あえてインパール作戦の文字をブログに残しますよ。皆さんは、コロナはやばいー、ナチスの虐殺はひどいー、とか言ってますけど、旧日本軍の作戦のほうがよっぽどひどいです。(`・ω・´)
で、今回は久々のライドで、しかも腰の痛みあけなんで、短めに考えていたんだけどね。
それで以前から気になっていた、和田吉野川沿いを可能な限り走ってみました。まあ期待通りの場所でとてもよかったんだけどね。
実はあまりよく知らなかったんだけど、多分江南町の辺りを主に流れているね。源流は川本町の辺りで、最後は、吉見の荒川の玉作水門のところで合流してますから、そのあたりのCRを走っている方は、必ず見ているはずのところですけどね。
で、以前お花見の時に少し走ってみた。桜並木がありますのでね。それでその時に、ほぼ期待通りの川だったんで、今回は、上流のほうから入って、水門に向かい、回って帰ってくる、という予定にしてました。
しかし、行きが一般道になり、かなり細かい道になる。農道のようなところを走るから、標識もなく、なかなか一発では難しかったね。間違えてしまい、思ったよりも東に進んでしまい、荒川crに出てしまった。途中までは一応うまく行っていたんだが、県道が複雑に交差する地点があって、わかりにくい。そこまでは、割と単純だし、まあ川を目指していけばそれなりに走れる。川沿いにもまあまあ道がついていて、走りやすく、川もよく見えます。
まあいかにも埼玉な感じですね。適度な湿り気と起伏と森がある水田地帯のようなとこ。東松山寄りのようなところなんだけど、北側のこの川沿いは、ちょっと変わった地形をしているね。それが今までにも目に入っていて、ずっと気になっていた。
松山のほうと違い、平らな高台のように見える地帯がある。それがユニーク。北側の秩父往還のほうからよく見える。とても魅力的な場所に見えるんだけどね。
よくわからないが、ひょっとしたら吉野川(西にもう一本吉野川というのがあるんだが、元は同じものだったしいのでここでは分けない)の堤なのかなーとも思う。実際、水門のほうはかなり作りこまれているんだけど、中流以上の地域は、小さな用水路のような感じになるので、氾濫するとかいうことは考えにくい川だと思う。
まあ私にはなじみのある、ザ埼玉の田園風景的なものなんだが、立派な丘のような高台が背後にあるのがユニークで、非常に興味を惹かれる地形なんだよね。松山とか嵐山と違い、そのように幅広く、しかも平らなテーブル状に見える地形なんだけどね。
まあ今回だけでははっきりとはわからなかったけど、人為的なものは部分に限られているんではないかと思った。やはり背後に自然の高台がある感じで、実際向こうに行くときはここを登っていく感じになる。なので、単なる丘でもなく、段がついて標高が上がるような雰囲気もあるね。場合によると、低いほうが荒川の段丘、という可能性もあるんだけど、はっきりとはわからない。すごく広いから。
なので、なかなかいい地形で、古墳などもいろいろある地域のようだね。やはり、水が出にくい地域には、住居やそういう施設が作りやすいので、古代から人が住み着いていたような感じがある。
とてもいい場所に見え、野人心をくすぐる地域ですね。私、そういう古墳がある地域とか好き。良さげな土地が多いと思われるから。土地投資のセンスもあるんだと思うね。(`・ω・´)
(逆に言うと、そうではない地域は、あまり住宅地なんかに向かない。特に、水が出やすい地域というのは、昔は嫌われていたというのがある。内水氾濫、とかいうのが、最近メディアでもっともらしく言われているけど、それは多分、下流の人口密集地域を守るために、意図的に起こされている可能性も考えられる。まあ中上流差別のような政策だけど、それが現実社会のリアリティです。売国勢力に騙されたい人は騙されてください。┐(´д`)┌ だからそういう水門の近くとか、もとは湿地帯のような場所に、家を建てたり、土地投資などをしてはいけない。(`・ω・´) のちの時代の無能な売国政府が、売国詐欺商売をしています。┐(´д`)┌ kkksss🥚🥚🥚)
