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~~ 誰か目を通してくれれば幸い ~~

思い起こせば ・・・病院側の対応~ (;´Д`)

2020-10-02 17:33:14 | 備忘録O村
晩年父が通ってた病院の対応。
それ、忘れない為に書き残しとこうっと (・∀・)

どうやら父は、十代の頃に胃腸の手術経験ありで、腹には縦一直線にがっつりと手術痕がありました。まずそれはさておき。父はヘビースモーカーでしたが、それが原因で五十代の頃脳梗塞で病院に運ばれ、入院やリハビリ、復帰後また入院手術などを経て、どうにか再復活したものの、生涯脳神経外科には通院して検査などをしていましたし、薬も服用していました。
で、やめたくなかったタバコも、医師(いわゆる肩書のあるお偉いさん・自分より立場が上の人)からキッパリ言われて、すっぱりとタバコと絶縁。母が言っても聞かなかったので、医師からガツンと言われて良かったですよ。

喫煙してた頃も大食漢だったのですが、タバコやめてからは、更に食への執着が強くなり、まぁ食べるは食べる。そしてどんどん腹も膨れる始末。
こんな調子で、50代から70代後半までを過ごしていたワケです。頭(脳梗塞を患った)以外は健康体という意識で。

ですが2年前の6月、急に腹が痛くなった(いつもと違う痛み)と言って、私と母で病院に連れて行ったんです。お腹を診てもらえそうな個人病院に行くも、すぐにそこの医師は自分の手に負えないと思ったのか、国立N崎医療センター(私ん家の比較的近所の大病院)を紹介。即日そっちへ移されました。

というのが、父の死因に直接つながった病の露見状況。
ですが、発病はその日ではなく、既にずっと前からだったんでしょう。少々の異変では病院に行ってなかったから発覚してなかっただけ。
どうやら体中に腫瘍がいくつも出来てたみたいです。で、取り除いても治るものじゃない状態。

様々検査した挙句、色んな科に回された結果、最終的に落ち着いたのは消化器内科。そこにずっと通って、抗ガン治療を行っていったという具合です。

ではここから~、納得いかない数々を書かせてもらいますんで~(;´Д`)
そもそも、体が悲鳴上げるまで病院行かなかった父にも納得行かないのですが(笑)

その1)
消化器内科に落ち着く前、色んな科に回されていた途中、検査だけでなく「或る」手術も慣行されました。手術してもいいと決めたのは結局父本人や母でしたが、あとから手術内容を知って私はものすごく腑に落ちませんでした。
手術をしても治りません・研究の為にご協力を、的な手術だったんです。どうやら父には珍しい?研究対象になりそうな何かが体内にあり(腫瘍かなぁ)、それを医師が欲しかった為に行われた手術。三か所も腹を切って、欲しいものを摘出・・・まぁ、かなり腹水溜まってたお腹がスリムにはなりはしましたが、腹水抜くだけなら三か所も切る必要なかっただろうし、本人が術後不必要に痛がることもなかったろうし、何が一番納得いかないかといえば、医師の都合なのに、ガッツリ高額医療費搾取されたことだ!!
ワケわからないまま母が同意書を書かせられてますので。

その2)
高額医療費も、限度額以上は請求されない、なんてのは表面上のことで、実際は限度額以上にお金取られる!うちの父の場合は、5万数千円というのが医療費の限度額でした。1か月に5万数千円以上かかっても、それ以上は取られない、はずなのですが、取られてました。大きな原因は病院食ですね。あれは医療費対象外。1食350円だから、1日でもう1000円超え。入院日数長引けばとんでもなく足が出る(;´Д`) その他にも、対象外の医療費が何らありましたよ。ウチは個室じゃなかったから差額ベッド代は発生してませんでした。それ以外の 何か が加算されてた(;´Д`)

その3)
医療費を多く払いすぎてる月もあり、そんな時は翌月だったかに、過払い金を口座に振り込んでありました。で、ある時。2万円以上の戻り金があったらしく、アホな母はそれを「臨時収入」みたいに取り違え、1万円を父に小遣いとして渡す始末。バカたれ~!それは元々、病院側から多く取られ過ぎてたのが戻ってきてるんだから、損してたのが修正されただけで、得したんじゃないっつの!私から注意を受けた母は、その後はそんなアホを働かなくなりましたが。

