前回、「傲慢の極み」ということで、自分のお金と仕事を目の前にした時の不信仰を
告白しました。が、仕事が全部ダメということではない、とふと思いました。
仕事を始めるまでのわたしは、前にも書いた通りフリータイムがたくさんありました。
だからといって、家事をしっかりこなしていたのかといえば、そんなこともありません。
神様は、こんなわたしをご存知で、時間には限りがあることをわたしに教えるため、
仕事をするように仕向けた(←ちょっと言い方悪いけど。。。)んだと思います。
それからというもの、確かにわたしは時間を無駄にしてはならないと思うようになり、
ダラダラすることは前に比べると激減しました。もちろん疲れた時には休むことも
ありますが、当たり前だと思っていたことさえも、感謝することができるようになり
ました。
今日のディボーションの本には
「神のなさることはすべてよいと信じていくことは決断を要するが、それが基盤に
なった時、はじめて神の愛がどんなに深いかがわかってくる。」
とありました。
そういえば、仕事をすることを決断する時も、すごく辛かったのを覚えています。
でも、今になってその時の神様の愛を知ることができました。
いまある生活を謙遜に受け入れ、感謝し、また主に委ねていきたいです。