まあ私最近、こういう地理的な問題もあって、日本史を研究しているんだが、関東のこういう治水というのは、徳川家康が非常に熱心だったということらしいね。彼は豊臣秀吉によって関東に飛ばされた後に、ここで捲土重来を期して、そのような土木計画を立てたということらしい。そういう点に、家康の独自性や先見の明、もっというと、天才的な戦略があったかなと思う。その通りになり、江戸・東京は、今日まで首都として大繁栄したわけだからね。
まあその一環、関東の農地改良の一環として、利根川・荒川の治水は最初期から行われていて、この吉野側もその一つだということらしいね。まあ実際、今日でも盛んに水稲栽培がおこなわれてますね。
* パンク修理に失敗(・ω・;)
で、まあ行きは途中で道を見失ったんだけど、帰りに水門側から走って、うまく合流できたんで、予定の流域は完遂できましたね。期待通りにいいところで、癒されました。桜堤なんかもあります。
この辺り、舗装路でつなぐことができるから、コースとして成立している気がする。一人サイクリストの人と川沿いですり替わりましたね。それで、押切橋の辺りまで行ける。行きはそのあたりから入ったわけですね。その辺を一回りするコースが引けて、なかなか楽しいとこと思いますね。ザ埼玉中北部コースですね(平坦w)。江南町の領域が多いと思うが、それとその両側、旧吉見町と旧川本町、という地域ですね。
まあド田舎なんですよね。全く何もない。それがまあ今回は結構な問題になった。(´・ω・`)
まあまあ、私はそういう場所を好き好んでいくというのがあるんで、ここに限った話ではないんだけども、そういうわけで、まあ文明的なものはほとんど何もないね。コンビニもまばらだし、自販機すらない地域も多い。もちろん、自転車屋など存在しない。(公園、トイレ、水道もない。)((((;゚Д゚))))
まあまあそういうわけです。わかっていたことだね。2011.3.11までは、町の小さな自転車屋さんが一応存在していたんだけど、今は田舎ではもう絶滅危惧種ですね。この十年でひどいことになってますね。
まあ経営者の体調が悪いとか、顧客が減ってしまったというのが主な理由だろうけどね。もう街で自転車に乗っている人自体が少ないし、子供や学生が減ってしまったから、全くビジネスとして成立しないんだと思う。まあ街の中心部に一軒あれば御の字です。埼玉北部の小都市ではね。┐(´д`)┌
まあそれは分かっていて、私も準備はしていたんだけども、今回はそれが不足していたと痛感することになりましたね。
まあ細かい話は省略するけど(/ω\)ハズイ、結果的にパンクが直せなかった。まあ私、ライド中にパンクしたのは初めてです。(`・ω・´)
しかも、実はたいしたパンクじゃなかった。スローパンクのように空気圧が下がったような状況だった。(´・ω・`)
だから、そのままでも乗れないわけじゃなかったんだが、軽い気持ちで空気を継ぎ足そうと思ったら、それに失敗して、空気を戻すことができなくなってしまいました。(≧з≦)プッ _| ̄|○
まあ話せば長いんだけどw、そういうわけで初めてで、いろいろ準備が不足してた。私は、家でA号がスローパンクした経験しかない。まあタイヤやチューブの交換ができないわけではなく、今回も、多分タイヤやチューブに大きなダメージがあったわけじゃないと思う。ごみや凹凸はきれいに回避するエレガントライダー野人パーフェクト(`・ω・´)
(今回久々のライドだったんで、たまたまバルブの辺りから空気が抜けたのかもしれない、というような気もする。あとで確認してみるけどね。大した問題じゃなかったような気がするんだが。でもまあタイヤもチューブも一年近く使ったから、そろそろトラブルが起きる時期なのかも。)
なので、まあ今回のもパンクともいえないものだったんだけど、几帳面な性格と、トラブルを軽く考えてしまう根は楽観派野人なんで、空気を抜いてしまったら、復活できなくなってしまいましたとさ。(≧з≦)プッ _| ̄|○
ので、まあ後半は歩いて押して帰るという羽目になってしまいましたね。(´・ω・`)
暑い中、かなりの距離を押して帰ることになったんで、正直きつかったけどね。
まあまあ、幸いそんなにカンカン照りというわけでもなく心掛けの良い野人(`・ω・´)、いつもの帰りのルートに入っていたんで、不安はなかったんでけど、かなりの距離を歩かされて、足が棒です。今回はそういう疲労です。(´・ω・`)
