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マイノリティが降りる駅

虚弱体質者が書く日記

2012-11-19 | 日記
60日もブログを書いていなかった。
書けなかったというより、何を書いていいかわからなかった。
今は少し整理できた部分もあるので、今日は書いてみようと思う。

体を弱らせてしまってからというもの、病院通いも含め、あれこれと試したというか、彷徨ったというか。
いま一番興味のあることは、体温を上げること。体温を上げて「免疫力を上げたい」。

農家だし、山暮らしだし、食材には恵まれている。
つまり、大してお金をかけなくても食ではあれこれ工夫できる。

体温を上げる食生活。
この冬は、体を温める料理レシピに凝ってみようと思っている。
この冬はというより、今後は。

* * *

今日は、某電子治療の席で、15年間リウマチを患う初老のおじさんと隣同士になった。
これまで何度か顔を見たことがあって、隣に座るとお互い「あ」という表情をした。

向こうから、私が何の治療でここに通っているのかを訊いてきた。
「帯状疱疹、重症の再発型で・・・」
何回再発したかはよくわからない。
10回までは数えていたが、以降、数えるのをやめた。
おそらく20回には到達していないと思う。
17回か、18回といったところ。

初老の男性は、「僕はリウマチで」とお返しに自分のことをしゃべった。

リウマチは3つの「ない」で表現される、国が指定する難病。
 ・原因がわからない
 ・治療ができない
 ・治らない

不思議なもので、あれほど自分を苦しめてきた病のことが、病を持っている者同士だと、明るく、まるで面白いことでも語るようにしゃべりあえる。

「3回目の入院のときには、旦那に車で救急外来連れて行ってもらったんだけど、病院の入口で崩れ落ちちゃって~。そのまんま担架でしたよ。で、尿道に管さして、一歩も歩かない生活~」なんて言うと、おじさんはくすくすと笑った。

そして自慢げに、だけどちょっと恥ずかしそうに声をひそめて言い返した。
「僕は毎回、救急車」
また笑う。
「骨盤も膝も、人工骨になってねぇ」
まるで、孫の成長でも話すような柔らかな顔で話した。

「あれ、試しました?鍼治療」「もちろん」
「温泉はあちこち行った?」「行った、行った」

持病のあるひとは彷徨うものだ。
特に、痛みを伴う場合、痛みから逃れられるのなら何でもやろうと思う。
治せるとは思えない。
治そうなどと贅沢なことを思っているわけではない、ただ、
「痛みがちょっとでもましになれば!」おじさんと私は口を揃えて同じことを言った。
で、笑った。

リウマチと比べれば、帯状疱疹なんて。
関節に鉄の棒を挿されるほど痛く、治す薬がなく、あちこち体が曲がり、指と指がくっつけば、それを切り離す手術。
足腰が使いものにならなければ、人工骨を入れる手術。
抗がん剤に匹敵するといわれるきつい薬を飲んでも、症状の進行は止められない。
私は、「私の方がずっとましです」とおじさんに言った。

するとおじさんは、「いや、それはわからないよ」と言い返してきた。
帯状疱疹で苦しんでいる人もいっぱいいるし、薬が効かなくて彷徨ってる人もいっぱいいるし。
だってあれは、一生体から消すことのできないウィルスだから、やっぱり難病だよ。

そしておじさんは、すごい発見でもしたように目を見開いてつけ加えた。
「リウマチと帯状疱疹、両方患ってみると、どっちが辛いかの答えが出せるね」
うーん。確かにそうだが、ごめんだな。
両方患ったらもう、今度こそあきらめてしまいそうだ。
あきらめるとは、前を向くことを。
少しでもましになろうと努力したり、研究したりすることを。
つまり、生きることを。

45分間の治療を追えて、治療屋さんをあとにした。
「じゃ、また」
「はい、お疲れさん」

同じ治療屋さんからぞろぞろと40人ほどの人々が出ていく。
私の顔を見て、「あ、おはようさん。また明日」と声をかけてきた62歳のおじさんがいた。
最近通いはじめた新入りのその男性は、脳梗塞の後遺症と糖尿病に苦しんでいる人だ。
が、本当に苦しんでいるのかと思うぐらい、明るく自分の体の悪さをしゃべり、やはり笑うのだ。
私も聞くたびやっぱり笑う。

家に帰ればそれぞれに、また悩んだり苦しんだり努力したり、免疫力を上げるコツなんて本を読みふけったりするわけだが、そういった人々同士が会うと笑うのだ。
不謹慎なほど笑う。
「このひどい歩き方見て!」と右脚を引きずって歩くおじさんの歩き方を見て、「そりゃひどいですね」と笑う。
不思議な一体感。
私たちと入れ違いに、交通事故の後遺症で苦しむ若い常連の男性が治療屋に入って行った。

帯状疱疹重症患者になって3年半が経った。
最近、本当にごく最近になって、私はこうなって良かったと思えるようになった。
それが多分、自分を、あるいは自分の持病というものを「受け容れる」ということなのではないかと思う。
べつにこれでいいやと思っているわけではない。
もうちょっとどうにかしたいとは思っているが、この試練というか経験をしなければ気づけなかったことが多々ある。
あと、病人にならなければきっと出逢わなかった人たちに出逢った。
もっと長年、もっと重病と闘ってきている人たち。
そういった人たちと話ができて良かったと思う。

とにかく。
体温を上げる。
体を温める。
少しでも痛みを遠ざける生活をする。
それが私の生活の「軸」。