管理職のための組合運動

一般に管理職は労働組合員にはなれない。辛い目にあっている管理職の人々のために役立つ労働運動について考えて行きたい。

桜田門外の変(1)

2008-11-14 19:02:27 | Weblog
このブログは東海道を歩いた日記として2000年に書き始めた。

京都に着いてからは、折り返し中山道を歩いて江戸日本橋まで帰ってきた。
といっても、サラリーマンの旅だから連休を使ってつなぎの旅になる。
ごまかしはせずほぼ全行程をこの足で歩いた。

旅が終わると、激しい目標喪失感に襲われた。
お遍路の先達が何回も四国を巡る理由もそれだろうと思う。

その頃、このブログに書くことがなくなったので、私は江戸散歩を始めた。
最初に訪ねたのは、世田谷の松陰神社だった。
実は神社そばにある吉田松陰の墓を見に行ったのである。

私は17年間山口県人であったから、近くにある長州人の先輩を訪ねただけである。
その頃は深い考えもなかった。
地図を広げてたまたま目に入ったのが世田谷の松陰神社だったという程度の理由だった。

そしてある日曜日に私は自宅から8kmほど離れた松陰神社まで歩いていき、
松陰の墓の前に立った。

墓の左手後方にある背の高いカエデの葉が赤くきれいな秋だった。
その光景は、あたかも天から赤い水が滴り落ちているような光景だった。

なぜカエデの木が墓の傍にあるのか、などとはそのときは感じていなかった。
たまたまカエデがあるくらいしか思っていなかった。

今は確信を持って楓のことをいえる。
高杉晋作が世田谷の毛利の敷地にあったカエデの木の下に、松陰の白骨を埋めたのである。罪人として南千住の回向院に葬られていた白骨を運んでここへ移してきたのである。

その骨は今の六本木ミッドタウンの前庭の前で暫し立ち止まった。
そこは当時毛利藩中屋敷であったのだ。

松陰を殺害させたのはNHK篤姫でも周知の通り井伊大老である。

その大老暗殺の日の事件直後のことではあるが、現場まで見にいった他藩の武士の証言を見つけた。
以下に、要約して紹介したい。

最新の画像もっと見る