まあまあでも、予定は完遂できたし、いろいろ面白い経験ができたんで、有意義だったとは思うんだけどね。超前向き野人(≧з≦)プッ
* ガチの神ボッチ野人の宿命
まあまあ、これは分かっていたことなんだけど、いざトラブルがあると、こういう目にあうことになるだろう、ということは予測してたね。なので、心理的にも大きなダメージはなかったんだけども、いざそういう目にあってみると、体力的にはガチできつかったね。まして今回は、まだ腰が万全ではなかったんで、死ぬほどきつかったです。インパール作戦の名にふさわしい行軍になりました。まあそう自分に言い聞かせ、まさかその時のような糞糞糞戦略ほどではないから、楽勝だと考えながら、歩きましたけどもね。
kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚kkksss🥚🥚🥚
しかし、まあ自分の準備不足だったことは痛感したね。私はこのように、結局は全て自分で解決しないとならない。それを少し甘く考えていた。
まあルートもこのようなへき地であることが多いし、最悪は先ほど書いたように、飲料水の確保すら怪しくなる。可能な限り、大きめのボトルに、可能な限り水は蓄えて走らないといけないと痛感したね。まあまあ、以前の経験から、早め早めの給水を心掛けたんで、それは一応平気だったんだが、ハラハラする場面はあった。埼玉はマジで古墳時代です。(群馬がうらやましい。そして、他県の人は、埼玉(の田舎)に来るときには極めて用心したほうがいい。リアル古墳時代ですのでね。)kkksss🥚🥚🥚
まあそれも含めて、認識が甘かった。俺はほとんどの場合一人でライドするし、コネも全くないから、すべて自分で解決しないとならない。今までのような中途半端な装備だと、場合によっては命に関わる事態に陥るね。
これからもっと遠くや山奥に行く可能性もあるんで、もっと真剣に考えて、リカバリーのための装備は充実させないといけないと感じた。重くなったりするのが嫌なんだけども、そんなことはいっていられないね。
私はそのほかの一般愚民ライダーちゃまたちとは違うんだ、ガチの神ボッチ大日本帝国魂野人なんだ、ということを痛感しました。_| ̄|○
サバイバルのための装備や技術をもっと準備しないといけないと、痛感しました。まだ少し甘えがあったし、サイクリングをなめていたかなと思う。ふざけ半分だと本当に死ぬかもしれないし、大事故にあうリスクもある趣味なんだなということは痛感しましたね。
まあまあ今回は、そもそも短めライドに予定していたんで、大事にはならなかったのは不幸中の幸いだったね。今は、そのように、リカバリーの装備を充実させていかないとならないということを痛感してますね。
予備のチューブとか、ボンベとかも一応用意したほうがいいかなと思う。今までは、まあそれは必要ないかなと思っていたけど、何があるかわからないんで、あったほうがいいという気がしてきましたね。
まあそもそも今の装備で一度も試験してなかったというのも問題だったね。まあ甘く考えてました。(≧з≦)プッ _| ̄|○
まあでもおかげで、これからは何があっても自分でリカバーできるようにまじめに考えると思いますね。二重三重の備えを考えたいと思いまー^^ww
まあそれでもどうにもならないというケースも考えられるんだが、その場合は皆さんどうしているんですかね。よくわかりません。知りたくもないのさー♪
まあ私は、そんなやり方。それが簡単で面倒じゃないからね。
それでだめだったらあきらめます。もうそういう歳だからね。悔いはないです。男前。(`・ω・´)
ますますド田舎ライド攻める反省しない野人!(`・ω・´)
(だから、やはり堤と段差は別物と思われる。途中で合流したかな。)
二、なんちゃってD号にはボトルケージが一つしかつかない。(´・ω・`) なので、ツールボトルなどを運ぶ能力が低くて困っているね。まあD号はそこまでの範囲と考えていたんだけど、今回そんな目にあってしまいましたな。H号はどうだったかなー。やはり一つだったような。(・ω・;) 付け足すアッセンブリーがありますかね。あとは、背中にしょっていくしかないか。