その4)
去年の真夏のこと。毎回母は、父の通院に付き添って行ってたのですが(ほぼ2週間ごと)、その日は帰宅してすぐ、父が居ない所で母がこう教えてくれました、「私だけ先生に呼ばれて、もし出血をすれば(父は)もう危ないと言われた」と。去年真夏といえば、通院しはじめて1年くらいですか。手足のしびれだの、体に副作用は出てたものの、直近の検査では問題なし(腫瘍は小さくなって減ってきている)だったんです。それなのにいきなりそんなことを言われて、私はびっくり、母もびっくりしてました。
きっと主治医は、全体的にではなく、決まった部位しか診てないんですよ。で、父がちょっと体調に異常感じてそれを主治医に伝えると、じゃぁ別の個所も検査してみましょうとなり、結果、ちょいと違う部位にも腫瘍が発覚したんです、その日・・・主治医自体もきっとびっくりしてたはず。順調だって言い渡してた矢先でしたから。
一応、その翌週に入院する(新たな治療を模索する為)手はずを整えて帰宅してきてたようですが、父は自身の現状を把握しておらず、単に検査入院だと思い込んでました。というか、思い込ませてました。
実はその週、母も入院・手術の予定が入っており(他所の病院で鼠径ヘルニアの手術)、翌週父の入院までの数日間、私一人で父の監視をしておかなければならずで。血ぃ出せばもう危ないってだから、食事づくりにも気を遣い、父のトイレの後には便器など確認。父が起きてる間に寝床確認に行って、血痕がないかチェックしたり、気が気じゃなかったですよ~。
そんなこんなで翌週頭に父を病院に送り出し、入れ違いで母が帰宅(その足で父の病室まで行きましたよ、母)。

その5)
そんなヘマやらかす主治医。私は会ったことなかったですが、どうやら若造だったらしいです。その人の父親が同科のベテラン医師みたいだったのですが、世代交代で息子がその後釜に。故に経験もなく、きっと病状も数値でしか見れてなかったんでしょうよ。
実は、【医師がこちらに頼み込んでくるから(是非自分に診させてください)、その病院に通ってるようなものでした】。つまり、自分のサンプルとして是非協力お願いします、だったんでしょう。←オモテムキはこんなセリフじゃありませんが、私は見抜いておりました。

その6)
私はその医師を無能だと思ってましたが、お人よしの母は、頑張ってくれてる、という風に思い込んでたんですよ。で近年は、病院関係者に対し(特に大きな総合病院だと)贈り物っていうのは拒否される傾向にあるのに(私も断られた経験あり)、それを教えたにも拘わらず母はわざわざ菓子折りを主治医に渡したりして、感謝の気持ちを表してました。時には、昼をまたいで病院に居なくちゃならない自分らの為に、コンビニで仕入れた食料・・・それをわざわざその主治医に渡したりしていた母(主治医も、お腹が空いていたから有難かった、とまで言ってくれたようですけどね)。
私的には、そこまでしてやってる母に納得いかなかったし、遠慮しなさすぎの主治医にも納得いかなかったですよ。←断らないから、何度でも母が振る舞い行為をする破目になってたワケだしさぁ。

その7)
で、最終的に父は病院で最期を迎えました。具合が急変して病院に連れて行ったのが7月31日の晩。亡くなったのは翌日の晩。
容態悪化のタイミングで病院に呼ばれており、私は体温が高めだった為(更年期…)、集中治療室みたいなところには入れず、母のみが入室、そして多くの医療者と共に、父の最期が看取られてたようです。←ガラス越しに見てました。
にしても。
ああいった緊急処置にも納得行きませんでしたよ。時間外って、或る意味運ばれていくのが怖いですね。自分の症状に適切に対応してくれる医療従事者がいないと、ただの拷問部屋。
死ぬ前日・急いで父を病院に連れて行った時のこと。時間外・救急治療室では、苦しみ悶えてる患者(父)を、まぁ放置するは、関係者たちは。慣れてるからなんでしょうけど、それにしても、あんな死に物狂いに苦しんでる父に、何度も同じこと(いつから痛みましたかぁ~、みたいなこと)質問してる複数人の関係者には参りましたよ。あれじゃさぁ、助かるかもしれない人でも死ぬよ。結局、そんな切迫した状態の父を、MRI?CT?で検査検査でたらいまわしだったらしいです(私は帰宅していたので、母からの話です)。この期に及んで、何のための検査?ですよね。そのうち昏睡状態になったとのことでした。こんなだと、病院で最期迎えたくないよなぁっ(;´Д`)

