごした日々は、なんて素晴らしいものだったのだろうと思います。
今思い返しても、実に貴重な幼稚園生活でした。
もし、タイムマシンがあったら、ぜひ行ってみたい場所です。
「お寺に併設された幼稚園のような建物」は、まさに幼稚園でした。
その後、閉園してから→「信徒会館」になり→聖堂を取り壊してから「臨時聖堂」として、使用されていたようです。
幼稚園だっただけに、中に入ると外から見る以上にとても広く、木造建築のひんやりとした涼しさが懐かしく思い出されます。
「本物の聖堂」は、
右側の「鐘つき堂」の奥に、立派なヨーロッパ式の大きな大きな聖堂がありました。
建築当時、東京一の大きさだった?と聞いたことがあります。
(現在の教会の場所からCSタワーまでが敷地だったのですから、どれほど大きかったか分かります。)
あの聖堂の写真が撮れていたら、きっと感動されたと思います!
ステンドグラスの素晴らしさ、天使や聖人の彫像や絵画の見事さ!おそらくヨーロッパから届いたものでしょう。
そして、アーチ型の天井や柱のラインの美しさは、子供ながらに見惚れていました。
水道橋にある「カトリック神田教会」が、とても似た雰囲気だったので、
こちらが健在なうちに見られると、古き良き建築が味わえるかも知れません。
素敵なブログ、楽しみにまたのぞきに来ますね。(^-^)
『ウィキペディア』には「現在の聖堂にあるステンドグラス「誕生・十字架の死・復活」(ジャック・グリュベール工房1929年製作)は、旧聖堂から移設された」とありますね。
教会は以前、南側を除いて民家に取り囲まれていましたね。今はビルと教会だけで、それがまったくありません。あの民家は教会の家作だったのでしょうか?
41年から、ばら組もも組と2年通いました。
懐かしい。みんなどーしてるかな。
遅刻気味にアーチ型の入り口に手を引かれて入る時、始業のベルがなり「遅刻だーっ」て泣いたのを覚えてます。