三、そんなこんなもあって、俺には案外グラベルロードはあっているかなーというようなことは感じるね(実物は見たこと触ったことがない知ったか野人(・ω・;) A号はほとんどそういう存在。)。まあ最近脚力がついてきたから、多分そういうバイクでも走れると思う。まあ焦らなければいいんだよね。
でもヒルクライムも課題だから(むしろこちらがメイン)、いろいろ迷っているね。H号の次をどうするか。難しい。ホイールをまめに交換すればかなりのものに対応できるというのもあるしね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%90%89%E9%87%8E%E5%B7%9D
まあこのころの関東の治水工事は、徳川家が他の大名に命じて行わせたものなので、実質の主導者は徳川幕府ということで間違いないと思う。
まだ勉強不足で、利根川・荒川の付け替えの話は十分把握してないが、大まかな話としては、元々は両方が江戸湾に流れ込んでおり、その下流域で甚大な被害をもたらしていた。つまり、常に湿地のようになっていて、稲作ができない状況だったので、利根川を銚子から太平洋に導いたということ。
そして、今この話を調べていたところ、どうも荒川というのは、元々あった和田川のほうに流路変更された、ということらしいですね。これは知らなかった。(@_@;)
だから、元々和田川は存在していて、今の荒川同様に市野川・入間川に合流していた。それを、この時に伊奈が、久下で荒川を締めきって、そこから和田川のほうに流路変更したので、そちらに荒川の本流が流れることになった、ということらしいね。
(なので、この川の堤が意外なほど立派なのは、荒川本流からの逆流、まさしく内水氾濫を防ぐためであったのかもしれないな。時代を超える野人(`・ω・´))
これは驚いた。意外なほど重要な川だったな。神の嗅覚(`・ω・´)
だから、元々の荒川は、その名の通り、元荒川のほうを流れていたというわけだ。
それだと今より東で、利根川に近づくから、西寄りに流路を変更して、下流域を乾かしたいという思いだったんだろうな。
そういえば、蓮田に行った時に、元荒川というのは随分幅が広くて立派な川だと思った。むしろそちらが長年本流であったといわれると、納得される。そして、今の荒川が案外細いのは、元々和田川だったからなのだなー。
という、なかなかセンスのいい地理歴史サイクリングの研究を進める野人。やはりただものではない(`・ω・´)
通常は、河川以外の場所に降った大雨が、排水能力を超えてしまってあふれ出るようなことを言うらしい。まあ普通の意味。田んぼとか市街地などで。
ただし、その場合に、その排水を担う地域の支流が、本流の水量の増大などによって、機能しなくなる、内地の水のはけが悪くなるということが考えられる。
その最悪のケースは、逆流というようなことになる。まあそれは、現在では多分、水門が防ぐ、という話になっているはず。
(昔はなかったかもしれない、というような想像も働くが。)
しかしそれは人為的な操作になり、時には政治的な判断が絡むケースもありうるというわけ。本文中に書いたように、最近のような制御不能なほどの大雨が降った場合に、いろいろ価値判断が働く可能性が出てくると考えられる。そんなこともあるんじゃないかと私は疑っています、が、まあ推測に過ぎないかもしれない。
しかし一般的に言って、遊水地のような存在というのはそういうものだ。被害が大きくなる前に、遊休地に水を放って影響力を弱める。被害を最小限に食い止める。
しかし事前に用意できる場所には限りがある。最悪の場合には、住宅地を守るために低湿地や田畑に水を人為的にあふれさす、という可能性もないではない。要するに、東京やさいたま千葉の下流域の人口密集地域で甚大な被害が発生しそうになれば、もう少し上流の、栃木や茨城、群馬や埼玉北部で意図的に川の水を漏出させるという可能性はありうる、と考えられるわけ。(そのほうが客観的には被害が小さく抑えられる。)
まあ水利権というのは、俺が思う以上に難しく、生々しい問題を含んでいるようだね。┐(´д`)┌ うまくオウユダ売国悪意をかいくぐって、生き延びてください。糞糞糞
( ・ω・)ノ~~
その他にも関東一円で、水路関係の工事を担ったらしい。