その8)
時間外窓口で受け付けする際、「時間外になると別途8800円が加算されます」と言われました。さて、まる1日を病院で過ごした父の医療費はいくらになるのか?
父の死去は8月1日でしたが、1週間経過しても全く請求書が送られてこなかったんです。10日経ってもまだ。私は、もしかすると主治医が最後に心憎い計らいでもしてくれたのか?みたいに、かすかにですが思ってたワケです。実は8月4日に、本当なら父の通院予定が入ってたんですよ。なのでその日母は(お寺さんに行く前に病院に寄って)、主治医へのお礼の手紙を受け付けに預けて来たんです。
でもね、結局来たよ、請求書(笑) 無情にもってのかねぇ(;´Д`) しかも金曜だったかなぁ。ちょうど私も居たんで、請求書来たその時点で即刻母と病院へ行き、さっさと支払い済ませましたよ。
金額見て、病院で死ぬもんじゃないなぁと思いましたよ~。病院に入院してたのは24時間くらいですが、7月31日・8月1日と2日またぎになってたので、おそらく2日分の金額取られてる。尚且つ時間外の8800円も加算されて、4万近くポンと飛んで行きましたよ!(まぁ、葬儀代の数十万円に比べれば安いとは言えますが・・・)
当然ですが、その後主治医から何の便りもございませ~ん。小さな個人病院ってワケでもないから仕方ないのかもだけど。それに、医師にしてみれば、患者個人個人に構っていられる身でもないし、母の行為のほうが勝手だとも取れます。ですが・・・人間味のあるウチの母の心遣いに対して、無反応っていうのはどうかと。死ねば医師と患者の関係ってあっさりぷっつり。それが良いのか悪いのか。

・・・で、
今となっては母、私がその主治医が無能だったんだろうと言うと、簡単に同意してくれてます(笑) 「もしあの日、時間外じゃなく主治医が居る時間に父連れて行ってたら、父は助かったと思う?」と訊くと、「いや、あの先生じゃダメやったろね~」ですよ。

私個人の見解だと、青二才の見落としがあったんじゃないかと。2週間という短い期間で通院して様子見せてたんだから、その時々でしっかり患者診てれば、あんな急変はあり得なかったと思えます。ずっと見落とされてたものが息をひそめてたんだろうなぁ、きっと。
しかしながら、父の食欲は普通じゃありませんでしたから、胃腸を患っている身のくせに不摂生していた父に原因が無いとは言えないし、私は胃腸に負担かけてた父にも責任ありと思えてます。
ですが、医師は食事指導なんてせず、ただ薬の投与、患者が「はい大丈夫です」と言えばそれ信じて深く追及しない。これじゃぁねぇ。

父は もともと爆弾抱えた体 ではありました。冒頭に書いてた、十代の頃の父の胃腸手術のことです。最期の日・父の亡くなる直前に医師から説明受けたのですが、大昔にされたその処置は下手くそだったらしく、胃と腸のつなぎ目が1本で直通じゃなく、2本?に枝分かれしてオカシナ感じに繋げてあったようなんです。そこが災いして、消化器官が正常に働かなくなり、食べたものも結局は下に下って行くこともできず、ああいった腹痛につながったんでしょうね。腸閉塞だとか言ってました。(最終的には肺炎なども併発してたみたいです)
そんな処置不良の体だったものの79まで生きましたからね。しかも自分勝手好き放題に(;´Д`) まぁ見方を変えれば、若い頃のその処置のお陰で79まで生きられた、ともなりますか。

以上!
どこか一点にだけでも、納得いかない部分に同意、または参考になったなぁ、みたいな個所があれば幸い。長々と読んでくださった方、お疲れさんでしたねぇ~ ( ´ー`)






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