実は、岡部とか深谷、熊谷の北部のほうに行くと、備前渠という用水路があるね。知らなかったんだが、サイクリングするようになってから、何度も見たことがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99%E5%89%8D%E6%B8%A0%E7%94%A8%E6%B0%B4
(今は悠々と流れているが、歴史的にはいろいろあった模様だな。(・ω・;))
なかなか立派な水路で、一目見ていいと思った。まあザ埼玉な用水路なんだけとw、これは護岸が固めてない、非常に古いスタイルの用水路ですね。上流のほうではそうです。これ見ると、私の子供のころに、ザリガニを獲ったりフナを釣ったりした、用水路や小川を思い出す。
で、なぜ備前なのかというと、これもこの伊奈さんが作った水路だから。この人、備前守という官位だったからということで、その呼び名がついているということらしいんだよね。
そういうわけで、四百年前の当時のままの姿を伝えている部分があると思われるので、そう思ってみると、また格別な味わいがありますよ。
全国三千万人の用水路ファンの方には特推できる水路です。w 埼玉北部に行ったら、じっくり一日鑑賞してみてください。(`・ω・´)
いやー、伊奈なかなかやるね。w
でも、俺が思うに、原爆だけが取りざたされて、東京大空襲が過小評価されているのは、不自然だと思うね。
何故東京大空襲(3.10)の扱いが、そのように陰に隠れがちなのか、その理由は各自で考えていただきたいと思いますね。
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まあ私は埼玉で生まれ育ち勉強したわけなんだけど、正直こういう話はほとんど聞いてないね。息子忠治が川口の人だということも、私は全く知らなかった。
まあ治水の話は聞いたことはあるんだけど、子供にはかなり難しい話なんでね。大人になると、こういうことの意義深さはすぐにわかるようになるんだが。
で、家康の家臣として活躍した父の忠次は、1610年に亡くなっている。w それで、この荒川の事業に関して完成したのは次男の忠治ということになっている。
荒川瀬替え - 寛永6年(1629年)
忠次はこういう事業の端緒を付けた人で、実際に完成させたのは、熊谷の所の堤と、備前渠だけのようだ。まあでも、幕府が開かれる前から取り掛かっていたのだろうから、初期の計画にかなり深くかかわったのは確かだろう。利根川のほうも大工事だから、完成はもっと先になる。
まあ忠次という人は、代官・事務方としても極めて優秀だった人らしく、何なら徳川家康の関東支配の実質を担った人といっても過言ではないぐらいの存在らしい。あまり知られていないと思うけどね。不都合な事実なのかな?糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
墓は鴻巣の勝願寺にあるということらしい。行ったことがあるところだが、全く知らなかった。(・ω・;)
経済的には目先のメリットが大きく、のちの時代の大規模公共土木工事のようなものを是認するような流れにつながっていくだろうけども、それ以前のありのままの環境ではなくなってしまったというのも間違いない事実だ。本当にそれが正しいのかどうかは簡単には判断できない。
実際、これらの地域では、どうしても雨季には洪水が起きやすい。それは小手先の土木工事だけで避けられるようなものではない。自然の摂理だ。
昨日も鳩山・東松山で洪水があったようなんだけど、施設が大規模になればなるほど、その維持管理も難しくなる。
(決壊したときの被害も倍増する。オウユダ売国役人たちを脅しておきまっす糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞)
ので、まあ私ももろ手を挙げて賛成とは言えませんね。おさんになればなるほど、そう思えてくる。東京は実際今でも泥沼のままでしょ。結局は。(≧з≦)プッ 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞
今の東京湾の姿とか、あるべき姿なんでしょうかね。疑問を感じます。まあ人間はあほだよ。救いようがないね。言うだけ無駄。俺は東京・江戸には魅力は感じない。
( ・ω・)ノ~~